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おらぁ、東京さ行ぐだぁ的闘病記
   〜番外編24〜


悪い予感
2006年10月4日


■2006年10月4日(水)
今日は前回、再出血した後の経過を診てもらいに東京医科大へ行く。
あれから、一旦は出血も引いてきたのだが、先々週頃に再び軽い出血をしてしまった。
仕事でちょっと眼を酷使するとダメの様だ。
酷使と言っても、紙に記載されている名前のリストとパソコン画面のリストを見比べてチェックをしていただけで、通常であれば酷使でも何でもない事だが、今の僕には負担の重い作業だった様だ。

東京医科大での診察は14:30からの為、今日は日帰りで、しかものんびり出発しても構わないので楽ちんだ。
ちょっと早目ではあるが12:30に東京駅に着いて、途中、新宿の麺通団で昼食を取ってから病院へ向かう。

病院2階の眼科の2番の前の長椅子に座って、一息ついた頃、名前を呼ばれて、まずは眼圧の測定から。
最近はほとんど眼や頭も痛くなる事は無かったが、結局眼圧はやや高めの24mmHg。
接触式の眼圧測定器でも23mmHgだった。
(ちなみに右眼はどちらの測定器でも14mmHg)
次に視力の測定だが、当然、そのままでは目の前にかざした指の数が辛うじて分かる程度にしか見えないが、矯正するとかなり見える様になる。
しかし、以前の時の様に、感動するくらいくっきりとは見えず、少しモヤがかかっている。
後嚢(水晶体の入っていた袋の後ろ側の膜)に血のりが付いてしまったのかも知れない。
折角そういう事になら無い様に入院していた時と同様、上半身を起こして寝る為にローソファにもたれて寝ていたのだが、その甲斐もなかったと言うことか。

診察前の検査が終わると再び廊下の1番の前の椅子に腰掛けて待っていると、館内放送が入る。
病院内からの通報により、現在、病院の周りに数十台の消防車などが来ているが、火災は起きていないと言う内容。
好奇心旺盛な僕としてはすぐにでも見に行きたかったが、その時は1番の中待合室に居て、いつ先生に呼ばれるか分からなかったので、我慢をするしかなかった。
ああ、見たかったなぁ、病院を数十台の消防車が取り囲んでいる所を。
30分ほどして名前を呼ばれる。(だったら、見に行けばよかった)
診察は後藤先生ではなく、臼井先生という若い先生で、この人もインターンかな?。
診察室の一番奥の机にいる後藤先生が、「エコーも撮っておいて」とか指示をしている所をみると、後藤先生の診察の前の露払いというか、診察の練習なのだろう。

エコーも撮り終えると、いよいよ後藤先生の診察だ。
まず最初に藤田学園の堀口教授に「もう来なくていい」と言われたので、その後は病院へは行っていないと伝えると、「ダメじゃないか」と叱られてしまった。
今は眼圧がちょっと高いくらいだから良いものの、これがもっと高い状態が続くと、眼が治っても見えなくなると言われた。
僕は「すみません」と言ったが、本来、僕が謝る事ではない。
「もう来なくていい」と言った藤田学園の堀口教授が謝るべきことあり、僕は医者の指示に従っただけなのだ。
これからは医者の言っている事を鵜呑みにしないで、自分なりに考える事も必要だという事を肝に銘じておこう。
(とは言いってはいるが、今も病院へは行っていない)

後藤先生の診察では、腫瘍の一部が少し大きくなっている様に思われるとの事。
そして、この前(8/28)、眼圧を下げる為に前房水の水を抜いた時の水をチェックした所、陰性と陽性のギリギリの値で、微妙な結果だったらしい。
この前房水による判定は後藤先生が始めた方法で、色々な患者の前房水を集めて、その中からマーカーになる物を見つけてその値で陰性か陽性かを判定する。
後藤先生が学会などで発表を行い、他の医師も利用しているそうだがまだ確立した方法では無いと言うことだ。

更に、水晶体の入っていた袋(後嚢)に血が付いていて、眼底がスッキリ見えないので取ってしまう事になった。
入院した時、水晶体を取る際、前嚢は取ってしまったが、後嚢は今後、眼の状態が良くなった時、人工レンズを入れやすくする為に残していたが、前房水の検査結果の通り、今はそんな悠長な事を言っていられる状況では無い。
再来週(10/16)に国立がんセンターで鈴木先生の診察があるが、その時に鈴木先生が診察し易い様にとの配慮だ。
後嚢の取り方は切開して切り取るのでは無く、レーザーを当てて吹き飛ばすと後藤先生は説明してくれた。
別室に移って、スリットランプの様な赤い光が点いている機械の前に座り、麻酔の目薬をしてその機械にアゴを載せ、オデコを付けるといよいよ始まる。
最初はレーザーと言うからにビビビっとやるものと想像していたら、カチ、カチとなんとも安っぽい音がして、どうやらこれがレーザーを発射している音らしい。
この手術(これも一応、手術らしい)をやっている時も術後も痛いと言うことは無いが、10分くらいの手術の間、眼を動かさないでいる事が大変だった。
これと言って目印にする物が無いので先生の手の一部を目印にしていたら先生が動くとそれにつれて眼も動いてしまうし、焦点を合わせず、ボーっと見るという事もやったが、
これも次第に視線が下に移動してしまってダメだった。
本当に、眼を動かさないでいるのは難しい。

術後、診察室へ戻り、再びスリットランプで眼底を覗くと良く見える様になった様で、やはり腫瘍の一部が大きく成っている様に思われるという事だ。
(ただ、明確に「大きくなっている」とは言われなかった)
2−3日後に学会で鈴木先生と会う機会があるので、今日の結果を連絡しておくとの事で、本日の診察は終了。
10/16の8:30から後藤先生の診察の予約を入れていたが、今はもう何もする事が無いので、それはキャンセルする事になった。(10:30から鈴木背先生の診察の予定)
『何もする事が無い』というのは、つまり10/16は腫瘍が生きているか死んでいるかの判断を鈴木先生の方で行ってもらうと言うことで、今はもう出血が云々と言っている時ではない。

死んでいると判断されれば、そのまま今後も経過観察が続く事になるだろうが、生きていると言う事になれば、治療のステップに移らなくては行けない。
その場合、僕はもう眼球摘出をする事に決めている。
いつまでも「生きているか、死んでいるか」などと宙ぶらりんの状態でいる事はイヤなのだ。
でも、「生きているか、死んでいるか分からない」と言う場合はどうすべきか・・・

レーザーをやったばかりの時は、視野もぼやけていてよく分からなかったが、翌日になって眼の中が落ち着いてくると、去年の6月に初めて出血した時よりも明らかに視野の欠損が大きく成っているのが自分でも分かる様になった。
実は視野の欠損拡大は今年の7月に出血した血を抜く手術をした後から気が付いていたが、それは後嚢に血が付いていて、その為だと思っていたが、どうやらその時には既に欠損していた様だ。
つまり、去年の6月から今年の7月の間に視野欠損になったという事だ。
視野欠損の原因が腫瘍の拡大と関連しているかは不明だが、それは16日に判断されるだろう。
それまで、首を洗って待っているほか無い。


2006.10.9記

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