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おらぁ、東京さ行ぐだぁ的闘病記
   〜番外編25〜


判決のとき
2006年10月15〜16日


■2006年10月15日(日)
浅草に着いたのは11時前だった。
今日は浅草演芸ホールで落語を聞く予定にしている。
なんてったて、今回の出演者はすごい。柳家小さんの襲名なんだそうで、有名所では春風亭小朝、林家正蔵、いっ平、日替わりで橘家圓蔵などなど、豪華メンバー。
その煽りを食って、他の演芸場は地味な出演者になってしまっている。

開園は11時40分からなので、少し時間もあるし昼飯も食っておきたい。
折角だから天丼がいいなぁと思ったがどの店も営業は11時半からしか開かない様子。
仕方がないので、仲見世をウロウロとしつつ浅草寺に向かう。
浅草は今回で4回目なので、もう感動することはない。
ただ、途中のお店で「晋ちゃんまんじゅう」という安陪晋三首相の饅頭がさっそく売られているのを見つけた時は、その商魂に驚かされた。

浅草で旨い店というと『三定』という天麩羅屋しか知らない。
以前、TV番組で林家正蔵(当時、こぶ平)が紹介していたのを覚えていたのだ。
11時半になるのを待って店へ行く。
店内は至って普通の店で僕は1階のテーブル席に座ったが、2階には座敷があるらしい。
僕は上天丼となめこ汁を注文。
暫くして運ばれてきた天丼は中々の貫禄はあるが、土手の伊勢屋には敵わない様に思えた。
実際、味の方も僕としては土手の伊勢屋に軍配を上げざるを得ない。
伊勢屋のあの、ごま油の香ばしい香りにはちょっと太刀打ちできないだろう。
と言っても不味いわけでは決してない。
かき揚げも具がぎっしり詰まっているし、海老だってプリプリしている。
その上、値段も安い。

天丼を胃袋にかき込んだ後は浅草演芸ホールへ向かう。
12時頃なのでちょうど良い頃合と思ったら、入場券売り場には今から入っても既に立ち見になるとの札が掛かっていた。
立って見ていても、この先益々人も増えてくる事は容易に推測出来、座れるとは到底思えない。
初めて来た時は余裕シャクシャクで座れたのに、出演者によってはこういった事もあるんだと、次回からは注意しようと思った。
いつもよりも早く家を出てきたのだけれど、そういったワケで、今回はあきらめて駅へUターン。


どこへ行こうかと思ったが、とりあえず上野まで行く事にした。
特に行きたい所があるわけではないが、国立博物館でも行ってヒマを潰そうと思ったのだ。
上野駅で博物館で開催中の特別展のポスターを見つけ、それによればエジプトのミイラの展示を行っているそうだったが、「死体を見に行ってもなぁ」と、急に行く気をそがれてしった。
(後日、上野には『国立博物館』と『国立科学博物館』がある事を知った。ちなみにミイラの展示は国立科学博物館の方))
仕方がないので上野動物園でも行こうかと駅の出口に向かって歩き始めたとき、上野駅周辺の案内板を見つけた。
動物園の場所を確認しようと見たところ、上野駅周辺には沢山の美術館が有る事を始めて知った。
芸術の秋でもあることだし、その中でも国立西洋美術館へ行ってみようと再度目的地の変更。
駅を出て国立西洋美術館へ向かって歩いていると、途中『ダリ回顧展」のポスターが目に留まった。

ダリと言えば独特のヒゲをした凄く印象に残る変な絵を書く人で、僕にとっては好きな画家の一人だが、これまで実物の作品を見た事が無い。
早速、上野の森美術館へレッツ・ゴー!美術館の前に行くと、既に入場する人の行列が出来ていた。
チケットを購入し、その最後尾に付いて15分くらいで入場する事が出来た。
ダリで一番有名な絵と言えば『記憶の固執』ではないだろうか。
子供の頃、時計がグニャリと木の枝に垂れ下がっている不思議な絵を見たときから、他の画家と明らかに何かが違うと幼心に感じたものだ。
これまでダリの絵はそれほど多くは知らなかったが、こうした展覧会で沢山みるとドップリとダリの不思議な世界に浸ってしまう。
ダリの絵は隠し絵の様になっている事が多々あり、何かを訴えると言うよりも「ほら、面白いでしょ」と言う、軽い気持ちがダリの絵のとっつき易さだと思う。
もちろん、訴える内容も込められているのだが、そういった難しいことは僕にはヨクワカラナイ。



『記憶の固執』
 

『奇妙な廃墟の中で自らの影の上を心配でぶさぎがちに歩き回る、
妊婦に形を変えるナポレオンの』
・・・中央上の顔を良く見ると鼻は実は妊婦とその影だったり、
口や目も岩や山肌だったりする
 

全ての作品を見終えて、美術館から出ると先ほどの行列が5倍くらいに延びていた。
僕が入った時は丁度、昼食時だったので空いていた様だ。
本当は美術館のハシゴでもしようかと思っていたのだが、ダリを見ただけで足がクタクタになったので、もう銀座へ向かうことにした。

銀座を少しブラブラしてからホテルにチェックイン。

いよいよ明日、鈴木先生の診察で判決が下される。
とっくに眼球を摘出するつもりでいるのだが、それでもちょっとドキドキする。

■2006年10月16日(月)
今日は診察の後に久しぶりにMRIがある。
診察の予約は10時だがこの病院の場合、予約時間は有って無い様なもので、早く行けば早く診察をしてもらえるのだが、MRIが15時からなので、早く行っても仕方が無い。
ホテルでノンビリと朝食をとってチェックアウト。
今日は午後からのMRIの関係で昼食が取れないので、ドトールコーヒーで2度目の朝食を取って病院へ向かう。
流石にちょっと食いすぎで腹が苦しい。

病院で受付を済ませて待合室へ行くと早速、木村先生に呼ばれて眼圧や視力の検査を行う
眼圧は28mmHgで少し高い。
後藤先生に叱られたので、先週の火曜日に会社の近くの眼科で眼圧を測ってもらったが、その時は34mmHgだったから、少しは低くなっている。

再び、待合室の椅子に座って30分ほど待っていると、鈴木先生に呼ばれて診察室へ。
鈴木先生は眼底を見た結果や東京医科大での123T−TMP検査の結果から考えて、やはり腫瘍は生きていると判断された。
眼底を見たところ、腫瘍はもり上がってきているとの事で、僕が以前、視野が欠損している範囲が広がってきていると思っていたのは、硝子体切除手術(出血した血を取る手術)の際に、レーザーを当てた為で、腫瘍が広がっているせいではなかった。
それでは次にどうするかだが、更にレーザーを当てても腫瘍が分厚くなっているので効果は期待出来ないとの事。
そもそも、レーザーは放射線を当てる前に3度もやって効かなかったのだから、素人の頭で考えても更にやっても効くとは思えない。
そして再度放射線を当てたり重粒子治療を行った場合、眼球そのものが耐えられないだろうとの事だ。
部分的に腫瘍を削り取る方法もあるが、まだ治療の実績が少ない為、完治するのか不明である事と、手術後に出血を繰り返す危険性が高いので鈴木先生としてはあまり薦めないという意見。
僕は眼球を残す治療方針では無く、摘出をする事と動く義眼を希望したい旨を鈴木先生に伝えた。
更に、前の国立がんセンターの眼科医で今は東邦大病院で週に一度診察をされている金子先生に診てもらいたい事も併せて伝えた。
鈴木先生によれば、東邦大病院では腫瘍だけを削り取る方法も行われているそうだが、僕は眼球温存を望んでいないし、鈴木先生もまた、眼球を残すという事はひょっとしたら腫瘍を養い続ける事になるかもしれないと言われた。
もちろん眼球摘出をすれば100%安全と言うワケではないが、完治の確立が高くなるのは確かだと思う。

東邦大病院の金子先生あてに紹介状を書いてもらい、この後のMRIまで時間があるので胸部レントゲンと血液検査(採血)の当日予約をいれてもらう。
まずはカルテの入った黄色い袋を持って3階のMRIへ行き、カルテを預かっておいて貰う。
ラッキーにも検査が早く出来そうだという事で、とりあえずカルテを預かっておいてもらい、先にレントゲンと採血を済ませた後、戻ってきてMRIを行ったら今日の予定は全て終了。
結果は2週間後に電話をして鈴木先生から聞くことになっている。

今日は予定していたよりも早く終わったので、ついでに東邦大病院を見に行こうと思った。
別に行ったところで金子先生はいないし、診察をしてもらえるワケではないのだが、場所と行き方を確認しておこうと思ったのだ。
こういう所がA型である。

銀座線で渋谷まで行き、京王・井の頭線へ乗り換えて駒場東大前で降りる。
本当は西口から出るつもりだったが、間違って東口を出るとそこは東大駒場キャンパス。
東大があるかと言うわけでは無いだろうが、この街は妙に学生が多い。
それも小学生から大学生まで、病院へ向かうまでの間に沢山すれ違った。
静かな住宅街の細い道を抜けて行くのだが、学生が多いだけで活気が有る様に感じる。
駅から10分くらい歩くと病院に到着。
病院の外観は少し古ぼけた感じだったが、病院の中もやはり古ぼけた感じで時代に取り残された病院の様だ。
眼科は1階の一番端っこにあり、待合室が無い様子でみんな廊下の長椅子に座って待っている。
廊下は狭く、天井の低くさが圧迫感に拍車を掛けている。
こんなオンボロ病院で手術をしても大丈夫なのだろうかと、建物と治療には関係ない事は分かっているが、ちょっと不安になった。


2006.10.24記

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