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おらぁ、東京さ行ぐだぁ的闘病記
   〜番外編H〜



いざ、鎌倉へ!
2004年3月7〜8日


■3月 7日
11時32分。僕は藤沢駅にいた。
何故、ここにいたのかと言うと、ついに、東京で行きたいところも無くなってしまい、さてどうするかと思い悩んでいる時にふと、
「そういえば、鎌倉って東京の近くだったハズ」
と、天才的にひらめいた。
それからは、ネットとガイドブックでバッチリ調査をし、準備万端でやってきたのだ。

藤沢から鎌倉までは「江ノ電」に揺られていく。
江ノ電とはテレビドラマなどよく出てくる、あの狭い道をノロノロと走っている、あの電車だ。
ちなみに、道路を自動車と一緒に走るのはわずかな距離だけで、基本的にはちゃんとした線路を走る。

江ノ電は普通の電車よりちょっと小さく、4輌編成なのだが、所によっては3輌分の長さしかない駅もあり、その場合は4輌目は扉が開かない。

狭い道を、あるいは民家の間をしばらくゆっくり走って行くと海が見えてくる。
車窓からはまだ始まったばかりの春の海で多くの人がサァーフィンを楽しんでいるのが見える。
しかし、その人たちは決して若者たちではなく、結構、中年の人が多い様に思えるし、実際そうだろう。
湘南から続くこの辺り一帯は日本のサーフィン発祥の地で、昔からのサーファー達が今も波と格闘している。
途中、「鎌倉高校前」で下車。
この駅は江ノ電で海に一番近く、道路をはさんですぐ向こうはもう砂浜。
海が好きな僕はもうそれだけでワクワクしてしまう。
こんなにロケーションがいいものだから、やはりドラマなどでも良く使われ、寅さん映画にも出で来る。

この駅もドラマでよく使われる
(写真が暗くてゴメンナサイ)

江ノ電の終点は鎌倉駅である。
駅前はどこにでもある普通の駅前で、もうちょっとオシャレな感じを期待していた僕は少し期待を裏切られた感じ。
何故、そう思い込んでいたのかと言うと、その昔、松本ちえ子の「ぼく」という歌でこうあった。

〜 ぼく 〜
ぼく 高校のいま二年生 
オレンジが好きで スヌーピーがお気に入り
日曜日にはブーツカットのジーンズはいて
原宿や鎌倉なんかも行くよ

・・・
だから、鎌倉という街は原宿みたいな所なんだと、ずっと勘違いしていたのだ。

駅前の御成通りを抜け、前日にサイクルショップ「GROVE」に予約しておいた自転車へ乗り換える。
鎌倉は京都や奈良と同じ古い街で、細い通りが多いので効率よく名所を廻るには自動車よりも自転車の方が断然便利。(by ガイドブック)
観光地なので道も混んでいるし、自転車を選択した僕はきっと頭がいい。
まずは鶴岡八幡宮へ黄色い相棒を走らせる。
鎌倉の街を南北に貫くこの県道21号はメイン道路で歩道も観光客で一杯で、歩行者を避けながら自転車で走るのもなかなか難しい。
やはり場所柄ということもあってか、人力車も街角でお客さんを待っていたりする。
そんな中、花嫁さんを乗せた人力車を発見!
先回りして、自転車を止め、デジカメで撮ろうとしたら、オーマイガッ!電池切れ!
慌ててリュックから電池を取り出して効果する僕の前を颯爽と人力車は走り抜けて行った。

鶴岡八幡宮の境内は自転車の乗り入れは禁止なので、押して歩いていく。
ここは源氏や鎌倉幕府の、あるいは国家の守り神として建てられたのだが、時節柄、受験合格祈願の絵馬が沢山かけられていた。
君たち、菅原道真と間違ってはいないか? 本当に大丈夫なのか?

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今回の相棒 鶴岡八幡宮
左側の木は御神木の大銀杏

一般的に鎌倉と聞いてまず最初に思い出すのが、鎌倉の大仏だろう。
鶴岡八幡宮から3kmくらいの所の高徳院というお寺の中にあり、渋滞している車を横目に、あっという間についてしまう。
境内は外国人観光客で一杯で、恐らく1/3は外国人だろう。
いや、マジでそれくらい外人が多かった。
これだけ外人密度の高い所は初めてだ。
あちらこちらから、色々な言葉が聞こえてくる。
国際都市の東京や横浜から近い事が一番の要因だろうが、それだれ鎌倉の街が魅力的なのもまた、大きな理由の一つだろう。

大仏は元々、奈良の大仏と同じ様に、大仏殿の中にあったのだが、その後、1498年に建物が大津波で倒壊してからは野ざらしになっている。
神殿の中にある奈良の大仏もいいが、野ざらしになっているのも、大きなお地蔵さんの様で、かわいく思える。
特に丸い背中はなでてみたくなる。
奈良の大仏よりも小さいが、鎌倉の大仏の”ウリ”は中に入れること。
胎内拝観料、20円を無人の集金箱に入れて、狭く急な階段を上がっていくと、10畳ほどの広間に着く。
何かがある訳ではなく、ただ中に入られるだけ。
以前はここから更に上へ上がる事が出来たのだが、転落事故があり、それ以来、この広間までしか上がることが出来なくなったらしい。


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鎌倉の大仏
(正式名:阿弥陀如来坐像)
背中から見たところ
胎内拝観の明り取りの為の窓が付いている

大仏の次は長谷寺へ向けてペダルを漕ぐ。
長谷寺に何があるのかは知らないが、ガイドブックによると鎌倉の三大寺のひとつになっていたので、高徳院から近い(1kmくらい)こともあり、ミーハー気分で向かった。
   
境内は美しい日本庭園で、それだけでも充分観る価値はあるのだが、それ以外にもいろいろと見所はある。
まず、石段を上がっていくと由比ヶ浜の海を一望できる所にでる。
1000年以上前に建てられたこのお寺から、幾重にも連なる民家の屋根と、その向こう側に広がる海に小さく見えるウインドサーフィンをしている人たちが違和感無くひとつのフレーム収まる不思議なバランスがきっとこの鎌倉という街の魅力だと感じることが出来るはずた。
他に宝物館や、なにやら訳のありそうな洞窟などもある。
洞窟の中はいろいろな神様が祀られていているのだが、暗くて良く見えなかったが、ひょっとしたらコンクリートで作られていたのかもしれない。
さらに奥へ進んでいくと、子供の手のひらくらいの小さな仏像に願い事を書いてお供えする場所に着く。
僕はやらなかったが、既に200体程の小さな仏像がお供えされていて、ある意味不気味でもあった。
僕としては、来る時間が遅く受け付け時間に間に合わなかったのだが、写経というのも一度やってみたいと思った。


お地蔵さん 鐘撞堂
梅がきれいでした

もうそろそろ東京へ向かわなくてはいけない時間だ。
この後も色々とスケジュールが詰まっているのだ。
サイクルショップで相棒と別れた僕は発車間際の東京へ向かう電車に飛び乗った。
(駆け込み乗車はやめましょう)
各駅停車の電車に揺られながら、いつの間にか眠ってしまっていた。
気が付くと東京駅に着くところだった。
本当は有楽町で降りて、そこからテクテクと歩いてホテルへ向かう予定だったのだ。
慌てて飛び降り(慌しいなぁ)、山手線のホームから有楽町へ(東京駅から一つ目の駅)向かったのだが、間
違えて新橋(東京駅から二つ目の駅)まで来てしまい、仕方なく、ここからホテルまで歩いて行くことにした。

ホテルで少し休憩してから、いつもの「すし好」で腹いっぱいすしを食べ、今日の最終イベントである歌舞伎をみに行く。
今回の演目は「義経千本桜」で、数多い歌舞伎の演目の中でも5本の指に入る、人気の時代物だ。
ところで、今回の「義経千本桜」には義経も桜も出てこない。
それは、歌舞伎は物語の最初から最後まで一度にやることは極めて少なく、通常、その物語の中の見せ場だけを行なう為だ。
しかし、初めて観る人にも充分楽しめるように筋書きも整理されていて、通の人は更に役者の演技の巧みさが見所になる。

ところで、今回の「義経千本桜」の感想はと言うと、今ひとつであった。
一番の理由は、時間が長かったこと。
2時間20分も、あの難しい歌舞伎独特のセリフを聞いていると、マジ、疲れる。
前回観た「俊寛」のラストシーンがあまりにも強烈だっただけに、ハイレベルな期待をしてしまう僕がいけないのでしょうか。



■3月 8日
今回のはMRIで腹部を検査する。
これまで腹部の検査はエコーで診ていたのだが、「MRIでも診てみましょう」との事で、初めての体験である。
検査する機械そのものはいつもと同じなのだが、やり方が随分と異なる。
眼の場合は、頭や眼を動かさないで、とにかくじっとしていれ良い。
ただ、まぶたを閉じた状態で眼を動かさないというのは、やってみると分かるが、結構難しいのだ。
さて、腹部の方はと言うと、これも大変。
技師の合図と共に息を20秒程止めなければならない。
1回くらいなら、なんてこと無いのだが、それを何度もやると、息が上がってしまう。
その為、鼻にチューブを付けて酸素を吸えるようにしてくれる。


MRIの次は眼科での診察。
前回もそうだったのだが、眼科での待ち時間が随分と短くなった様に思う。
それは多分、鈴木先生という新しい先生が増えた為だろう。
僕はいつも金子先生に診てもらっているのだが、金子先生も、後どれだけかは分からないが、定年になる日もそんなに遠くはないだろうから、今のうちから後継者を育てているのだろうと思う。

金子先生の診察では「変りはないですね」との事であったが、東京医大での後藤先生の検査から丁度、1年が経ったところなので、「一度、診てもらってきて下さい」と言ったわけで、紹介状を書いてもらい、近々行くことになった。
後藤先生は水・禽が診察日なので、仕事の都合を見て行く計画を立てることにした。

その後、放射線治療科でも診察を済ませ、会計を終えると、12時だった。
昼食はどこへ行くかは既に決めている。
まずは築地の場内市場へ我が物顔で入っていく。
人気の「寿司大」や「大和寿司」には長蛇の列が出来ている。
しかし、今日の僕は彼らを横目に目的の店へ。
そう、吉野家へ行って牛丼を食べるのだ。
現在、BSE問題で全国の吉野家では牛丼の販売を中止しているのだが、実は一部の店舗では販売を継続している所があるのだ。
それは競馬場・競艇場などに出店しているところで、契約上、牛丼しか販売出来ない店舗、そして築地の場内市場にあるこの店舗だけだ。
何故、場内市場の店舗だけ牛丼を販売しているかと言うと、そもそも築地が吉野家発祥の地だったから。
その為、築地のこの店だけは牛丼の灯を消さず、牛丼を再び販売出来る様にる日までの、吉野家の社員の心のよりどころとしているのだそうだ。
ところでこの築地場内市場店だが、メチャメチャ狭い。狭いのにも程がある。
どれだけ狭いかと言うと、店内の幅は2mくらいしかない。
当然、その中にカウターがあって椅子もある。
その為、店員はカウターの中で一列に並び、バケツリレーの如く、奥から手渡しで牛丼が運ばれてくる。
更に、そんな狭さの為、店員の目の前で食べる事になり、とても落ち着いて味わえる雰囲気ではない。
膨れた腹をポンと一つ叩いたあとは、家へ帰るだけとなる。



2004.3.23記

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