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おらぁ、東京さ行ぐだぁ的闘病記
   〜番外編O〜


寒かったぁ
2005年12月4〜5日

■12月 4日(日)
今年最後の通院。
天気予報によると東京は雨の様で、更には寒くなると言っている。
こんな時は屋内が一番だ。
しかし、お気に入りの歌舞伎は出し物が今ひとつなので、今回は寄席へ行く事にした。
前に行った時は「浅草演芸ホール」だったが、その隣に「東洋館」という寄席がある。
ここはかつて「フランス座」と言うストリップ劇場で、渥美清やビートたけし等、多くの芸人を生み出した場所。
もちろん、彼らは踊り子ではない。
今回は事前のサーチで知っている芸人の出演の多い東洋館へ行く事にした。


11時頃には浅草に到着したのだが、寄席が始まるのは12時からなので、それまでは時間を潰しに浅草寺へ行く。
仲見世を歩いていると、これまで我慢していた雨が降り出してきた。
こんな天気なのに仲見世は以前来た時と同じくらい込み合っていて、とうてい真っ直ぐ歩く事はムリな話し。
僕は何かを買う訳でもないので両脇の店には目もくれず、人ごみを縫うようにスタスタと本堂を目指して歩いていった。
とは言え、本堂では特別お願いする事もなかったので、取りあえず、先日、胃ガンの手術をした父親が早く回復する様にと仏さんに頼んでおいた。
しかし、頼みが伝わったかどうかは分からない。
こんなに人が大勢いるのだから、いくら仏さんとはいえ全員の頼みごとを聞けるとは思えない。
ならば、父親は自分の力で回復するしかないのだ。
たとえ家族といえども、何も出来ない。
だから神頼みするしかないのだ。
あれ?ここは仏さんだったか。
まあ、そんな事はどうでも良い。


仲見世へ戻る途中、中門の辺りで何か撮影会の様な事が行われていた。
近くへ行って見てみると、羽子板を持った和服姿の娘さんが、50人くらいの沢山のカメラおじさんに撮られていた。
中には「羽子板の方を見て」と、ポーズを注文する人もいる。
僕は決してカメラおじさんでは無いのだけれど、綺麗なお姉さんは好きなので一緒に写真を撮る事にした。
てんこ盛りのおじさん達をかき分けて最前列を陣取る。
「良い写真を撮る基本は、一歩前に出る事」と何かの本に書いてあった。
そうして撮ったのがコレ(↓)。



とにかく、雨はシトシト降っているし、寒いしで早く建物の中へ入りたい。
東洋館の1階でチケットを買い、エレベータで4階へ上がる。
この狭いエレベータはかつて、エレベータボーイだった頃のビートたけしがタップダンスを練習していた場所だ。(注:以前に見たドラマではそういう事になっていた)
数十年の時を隔てて同じ場所に居るんだと思うと、ファンでも無いくせにミーハーな僕は少し感動した。
劇場の中へ入ると既に『Wコロン』という若手が漫才をやっていた。
テンポの良いダジャレ漫才で、この後に出てくる出演者の舞台にも期待が盛り上がってくるのだが、それはちょっと誤算だったかもしれない。
次々と出てくるのはほとんどが年配で、極めつけは内海桂子師匠。
この平成のご時世に都々逸(どどいつ)で、「さぁ皆さんもいっしょに」なんて言われても、どうにもこうにもテンポが合わない。
決して内海桂子師匠が嫌いでは無く、逆に師匠が出るからこそ浅草演芸ホールでは無く東洋館にしたのに、ちょっとガッカリだ。
更には師匠の時ではないけれど、芸人をちゃかしたり、先にオチを言ったりする客がいて、劇場内は少し迷惑気分。
ただ、これを逆手にとって芸人が客をいじったのが『ホームラン』というちょっと年配の漫才コンビ。
「あっ、兄上!」と言いつつ客席へ飛び降り、「はっ、母上!」と別の席の女性の元へ駆け寄ると場内は大爆笑。
今回、一番笑ったことろだ。
今日のオオトリは本当ならば『おぼん・こぼん』だったのだが、スケジュールの都合で来る事が出来ず、客の似顔絵を書きながら漫談をする『青空ぴーちく』がピンチヒッターで出てきた。
『おぼん・こぼん』も楽しみにしていたのに、今回は最後の最後までガッカリだ。
(後日分かった事だが、『おぼん・こぼん』は何かの賞の授賞式に出ていたらしい。年の暮れらしい理由だね。)
東洋館を出ると、日はすっかり落ちていて、雨はまだ降っていた。
劇場の中に居た時もずっと寒かったのだが、やはり外に出ても寒い。
この寒さなら、雨は夜更け過ぎには雪へと変わるだろう。(By 達郎)
まだ大勢の観光客でごった返す雷門を抜けて、僕は足早に地下鉄の駅へ向かった。


銀座ミキモトのガラスの熊

■12月 5日(月)
翌朝は7時半に起床。
テレビのニュースでは、昨日の東京はこの冬一番の冷え込みだったと伝えていた。
どうりで寒かったはずだ。
今日はMRIなどの検査が無いので、ホテルで朝食を取る。
トーストにサラダとゆで卵、そしてコーヒー。
もちろん、それだけでは足りないので病院の売店でおにぎりを買い、診察予定の9時までロビーで本を読みながら時間を潰すことにする。
8時半になり、ひょっとしたら早く呼ばれるかも知れないと思い(早く呼ばれればラッキー)、眼科の待合室へ行って待つ事にした。
待合室に入るや否や木村先生に「higanさんどこへ行ってたの。全館放送を頼んじゃった。」と言われ、そのまま検査室へ。
眼圧の測定を始めると、
「患者さんのお呼び出しを申し上げます・・・・・」と放送が掛かり、
「ほーらね」と木村先生がニコっと笑った。
どうやら、診察の予約時間とは無関係に、受付をした順に次々と診察をしているらしい。
現在、眼の中の出血で左眼が全く見えない。
前回の鈴木先生の話では、ボール等が当たったといった外力が加わった時になったのであれば原因ははっきりするが、それ以外の場合、原因は分からないそうだ。
ただ、今回は会社でデータのチェックをしていた時に眼がキューっと痛くなり、それからジワジワと見えにくくなったので、眼を酷使することも原因なのかもしれない。
症状は前回来た時の方がマシで、1−2週間もすると徐々に白い霧が晴れていく様に見える様になったのだが、今回は1ヶ月以上経つのに視界は真っ白のまま。
これでは視力検査も視界の検査もできない。
待合室のイスに腰掛けて暫くすると鈴木先生に呼ばれる。
いつもの道具で左眼の中を見ると出血の為、濁って見えない様で、前回やったエコーを撮る事になった。
結果は腫瘍の残骸の上に影が映っている事を写真を見せて説明してもらった。
しかし、この影が腫瘍なのか、血の塊なのかは判断出来ないそうだ。
血は常に形を変える為、「この様に写ったら血の塊です」と言うものが無いらしい。
(腫瘍ならあるのではとはその時は思いつかなかった)
鈴木先生の話しによると通常、眼の中の出血の場合には6ヶ月間は様子を見るらしく、その後にどうするかを判断するのが一般的らしい。
判断とは、濁りを取る手術をするか、あるいはそのままにするか。
手術をする場合、ガン細胞が飛び散る危険性もゼロでは無く、実際の所、元々あまり見えていないのであれば何もしないと言う事がベストかもしれないとの事。
とにかく、その判断は6ヵ月後。
それまでに濁りが無くなれば問題はないのだ。
まずは、中間の3ヶ月後に診察となった。

次は放射線治療科。
伊藤先生に「放送で呼ばれてましたね」と言われ、テヘヘッと笑うしかない。
痛むとか、何か変わった事は無いか等のいつもの問診をすると今日の予定は全て終了。


病院が終われば次は昼飯だ。
今回は「土手の伊勢屋」と昨日から決めている。
東銀座から日比谷線に乗り三ノ輪へ向かう。
平日だったからだろうか、日曜日なら10数人の列が出来ているところ、今日は5人しか並んでいない。
しかも待つ事10分弱で店へ入る事ができた。
これからは、月曜日に来る事にしよう。
まずはビールを、そして天丼の『ロ』とお吸い物を注文する。
前回は『イ』を注文して少し貧相な天丼が出てきてしまい失敗したのだ。
(『ハ』か一番豪華なのだが、さすがに“くどく”なってしまう。これも失敗の経験あり)
昼間からビールで、しかも伊勢屋の天丼とは極楽である。
腹がふくれた僕は極楽気分のまま名古屋へ向かった。


2006.1.5記

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