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おらぁ、東京さ行ぐだぁ的闘病記
   〜番外編21〜


東京医大病院 part-4 硝子体手術
2006年7月12〜7月28日


■7月12日(水)

今日から東京医大病院に入院する為、午前8時ごろに家を出発。
今回は付添いとして母親も同行する。
これまで、東京医大病院での入院は検査入院だったので付添いの人が居なくても不自由はしなかったのだが、今回は手術を行った後の状態がどの様になるのかが分からないので、念の為、母親を連れて行く事にした。
母親は東京医大病院へ行くのは今回が初めてで、今晩の宿である築地のビジネスホテル(新宿にもあると思うが、分からなかったので、いつものホテルを予約した)からの行き方を知らないないので、まずは築地へ向かう。
築地からどの線の地下鉄に乗ればよいか等の説明をしながら道を教え様というわけだ。

築地に着いた頃は丁度昼時だったので、場内市場で食事をする事にした。
母親は僕が国立がんセンターに入院していた時にはなんども付き添いで来てくれていたが、
「何か、こわいねん」
と言う理由で、場内市場へは行った事が無いそうだ。
確かに外からみればトラックが止まっていたり、立ち乗りの変な乗り物が走り回っていたりして、仕事をしている人が一杯いるので、こんな所に関係者でもない人間がノコノコと入っていって行くと怒られそうな気がするのもうなづける。

何が食べたいかと聞くと、「何でもいい」と言う事で、以前食べたあなご屋さんに行こうと思ったのだが、店の場所がどこにあったか忘れてしまい、結局、『福せん』と言ううなぎ屋に入った。
母親が注文した「うな鳥丼」は後日ネットで検索してみるとこの店のメインメニューの様だ。
一方、僕が注文した「鰻まぶし重」は一般的だが、ランチタイムでは1700円が1300円になって更にはお吸い物が付いてとてもお徳なのだ。

めしを食ったら東京医大病院へ向う。
地下鉄日比谷線で銀座まで行き、丸の内線に乗り換えて西新宿まで行く。
本当は大江戸線で行けば乗り換え無しだが、どの駅で降りて、そこからの道が分からない。
道すがら、灰色の印は日比谷線で、丸の内線は赤とか、西新宿では東京医科大との案内板表示には従わず、先の都庁方面から行くと病院の前に出るなどの説明をしつつ向かう。

入院受付を済ませた後、15階の病棟へ上がってナースステーションに挨拶をする。
案内してもらった病室は前回と同じ1502室で今回は窓側のベッド、見晴らしがいい。
担当看護士の白岩さんに食堂で簡単な説明を受けた後、続いて担当医師の村瀬耕平先生に多目的室で今回の手術についての説明を受ける。
村瀬先生は30歳くらいで色白で、まじめそうな青年と言った感じ。
説明自体はこれまで、後藤先生に聞いていた通りだったが再確認をする事は出来た。
その後、眼圧や視力検査を行い、エコーも撮る事になったが、病棟の診察室にある機械のプリンターが動かないので外来へ行って撮った。
国立がんセンターではこいつを1台購入するだけでも、金子先生が色々と努力されたにも関わらず、大学病院は2台もある。
ひょっとすると、もっとあるのかも知れない。
国立病院の限界が垣間見えた様な気がした。


■7月13日(水)
今日はいよいよ手術。
木曜日は助教授回診の日で、いつもは村瀬先生に診てもらっているが今日は後藤先生にも診てもらう。
「今日の手術、がんばりましようね」と声を掛けられる。

手術は14:30からなので当然、昼飯はなし。
12:30から30分毎に抗菌目薬の点眼を行い、点滴を付けたり、手術となると筋肉注射をしたり色々とあわただしい。
家から持参のパジャマを着ていたのたが、上は手術着に着替え、頭には紙で出来たキャップをかぶり、車椅子を白岩看護士に押されながら手術室のある5階へ行く。
メガネを外していたのであまり良く見えなかったのだが、どうもTVドラマで見た様な感じではない。
色々なものが通路や部屋の端に置かれていて、整理されているとは言えない。
しいて言えば僕の部屋の様だ。
手術台も部屋には何台か有り、その一番奥の手術台が今日、僕がお世話になる場所だ。

手術台のそばには手術をしてい頂く後藤先生が待っていた。
手術台に横になると早速、周りに居た看護士がF1のピットクルーの様にテキパキと心電図や脈拍を付け、イソジンガーグルのうがい薬の様な色の消毒液で眼とその周辺の洗浄を行ったあと、麻酔の目薬をする。
目玉に注射で麻酔を打つと思っていたが、どうやら違った様だ。
手術前の筋肉注射でも痛いのに、目玉に注射なんて、どれだけ痛いのかと、内心憂鬱だったのだ。
それにしても、目薬の様なモンで大丈夫かよと思ったが、手術の間は痛くなる事は全く無かった。
麻酔の目薬の後は穴の開いた緑色の布の様な物を、手術をする左眼だけをこの穴から見える様にして顔に被せられる。
すると、どうしたワケか鼻の下がカユクなる。
しかし、血圧や心拍数を取る為のコード゛が左右の手に付けられているし、そもそも、緑色の布が顔に掛けられているので掻きようにも到底ムリ。
ガマンするしかない。
ゴチャゴチャと準備をしていると思ったら、いつの間にか手術は始まっている様だった。
眼内の出血した血を取っていたのだが、後藤先生が
「higanさん、眼の中が見えにくいのでレンズを取りますね」と声を掛けてきた。
予め聞いていた通り、白内障気味で眼の中の様子が見えづらい様だ。
僕は「はい」と答え、水晶体も外す事なった。




【硝子体手術の方法】
@硝子体カッター : 硝子体を削って吸引する・・・(ア)
A眼内にガス又は人工房水を入れる為のチューブ :
  硝子体がしぼまない様に吸引した分だけ補給する・・・(イ)
Bライト : 眼球内を照らす



【水晶体の取り方】

角膜の一部を切り開き、前嚢(水晶体の入っている袋の前側)を円形に切り取ったあと、超音波で水晶体を砕いて吸引していく。


その後も根気よく血の除去を行っていると、次第に硝子体カッター(血を吸い出す為に眼に差し込んでしている管)が眼の中で動いているのが見え様になってきた。
更には、これまで見えなかった眼の中で漂っている血も見える様になり、管に吸い込まれていく様子も見ることができた。
麻酔の目薬のおかげで、手術中は痛みを全く感じなかっのだが、生まれてはじめて局所麻酔での手術に凄く緊張して手術中はずっと右足がガクガクしていた。
リラックスしなくてはと思い深呼吸をしようとするのだが、深く息を吸うことができなかった
緊張で全身に力が入っていた為だ。
そのおかげで、翌日は背中がひどく凝ってしまった。

2時間近くの手術が終わると、白岩さんに来てもらい再び車椅子で病棟へ戻る。
日中はベッドを立てて、寝ない様にしなけばいけず、また、夜もベッドを30度に斜めにして寝なくてはいけないとの事。
これは、沈殿していった血が網膜で溜まらない様にする為。
網膜剥離の手術では何日も下を向いていなければ成らない事に比べれば幾分楽だが、これも結構ツライ。

暫くは麻酔の目薬が効いていた事もあり、「手術って、思っていたよりも大した事はないなぁ」と思っていたのもつかの間、
「麻酔の時間は終わりました〜」と言わんばかりに、突然麻酔が切れ、そこからは嵐の様に痛みが襲ってくる。
目玉を万力で締め付けられている様な痛みだ。
そんな痛みに耐えているのに、母親ときたら窓の外を眺めて
「あの建物はなんやろなぁ」などと、のんきな事を言っている。
無視していると、「なぁ」と僕の肩をゆすって、尚も話しかけてくる。
心臓が動くだけで痛いというのに、迷惑な親だ。
あまりに痛いので、痛み止め(座薬)をもらったが、当然、すぐには効かない。
「45分から1時間くらいで効いてきますから」と看護士の白岩さんは言ったが、結局、痛みが治まるまで、2時間かかった。
これからは、痛くなる前に鎮痛剤をもらう事にしよう。

痛みが和らいだころ、母親と一緒に後藤先生の話しを聞く。
母親は僕が鎮痛剤で眠っている間に聞いているのだが、良く分からなかったとの事で、もう一度話しをしてもらうことになった。
母親の頭の中では「転移」という言葉が大きくなっていて、何を聞いても「転移」と聞こえてしまうようだが、それは本人の思い込みで誰もそんな事は言っていない。
後藤先生には少し迷惑を掛けてしまったようだ。
先生の話によると、腫瘍が生きていた場合、眼球摘出の他には千葉にある放射線医科学研究所(放医研)での治療が考えられるが、保険が利かない事(300万円くらするそうだ)と、酷い緑内障になる可能性のデメリットがあるそうだ。

■7月14日(金)
まだ、眼と頭が痛い。
痛み止めをくれと言うと、その前に眼圧の測定をする事になった。
処置は村瀬先生ではなく、別の小柄な先生が診てくれた。
いつもは風を眼球に当てて測定している(この機械を「空気式眼圧計/ノンコンタクト・トノメータ」と言う)が、今回は麻酔の目薬をして眼底を覗く機械(これは「スリットランプ」と言う)で、多分、何か別器具(これは「ゴールドマン圧平式眼圧計/アプラネーション」と言う)で直に眼球を押さえて測定する。
測定の結果、36mmHgもあり(正常値は10〜21mmHg)、前房水を抜くとずいぶん楽になった。
前房水とは水晶体と角膜の間に溜まっている水のこと。
今回の手術では、角膜の一部を切って、そのスキマから水晶体を取ったのだが、角膜は無縫合(縫わないでそのまま)で行ったので、前房水をこの角膜の切り口を開いて水を出したのだが、ほとばしった水は血で少し赤みが掛かっていた。

本来なら面会は3時以降なのだが、母親は今日、家に帰るので午前中にやってきた。
来ても何もやる事はないので洗濯をしてもらい、使わないパジャマなどは持って帰ってもらうことにした。
パジャマは家から持って来たが洗濯するのも面倒だし、かと言ってずっと同じ物を着ているわけにも行かないので病院で借りることにした。

昼過ぎに空いていた隣のベッドにHさんと言う50歳くらいの人が入院してきて、挨拶として部屋のみんなにBOXティシュを配っていた。
これまで何度も入院しているがこの様に物を配る人は初めてだ。
有りがたく頂いたが、みんな気を使っちゃうのであまりよろしく無いと思う。

夜の村瀬先生の診察でも眼圧を測定したが40mmHgくらいで、再び前房水を抜く。
ところが、今回は処置してくれた村瀬先生がヘタだったのか、メチャメチャしみる。
しみるけれども、逃げ腰はダメだと思い、これでもかと言うくらい眼底を見る機械に額を押し付けていた。(けれど、しみる事には変わりない)


■7月15日(土)
朝の診察では眼圧は26mmHgに下がっており、まだ違和感はあるものの痛みは殆どない。
朝起きたらなんだか少し風気味で、鼻水が出るので看護士の佐藤さんに風邪薬を頼む。
昨日Hさんにもらったテッシュが大活躍だ。
曇っていた空が昼にはついに雨とカミナリ。
ここ暫くは晴天が続いたので、少しは街も潤ったのではないか。
病院の中にいると、外の天気はあまり関係ありませんが・・・
それでも風呂に入れないと身体がベトベトして気持ち悪い。
特に足の指の間が、なんだかザラザラと言うか粘りがある様な感じで特に気持ち悪い。
仕方がないので病室内にある洗面台で足を洗っているが、スッキリ爽やかとは行かない。
村瀬先生の診察ではこれまでのところ順調の様子なので、もうシャワーもOKでしょうとの事。
今日の風呂は女性の日なので、明日が楽しみ。


■7月16日(日)
朝の診察では眼圧は23mmHg。
順調に下がってきている。
出血も少なくなってきたので火曜日に抜糸する事になった。

久しぶりにシャワーを浴びれると思ったら看護士に伝わっておらず、結局入れず終いで少々ご機嫌ななめ。
こう言った連絡ミスが医療過誤につながらければ良いと思うのだが・・・
変わりに蒸しタオルで身体を拭くと、いくらかスッキリした。

術後からやっていた抗炎症の点滴と眼圧を下げる目薬は今日で終了。

夜に後藤先生の診察があり、出血は少なくなってきているが、これがどれだけ引くかが分からないので、ひょっとしたら火曜日にもう一度手術するかもとの事。
朝の村瀬先生の話しとは少しちがって来ているが、指導医の村瀬先生の判断の方が正しいのだろう。
後藤先生と村瀬先生の関係は多分、眼科の中のいくつかのチームのリーダが後藤先生で、その指示の元、直接の担当医は村瀬先生が勤めているのだろう。
会社の中でも、よくある組織の体制と考えれば理解しやすい。


■7月17日(月)
今日の眼圧は21mmHg。ギリギリ正常値。
診察の時、村瀬先生に昨日の後藤先生が火曜日に手術をするかもしれないと言われていた話しをすると、それは恐らく、前房水に溜まってる血を抜くのだろうとの事。

久しぶりにシャワーを浴びて気持ちいい。
ただし髪は自分ではまだ洗ってはいけないので、洗濯機が置いてある部屋で美容院の洗髪の様に診察ベッドに仰向けに寝て、看護士に洗ってもらった。
御かげで全身がスッキリして気持ち良い。
震災で非難した人が風呂に入りたいと言うのが良く分かった。


■7月18日(火)
朝の診察の後、後藤先生に呼ばれ、血の引きが今1つで、まだ出血が続いている可能性があるとの事。
これまでは眼圧が高かったので、それで押さえられていた血管が眼圧が下がるに従い広がって、再び出血が始まったのかも知れない。
手術をどうするか聞かれた。
選択肢として3つが示された。

(1)今日手術する・・・但し、出血が止まるかどうかは分からない
(2)1週間様子を見て判断・・・ひっょとするとこのまま引いていくかもしれない。1週間すれば、その傾向はわかる。
(3)1ヶ月くらい何もしない・・・血が引くのに1ヶ月かかるので退院する

僕は少し考え、今日手術をしてもらう事にした。
理由は「待つ」よりも「攻め」の気持ちでいたかったから。
少し考えたのは、術後のあの痛みをまたやらなくてはいけないのかと思うと、躊躇してしまったのだ。

そうと決まれば、また慌しく、いろいろとやらなくてはいけない。
緊急手術なので村瀬先生は手術の予約を入れる手配に動き、僕は入院の延長で予めこづかいとして持っていたお金では足りそうもないので、会計課へ行き預けているサイフから1万円を取ってきた。
それから、会社と家にも電話をしなくてはいけない。
母親はまた付き添いに行きたいと言うが、それは断った。
来てもらってもやってもらう事もないし、何より、年寄りが何度も東京を往復するのはキツイだろう。
元々、そう言うことも地元の病院ではなく東京医大病院で手術を受けた理由の一つだったのだ。

緊急手術の為、開始時間は未定だったが、結局、昼過ぎに行う事になり、前回と同様、筋肉注射や点滴などの準備をして車椅子で5階の手術室へ向かう。
今回も前回と同じ、一番奥の手術台。
後藤先生はまだ居ない様子で、それでも前回と同じ様に心電図や心拍数、血圧のコードをつけるのだが、メガメを掛けていないし、ベッドで仰向けに寝ているので回りはあまり見えないが、どうも看護士たちはタラタラした様子で少し緊張感が無い雰囲気。
そんな時、手術室の空気が緊張感で包まれたかと思うと後藤先生が登場。
後藤先生って、結構すごいらしい。
手術の内容自体は前回と同じだったので緊張する事も、右足がガクガクする事も無かった。
けれど、鼻の下はやっぱり痒くなった。
緊急手術だったので長い時間、手術室の予約が出来なかったのか、或いは、今回は前回の補助的な手術だったのか、理由は定かではないが45分程で終了。
今回は麻酔の目薬をたっぷり掛けた様で、左まぶたも感覚が無く、眼を開けているのか居ないのか全く分からなかった。

病室に戻って暫くすると、麻酔が切れて痛みだしてきた。
今回は痛みが酷くなる前に鎮痛剤をもらうが、薬が効くまでのタイムラグを計算に入れていなかったので、やはり激しい痛みに教われる事になった。


■7月19日(水)
朝の診察では眼圧は14mmHg。
前房室や水晶体の入っていた袋(嚢:のう)に血が舞っていたり、血のりが着いていたりするので暫くはこれらが落ち着くのを待つ。
また、虹彩が炎症しているとの事で、新たな目薬が追加になる。

昼過ぎに斜め向いのベッドにKさんが入院してきた。
30歳ぐらいの大きな体格で、ちょっと荒川良々に似ている。
付き添いは母親と友達と思わしき小柄で陽に焼けた、小さな長瀬智也(TOKIO)の様な、今風といった感じの青年。
僕は読んでいた本に視線を戻すと、ガチャガチャとウォレットチェーンか何かの音をさせながら誰かが近づいてくる。
先ほどの長瀬似の青年が外の景色を見るために窓に近づいてきたのだ。
再び本に視線を落とす時、何か異質なものが視界に入った。
それはメタリックな輝きで、つまりヒザ下までの長さしかないカーゴショーツから義足が覗いていたのだ。
先ほどの音はこの義足の音だった。
義足を隠す事もなくショートパンツをはいている彼には驚かされたと同時に何かを感じさせられずにはいられなかった。
どうして、彼は義足を隠さないのか。
隠したとしても、恐らく歩き方で足が不自由な事は分かってしまう。
ならば、ありのままで居ようとしたのだろう。
そうか、ありのままでいいんだ。
眼球を摘出した時の義眼の不自然さに嫌悪して、でもその判断に迫られた時、どうしようとずっと考えていた。
入院する前に決めるつもりでいたのだが、決心はつかなかった。
いくつかの治療方法の選択肢の1つとして、当然、眼球摘出は入っているのだが、気持ちの中では入れてはいなかった。
少なくとも、入れたくは無かった。
でも今日、彼を見て義眼も1つの方法と思った。


■7月20日(木)
朝の診察では眼圧は14mmHgと安定。
助教授回診では後藤先生からも「思いきってやってよかったですね」と、順調のお墨付きをもらう。
まだ眼内にはガスが残っているので、4-5日様子を見ましょうとの事だ。

昨日、Hさんの退院の後、隣のベッドにQさんと言う、50歳くらいのオジさんが入院してきた。
僕は夜寝る時もベッドを30度くらい起こさなければいけないので、なかなか寝付けない。
そんな中、隣のベッドからQさんの寝言が聞こえてくる。
しかもはっきりとした口調で
「そう、そう、そう。ん〜そんなもんかなぁ」 とか
「あれ、言ってなかったっけ?言ってたはずなんだけどなぁ」 などと、いったいどんな夢を見ているのだろうかと思うと気になってしまい、更には次はどんな寝言を言ってくれるのかと興味深々で、おちおち眠っていられなくなってしまった。

■7月21日(金)
朝の診察では、来週の初めには退院できそうとの事。
デスクワークであれば、出社もOK。
後藤先生の診察でも良好との事だったが、来週の終わりにでも国立がんセンターへ行って、一度見てもらって来てはとの提案があった。
「予約がとれるか分かりませんが、確認してみます」と言うと
後藤先生は「そうか、事前の予約がいるんだっけ。最近はカタビー(高飛車)になっちゃって」とボヤイていた。
診察後、早速、国立がんセンターへ予約の電話をするが、9月20日しか空いていないとの回答。
とりあえず、それでお願いしますと言っておいたが、2ヶ月後も出血が無いとは言いきれない。
ひょっとしたら、また出血するかも知れない。
そうなってしまっては今回の手術が無意味になると思い、今度は予約受付ではなく、直接、眼科の鈴木先生につないでもらい、緊急で診てほしいと伝え、ようやく7月26日午前で予約を入れてもらう。


■7月24日(月)
夕方6時過ぎに抜糸をする。
村瀬先生の後をついてエレベータに向う途中の『絶対暗室』と書かれた部屋に入る。
4畳半ほどの広さの部屋の真中には薄紫色の床屋か歯医者にある様な椅子が1つ。
そしてその回りにはいくつかの器具や薬品なとが入ったワゴンや棚がある。
麻酔の目薬をした後、器具でまぶたを開いたままにすると、パチパチと村瀬先生が糸を取っていく。
痛みも無く、5分くらいで終了。
以外とあっけない。

その後の後藤先生の診察で金曜日に退院する事に決定。
持ってきた本はすぐに読みきってしまい、売店で買う雑誌はどれも似た内容で、しかも種類が少ない。
おまけに、充電器を忘れたのでゲーム機は直ぐにバッテリー切れ。
持て余した時間の多さに、入院しているというよりも病院に閉じ込められているといった感じの2週間。
これでやっと退屈な入院生活から開放されるかと思うと、ほっとする。


■7月25日(火)
2階の眼科と小児科の外来の間にある通路の突き当たりに小さな図書室がある。
本当に小さな図書室で、患者向けの病気に関する本が200冊ぐらい。
200冊というと結構な量に聞こえるが、実際に見てみると2つの本棚に本がスカスカに入った量である。
この図書室には1台だけだが、パソコンもある。
インターネットも使え、僕のHPも見る事が出来る。
ただし、セキュリティが掛かっている様で、掲示板は見る事は出来なかった。
今回、調べに来たのは金子先生が非常勤で診察している病院とその診察日についてが目的。
これまで、病気を見てもらったのは金子先生と鈴木先生と後藤先生の3人。
金子先生が日本で一番の経験者である事には違いないが、今の主治医は鈴木先生だ。
最後の切り札として金子先生というカードもあると思ったのだ。
問題はそのカードをいつ、どの様に使うかだ。
もちろん、使わないければいけないという事も無いし、使わない事がベストに違いない。)
それに国立がんセンターの設備が大学病院に比べて貧弱であることが今回の入院で気が付いた。
とにかく、今すぐに決めなければいけないという事ではないが、ちょっと考えておいた方が良いのかも知れない。


■7月26日(水)
今日は国立がんセンターへ行く日。
久しぶりの外出に少しワクワクな気分。
9時半ごろに病院を出て地下の案内板を頼りに大江戸線の都庁前駅まで行き、築地市場で降りる。
ひとまず、いつものドトールコーヒーでアイスコヒーとサンドイッチを注文。
鈴木先生に予約の電話をした時、夏休みで混んでいるから待つ事を覚悟しておいて下さいと言われていたので燃料補給。
まだ梅雨明け前というのに、久しぶりの外は灼熱の世界の様に感じられる。
実際、病院まではすぐそばなのに、着くまでに完全にバテ気味。
入院中にすっかり体力が落ちてしまった様だ。

受付を済ませ、待合室へ入ると椅子に座らないうちに木村先生に呼ばれ、中に入る。
いつもなら眼圧を測定するが、まだ抜糸したばかりなのでその旨を伝えるとたまたま鈴木先生が通り掛かり、「今日は眼圧は結構です」と言うことで、視力の測定(と言っても、光が見えるかどうかの確認)だけを行った。
暫く待合室で待っていると、意外早く呼ばれた。
今日の待合室はいつもよりも多いが、以前は普通の時でももっと多かった。

鈴木先生の診察によるとこれまでエコーで見ていた印象と大きさは変わっていない様子と言われた。
しかし、炎症やガスがある為、まだほんやりとしか見えないので、1ヶ月後にもう一度見る事にしましょうとの事。
ついでにレンズを入れる事も聞いたが、それも炎症が落ち着いてから、後藤先生とも相談していきましょうとの事だった。
次回は国立がんセンターで診てもらった後、東京医大で後藤先生にも見てもらえるように月曜日(8/28)を予約した。
今日のところはまだ眼球内にガスが残っているので、エコーは撮れない(撮るのが難しい)ので、無し。

昼食は銀座の煉瓦亭でポークカツを食う。
夏と言えばカレーなのか、病院で見ていたTVのワイドショーなどでは時々カレーの特集をやっていて、病院のおとなしいメニューに飽きていた僕はパンチの効いたメニューに飢えていたのだ。
残念ながら、病院から銀座に行く間にナイルレストラン以外のカレー屋が見つからなかったので、第2候補の肉を食うことにした。
肉もまた、病院ではなかなかお目に掛からないメニューの1つ。
(カレーも病院では出たが、パンチの無いやはりおとなしい味だった)

昼食の後は数寄屋橋のチャンスセンターで宝くじを買う。
噂によると、一番左端にある1番窓口で買うと当たるとの事で、やはりそこの列だけが異様に長かった。
たまたま、うちわを配っていたのでそれを貰い、パタパタ扇ぎながら30分ほど待ってバラで40枚購入。
後は寄り道せずに病院へ。


■7月27日(木)
隣のベットにUさんが入院してきた。
細身で30歳くらいの彼は初めての入院だそうで、「入院中にこれはあった方がいいという物はありませんか」と聞いてきたので、「ふりかけがあると良いですよ」と言うと、あまりにも予想外な回答だったらしく、かなり驚いていた。
実際、病院の食事はまずくは無いのだが、旨いと言うほどでもない。
さっぱりし過ぎて、物足りない時にふりかけがあると少しはおいしく食べられる。
僕はこの入院の為に100円ショップで買ってきたが、入院が延長になってしまったので、昨日でみんな無くなってしまった。
必需品が「ふりかけ」だけでは可愛そうなので、「あとは味付けが薄いので、醤油などの調味量があるといい」と言うと初めて納得した様子で、暫くすると地下の売店で早速醤油を購入していた。
Uさんは網膜剥離で、手術は明日と言う事だったらしいのだが、担当医が「出来れば今晩やっちゃいましょう」と言い、隣のベッドで僕は7時か8時ぐらいと思っていたら、消灯時間を過ぎた11時過ぎからゴソゴソと準備を初め、手術が終わってベッドに戻って来たのは1時を回っていた。
どうしてこんなに遅い時間にやるのだろうと思ったが、ひょっとすると夏休みが近いと言う事も少しは関係するのかも知れない。
手術が休みにずれ込まないように、やれる事は先に済ませてしまおうと言う事なんだろうか。
(あくまでも推測です)


■7月28日(金)
本日退院。
1週間の予定が2週間以上にもなってしまったが、当初の目的であった眼内の血を取る事が出来たし、まだガスや炎症が残っているので腫瘍が見える様になるかは分からないが、順調の様なのでこれも問題ないでしょう。
とにかく、暫くはおとなしくして再び出血しない様に注意をしなくてはいけない。
今の所は痛みも無く、眼の中のガスと硝子体の境が視界の中で水平線の様に見えるて、ちょっと不思議な光景だ。

11時頃病院を出て、まずは東京駅でカレーを食べる。
この前、銀座で食べ損なったので、どうしても食べたかったのだ。

ところで、カレー屋なのに店員は中国人。
んー、まっいっか。

名古屋に着いたのは2時半ごろ。
改札を出たところに、わざわざ仕事を休んでヒトシが向えに来ていた。

「退院するときは迎えにいくから必ず連絡してくれよな」といわれていたのだ。
ヒトシの車に乗ると次はマサルに電話して、会社まで迎えに行く。
マサルも今日は帰るとの事だ。
君たち働きなさい。
3人で喫茶店へ行き、入院中の報告をした。
持つべきものは友である。


2006.8.20記

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