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■会社での健康診断
1999年4月20日(火)

今日は会社で健康診断があった。
ウチの会社では誕生月とその反対月の年2回、健康診断がある。
問診票に「最近、左眼の視界に時々、雲の様な物がフワ〜っと流れる」と書いたら、看護婦さん(会社の健康診断室だから、誰を看護するというわけでもないから看護婦というのは変だね)に
「あとで、先生に診てもらってください」と言われた。
健康診断が終わったあと、医局に行って先生に診てもらったんだけど、先生といっても内科が専門で、医学書のページをめくりながら、「眼の方は学生の時以来やってないからなぁ」ということで、
結局、「今日にでも、眼科に診てもらってください」と言われた。
いつもの事だけど、仕事もあまりやる気がしなかったので、これ幸いにと、早めに上がって、会社の近くにある眼科医へ行った。
10年くらい前にも来たことがあるこの眼科は相変わらず混んでいて、この日はというか、他の日はよく知らないけど、子供が多く、子供が多いということは必然的に付き添いの親もいるわけで、そんなこんなであまり広くない待合室は超満員。
病院の外にもイスが置いてあるのだ。
今日のところ、この眼科医では、「よくわからないから、今度、もう少し、詳しく診ますね」ということで、ゴールデンウイークが明けてから、また来ることになった。
今日のところは「疲れ眼じゃないかなぁ」との事だった。


■網膜剥離?
1999年5月7日(金)
2度目の診察の日。
今日は、瞳孔を広げて眼底を診る検査をやった。
眼底を診るといっても、当然、僕が見るのではなく、お医者さんが診るのであります。
結果は、「網膜剥離みたいだけど、ウチでは治療が出来ないから紹介状を書きますね」ということで、家から近い、藤田保健衛生大学病院(通称、藤田学園)を紹介してもらうことにした。
ここの眼科は、この辺りでは一番というウワサで、あのご長寿シスターズの「きんさん」(「ぎんさん」だったかもしれない)が白内障で入院したのもこの病院。
結局、疲れ目から網膜剥離に出世することになった。
網膜剥離といえば辰吉丈一郎。
僕もボクサーの仲間入りかとアホなことが頭に浮かんできた。

■げっ!入院だって
1999年5月10日(月)

今日は会社を休んで紹介してもらった藤田学園に行った。
こういった大きな病院に行ったことがないので、とりあえず、朝9時頃に行ったら既に超満員で、付き添いの人も入れて150人くらいの人が待っていた。
こなんことなら、本でも持ってくればよかった。
周りの人の話では、朝6時とか7時とかから来ているそうだ。
診察が始まるのは9時からだというのに、3時間ほど待ってやっと診察となった。
後で知ったことだが、早い人は夜中の12時に受け付けをしているそうだ。
診察室は視力検査や眼圧の測定をやるスペースのほかに小さく区切った部屋が5つほどあり、出入り口に一番近い部屋には“きんさん・ぎんさん”のポスターとサインがあった。
視力検査と眼圧の測定をやったあと、目の中を覗く器具で何人かの先生に診てもらった。
今日は紹介してもらった、堀口教授が不在で、他の先生達はきっと助教授とか助手なんだろうなと思ったけど、名札にはそんなことは書いていなかったので分からなかった。
その中の一人で高校の同級生に似た、名前が分からなかったので、僕はひそかにムラセと心の中で呼んでいた先生から
「網膜が剥離している様なので、今日から入院して下さい」と言われる。
「えー、今日から!」と僕が言うと、突然だから明日でもいいとのことで、そうする事にした。
家に帰って、3週間ほど入院することを母に伝えると当然だろうけど、ビックリしていた。
それから、母は入院の為の買い出しに出かけ、僕は会社に行って仕事の引継ぎを頼んできた。会社では網膜剥離経験者のツカモトさんが、目ン玉を凍らせて手術するとか、手術のあとは首から上は固定されて暫くは動けない等といった事を教えてくれた。
初めての入院にワクワクと少々憂鬱な気分である。

■はじめての入院
1999年5月11日(火)

今日、藤田学園に入院した。
まずは入院窓口に行って、手続きを済ませてから眼科病棟のある3階に行った。
部屋は8人部屋で、僕のベッドは窓側。廊下側に比べれば、断然いい場所。
しかし、後で向かいのベットのGさんが言われたが、入院が長引きそうな人は窓側なんだって。
とりあえず、持ってきた荷物とかをベッド横の棚というか小さなワゴンに入れたりしているとさっそく検査ということで、採血と心電図を取った。
病室に戻って来ると、今度はCTスキャナーで患部を撮る。検査の嵐である。
更に、MRIもやるというので、それはどういった検査かと聞いたら
「強い磁界をかけると、体内の水素が反応して・・・」という説明を受けて
「分からないということが分かりました」と答えた。
MRIはすぐには出来ないので、キャンセルがあったらすぐにやってもらう事になっている。
しかし、検査の予約がキャンセルになるというのは、予約していた人は大変なことになっていて、つまり、検査なんかしている場合でなくなっているということで、こういうキャンセル待ちというのは
あまり気持ちのいいものではない。

■入院2日目
1999年5月12日(水)

7時起床。
眠たいけど、初めての入院にしては寝られたんじゃないかな。
午前中に診察があった。テレビなんかでは教授の回診とかいって教授が看護婦さんとかを引き連れて病室を回るというイメージがあるけど、眼科は部屋を暗くしたり、眼底を診る為の器具が必要だったりで、患者が診察室(外来の診察室とは別)に出向いて行く。
そもそも、眼科の患者は普通に動ける人がほとんどだから、それで問題ない。
しかし、他の病院はどうだか知らないが、この病院では診察は他の患者さんが居る前で行われるので病状なんかも他の人に丸わかりになってしまい、プライベートが守られない。
僕自信は別に構わないが、イヤな人もいるだろう。
昼間は風呂に入った。風呂は通常、男が月水金で、女は火木土しか入れないが、手術をする人は前日に入ることができる。
風呂は家風呂くらいの大きさだった。まあ、こんなもんでしょう。
他にはやることもなく、持ってきた本を読んだりして、ブラブラと過ごす。
読んでいる本「野球盲導犬チビの告白/井上ひさし」
少々、不吉だ。


■網膜剥離では無いの?
1999年5月13日(木)

眼科というのは白内障の人が多く、よって年配の方が多い。
又、同室のGさんの様に、糖尿病から白内障になっている人も居て、ますます年配の方の天下である。
若い人というか、僕くらいの年齢の人は殆ど見かけない。
そういうわけでというか、元来、人見知りする性質だから、話相手もおらず、それはそれで、別に困りはしないんだけど、退屈には変わり無い。
夜、就寝前に堀先生に呼ばれてエコーで眼の検査を受けた。
堀先生は僕をこの病院に紹介してくれた眼科の先生の息子さんだそうで、本当にあのお父さんと親子かと思う程、堀先生は川崎麻世似の男前である。
エコーでの検査は閉じたまぶたの上にゼリーの様なものを塗って、エコーの機械でグリグリする。
非常にくすぐったい。
このエコーのテレビモニターで初めて患部の様子を見た。
どうも、左目の中にデキモノが有る様で、今のところこれが何かわからないとの事だった。
網膜剥離だと思っていたけど、ちょっと違うみたい。


■悪性腫瘍かも
1999年5月14日(金)

今日の診察の際、先生が僕の眼の中を見てから、
「今、何歳?」と聞いてきた。なんで歳なんか聞くんだろう、病気と関係あるのかなぁと思いながら、
「36です」と答えると
「んーーー。36かぁ」と言ったきり暫く黙り込んでしまった。
眼の中に腫瘍が出来ていて、詳しくはMRIをやらないとなんとも言えないが、悪性の可能性が高いそうだ。
良性であれば経過観察ということになるだろうが、悪性であればこの病院では診れなく、千葉だか、東京だかの病院へ転院となる。
胃癌とかであればその腫瘍の組織を取り、取った組織から良性か悪性かを判別(確定)するのだけれど、眼の場合は、組織を取ることが出来ず、MRI等の検査により確定していく。
眼の腫瘍になる人というのは非常に数が少なく、100万人に1人いるかいないかという事で、先生もこれまでに数人しか診たことがないそうだ。
悪性腫瘍というと、つまりは癌である。
いくら近年では治癒率が上がっているといっても、母方のおじいちゃんとお婆ちゃんは癌で死んでいるから、どうしても死んでしまうことを考えてしまう。
病室に戻り,ベッドに寝転び、ただぼんやりと窓の外を見ながら
「あぁ、死んじゃうのかなぁ。全然、親孝行もしていなかったなぁ」と思った。
とにかく、まだ、ガンだと決まったわけではないが、僕の眼の中は何かとんでもない事になってしまっているみたいだ。

■MRI
1999年5月15日(土)

今日、MRIの検査を受けた。
MRIは強い磁気を掛けて行う検査で・・・というのを前に聞いたけれど、機械そのものは、素人目にはCTとさほど変わらない。
違いは、検査の時の音がめっちゃうるさい事。
そんなわけで、耳栓をもらった。
耳栓をしていても、「カン・カン・カン・・・」というという音が頭に響いてくる。
検査が終わり、耳栓はもらって行く事にした。
同室で、同じ日に入院したTさんのイビキがめちゃくちゃうるさいので、これで対策はokだ。
Tさんのいびきは規則正しいリズムではなく、
「ぐ・ぐぐぉ・ご・・・・・・・・ごおぉー」という感じで、途中、呼吸が止まるもんだから
「死んだんじゃないだろうな」と思うと「ごおぉー」とくる。

格言:イビキをかく人は寝つきが良い

検査の結果が出るのは1週間ほどかかる。

■藤田学園の七不思議
1999年5月18日(火)

毎日、診察を受けているが、MRIの結果が出るまでは落ち着かない。
なんだか、宙ぶらりんな気持ち。

正看護婦の資格を取る為に
実習にきている看護婦さんから藤田学園の七不思議を聞いた。
(1)朝夕に学園歌が流れる
  → 歌が流れるころは食事の時間だったりで、聞けなかった
(2)藤田学園が作った健康食品「ユリカロン」
  → 「ユリカロン」は新聞にも時々、広告が載っている
(3)藤田学園の絵葉書が病院のスーパーマーケットで売っている
  → 買いにいったが、売っていなかった
(4)敷地内に教会がある
  → 今では物置になっている
(5)ロビーにナイチンゲールの像がある
  → これがナイチンゲールとはナイチンゲールも浮かばれない
(6)病院の玄関にある4本の柱は四季を現している
  → なるほどねぇ。で?
(7)七不思議なのに6つしかない
  → 看護婦さんは忘れてしまったようだ

■入院後はじめての外出
1999年5月19日(水)

今日、入院してから初めての外出。
午前の診察が終わってから早速出かける事にした。
外出するには前もって、申請書を出しておき、教授の許可をもらわなければいけない。
今回はおととい、提出しておいた。
外出の目的その1は友達の電話番号を控えること。
病院では携帯電話は使ってはいけないので持っていかなかったんだけど、その為、友達の電話番号が分からず連絡が取れないでいた。
外出の目的その2は本の買出し。
病院内にあるスーパーマーケットには少しだけど、本も売っている。
(ちなみに、病院内にはマクドナルドもある)
しかし、コンビニよりもちょっとだけ大きい程度のスーパーマーケットだから、売っている本の数もしれていて、なかなか気に入った本が見つからない。
それでも、退屈するよりはまだましと、何冊か買って読んでいた。
読んだ本をベッドの横に積み上げていたら看護婦さんに、
「雑誌を積み上げている人はいるけど単行本を積み上げた人はhiganさんが初めて」と言われた。
スーパーマーケットで売っている本で気に入った本をある程度、読み尽くしてしまったので、5冊ほど買った。
これでも多分、1週間ももたないだろうけど、読み終わったらまた買いに出ればいい。
病院に戻ってからは、友達に電話を掛け「ヒマだから見舞いに来い」と注文をした。
こんな時でないと見舞いに来てもらえないからね。

■やはり悪性腫瘍だった
1999年5月21日(金)
今日、MRIの検査の結果が出た。
やはり、悪性腫瘍との事だった。
悪性腫瘍と言われても不思議と心の動揺はなく、冷静に先生の説明を聞く事ができた。
眼のガンの場合、こちらの病院では治療が出来なく、日本では国立がんセンターでしか扱っていないとのこと。(*)
治療を受けるのであれば、症例を多く扱っている所で受けるのがBestで、そうすれば眼球を残せる治療が出来るかもしれない。
つまりは、眼球を取る可能性が有るということだ。
そちらへ転院する前に眼が源発(発生元)か、それとも他からの転移したものか、又、他に転移していないかの検査を受ける事となった。

朝、診察前に親友のひとり、ヒトシが見舞いに来た。
本当は平日の午前中の見舞いはダメなんだけど、そこは大目に見てもらうとして、電話ではまだ結果は出ていないけど、どうも悪性みたいだと言う事を話していたから、夜勤が終わってから、心配して飛んできたみたい。
見舞いに来てもらってなんだか、うれしいやら照れくさいやら、複雑な気分。
でも、うれしい。

(*):後日、国立がんセンター以外にも扱っている事を知る

■神様と会う
1999年5月22日(土)

>転移していないか、Ga(ガリウム)シンチという検査をする。
Gaシンチとは微量のGa(放射性物質)を注射するとGaが腫瘍のところに集まることにより他に腫瘍が出来ていないかを診る検査。
前日の夜と今朝は食事抜きでお腹の中をカラッポにしておき、さらに浣腸をしてカラッポに磨きをかける。
浣腸は生まれて初めてで、いちじく浣腸(これも経験なし)をイメージしていたけど、これとは違った。
ぬるま湯の入ったコップ状の下にチューブがつながっており、そのチューブをオシリに挿してぬるま湯を腸に入れる。
貞操の危機どころの騒ぎでは無い。
ある程度、腸にぬるま湯を入れたら出して(ウンチョスをするように出す)、再度ぬるま湯を入れて、という事を3回程やった。
ぬるま湯を出すときはオシリからシッコスが出ているみたいで不思議な感覚である。
当然、看護婦さんにチューブをオシリに挿されたり、ぬるま湯を出している時も一緒にトイレの個室にいる訳だけど、まあ、今更、恥ずかしいとか照れくさいといったところでどうしようも無く、いわゆる「まな板の鯉」の心境。
あるいは「どうにでもしてくれ」といった感じ。
検査の方は、ベッドの様な検査台にあお向けで寝て、機械が頭の先から足の先まで舐める様に何度か移動して終わり。
検査自体は案外あっけないものである。

昼から親友の一人のマサルが見舞いに来てくれた。
マサルが来てすぐに、今度は大阪の親戚がやってきた。
「友達が来ているの?それじゃ、後で下の喫茶店に来て。あ、ゆっくりでええよ」
マサルは気を使ってか、もう少し話しをしていたかったけど、「いいよ、いいよ」と帰ってしまった。
マサルが帰ってしまったので、1階にある喫茶店に行った。
ショウジ兄ちゃん(兄ちゃんといっても母方の叔父)と西川の伯父さん,伯母さん、いとこのタカシ兄ちゃんが来ていた。
みんな心配して大阪から来てくれたのだ。すまないことだ。
いろいろと励ましてくれた。僕自身は全然、落ち込んだりはしていなかったんだけど、
そういった心使いが病気を乗り越えていく力になってくのだと思う。
帰り際、西川の伯父さんが「なんも心配せんでええねんで。おっちゃんが治したるからな」と言ってくれた。
ショウジ兄ちゃんは「もし、眼を取ることになったらオレの眼をやるからな。絶対やるからな」と言ってくれた。
僕は涙が出てきた。
神様に会った様な気がした。

■Gaシンチの結果
1999年5月29日(土)

Ga(ガリウム)シンチの結果が出た。
他には転移が見られず、とりあえずはホッと一安心である。
Gaシンチでどこまで見えるのかは分からないけど、転移していないということは、敵は眼だけだ。
ここ藤田学園ではもう検査は行わないので退院してもいいんだけど、月曜日に見舞いに来てくれる人がいるので火曜日に退院することにした。
退院後は前にも言っていた通り、国立がんセンターでの治療となる。
国立がんセンターは月・水・木しか受診していないとのことなので、6/7に行くことにした。

■親友たちのお見舞い
1999年5月30日(日)

ヒトシ・マサル・ユウタロウが見舞いに来てくれた。
ユウタロウは彼女も連れて来ていた。10月に結婚する予定だ。
みんなには検査の結果、他には転移していなかったこと。今後は国立がんセンターでの治療となること。
診察や治療の結果、眼球摘出の可能性もあることなどを話した。
それぞれ「心配するな」と励ましてくれた。
僕は心配はしていないけど、眼球摘出はいやだなと思っていた。
普段、みんなは明るいやつらなんだけど、病気が病気なのでいつもと違い、ボソボソと話しをしていた。
「大丈夫だって」と言ったヒトシの目がウルウルしていた。
ホント、みんなに心配かけて申し訳ないと思う反面、こんなに心配してもらえる事がうれしい。
「俺にはこなんにいい友達がいるんだぁ!」と大声で叫びたい気分だ。
病気になっていなければ、こういった幸せを感じることが無かっただろう。
ちよっと、病気に感謝である。でも、そんな事を言うと怒られるかな。

■藤田学園を退院
1999年6月1日(火)

3週間お世話になった藤田学園とも今日でお別れだ。
国立がんセンターに転院すると完全にあちら任せになって、藤田学園とは縁が切れる。
だから、もう、こちらで何かをするということは無い。
と、思っていたら,6月14日にあちらでの結果を教えてほしいとのことで、再度診察の予定が入った。
診察といってもホントに診察をするのではなく、結果を連絡するだけだ。
さて、国立がんセンターにはどうやって行けばよいのかを聞いたのだけど、情けないことに誰も知らないらしい。
とりあえず分かった電話番号と紹介状、それとこちらでやったMRIやGaシンチの写真をもらった。
Gaシンチの写真はでかくて封筒からはみ出していたから、「どんなのかな」と思い見てみると、全身のレントゲン写真みたいで、それがB4サイズくらいの大きさに写っていて
「こんなもんで本当にわかるのかよ」といった代物だった。

■久し振りの出勤
1999年6月2日(水)

久し振りの出勤。
病院では年配の人が多かったので、会社の様に活気が有ると元気がでる。
さすがに、約1ヶ月ぶりだから仕事には慣れないけど、毎日会社には電話をしていたから、おおよその状況は分かる。
といっても、3日間しか出勤は出来ないんだけどね。
来週からまた入院生活。

■いざ!国立がんセンターへ!
1999年6月4日(金)

会社も今日まで(といっても、退職するわけじゃないぞ)。
来週からは東京、国立がんセンター。
藤田学園じゃ分からなかった場所も地図でバッチリ調べた(なんと、築地市場の真向かい)。
とりあえず今は、眼球摘出の一抹の不安があるものの、A型特有の「なるようになるさ」という開き直りの心境である。
帰宅の時、上司や職場の皆に挨拶をした。
トヤマさんが「がんばれよ」と言って握手をしてくれた。
すごく、うれしかった。


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