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■東京へ
1999年6月6日(日)

東京へ出発する。
病院へ行くのは月曜日なんだけど、今日のところは埼玉の親戚の家で1泊する。
金曜日から大阪の親戚も来ていて、一緒に行ってくれる。
別に、僕自身は付いてきて欲しいとは思わないが、そんなにも心配してくれているのか思うと本当にありがたい。
名古屋駅まではマサルとヒトシが車で送ってくれた。
ユウタロウは結婚式の打ち合わせで来られなかった。
本当なら電車で行った方が早いんだけど、皆の気持ちはありがたく頂戴する。
マサルとヒトシは新幹線のホームまで見送ってくれて、オマケに出発する時には手まで振ってくれた。
いい年して、ホント、馬鹿なヤツ等だ。
ありがとう。

■国立がんセンター
1999年6月7日(月)
今日は国立がんセンターへ行く。
埼玉の川口市から親戚に車で送ってもらうことにした。
首都高は混むので朝早くに出発したら、8時頃に着いてしまった。
築地市場のトイメンなので、まだ、魚の生臭い匂いが残っている。
しかし、病院はすごく綺麗な建物で、藤田学園とはえらい違い。
ロビーは3階まで吹き抜けになっていて、ホテルの様でもある。
あとで分かったことだが、この国立がんセンターは今年、建て替えられたばかりなんだそうで、どうりで綺麗な訳だ。

9時に受け付けを済ませ,1階の眼科へ。
眼科は小児科と同じ待合室で、子供が多い。
というか、実はこの子達も眼科の患者さんで、
小さい子供に発病しやすい「網膜芽細胞腫」という病気の子達だった。

まずは、視力の検査とか、眼圧の測定をやった。
この検査の木村素子先生は、短髪なのに何故か右後ろの髪の20本ほどが15cmぐらいある。
東京には変な人がいる。
いよいよ、金子先生の診察である。
金子先生はパッと見、俳優の清水ナントカ(名前忘れた。今度調べておく)に似ている。
藤田学園からもらったMRIやGaシンチの写真や、今回の診察でのエコーの結果などから、やはり、悪性腫瘍との事。
「眼球を摘出する方法と、レーザーでやるやり方がありますが、どうされますか?」とのことだったので、
すかさず、「レーザーの治療でお願いします」と答えた。
やっぱり、眼球を取るのはいやだ。
「それでは、6月21日から入院でいいですか」
入院できる様に荷物を持ってきたけど、今日のところは診察だけだった。
考えてみれば、そう簡単にベッドが空いているわけないよね。

レーザーによる治療はひと月毎に3回行う。
他の人もそうなのかは分からないが,レーザー治療は全身麻酔で行う。
特に僕の場合、一番ピントの合う所の近くに腫瘍が出来ている為、
ちよっとでも眼球が動くと失明する恐れがある。
だから、全身麻酔で行うそうだ。

とりあえず、今日のところは帰る。
帰る前に入院受け付けで、入院する際の手続きをする。
一応、入院の予定は6月21日なのだが、正式決定は前日の(僕は場合は月曜が入院予定なので金曜日)午前中に電話連絡するとのこと。
僕の場合は比較的、東京から近い方だし月曜入院だからいいけど、遠くの人(例えば沖縄や北海道)なんかは前日に電話されても交通手段に困るのではないだろうか。
さらに、戸籍抄本が必要とのこと。
国立病院に入院するのは面倒である。

僕の腫瘍の大きさは直径が1cmで厚さが6mmで決して小さくは無い。
通常、厚みが4mm以下だとレーザー治療の効果が期待出来るのだが、僕のはそれよりも大きいので上手くいかないかもしれないそうだ。
ま、やってみなくちゃ分かんないけどね。

■とりあえず、帰る
1999年6月8日(日)

ということで、家に帰って出直しだ。

■国立がんセンターへ入院
1999年6月21日(月)

再び国立がんセンターへ。今回は入院である。
受け付けをしてからエレベータで眼科病棟のある17階へ上がる。
ナースステーションで「今日から入院するhiganです」と告げ,病室へ案内してもらう。
この病院は病室に「何号室」というものが無く(本当はあるのかもしれないけど)病室の入り口に液晶の画面があり、そこにはキリンさんとかライオンさんのマークがついている。
この液晶をタッチすると画面が変わり、この部屋の患者の名前が出てくるしくみになっている。
今回、僕は象さんの部屋だった。4人部屋の窓際で17階からの眺めはなかなかのモンである。
とはいえ、ここは東京。もっと高い建物が林立していて、すぐ近くの聖路加ガーデンのあるビルなどは48階(だったかな?)もあるのだ。
新しい病院だけあって、病室はスンゲー綺麗で、各ベッドには液晶テレビが付いていて、つなげればファミコンだって出来ちゃう。
更に、冷蔵庫だってあるし、ベッドは全自動で昇降・リクライニングする。当然、ウォシュレット。
もう、言う事無いッス!
パジャマに着替えてから、まずは問診。
看護婦の土屋さんから家族構成や病歴などを聞かれる。
明日は手術(第1回目のレーザー治療)なので、いろいろと検査がある。
体重,身長の測定に肺活量の測定もある。
何故、肺活量の測定が必要かというと、手術は全身麻酔で行う為、麻酔の量に関係するのだと思う(想像)。
さらに、テープテストといって、点滴等の時に使うテープを数種類、腕に一晩貼って、かぶれたりしないかをみる。
夜になると麻酔科の横川先生が来て「全身麻酔は怖くないよ」という様な事を説明してくれた。
しかし、全く安全なものでも無いと言う事ぐらいはオタンチンな僕でも知っている。
かといって、怖がっても仕方がないし、そんなに頻繁に、麻酔による事故は無いだろうと楽観視している。
消燈は9時。
病室が真っ暗になると窓の外には昼間と違った東京の風景が見える。
きっと、多くの人がそれぞれの思いでこの夜景を見ていることだろう。

■初レーザー
1999年6月22日(火)

今日はいよいよ手術。
準備の為、寝巻き(いわゆる浴衣)に着替え、筋肉注射を打たれる。
これが普通の注射と違い、結構痛いのだ。
筋肉注射の後は、ストレッチャーというのだろうか、狭いベッドに寝かされ、そのまま業務用(医療用)エレベーターで手術室のある9階へ行く。
両親も一緒にエレベーターに乗り、母は僕の手を握り「がんばりや」とつぶやいた。
正直なところ、手術の間、僕は寝ているからがんばり様がないわけで、その言葉は金子先生に言ってほしい。
9階に着いてもすぐには手術室には行かない。
その前に処置室という部屋に行き、そこには昨夜の麻酔科の横川先生が待っていて、
「higanさんですか」と患者の確認をする。
ストレッチャーから手術用のベッドに移り、さらに点滴の針をつけられたりと、
4人くらいの看護婦(?)のテキパキとした作業の後、酸素マスクの様なものを口元に当てられ
「それでは2・3回深呼吸してください」と言われ、2回やったところで意識がなくなった。

横川先生に頬をポンポンと叩かれたのと,チンコに入れられていた管を抜いた痛みで気が付いた。
麻酔から覚めたといっても少しの間だけで、すぐに眠りに落ちてしまった。
気が付くと病室で酸素マスクを付けられ、辺りは真っ暗だった。
本当に真っ暗だったのかどうかは分からない。そばには父親が居たが顔も見えない。
たぶん、麻酔のせいで視覚が一時的に変になっていたのだろう。
しかし、すごく気分が悪い。
「吐きそう」という気分の悪さではなく、果てしなく頭がボーーーーーッとしている。
しいてゆうなら、激しい二日酔い(吐き気の無し)といった感じ。
とにかく気分が悪い。
気分の悪いまま、眠る。

■膀胱が変だぞ!
1999年6月23日(水)

朝、目覚めはいつもと変わらないが,幾分ボーッとした感じもする。
日頃からボーッとしているので、麻酔のせいなのか生まれつきなのか、あるいは寝すぎなのかは分からない。
特に目が痛いとか違和感といったものは感じられない。
少々、フラフラしながら、トイレに行ってオドロイた。
風呂の中でオナラをした時の様に、膀胱の中がゴボゴボしており、その影響でシッコスが飛び散る様に出る。
多分,手術の時にチンコに付けた管の影響で膀胱に空気が入ったのだと思う。
夕方にはゴボゴボしなくなったので、空気も抜けたのだろう。
最初は驚いたけど、楽しくもあったので、少々残念だ。
しかし、不思議な体験であった。


■浅草寺へ
1999年6月26日(土)

浅草寺へ行く。
今回の入院の際に、来てくれた親戚の叔母ちゃんは日本舞踊が趣味で、浅草の方にはその関係の店が多いとのこと。
テレビなどからでは下町っぽいイメージを受けるが、実際にはどうなんだろうか。
地下鉄で着いた浅草駅は混んでいた。
さすがに観光スポットの一つである。見事にジジババの大群。
とはいえ、チラホラと若い人達もいて、仲見世などは大賑わいである。
浅草寺の印象は名古屋の大須観音と大して変わらない。
どこにでもあるお寺で、ただ、ちょうちんがデカイだけである。
結局、仲見世と浅草寺を見ただけで、どこに何があるのか分からず、帰ってきた。
たぶん、もっと面白いところがあるに違いないのだが、シロウトの我々には見つけられなかった。

■泉岳寺
1999年6月27日(日)

今日は埼玉の親戚と一緒に、赤穂浪士が祭ってある泉岳寺に行く。
しかし、何故、赤穂浪士はこんなにも人気があるのだろうか。
僕にしてみれば単なる人殺し集団だと思うのだが。
寺の敷地の中には資料館があり、四十七志の人形が展示されていた。
多分、明治頃に作られたのであろうこれらの木製の人形は全てボロボロだった。
この泉岳寺で邦子ねぇちゃん(と言っても叔母)にお守りを買ってもらった。
いろんな人にお守りをもらって僕のポケットはパンパンだ。 神様同士、仲良くしてもらいたい。

昼は有楽町の可口飯店という飲茶の店で食事をした。 店は1階から4階くらいまであって、若い人ですごく混んでいた。
料理の方は薄味だがなかなか美味かった。
また来たいと思うのだが,一人だと変だしなぁ。

■とりあえず1回目の退院
1999年6月28日(月)

本日退院。
次回は7月14日に入院となる。
親と大阪の親戚は昨日のうちに帰ったので、見送りもなく一人で退院である。
ナースステーションに行っても1人しかおらず、とりあえずそのあまり見覚えのない看護婦さんに
「お世話になりました」と挨拶をした。
東京駅では1つ発見をした。
なんと、東京駅に温泉があるのだ。
その名も「東京温泉」。 そのまんまじゃねぇか。
本当の温泉なのかどうかは分からないが,料金は結構高い。
たしか2500円ぐらいしていた。
ところで、だれが利用するのだろう。
東京駅で洗面器を持って歩いている人には会ったことがない。


■国立がんセンター2度目の入院
1999年7月14日(水)

国立がんセンターに2度目の入院。 今回もレーザー治療をやる。
やることは前回と同じなので、気分的には楽だが、全身麻酔が憂鬱。
病室は前回と同じ象さんの部屋。
ただし、ベッドは窓際ではなく入り口側。景色が見づらく残念だ。
ま、1週間だけだからガマンしよう。
診察の結果、前回のレーザーはあまり効いていない様なので、今回は少し強くあてる。
その為、視力の低下や視野が歪む可能性があるとのこと。
レーザーを強くあてると網膜が引きつり、歪んで見える様になってしまう。
どんな風に歪むのかは分からないが,ガンをやっつける為だ、仕方が無い。

■2度目のレーザー
1999年7月15日(木)

本日手術。
相変わらず、筋肉注射が痛い。
段取りは前回と同じ。
変わったことといえば,チンコに管を入れられなかった事と麻酔から醒めてもそれ程、気分が悪くならなかったこと。
全身麻酔も回数を重ねると、効きづらくなるのだろうか。
手術をやった日だというのに、夜遅くまでTVを見てしまった。
眼の方は今回も痛くは無かった。
ただやはり、初めに先生に言われていた様に、左目は少しぼんやりと歪んでいる。
それに左右で物の大きさが違って見える為、両目ではピントが合わない。
これは、もう、一生直らない。

■喫煙コーナー
1999年7月16日(金)

僕は、本数はそれ程ではないが、タバコを吸う。
だけど国立がんセンター内は最上階にある喫煙コーナー以外、全て禁煙だし、入院中はあまり吸いたいとも思わない。
だけど、せっかくだからどんな所か一度行ってみようと思い、夕食後、最上階の19階にある喫煙コーナーに行った。
喫煙コーナーには既に、数人の年配者の人達がいた。
窓からは東京の街のイルミネーションがきれいだ。
みんな、この街の灯りを見ながら何を考えているのだろう。
病気への不安、死への覚悟、あるいは家族のことか。
みんな、ただ黙って夜景を見ている。

■「となりの山田くん」
1999年7月17日(土)

病院の近くに東劇という映画館がある。
今日、「となりの山田くん」を見に行った。
毎日、テレビばかり見ていてもつまらないし、外に出て気分転換もいい。
この映画は技術的にはすごいらしいが、結局のところ、もう一度見たいというものではない。
スタジオジブリ関係の映画では「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」それに「となりのトトロ」が好きだ。
特に「となりのトトロ」は時間がたつのを忘れ見ているとあっという間におわってしまう。
宮崎駿はもう映画は作らないと言っているが、そんなことを言わないでもっと楽しいアニメを作ってほしい。
(ちなみに「となりの山田くん」は高畑勲監督である)

■お世話になります
1999年7月18日(日)

今日は親戚の伯母さんと一緒に日本橋の三越へ行き服を買ってもらった。
30を過ぎたいい大人ではあるけど、伯母さんから見るといつまでたっても子供なんだろう。
小さい時、弟が生まれる一時期に、この伯母さんのところに預けられていたから、更に、そう思ってしまうのだろうか。
夜は病院の近くのステーキハウスでご馳走になった。
いろいろお金を使わせてしまって大変恐縮です。

■寂しく退院
1999年7月19日(月)

本日退院。
あいかわらず見送りも無く、寂しく病院をあとにする。
次回は8月16日に入院。

今日からタバコは吸わない
1999年8月15日(日)

明日の入院の為、先乗りして病院近くにある銀座丸の内ホテルに泊まる。
昨日まではタバコを吸っていたが,今日から吸わない事にした。
最近読んだ本、コミックなんだけど、「出なおしといで」にこんな場面があった。
主人公の女子高生はすごくバスケが上手いんだけど、実業団に行くかどうか迷っていた。
そこで、担任の先生(兼僧侶)に相談する。
「いったい、この問題から解放されるにはどんな方法があるのか。
例えば、ああなったら・・・・こうなったら・・・と、思いつくことは何でもかんでも。
ほっておくと、永遠に希望ばかり考えてしまいそうだけど、
その中で自分だけで出来る事はどれだろうか。
つまりそれが今やるべき事で、最善の道なんだ。」
そこで僕も考えた。
どうすればこの病気に勝つことが出来るのか。
イメージ貧困故、自分だけで出来る事といったら、タバコを止めるぐらいしか思いつかなかった。
そう思ったら、簡単にタバコを止めることができた。

「禁煙なんて簡単だ。その証拠に何度でも出来る」


■おぉ、なんと個室なのだ
1999年8月16日(月)

今日から3回目の入院。今回はなんと、個室なのだ。
別に宝くじが当たったわけじゃなく、ただ、他に病室が空いていなかっただけのこと。
よって、料金は一般の病室と同じ。Lucky!
個室のいいところは、他の患者さんがいないので、周りに気を使わなくても済む。
特に夜なんかは、僕は夜更かしをしてテレビを見ているから、他の患者さんの迷惑にならないか気にしている。
気にしているのなら、早く寝ろよというご意見も有りましょうが・・・・
前回のレーザ治療の後、左眼に何か黒い点々とした物が漂うようになった。
診察の時、これは何かと聞くと、つまりは、レーザによって剥がれカサブタの様なものが左眼の中を漂っているのだそうだ。
硝子体の中を漂っているものだから、眼を動かすと、それに連れて動き、しかも眼の動きを止めてもユラユラとしている。
10年程まえから、左眼に黒い点々見えていて、これは飛蚊症なんだけど、それよりも数が多いし、
中には糸状になっている物もあるから、非常に、うっとうしい。


■レーザー最終回
1999年8月17日(火)

今日は3回目のレーザ治療の日。
今回の筋肉注射は全然痛くなかった。うまいぞ!看護婦山田のり子!
治療自体はいつもと何らかわらず(全身麻酔で意識がないので想像です)、問題なく終了。
病室に帰ってきて、すぐに立ってトイレに行ったら、山田さんはびっくりしていた。
普通、全身麻酔の後はフラフラしているので、立つこと自体危ないのだけど、
やはり3回も全身麻酔をやると、体も慣れてくるのだろうか。
その日は手術が有ったにもかかわらず、2時くらいまでテレビを見てしまった。
だって、手術中寝ていたから、眼が冴えちゃって・・・・

■「鉄道員(ぽっぽや)」
1999年8月18日(水)

> 特に何を見たいとかは無かったけど,有楽町の辺りまで歩いていって(病院から徒歩約20分)
ブラブラしていたら、「鉄道員(ぽっぽや)」をやっていたので、これを見ることにした。
原作は藤田学園に入院していた時に読んでいて、話題作でもあるし、あんな短編小説がどう映画化されているのかも興味があった。
感動の名作と呼ばれるだけあって、後ろの席の女の人(多分23,4才くらい)なんかは、オエオエと泣いていた。
そんなに泣くような映画ではないと思うけどなぁ。
僕の感想としては、本の方が良かった。
原作は40ページくらいの短編なので、映画化する為に、本来のストーリーとは関係ない、余分なストーリ(志村けんと安藤政信)を入れてあり、本来のストーリがぼやけてしまっている。
しかし、高倉健は実に雪が似合う。

■もう退院なのだ
1999年8月19日(木)

本日退院。
入院している日にちがドンドン短くなっている。

次回の診察は9月29日

■レーザーは効かなかった
1999年9月29日(月)

レーザ治療の後、初めての診察である。
結果、腫瘍が小さくなっていないということで、今度は放射線による治療となる。
本来であれば、腫瘍への栄養が行かず、腫瘍は死んでしまうはずだったのだが、
やはり、レーザでやるには少々、腫瘍が大きかったようだ。
ちょっとショックではあるが、がっかりしていても仕方が無い。前進あるのみ!
今度の放射線での治療が上手くいくことを祈るだけだ。


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