PROFILE
【本名】 加藤小雪 「Grand Magasin 2000/12」より
【出身地】 神奈川県
【血液型】 O型
【生年月日】 1976年(昭和51年)12月18日
【星座】 射手座
【身長】 172cm
【スリーサイズ】 B83 W58 H85
【靴のサイズ】 25cm
【芸能界に入ったきっかけ】 95年、『non-no』(集英社)の読者モデルに応募。『第24回ノンノ・モデル』に選ばれ、2年のモデル契約ののちプロのモデルに
【趣味】 アロマテラピー、ソーイング、読書
【特技】 バレーボール(インターハイ出場経験あり)、 テニス
【所属事務所】 フラーム FLaMme
【ファンレターの宛先】 〒107-0062 東京都港区青山1-15-18 リーラ乃木坂1101

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上記のプロフィールはオフィシャルのものと大して変わりませんので、“女優小雪”に焦点をあてた貴重な証言として、映画『回路』の黒沢清監督が、『婦人公論2000年9月22日号』に寄せた小雪さん評を載せることにします。 |
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『小雪の肉体が問いかけ、精神が迫る』 黒沢 清(映画監督)
世の中に、その肉体と精神とが、生まれ持ったそのままのかたちで表現として成立してしまう人間というのが、何万人かにひとりいる。そういう人物が俳優という職業を選択する確率がどれほどかまでは知らない。が、小雪という人がまさにそれだった。私は思わず聞いた。「小雪さんは小さい頃から演技の修練を積んでいたのですか?」「いいえ、全然」と返された。然り。小雪の恐るべき表現力は、ただ修練を積みさえすれば獲得できるといったたぐいではない。間違いなく天性のものだ。こういう人物の前で私は動揺する。映画そのものも動揺する。なぜなら、映画とは本来、生身の人間がただそこにぼんやりと存在しているだけの風情を描写することを得意とするメディアだからだ。部屋の隅に立ってもらったり、クローズアップで撮ったり、歩いたり走ってもらうことによって、ただ存在しているだけの人間をどうやって表現に変えていくかが映画作りの腕の見せどころなのだ。
しかし、小雪は違う。どう撮ろうが、どこに立ってもらおうが、その画面は彼女の画面になり、中心はいつも彼女だ。「このショットはつまりこういう意味ではないのか」と小雪の肉体が問いかける。「あなたが表現したいことはこれではないのか」と小雪の精神が迫る。私は冷や汗をかいていた。私の表現者としての資質などこの際どうでもいい。問われているのは映画そのものの資質だ。映画とは、果たしてまっとうな表現たりうるのか?結局、曖昧な見せ物にすぎないメディアだったのか? と。恐ろしい俳優だった。普段はやさしい物静かな人なのだけれど。

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