Back  Index / Next 

おらぁ、東京さ行ぐだぁ的闘病記
   〜番外編E〜



■東京医科大付属病院〜それでも僕は運がいい〜
2003年3月10〜12日


■3月10日
また入院をするとは思っていなかった。
前回(12月)の診察で
「患部の色が変わっている。ガン細胞がまだ生き残っているかもしれない」
とのことからその確認の為に今回、東京医科大付属病院に入院する事になった。
何故、東京医科大付属病院なのかと言うと、胃ガンなどの通常のガンであればその組織を採取して検査する方法があるのだが、眼の場合はその方法が出来ない。
ところが、東京医科大の後藤浩先生が核医学注射による診断する方法を見つけ、今回その検査を受けるのだ。

3月とはいえまだまだ寒い、
名古屋駅に着いた時は予定の新幹線までに少し時間があったので、暖まる為、ホーム下にある待合室の喫茶コーナでコーヒーでも飲むことにした。
売店でコーヒーを買い、近くのテーブルに腰掛けると前のテーブルには外人さん。
いくら名古屋が田舎だとはいえ、最近では外人はそんなに珍しくは無い。
でもこの人はどこかで見覚えが・・・
おぉっ!セイン・カミュじゃないか!
なんで、こんなメジャーな芸能人が名古屋なんかに来ているのか。
僕はセインのファンでもないし(アンチでもありません)、また知り合いにファンも居ないので、この状況を荒立てるのも大人気無いと思い、サインをもらったり、写真を撮ったりはせずに、しばらくセインを観察することにした。
セインは帽子を目深にかぶり、待合席を背にして座っている為、彼に気づいている人はほとんど居ない様子。
彼はこの寒い中、アイスクリームを食べていました。
セインには奥さんなのか女性の連れがいて、彼女は僕に背を向けて座っていた為、どんな人なのかは分からなかったのだが、一度こちらを振り向いた時、何故だか眉間にシワを寄せていたので、僕は少しビビリました。
僕はもうそろそろ新幹線の時間になるのでホームへ行こうとすると、セイン達も立ち上がってホームへ向かい始めました。
そのタイミングがあまりにも良すぎた為、先頭をあの眉間にシワ女が歩き、その後を僕が続き、僕の後ろをセインが歩くという変な並びになってしまい、入院する為、大きなカバンをもっていた僕はまるでセインの荷物持ちの様な状況になってしまいました。
待合室を出るとセインは僕を追い抜いて彼女とならんでエスカレータへ向かいました。
エスカレータでは彼女を先に乗せ、さりげなくレディーファーストをするセインは少しカッコ良かったです。
出発早々、こんなにメジャーな芸能人に、しかも名古屋でお目にかかれるとは、幸先が良いと思いました。

実際に入院するのは明日(11日)で、しかも12時40分までに受付をすれば良いから、明日の朝に家を出ても充分間に合うのだが、せっかく東京へ行くのだからやっぱりどこかで遊ばなくちゃ。
そんな訳で今回はサンシャイン60へ行くことにしました。
ネットで調べてみると、プラネタリウムや水族館もあって、そこそこ遊べそう。
東京駅についたらひとまず、荷物をコインロッカーにあずける。
入院するので着替えや洗面道具など色々とあって、これが結構重い。
こんなものを持ってあっちこっち歩き回るのは大変なのだ。
おっと、その前に昼メシを食わなきゃ。
どこで食うかはすでにリサーチ済。
今回はオムライスを食おうと思ってる。
オムライスは僕の好物のひとつで、オムライスなら小食の僕でもいくらでも食える(気がする)。
以前V6の番組でオムライスのおいしい店という企画があり、それで1位だったのが、日本橋にある「たいめいけん」。
ネットで調べてもやはり上位にランクされている店で、今日の昼メシはここに決定。
さっそく日本橋に向かいます。
店の前には既に10人くらい並んでいて、僕もそれに続きました。
本来、並んでまで食いたいとは思わないのですが、ここで食わないことには他に店も知らないし、仕方が無い。本当は向かいにあるラーメン屋とおぼしき店に変更しようかなと思ったのですが、こちらも瞬く間に行列が出来ていました。
店内は古くからある食堂といった感じで、ウエイトレスも店と同じく、ちよっとビンテージといった風。
僕はタンポポオムライスとアスパラサラダを注文しました。
タンポポオムライスと言うのは、伊丹十三監督の「たんぽぽ」という映画に出てくるオムライスで、チキンライスの上に半熟のオムレツが乗っており、スプーンがそのオムレツを割り広げるオムライスのこと。
このお店の代表料理のひとつです。
アンティークなウエトレスさんが運んできたオムライスの上に乗ったトロトロのタマゴをスプーンで割り広げるのはちょっとワクワクします。
ケチャップを少し掛け、ひと口食べます。
「?」なんだか普通。
はじめの期待が大きすぎたせいなのか、ぶっちゃけ、家で食べるオムライスの方がウマイです。
(決してウチの母親の料理が上手いというわけではありません。)
やっぱりトロトロのタマゴというのが、僕のお口に合わなかったのかな。
とにかく、ウマイ店というのはなかなか見つからないですね。
それにしても、オムライスひとつに1850円は高い。

サンシャイン60は池袋にある。
池袋の駅前は道が放射状になっていて、それもなんだかゴチャゴチャしているので、どっちにサンシャイン60があるのか良く分からない。
地図を持っていても現在地が分からないので、とりあえず「こっちかな?」という方向へ歩き始めると、サンシャインシティという看板が見えてきた。
このサンシャインシティと呼ばれるところにサンシャイン60があったり、プラネタリウムや水族館があるワールドインポートマートビル等がある。
プラネタリウムと水族館はワールドインポートマートビルの屋上にある。
ビルの屋上にあるので、水族館は思った通り小さい。
水族館に入ってすぐの辺りはラッコなどがいて「おっ」と思わせるのだが、あとは家庭用水槽くらいの大きさの所にいろいろな魚などが入れられている程度で、正直言ってあまり期待するとダメです。
無論、僕はあまり期待していませんでしたが。

水族館の後はプラネタリウムへ行きました。
今回はこちらがメインで、少々期待しています。
それにしても、プラネタリウムなんて随分久しぶりだ。
多分、小学生以来だろうなと思って列に並んでいると、後ろのカップルが
「ところで、プラネタリウムってどこの席がいいんだ」と言っていました。
映画なら真中辺りが見やすいとかある程度わかるのだが、プラネタリウムって一体どこの席に座れば良いの?(大抵は指定席ではないはず)
その質問に僕がお答えしましょう。
プラネタリウムにも映画と同じで、やっぱり見やすい席とそうでない席があります。
まず、ドーム型の天井に星を映す為の機械は中央にあって、ここから放射的に光を出すので、やはり中央に近い方がスライドなどがきれいに見えます。
次に星は東や南の空から上ってくるので、東から南の空が見える席がプラネタリウムでは良い席なのです。
と言う事を後ろのカップルに教えたりなんかしません。
何が悲しくて、イチャイチャしている二人にひとり者の僕が教えなくちゃならんのだ。
そうこうしているうちに扉が開いて、プラネタリウムの部屋へ入ったらどうも様子が変。
どちが北で南?席の並び方も車座状ではなく、なんとなくみんな同じ方向に向いている感じだけど??
方角は分からずとも、とりあえず、機械の近くの中央の席に座ることにしました。
プラネタリウムが始まって部屋に東西南北のプレートが何故なかったのかが分かりました。
本物の夜空とは違い、プラネタリウムは作りものの空なので、東西南北を自由に変えられるのでした。
幸い僕の座った席からは東から南にかけての空が見る事ができたので良い席でした。
ところが、このプラネタリウムの番組が実にツマラン。
ダサダサのファンタジーを延々とやるものだから僕は途中で寝てしまいましたよ。
楽しみにしていたのにガッカリだよ。
こんな番組のせいなのか、今年の6月でここのプラネタリウムは閉館するそうです。

プラネタリウムの次はサンシャイン60の展望台へ向かいます。
さすが、元東洋最速のエレベータ(600m/分)、地下1階から60階まではあっと言う間。
あまりにも早いので、ちよっと耳がキーンとします。
60階に着いたら、お金を払い展望台入ります。620円也(金取るのかよ)。
展望台から見る東京の街はさっぱり分かりません。
元々知っているところが少ないのであまり感動は無く、かろうじて分かるのがフシテレビの建物と東京ドームくらい。
それから富士山が見えました。(富士山だと思うのだけど、あまり自信が無い)
展望台から階段で上がっていくと屋上に出ることが出来ます。
展望台から少し高いだけなのに、ガラス越しで見る風景とは違い「生」といった感じで迫力が違います。
せっかくなので、携帯のカメラで写真を撮りましたが、あまり綺麗には写らないね、携帯じゃ。
更に、友達へこの景色を写メールしようとしたら、圏外だってさ。
この辺りじゃ一番高い建物で、しかもビルの上にはいっぱいアンテナだってあるのに、不思議。


多分、都庁のある所の風景

さすがに歩きっぱなしは疲れるもので、東京駅で荷物を引き上げて、いつものヒジネスホテルに向かう。
肩から下げた荷物がズッシリと重く、脚力に自信のある僕もウンザリしてくる。
ホテルに着いたら1時間ほどベッドで横になったあと、7時ごろにムクムクっと起きだして、夕食へ。
今夜はとりあえず、カレー、ナイルレストランへ向かう。
途中、昭和通りの角にあった「ジンジーノ」が工事中になっていて、どうやら無くなってしまった様だ。
やっぱり、奈々子ちゃんが居ないとダメだよね。
ナイルレストランでは前回と同じ席に座り、同じメニューを注文する。
カレーをガツガツ食って、ビールをゴクゴク飲んだら、妙に腹が張ってしまい、店を出てから、出そうで出ないゲップの為、口をパクパクさせながら、夜の銀座をブラブラと歩いていました。
夜風に吹かれながら、15分程歩いたらようやく「ゲボッ」と大きなゲップがひとつ出ると、お腹が随分楽になったので、ホテルへ戻る事にしました。
明日はいよいよ入院。
でも昼からでいいので、朝はこれまで行くチャンスの無かった、築地の場内市場で何かを食べ様と思いながら寝ようとしたら、ふと思い出した。
しまった!そう言えば、入院申込書にハンコを押すのを忘れていた。
ハンコってどこで売っているのだろう。
ちよっと心配事が増えてしまったぞ。


■3月11日
朝起きたら、どうも変だ。
右アゴが痛くて、口が閉じられない。
これでは、楽しみにしていた場内市場どころではない。
何も食べられない。
ツバを飲み込むだけでも、ズキンと痛みが走る。
食事はもうムリだと判断し、かといってやる事もないので再び寝ることにした。
どうやら、アゴの関節がずれてしまった様で、いちかばちか「エイッ」と元に戻したら、今までの痛みがアラ不思議、無くなってしまったよ、というタチの悪い夢から覚めると依然とアゴは痛いままだった。
いつまでもホテルに居ても仕方が無いので、チェックアウトをする。
フロンでハンコを売っている場所を聞くと、晴海通り沿いのすぐ近くにあるとの事。
これまで、何度も通っているはずなのに、全く気づかなかった。
そこで、300円のハンコを買って、さてこの後どうし様と途方に暮れていた。
とりあえず、ルノアールという喫茶店でコーヒーを飲みながら考える事にした。
東京にはこのルノアールという喫茶店がいたるところにあり、国立がんセンターの近くにもあるが、今まで行ったことは無かった。
コーヒーを飲みながら「そう言えば日本橋の三越で吉永小百合の写真展をやっていたはず」と思い出した。
僕のアタマは理論的には出来ておらず、ほとんど「勘」で判断しているため、得てしてなんの脈絡もなく思い出したりするのだ。
行き先が決まれば、長居は無用。
さっそく日本橋へ行くことにした。
地図で日本橋付近を探したのだけれど、三越が見当たらない。
それでも、「日本橋店」というくらいだから、行けばなんとかなるんじゃないかなと思い、日本橋へ向かう。
地下鉄で日本橋の駅に降りると、ホームの看板に次の駅が書かれてあり、そこに「三越前」とあった。
なんだよ、三越という駅があるんじゃん。
次の電車で三越前へ向かいました。
改札を抜けて三越方面へ歩いていると、さっそく吉永小百合写真展の看板を発見。
それを良く見てみると、11日〜16日と書いてある。
あれっ、今日は10日だよね。ってことはまだやってないジャン。
僕はその場でUターンをして、もう病院へ向かうことにしました。

本当は丸の内線で西新宿駅で降りると病院まではすぐ近くなのだが、まだまだ時間がタップリとあるので、一つ手前の新宿駅で降りて病院までプラプラと歩いて行くことにした。
ところが、それが間違いの始まり。
新宿駅で降りたのはいいが、方向が全然分からない。
現在、自分のいる場所も分からない。
だから当然、地図を見ても分からない。
分からない場所に立ち止まっていても仕方が無いので、とりあえず歩き始めたのだが、やっぱりどこにいるのか分からない。
分かったのは間違った方向へ歩いていると言うこと。
こうなったら歩いて病院へ行くのはあきらめ、駅へ戻って地下鉄で行くことにした。
隣の駅までなのに、あぁ情けない。

病院へ付いたら入院受付で、入院の手続きをする。
手続きといっても入院の申込書を提出するだけで、すぐに終了。
この後は眼科の病棟がある15階へ行くのだが、13時までは病棟での受付を行っていないとの事で、しばらく待合の椅子に腰掛けて待つことにした。
13時になったらエレベータで15階まで上がり、ナースステーションで看護婦さんに声を掛け、病室へ案内してもらう。
僕の病室は1505室で6人部屋。
藤田学園の時の様に年配の方が多いのかと思っていたのだが、それほど年配の方が多いという感じではなかった。
後で小耳にはさんだ話では網膜剥離の患者さんが多いらしく、年配の方に多い白内障の患者さんは少ないみたいだ。
ベッドに荷物を置くと看護婦の奥さんからナースコールのボタンの説明から始まって、照明などベッド周りの説明やトイレ・風呂場の場所等々、一般的な入院生活の説明を受ける。
説明の後、アンケートと言う事で何枚かの紙を渡されたのだが、これがなかなか手ごわく、「どういった病気で入院するのか」とかといった「やっぱりね」と言った質問から、「どんな味付けの食べ物が好きか」といった、「どうでもいいじゃん」という様なものまであった。
中でも「あなたは病気になってどう思いましたか」という質問には手が止まり、少し考え、「運が良いと」書いた。
病気になる前となった後で何が変わったか。
少なくとも、病気になって「不幸」だとか「運が悪い」とかは一度も思ったことはない。
そういった後ろ向きな事を考えるよりも、どうしたら治せるのかを考える方が先決だったし、そんな事を考える余裕も無かった。
それまでの僕だったら「どうして病気になったのだろう」と、考えても仕方の無いことでウジウジと悩んでいたと思うが、どういう訳か「ガンです」と言われてからはまるで人が変った様に悩む事が少なくなった。
それは人生は悩んでいる程長くないと気づいたからだ。
誰でも、人はいつか死ぬという事を知っているのだが、健康な時、特に若い時は案外その事を忘れがちで、いつまでも生きていけると錯覚しているし、必ず明日は来ると思っている。
しかし、人生には終りがあり、明日が来ない日が必ずやってくる。
それに気が付いただけでも僕は運がいいと思った。

夕方になって今回の主治医、森先生が来て診察をすることになった。
森先生は僕の眼を診るのは始めてで、カルテと見比べながらどうなっているかを確認していた。
診察しても何か新し発見があるはずも無く、終わってから「明日は核医学注射が終わったら何もする事が無いので東京見物でもしてきたら」と言われた。
僕もそう思っていたのだが、行きたいところも無いし天気予報では明日も寒いと言っていたのでずっと病院にいることにした。

夕飯は6時から。
アゴか痛く、朝からほとんど何も食べておらず、さすがに腹が減った。
しかし、アゴの具合は相変わらず。
幸い、あまり固そうな食べ物が無かったのでゆっくりと噛みながら食べた。
病院食はマズイと聞くが、3つの病院で入院した経験から言うと、そうでも無いと思う。
もちろん、ウマイとは言わないが、結構普通だと思う。
あるいは世間の皆さんは普段から美味いものを食べているのだろうか。

消灯は9時。
普段の就寝は12時を超えるのはあたりまえなので、「そんなに早く寝られねェよ」と思ったが、電気が消されると、思いのほかすぐに寝てしまいました。
始めてのところで、すぐに寝てしまうとは図太い神経をしていると、我ながらあきれる思いです。

■3月12日
6時起床。
しかし、起きても何もすることが無い。
朝飯は8時だし、だったらもっと寝かせてくれよと言いたい。
アゴの方はウソの様に痛みが無くなり、少し違和感があるものの全然OK。

食事の後、看護婦の斎藤さんがやってきた。
斎藤さんが僕の担当看護婦なのだが、実際のところ、シフトの関係上、奥さんの方が沢山お世話になっている。
9時から今回の入院の目的である核医学注射の予約が入っているので、少し前に3階の核医学へ行く。
ここで核医学注射をしてCTスキャンで放射性物質の様子を診て、24時間後にももう一度診て、その違いから腫瘍が生きているか、死んでいるかを判断する。
さすかに核医学注射と言うだけあって、注射器もなんだか「核医学!」という感じの(ど言う感じだよ)金属性の物で、針は少し太め。
しかし、それ以外は普通の注射と同じで、放射性物質を注射したからと言って、巨大化したり、口から火を吹いたりはしない。

CTスキャンでの診察の後はもう、今日の予定は無い。
ずっと病室でブラブラと過ごす。
ああ、退屈。
退屈なので地下にある売店へ行って、お菓子とお茶を買う。
一万円札を出すとお釣りに2000円札が入っていた。
これまでに2度しか見たことが無く、今年は初めて。
いやぁ、こんな所でお目に掛かるとは、何か良いことがあるかもしれない。

夕方、後藤先生が来て明日の段取りについて説明を受ける。
核医学の方が終わったらそのまま眼科の後藤先生の所へ行き、結果を聞き、国立がんセンターの金子先生宛てに結果を書いた手紙をもらう。
それから退院の手続き・精算が終わったら国立がんセンターへ行き、金子先生へその手紙を渡すと言う段取りだ。
明日はなんだか忙しくなりそうだ。

■3月13日
夕べ、眠る前に明日の結果の事について考えていた。
もし、腫瘍が生きていた場合のことだ。
国立がんセンターの金子先生と相談しなくてはいけないのだが、最悪は眼球摘出を覚悟しなくては行けない。
しかし、それは覚悟の上のことで、一番判断に迷うのは眼球摘出以外の方法とどちらを選ぶかとなったときだ。
眼球摘出以外の方法でも問題がなければいいのだが、リスクがある場合、どの様に判断すれば良いのか。
そんな事を考えながら眠ったら、夢を見た。
それは後藤先生から結果を聞かされる場面で、先生はCTの結果を書いた用紙を見せながら「再発していませんでした」と言っていた。
もしそれが、正夢ならうれしいのだが。

昨日と同じく、9時からCTスキャナでの診断。
CTが終わるとその足で2階の眼科へ行き、後藤先生から結果を聞く。
そんなにすぐに分かるものかと思ったら、5分ほど待つだけで結果が出ていた。
後藤先生に呼ばれて診察室に入ると、CTの画像診断結果の写真を見せながら、
「問題ないですね。よかったですね。」と言われた。
僕は少し驚き、そしてほっとした。
驚いたのは夢と同じだったからでは無く、なんだか思ったよりもあっけなかったからだ。
金子先生宛ての手紙を貰い、後藤先生に礼を言って診察室を出た。

東京医大付属病院を出てから国立がんセンターの金子先生へ今日伺うことの了解をもらう為の電話をするが、手術中であと20分程掛かるとの事で、とりあえず、がんセンターへ向かうことにする。
地下鉄で移動中は電話が掛けられなかったので、東銀座で降りてから、病院が見えるくらい近くなってから再度、金子先生へ電話すると今度は戻られていて、伺っても良いとの返事を頂いた。
病院へ行く前に家へ電話を掛けて、母親へ今日の結果を連絡した。
「再発していなかった」と伝えると、母親は涙声になって「ありがとう、ありがとう」と言っていた。
あらためて、心配を掛けて申し訳ないと思った。

今日の眼科は時間が遅かったからなのか、すごく空いていて、いつもは満席の椅子も空いているところが沢山ある。
しかし、待合室へ入ったら座る間もなく、木村先生の検眼などの検査を受ける。
後藤先生からの手紙を木村先生に渡すと
「問題なかったの。よかったね。」と言ってくれた。
検査はいつもと同じ内容なのだが、いつもよりも良く見える気がする。
なんだか、絶好調だ。
1時間ほど待合室の椅子に腰掛けて待っていると、金子先生に呼ばれて診察室に入る。
眼底の検査をしたあと、
「それじゃぁ、もう、半年に一度の通院でいいでしょう」との事。
これで、すっかり大丈夫の太鼓判をもらったようなものだ。
意気揚々と眼科を出て精算窓口へ向かう。
整理券を取ると番号は「777」だった。
やっぱり僕は運が良いと思った。


2003.3.23記

 Back  Index / Next