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母校が廃校になるかもしれない

先月の事になるが、新聞を見ていて或る記事が目に飛び込んできた。
それは、僕が卒業した名古屋市立大生小学校が隣の宝小学校との統合化の検討に入るというもの。
僕が大阪から転校してきた時の児童数は500人ほどで、各学年2クラスしか無く(僕らの学年だけは3クラスだった)、それが今では各学年1クラスしか無いと、3年前のクラス会で聞いていた。
それに、僕らが通っていた頃から既に廃校になるとか、隣の小学校の分校になる等の噂があった。
だから統合化の検討が開始されたという事に驚きは無いが、今回は"噂"では無く、こうして新聞にも載るという事で、いよいよ廃校になるんだ思うと、どこか寂しい物がある。

僕自身が何度も引っ越している事もあり、卒業してからの数十年の間、車で近く通る事はあっても、学校へは行った事が無かった。
そこで先日、有休を取って映画を観に行ったついでにちょっと覗いてきた。

一番驚いたのは、学校の周辺が随分変わっていた事。
僕が通っていた時は、木造の汚い家(失礼!)だったのが、綺麗でモダンな家になっていたり、あるいは大きな公団住宅になっていた。
学校の東門の前の、毎日の様に通っていた駄菓子屋や文房具店も無くなっていた。
駄菓子屋のおばちゃんは僕が小学生だった頃には既に結構な年だったと思うので、仕方が無いことかも知れないが、今の子供たちはどこで駄菓子を買うのだろう。
それとも、もう駄菓子なんて買わないのかな。
1等だったらプラモデルが貰えるくじ引きをやったり(いつもスカばかりで、「これは当たらない物だ」と悟って、やらなくなった)、ブルースリーのカードを集めたり、四角い小さな箱の真ん中のボタンを押すとコロコロと直径1.5cmくらいの丸いガムが出てきて、その丸いガムが何色だったら当たりでもう一回出来るヤツも良くやっていたな。
あのガムって、全然美味く無かったけど、高校生になっても高校の近くの駄菓子屋でやっていた。

僕が学校に着いたのは午後4時頃だったので、ほとんどの児童は下校をしていて、校庭ではサッカー部が練習をしているだけだった。
僕らの頃もサッカー部はあったが、春から夏にかけては野球部で、秋になるとサッカー部に変わり、冬になると解散していた。
その野球部だが、僕らが6年生の時に中日新聞が主催の名古屋市の大会で準優勝をしている。
今にして思えば、児童数の少ない(その上、男子も少ない)学校なのに驚異的な事だ。
実は僕も野球部員だったが、そもそも球技が苦手なので、応援を主に担当していた。

僕の通っていた頃は放課後も学校の校庭で遊びまわっていたけど、今では門が閉まっていて中には入れなかったので(これも時代なんだなぁ)、周りをぐるりと歩きながら見てきた。
学校の南側に回ると僕らが5・6年生の時に使っていた校舎の裏手に出る。
僕らが6年生の時の教室がこの校舎の2階にあり、懐かしさに、ふと見上げた2階の窓には、下で泣きながら帽子を拾っているミハルを複雑な表情をしながら覗き込んでいる小学生の僕が見えた。
隣の席のミハルの帽子を窓から投げて泣かせてしまったのだ。
その時は自分では気付いていなかったけど、多分、僕はミハルの事が好きだったんだと思う。
それで、気を引くためにそんな事をやってしまったんだな。
僕が窓から投げたミハルのレモン色のハンチング帽のてっぺんの少し後ろ側にちょっとだけ泥がついてしまった、そんな事まで想い出していた。

校舎と塀の間はほんのわずかだが、子供ってこういう狭っ苦しい所が好きで、「ああ、ここでも良く遊んだなぁ」と思っていたら、ダスターシュートが目に入った。
そう言えばあの中にトン平を閉じ込めて泣かせてしまったなぁ。(泣かせた思い出ばかり!)
僕も一度入ってみた事があったけど、カマドウマが居て、扉を閉めると真っ暗になって怖かったぁ。
そんな事はともかく、ミハルとトン平、あの時はごめんなさい。

学校が無くなっても、想い出は無くならないと思っていた。
だけど、こうして校舎を眺めなければミハルやトン平を泣かせた事は思い出さなかっただろう。
それは即ち、想い出が無くなるという事なんだと思う。

母校と言うのは写真の様だ。
無くなっても困らない。
だけど、写真を見る事によって、例えばそれが旅行に出かけた時の物であれば、「あの時はこうだったよね」、「あの後、アイツがこうしてさぁ」と、ドンドン想い出が蘇ってくる。
そして、それは僕が生きてきた確かな証しだ。
母校って言うくらいだから、僕らはそこから生まれてきたんだ。
学校ってそう言う所でもあるんだ。


2010. 11. 7
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