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Don‘t think,feel.
(「考えるな、感じろ」 by ブルース・リー)


「オレの目の黒いうちはどんな事があっても許さねェ」
なんて事を青い目をした外人さんが言うジョークをたまに聞くけど、あの青い目でちゃんと見えているのかと思っていたら、どうやら見えていないらしい。
と言うのも彼らには虹が6色しか見えないそうだ。
もちろん、グラデーションになっているから、どこからどこまでが1つの色なのかはハッキリとは決められない。
しかし、日本人の様に黒い目をした人種とは違った見え方をしているのは確かの様だ。

ご存知の通り、僕の左目は病気の為、というか、治療の為(決して医療過誤ではありません)に「変」になっている。
どう「変」かと言うと、右目に比べ、小さく、細く、更にちょっとセピア色に見える。
これは右目を基準にしての見え方なのだが、さて、この右目があなたと同じに見えているかと言うと、それは分からない。

そこで僕は思った。
ひょっとすると自分が見ている様には、他の人には見えていないのかもしれないと。

例えば、色を考えてみよう。
小学生の時、クラスメートに色盲の友達がいた。
彼は茶色い馬を緑色で描いていた。
その日の図画の時間は先生が本を読んで、その風景イメージを絵に描くというものだった。
頭の中で茶色い馬をイメージした彼は彼にとって茶色に見える緑色の絵の具で描き始めたのだ。(きっと、先天的に色盲ではなく、後天的なものだったと思われる)

彼の場合は極端かも知れないが、僕の右目と左目の様に、微妙な色の見え方の違いはきっとあるはずだ。
しかし、そんな些細な違いを詮索する必要も無ければ、それを確かめる方法も無い。

それでは、同じ物を見て違って見えているかもしれないのに、お互い、ちっとも困らないのは何故だろうか。
それは、見えているものは然程(さほど)、重要ではないからなんだと思う。
もちろん、見えないと色々と不便であったり、場合によっては危険な事もある。
それでは、目の不自由な人は人としてちゃんと生きていないのだろうか。
そんな事はないはずだ。

しかし、見える為に本質を見失う事だってある。
人が人として生きていく為に、本当に必要なもの、例えば、愛や思いやり、優しさは見えない。
だけと、確かに存在し、感じる。
本当に大切なものは、見えないものなんだ。
だから、目の不自由な人だって、人として生きられるし、愛や思いやりを感じ取れない人は、たとえ目が見えていても、人として生きていくことが出来ない。
だから僕は、感じる心を大切にしたいと思う。


2004.2.15


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