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■放射線治療
1999年10月6日(水)
今回で4回目の国立がんセンター入院。
もう慣れたもので、入院の手続きは楽勝だ。
今回の入院は、慣れ親しんだ象さんの部屋ではなく、キリンさんの部屋だった。
診察は眼科に加え、今回は放射線治療科でも見てもらう。
放射線治療科では徳植先生で、やさしい感じの先生。
徳植先生によると、放射線の機械が故障していて今、修理中なんだって。
丈夫かよぉ。
ついこの前、東海村で放射線漏れ事故があったばかりなので、ちょっと心配。
本来であれば8日から治療が始まるのだが、1週間遅れの15日から始まるとのこと。 

■マスク作り
1999年10月7日(木)
今日はマスク作り。
マスクとは何かというと、簡単に言ってしまえば,顔を固定する為のもので、顔がグラグラしていたら、放射線を当てる度に違う場所に放射線が当たってしまい、治療の効果が落ちてしまう。
その為、いつも同じ場所に放射線を当てられる様にマスクを使って固定する。
さらに、マスクに腫瘍の位置(座標)の印を付けておき、放射線を当てる時の目印にする。
足とか、内臓とかであれば、皮膚に直接マジックで印を付けるのだが、顔に印を付けるのはちょっとみっともないということで、マスクに印をつける。
ところで、マスクを作る前にする事がある。
それはマクラ選びだ。
マクラといっても、夜寝る時のマクラではなく、これも頭部がグラグラしない様にするためのもので、何種類かある物の中から、とっかえひっかえ試してみて、一番しっくりくる物を選ぶ。
マクラが決まったら、マスク作りとなる。
ベッドにあお向けに寝て(もちろん、さっき選んだマクラを使用)、口に小さな板をくわえさせられる。
この板はマスクと顔の位置を決める為のもので、マスクを作っている5〜10分くらいの間、ずっとくわえていなければならない。
ヨダレが出てきてこまるのだ。
顔にタオルぐらいの大きさの、白く、暖かいカンテン状のものを乗っける。
このカンテン状の物が冷めて固まるとマスクになるのだ。
早く冷ます為、僕の周りで2・3人の人がウチワでパタパタ仰いでいた。
見えなかったのだが、このマスクを作る過程を写真で撮っていた様だ。
きっと、どこかの大学の授業か何かに使われるのだろう。
顔をお見せ出来なくて残念である。


■マスクに印を付ける
1999年10月8日(金)
今日はCTで確認しながら、昨日作ったマスクに腫瘍のある場所(座標)の印をつける。
放射線を当てる時の目印にするのだ。
今回のCTでは造影剤を打って正確に腫瘍の位置を確認しながらマスクに印を付けていく。
今後、放射線治療の間、何度かCTで位置がずれていないかを確認していくことになるそうだ。

■M君の退院
1999年10月9日(土)
看護婦の土屋さんが「Mさんからあげますって」とテレビカードを持ってきた。
以前同じ病室だったM君が今日、退院するらしい。
彼は足の骨に腫瘍が出来て、一時期は直って来たのだが,転んだ拍子に骨折してしまい、入院が長引いていた。
あまり話しをした事はないけど、僕が初めてここに入院した6月にはもう居たから、4ヶ月くらい、ずっと入院していたことになる。
まだ20歳くらいで、初めて会ったときは茶髪だった髪もすっかり黒くなってしまっていた。
「退院おめでとう。僕みたいに、何度も入院しちゃだめだぞ」って伝えた。
ちよっと、しゃくなのは、彼は大勢の看護婦さんに見送りをしてもらっていた事だ。
ホント、もう、ここに来ちゃだめだぞ。

■聖路加ガーデンへ行く
1999年10月10日(日)
埼玉の叔母さんが見舞いに来て、「聖路加ガーデンに行こう」といって連れていかれた。
(こういうのも見舞いというのだろうか?)
聖路加ガーデンは国立がんセンターからも見えて、あちらは47階だか48階だか、とにかくそれくらい高い建物だ。
しかし、東京だとそれくらいの高さは別にめずらしくも無いかもね。
なんせ、フツーの玉子焼屋でも5階建ての建物だったりするんだから。
聖路加ガーデンというのは何かというと実際のところ良く分からないけど、叔母さんがいうには空中庭園らしい。
つまり、ビルの最上階にテラスがあって、そこで紅茶でも飲むんだろう。
ところが、聖路加ガーデンってビルが2つあるだよね。
どっちか分からないから「1/2の確立」で入って、とりあえず最上階まで行ったけど空中庭園なんて無く、高そうなラウンジがあった。
そのラウンジでコーヒーを飲んだんだけど、回りは全部壁で、外の景色なんて見えない。
又、1階に降りて、受付見たいなところで聞いたら反対側の建物だった。
反対側に行ってエレベータに乗ったら、またまた違って、電通の事務所に着いてしまった。
一緒にエレベータに乗った男の人に聞いたら、このエレベータとは反対側にある別のエレベータに乗るんだそうだ。
結局、1階まで降りて、反対側のエレベータに乗り直したら、最上階まで行かず、途中から階段で登らなくちゃいけない。
エンヤコラと階段で上がったら、ありましたよ。
でも、空中庭園という感じではなく、回りがガラス窓になっていて、高いところからの眺めを楽しむといった感じ。
一応、こっちの方向には東京ディズニーランドがあるとかの案内表示はあるのだけど、
今一つ、どの建物がそうなのかが分からなかった。
まあ、苦労した割りには今一つでしたね。

■「マトリックス」
1999年10月11日(月)
話題の「マトリックス」を見に行く。
病院の近くにある東劇という、この前「となりの山田くん」を見た映画館。
見た感想としては、ストーリーがよく分からない。
ひよっとしたら、メチャメチャ単純なストーリなの?
まだ、話しが完結していないからだと思うけど、未解決の事柄が一杯ある。
恐らく、part2や3なんかも作られるだろうから、今後の展開に期待します。
(このまま終りだと何も解決しない事になるぞ)
とこころで、 TVのCMとかでもやっていた、鉄砲の玉をのけぞってよけるシーンって昔、
「なるほどザ・ワールド」でどうやって撮影するかをやっていたよ。
回りにカメラをズラーっと並べ、それで順番に写真(画像)を撮っていき、最後にそれをつなぎあわせると、「マトリックス」になる。
SFXってどんどん進歩しているから、何年か経つと、陳腐化しちゃうんだろう。
その時になって、もう一度見直してみても、充分に楽しめる映画が本当に「面白い」映画っていうんだろう。

■英会話の勉強
1999年10月12日(火)
今回の入院は3週間ほどになると聞いていたから、普段、なかなか出来ない事をやろうと思い、英語の勉強の用意を持ってきた。
英語・英会話は昔から興味があって、何度もトライをしているけど、毎回途中で挫折してしまっている。
最終的な目標は洋画を字幕なしで見る事。
なんだか、宇宙旅行よりも難しい目標の様な感じだぞ。
用意してきたものは、英会話(ヒヤリング)のテキストと、それに付いていたCDをMDにダビングしたもの。
これで、ヒヤリングの勉強を重点にやる。
ところが、何度聞いてもサッパリわからない。
テキストを見ても、どこを喋っているのか全然・・・・
「字幕なし」のゴールははるか銀河の彼方である。

■看護婦さんの仕事
1999年10月13日(水)
隣のSさんの元気がない。
50歳くらいの脳腫瘍の人であまり喋らず、ベッドの脇の棚にCDをたくさん積み上げている、花と音楽が好きな物静かな人である。
そんなSさんがどうも、元気がなく、食欲も無い様だ。
放射線の治療(といっても今は修理中だが)は、副作用で、疲れやすくなったり食欲不振や鬱状態になったりする事がある。
Sさんもその為かは分からないが、食べないと体力も低下するし、体力が低下するとガン細胞が増える事になる。
そこで、看護婦の山田さんが「いっしょにご飯を食べましょうね」と、
自分のお弁当を持ってきて、お喋りをしながら、なんとか、Sさんに食べてもらおうとしていた。
こういった事も看護の1つなんだなぁと思った。
看護婦さんの仕事は男の僕から見ても大変である。
相手は生身の人間だし、中には無理難題を言ってくる患者さんもいるだろう。
もちろん、夜勤だってあるし、ここの病院の場合は常に死と隣り合わせだから、夜中でも看護婦さんたちは走り回っている。
僕は毎晩、夜更かししているのでよく知っているのだ。
しかも、亡くなる方のいらっしゃるわけだから、精神的ショックにも耐えなくてはいけない。
更に彼女達は准看護婦から正看護婦になる為や、資格を取る為に勉強もしている。
しかも、国立がんセンターの場合、災害があった場合の救急病院(と言うのか?)に指定されているので、婦長さんはレスキュー隊と一緒にヘリコプターに乗っての訓練なんかもあるらしい。
見てくれだけで、あこがれて看護婦さんになろうと思っている人は早くあきらめた方がいい。
白衣の天使とは、実にたくましい存在なのだ。


■初めての放射線
1999年10月15日(金)
今日、初めての放射線治療の日。
治療を行う場所は、この新しい病院ではなく、昔の病院の地下にある。
昔の病院は廃棄された建物みたいな感じで、今は研究所として使われているみたいだ。
ここでの放射線治療はリニアックと呼ばれるもので、放射線の種類としてはレントゲンと同じだが、それよりも強い放射線を使う。
放射線によりガン細胞の増殖能力を殺し繁殖出来ない様にすることにより、ガン細胞を殺す事を目的とする。
治療は台の上に仰向けに寝て、この前に作ったマスクを着ける。
マスクには腫瘍の位置が印しているので、それに合わせて放射線を当てる。
放射線はガン細胞だけでなく、正常な細胞にも影響を与えてしまう。
その為、放射線を出す部分は回転する様になっている。
患者が横になっている台の高さや位置を調整することにより、腫瘍を回転の中心にもってくる。
そして腫瘍を中心に放射線を出す部分が回転する。
照射している時間は5分程で、痛いとか「あっ、放射線が当たっている」とかといった事は何もない。
ただ、マスクをくわえているので、よだれがたれてくる。

■「ディープ・ブルー」
1999年10月16日(土)
今日は有楽町へ行って、「ディープ・ブルー」を見てきた。
初めは「ノッティング・ヒルの恋人」とどっちにしようかなぁと思っていたんだけど、ラブストーリーよりはと思って、「ディープ・ブルー」にした。
「ジョーズ」は見たことないけど、こっちの方がサメは本物っポイんだろうか。
少なくとも、違和感はなかった。
ところで、この映画館、客席の真上に大きなシャンデリアがあって、映画が始まる時には上に上がっていく。
東京の映画館は凄いよね。
ところで、PART2。
銀座のオーロラビジョンって言うのかな?あれはいつ行ってもモーニング娘。の「LOVEマシーン」が掛かっている。
信号待ちでとなりに居た女の人も、同じ事を言っていた。

■モトハルの見舞い
1999年10月17日(日)
今日、モトハルが見舞いに来てくれた。
レーザー治療の時も来てくれたらしいんだけど、その時はもう退院していて会えなかった。
今回は3週間もあるし、事前に電話して、病院に居るようにした。(チョロ・チョロと出歩くもんだから…)
モトハルは中学からの付き合いで、現在、水戸に住んでいる。
彼は薬品関係の営業で、大連休なんかでもなかなか実家に帰ってこられず、もう長い事会っていない。
楽しみに待っていたら、来ましたよ。しかも、彼女を連れて!
こっちはガンという不幸のドン底にいるというのに、アイツは幸せの絶頂。
19階のレストランで話しをしたんだけど、とにかく、彼女は気さくで感じが良く、モトハルにはもったいないと思う。
彼女にはモトハルの中学時代の事をあれこれと教えてあげた。
そもそも、アイツはあまり考えずにしゃべる性質で、初対面の時も
「お前って北京原人に似てるよなぁ」などと言う失礼な男なんです。
普通、初対面の人にそんな事は言いません。
そんな男と20年以上つきあっている僕も結構、変わり者かもしれない。
その夜、僕は友達みんなにモトハルに彼女が出来た事を電話したことは言うまでもない。


■Dさん
1999年10月18日(月)
Sさんが退院し、代わってDさんが入院してきた。
Dさんも脳腫瘍とのこと。
右目の視界が一部無く、肺にも転移しているそうで、「手術をしたら寝たきりになっちゃうんだろうなぁ」と落ち込んだ様子だ。
まぁ、「あなたはガンです」と言われると、誰でも落ち込む。
僕とMさんくらいなものだよ、入院しているのに遊び回っているのは。
Dさんは50歳くらいで、リストラで早期希望退職し、新しい会社に勤めて2日目に倒れたそうで
「失業中でなかったことがラッキーだ」と言っていた。


■人生について考える
1999年10月19日(火)
ところで、日々、能天気に過ごしている様に思われるかもしれないが、これでも人生について考えることもある。
入院前に読んだガンに関する本で、僕の病気の5年後の生存率は60%とあった。
もちろん、ガンの早期と末期では異なるだろうから、僕自信も60%の確率なのかは分からなし、
ある意味、確率なんて意味がない。
ただ、あと5年の命だとすると、僕は何をすれば良いのか。
様々な手を尽くして病気を克服すべきなのか。
当然、それも大切な事だが、人生を病気中心で過ごしてしまって良いのか。
仕事はどうするのか。
自分は何をしたいのか。
後悔しない人生とは。
自分で答えを見つけなければならない問題が多く、そして時間も無い。

■柴又巡礼
1999年10月21日(木)
今日、柴又へ行った。
寅さんファンの僕にすれば、「聖地」である。
他に行き方もあると思うが、とりあえず、地下鉄で東京駅へ行き、そこからJR山手線で日暮里へ行き、乗り換えて金町まで行く。
金町駅から帝釈天までは結構な距離が有り、30分以上歩いた。
途中、電車の乗り換えや、降りる駅を間違えたりで結局、帝釈天に着くまでに2時間半くらい掛かってしまった。
帝釈天は映画で見たイメージとは随分違いこじんまりとしたお寺で、後ろの方は建物を保護する為か、ガラス張りの建物で覆われていた。
ところで、この帝釈天の看板というのかな?これのを作った人も寅さんで、加藤寅彦とか、なんかそんな名前だった。
参道は狭く、映画ではこの参道を車が通ったりしているが、実際にはとても通れそうにない。
また、参道自体も短く、浅草の仲見世の様なものをイメージしていたら、愕然とするほどだった。
帝釈天から少し離れたところに寅さんの記念館がある。
ここには、寅屋(くるま屋)のセットが作ってあったり、寅さんと記念写真を撮れたりする。
また、映画の各作品のワンシーンを見る事が出来る様にビデオもあり、平日なのに結構、人が多かった。

■それぞれの人生
1999年10月22日(金)
同じ病室にMさんという脳腫瘍の患者さんがいる。
この人は多分、僕よりも1・2歳年上だと思うんだけど、すごく活発で、僕よりも出歩き回っている。
まったく、病人という感じは無く、元気一杯、行動的で、外泊もちょくちょくある。
Mさんは看護婦の土屋さんを食事に誘っていたが、土屋さんのガードは硬い様で、
「higanさん(僕の事ね)と行っておいでよ」と玉砕していた。
なんで、僕が男と一緒にメシを食いに行かにゃならんのだ。
僕もMさんよりも土屋さんとメシを食いに行きたいぞ。
Mさんは内科の医師で、勤めていた大学病院を辞め、広島で開業の準備中に旅行先のホテルで倒れたそうだ。
おかげで、借金が1000万円ほどあるとのこと。
みんな、それぞれ人生を抱えて入院しているんだな。

■お台場
1999年10月23日(土)
今日、お台場へ行く。
病院の窓から見えるんだよ。フジテレビのまぁるい玉とか、観覧車とか。
新橋まで歩いていって、そこからは“ゆりかもめ”に乗っていく。
ゆりかもめは電車なんだけど、運転手が居なくて、自動運転になっている。
そして、車輪は鉄ではなく自動車みたいにタイヤを使っている。その為、乗り心地はとてもいい。
ただし、めっちゃ狭い。幅は普通の電車の3/4くらいしかない。
そんな、狭い電車でギュウギュウ詰めの状態のまま台場に着くとそこはガラガラの街。
とりあえず、フジテレビに行こうと思って歩いていたんだけど、誰にもあわなかった。
道路も割りと広いんだけど、車はほとんど走っていない。
なんだか、ゴ―ストタウンみたい。
さすがに、フジテレビに着くと人は沢山いたけど、あの“まぁるい玉”まで上がるエレベーターにもすぐに乗れたし、思ったほど混雑はしていなかった。
建物の中には観覧コースがあって、「ごきげんよう」のセット(本物ではない)があって写真が撮れたり、
番組で使った物を展示していたりした。
それから、小さな窓からなんだけど、実際の番組収録風景も見る事が出来、郷ひろみが「ゴ―ルド・フィンガー99」(あっちっち)を赤いライトを浴びながら歌っていた。
せっかく東京に来ているのに、ほとんど有名人に会ったことがないので、ちょっとウレシイ。
周りに居た僕よりもちょっと年上の、郷ひろみと同い年くらいの叔母様達はキャー・キャー騒いでいた。
いまだに、彼女たちのアイドルなんだね。郷ひろみ、恐るべし!
観覧コースの一番最上階には広いロビーがあり、小さな売店があった。
僕は会社の娘たちのお土産にコニーちゃんのボールペンを買った。
フジテレビを後にした僕はとりあえずテレコムセンターという所でメシを食って、観覧車へ向かった。
テレコムセンターから観覧車のあるところまでは「踊る大走査線・THE MOVE」で犯人の母親に刺された青島刑事(織田裕二)が室井警視正(柳葉敏郎)の運転する車で病院へ運ばれるシーンで使われたであろう道を歩いていったが、ひどく閑散としている。
観覧車があるところはパレットタウンと言い、僕の印象としては人の少ないお台場の中で一番賑わっている。
パレットタウンはショッピングセンターとアミューズメントが一緒になった感じの所。
今回、僕は行かなかったが、あの有名なビーナスフォートもパレットタウンにある。
人が多く楽しそうな雰囲気ではあるが、一人で来てもつまんない。
一回りしたら、サッサと「ゆりかもめ」に乗って有楽町へ戻ってきた。
有楽町から銀座へ行こうと思い、「どの道で行けばいいのかな」と、駅前にある案内板を見ていると3人のデカイ外人に「築地市場はどこか」と声を掛けられる。
もちろん、英語でである。
何故、「築地市場はどこか」と言ったのが分かったかというと、「fish market」と言う単語が聞こえたからだ。
僕は持っていた地図を取り出し
(地図を持っているのに何故案内板を見ていたかというと、駅前で地図を見ていると田舎者と思われるのがイヤだったから)、
「This is here. This is fish market.」と言うと、「oh. thank you.」と言った。
英語を勉強している成果が発揮された場面である。

■裏・東京タワー
1999年10月24日(日)
弟が見舞いに来てくれた。
僕ら兄弟は、殆ど会話をしない。もともと、話好きではないし、それぞれ、一人っ子として育てられた様な感じ。
僕は親の家の隣に住んでいるが、弟は会社の近くのアパートに住んでいる。
そんな事はどうでもいいのだが、僕らは東京タワーに行く事にした。
弟はあまり乗り気では無い様だったが、強引に連れて行った。
弟は兄の言う事を聞くもんだ。
かつては東京タワーも観光名所の1つであったのだろうが、今ではすっかり寂れてしまい(僕らが行った時の印象)、周りに高い建物が出来てしまったこともあり、展望台から周りを眺めても、見えない所も有る。
東京タワーへ来た目的は、展望台からの景色を見るためではない。
東京タワーの中にある蝋人形館へ行きたかったのだ。
どこかDEEPな感じがするではないか、「裏東京」みたいな。
日本人って奴はこの「裏」というのが好きだ。
「裏本」に始まり、「裏ビデオ」しかり、テレビでは「巨大デパートの舞台裏」とかやっている。
「裏」には「本当の」とか「真実の」といった意味でもあるかのようであり、そして日本人は真実を知りたがっている。
何故、東京タワーの中に蝋人形館があるのかは知らないが、それでも、大阪の通天閣よりはまだましだ。
通天閣の場合は、古本が売られていた。
なんで通天閣で古本なのかは分からない。
蝋人形館は一種のオバケ屋敷の様な雰囲気がある。
なんせ、本物そっくりに作られた人間が展示されているのであるから、気持ち悪くないはずがない。
但し、本人にそっくりなのもあれば、似ていない人形もある。
展示されている人形の多くは外国の有名人である為、それぞれのプレートに名前が書かれていても、当の本人を知らない事もある。
一応、順路というものがあるのだが、最後の方は70年代のサイケデリックな頃のスター達(多分)の為、マニアックな人達の人形になっていた。
ところで、東京タワーには水族館もあるのだが、こちらは「裏東京」という感じがしないので行かなかった。

■生きる理由
1999年10月25日(月)
僕の隣のベッドには僕と同い年のZさんという脳腫瘍の患者さんがいる。
Zさんのベッドの脇にはまだ生まれたばかりであろう、我が子の写真が貼ってある。
きっとZさんは「この子が大きくなるまでは死ねない」と思っているのだろう。
逆を言えばZさんは「この子の為なら自分の命はいらない」と思っている事だろう。
そして、そういった強い思いがある人はきっと病気を克服していくのだと僕は信じている。
しかし僕にはそういったものが無い。
僕には命を掛けて守るべきものがないのだ。
僕は何に向かって生きていくべきなのか。
ベッドで寝そべりながら、悪いアタマで考えた。
5分程、病室の白い天井をニラミながら考えた。
そして、5年後かあるいは、50年後か死ぬときに「ああ、面白い人生だった」と言えるように生きる事にした。
面白い人生にする方法って何?という疑問もあるけど、とりあえず、それはまた後で考える事にした。
とにかく、今の僕には生きる理由が必要だった。

■お気に入りのコース
1999年10月26日(火)
病院の近くに「銀たこ」というたこ焼き屋がある。
晴海通りから1本西側の通りで祝橋の近く。
タコヤキストの僕としては、食べずにはいられない。
ここのたこ焼きは大きめで、表面はカリカリ、中身トロリという実に理想的なんだが、ソースにマヨネーズという組合せだと、大概のたこ焼きはおいしくなります。
僕の中には独自に“たこ焼き番付”というのがあって、それではこの「銀たこ」は関脇くらだね。
僕的は、ソースやマヨネーズを付けないで食べるプレーンタイプのたこ焼きが好みなんです。
まあ、とにかく「銀たこ」はおいしい部類にはいります。 「京たこ」よりうまい。
ちなみに“たこ焼き番付”では「京たこ」は前頭5枚目ぐらい。
「銀たこ」でたこ焼きを買ったら南へまっすぐ歩いていって、築地本願寺の休憩所で食べるのがいつものパターン。
築地本願寺はお寺なんだけど、普通のお寺ではなく、インド風の建物で、パイプオルガンがあったりする。
元X−JAPANのhideの葬式をやった所と言えば有名かも。<
hideのコーナも設けられてあり、ファンの人達が寄せ書きをしたノートが置いてあって、既に20冊を越えている。
そこには「元気を出して、生きていこう!」というみんなのメッセージが書かれ、彼がいかに多くの人に影響を与えていたかが良く分かる。

■退院後について
1999年10月28日(木)
今日、放射線治療科での診察の際に徳植先生から退院後の事について話があった。
通常、ガンの場合、5年が1つの目安で、5年間再発がなければ完治したとみなされるが僕の場合は進行が遅いタイプらしく、10年通院しなくてはいけないそうだ。
放射線治療で90%の人は治るのだが、しかし残り10%の人は僕かも知れないし、誰だか分からない。
その10%の人を見つける為に通院が必要なのだ。
もちろん、初めのうちは毎月か1ヶ月おきに通院しなくちゃいけないが、問題がなさそうなら、間隔は3ヶ月毎、4ヶ月毎、あるいはもっと間隔があいての通院になる。
長丁場になるので、初めから気合を入れて通院しても仕方が無い。
東京へ遊びに行きがてら通院という感覚で気楽にやっていこうと思っている。

■浜離宮散策
1999年10月30日(土)
病院の近くには浜離宮庭園がある。
17階の病棟の食堂の窓からも見える。
上から眺めていた印象とては、散歩するにはちょうど良さそうなところかなといった感じで、実際はどうだろうかと思い、行ってみることにした。
名前からして、「お年寄り向け」といったイメージがあったけど、実際、やはりそうだった。
ここはその昔、将軍様が鷹狩りをする場所だったらしいが、
「こんな海に近い所で本当に鷹なのかねぇ、カモメの間違いじゃないの?」と思った。
今では日本庭園になっていて、僕の様なヤング(死語)には向かないね。
やっぱ、銀座の方がいいよ。

不思議な街/渋谷・新宿
1999年10月31日(日)
かねてから、一度は行きたいと思っていた「若者のメッカ」、「ガングロ コギャルの総本山」、渋谷に行った。

◆渋谷の不思議◆
テレビ等でそういった事は多分、紹介されていないから行った事の無い人は多分知らないと思うが、とにかくドラッグストア・薬局が多い。多いにも程が有る!
渋谷駅のいわゆるハチ公のところから109の前の通り、わずか2−300mくらいだと思うけど、ドラッグストアや薬局が10軒くらいある。
あのマツモトキヨシだって2軒ある。
渋谷に来る人は余ほど綺麗好きなのか、あるいはカラダが弱いと思われる。
更に、他にも多いものが有った。それはパルコ!
名古屋にだってパルコはあるけど、7軒も8軒も無い。
何をそんなに売るものがあるんだ。(店ばかりでは無い様でしたが)
渋谷は変な街だ。
変といえば、匍匐(ほふく)前進する変なサンドイッチマンがいた。
サンドイッチマン自体見るのは初めてだが、それが迷彩服を着た3人が匍匐前進しながら「進めぇ!!」だから、ビックリしない方がどうかしている。
周りの人たち(一般の人たちの事ね)も「何だろう」といった感じで見ていたから、一応、渋谷と言えどこれは変な部類に入るんだなと思った。
僕にとってはドラッグストアもパルコも充分“変”であるのだが。
そしていよいよ、カリスマ店員発祥の地、109のエゴイストへ突入!
ちなみに109は「イチマルキュウ」と呼び、略して「マルキュウ」と言ったりする。
なんだか漬物屋みたいな呼び方だ。
中部圏、特に白馬方面でスキーをやる人は「ワンオーナイン」の方が慣れ親しんだ呼び方だ。
八方尾根スキー場の中腹辺りに109というレストハウスがある。
ここでの呼び名は「ワンオーナイン」。漬物屋みたいな呼び方はしません。
で、カリスマ店員だが、我名古屋にも店が出来る時にわざわざカリスマ店員様がお越しになって、それがTVニュースで取り上げられたり、新聞にも載っていた。
そのカリスマ店員発祥の店というのが、109にある「エゴイスト」という店だという事で、どんな店なのか覗いてみる事にした。
109の中は90%が女性向けの店なので、男は必ず女性と2ショットで、僕の様に男一人だと、実に浮いている。
とはいっても、109自体、そんなに大きな建物じゃないから、そこに入っている店だって当然広くはない。
よって「エゴイスト」に入店するのは女性で男たちは外で待っているのだ。
そんな男たちが店を取り囲んでいるのはチョット異様である。
もう1つ異様なのはその「エゴイスト」の向かいの店が「100円ショップ」だったりする事。
この妙なアンバランスさが面白いね。
ちょうどお昼ごろだったので、109の最上階で食事をして(ここで食ったヒレカツ定食が東京で食った物の中で一番美味かった)
出てきてら、なんと109の前でhitomiがゲリラライブをやっているではないか。
道理で変だと思ったんだ。
109に入る時、前にヤグラが組んであって、それまでの「渋谷、変なもの攻撃」の為、
「いつもヤグラが組んであって、これが普通なだろうなぁ」と思っていたら・・・・
しばらくゲリラライブをみていたけど、hitomiにはあんまり興味はないので、そそくさと渋谷駅に向かった。
結局、まだ時間が早かったのか、ガングロ コギャルに遭遇出来なかった。

◆新宿◆
せっかくなので、新宿にも行く事にした。
新宿と言えばまずは都庁。
新宿駅の西側なのだが、これがまた、心細くなるくらい誰もいない。
案内板には一応、都庁方面の表示はされているのだが、その方面に向かって歩いているのは僕しかいない。
いや、すれ違う人だっていない。さっきまでいた渋谷とはえらい違い。
都会の雑踏から離れ、一人になりたい時は日曜の新宿がお勧めです。
さすがに都庁に着いたら人がいたけど、それでも10人程しかいない。
45階の展望台(無料)まではエレベータで上がり(当然)、周りの景色を眺めるが、ビルばっかりで何とも退屈な景色ばかり。
高い建物だから展望台を作るという安易な発想じゃだめだね。高い高いされて喜んでいる子供じゃないんだから。
と言う僕は聖路加ガーデンや東京タワーに行ったりしているのだが。

新宿といえばアルタである。
アルタは新宿駅の東側にあるのだが、西側から東側への行き方が分からずウロウロ。
結局、なんだか細い路地を通って東側へ行く事ができた。
東側は都庁方面とは打って変わって、思いっきり人だらけだ。
しかし、新宿は見るものが無いね。
アルタに行っても日曜日だからタモリが居る訳でもないし、ぐるっと一回りしたら、サッサと病院へ戻った。

■さよなら国立がんセンター
1999年11月2日(火)
今日はいよいよ国立がんセンター中央病院を退院する。
これで治療は終わり、これからは通院しながら再発や転移が無いかを検査・診察を行なっていく事になる。
もう病棟へは来る事はないだろう。

病気を期に、僕はいろいろな事を学びそして感じた。
家族・親戚を始め、友人や会社の人たち等、いかに多くの人に支えられ生きてきたのかと言う事を思い知らされた。
ただ、ただ心配してくれたり、「大丈夫、心配するな」と励ましてくれたり、僕の為に泣いてくれたり・・・
頭では分かっていたけれど、今では本当に心の底から感謝の気持ちで一杯だ。
おかげで、ちっともつらい思いをせず、治療を受ける事が出来た。
これからも、この感謝の気持ちを心に刻みつけて生きて行きたい。


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