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おらぁ、東京さ行ぐだぁ的闘病記
   〜番外編26〜


■東邦大学 大橋病院での診察
2006年10月25日
〜26日


■2006年10月25日(水)
東邦大学大橋病院に金子先生が来るのは毎週木曜日なので、水曜日のうちに東京へ行く。
午前中は会社で仕事をして、午後から出発。
今日中に東京へ行けば良いからこんなに早く出発する必要は無いのだけれど、まあいい。

名古屋駅で新幹線のキップの自販機で購入しようとしたのだが、どうも様子がおかしい。
指定席が表示が無く、買えないのだ。
他の自販機を見ても全てそう。
ふと自販機の横に貼紙を見つけた。
それによれば午前8時半ころに静岡駅で人身事故があり、その影響でダイヤが乱れている為、現在は指定席の販売は中止しているとのことだ。
そう言う事ならば仕方が無い、自由席のキップを購入し改札から入る。
改札を入ったところでは、駅の事務室(?)の前に清算の為に50人くらいの人が並んでいた。
その列を横切ってホーム上がると運よく、これから発車するのぞみに乗る事が出来た。
以前にもブラジル人が新幹線を見るために線路に入ってしまい、その影響でダイヤが乱れた事がったが、その時は車内はデッキまで満員で東京まで立って行くハメになってしまった。
今回はその時とは違いガラガラだったので座って行くことが出来、新幹線は滑る様に名古屋駅を後にした。

ところが、ラッキーだったのはここまで。
いつもの様に発車するや否や寝てしまった僕が眼を覚ましたのは、新幹線が駅でもなんでもない所で止まろうと減速している時だった。
名古屋駅を出発して30分しか経っていないのに、もうこんな、どこだか分からないところで止まってしまい、この先、いつになったら東京に着けるのだろうかとちょっと心配になってきた。
と言うのも、実は、東京に早く着いても仕方が無いので、いま上映中の「涙そうそう」を観にいこうと思っていたのだ。
予定していた上映時間は16:10からだが、こんな状態では到底間に合いそうもない。
せめて、ラストの18:50からの上映には間に合って欲しいものだ。
その後、新幹線は動いたり止まったりしながら、結局4時間近く掛けて東京に到着した

山手線で有楽町駅まで行き、マリオンに着いたのは17時半頃。
18:50からの上映には楽勝で間に合った。
映画館は全席指定なので、まずはチケットを購入してからホテルへ向かう。
まだ上映開始まで随分時間があり、チケット購入が早かったお陰で、席は劇場のど真ん中をキープする事ができた。
途中、ドトールでいつものイリアンサンドAとコーヒーを飲んで、更に銀たこでたこ焼きも購入してホテルで食べたら、腹がパンパンになってしまった。

上映時刻10分前にマリオンに着くと、映画のチケット売り場には長い列が出来ていた。
僕は早く買っていて良かったと思いながら、エレベータで劇場のある9階へ上がった。
劇場は既に大勢の女性で一杯だった。ラブ・ストーリーでは無いからそんなに多くは無いと予想をしていたが、全く違っていた。
周りは全部仕事帰りのOLの皆様で、強いて言えば女子高の中の男性教師の様だ。
もろん、男は僕だけでは無いが、他の男性は必ずカップルで来ていて、男一人で来ているのは間違いなく僕だけ。
何だか完全にアウェーな状況。
しかも右側の女性は手巻き寿司を食っているし、左側の女性はどこかで銀杏を踏んできたのか異様にクサイ。
ナンダカナァ〜の状況の中、映画は始まった。

映画の方は思った通り、ツマラナカッタ。
そもそも、物語が話しの途中で終わってしまっているのだ。
起承転結の結が無い。オチが無い。
「涙そうそう」と言うタイトルだから、にーにー(兄)が死んでしまうのは初めから分かっている事なのに、映画はそこで終わってしまっている。
僕にとっては長澤まさみがカワイイだけの映画だったが、手巻き寿司女も銀杏女も感動して泣いていた様だ。

どうやら、女性には好評らしい。

*「涙そうそう」
森山良子が、ライブで共演したBEGINと意気投合し、沖縄の曲を依頼した。
BEGINから送られたデモテープのタイトルに書いてあった「涙そうそう」は沖縄の言葉で「涙がぽろぽろこぼれ落ちる」という意味であると聞き、森山が若くしてこの世を去った兄を想う歌詞をつけた。
1998年に森山良子のアルバム『TIME IS LONELY』に収録された。
・・・Wikipediaより抜粋


■2006年10月26日(木)
今日は病院の予約は取っていないので、どれだけ時間がかかるのだろう。
この東邦大学大橋病院の予約システムは他の病院と違っていて、最初は紹介してくれる病院が予約をする事になっていて、患者では予約が出来ない。
でも、国立がんセンターの様に完全予約制では無いので、普通に行っても診察はやってもらえる。

視力検査は行って30分くらいで呼ばれたので、
「これは案外、早く終わるカモ」と思ったが、大間違いだった。
結局、それから2時間くらい待ってようやく呼ばれたが、別の金子先生だった。
この病院には金子明博先生の他に金子卓先生という若い先生もいる。
まずは金子卓先生に診察や眼底写真を撮ってもらった後に金子明博先生の診察を受ける。
久しぶりに金子明博先生に対面。
白髪も増えてなんだか少し、老けられた様。
僕が「お久しぶりです」と言って診察室に入ると
「ああ、どこかで見かけた顔だと思っていたら・・・」と言われた。

感動の再会は置いといて、本題へ。
僕の希望として
 ・摘出をしてもらいたいこと
 ・摘出手術は金子明博先生にやってもらいたいこと
 ・摘出後の義眼は動く義眼にしてほしいことこの3つを伝えた。
金子明博先生は金曜日に手術をしているという事で、11月17日に手術という事になった。
入院は15日で、退院は24日、手術は全身麻酔で行われる。
ピーコの場合は2週間で退院したと本に書いてあったので、「1週間で退院ですか」と聞くと「あなたは遠方から来られているので1週間ですけど、近くの人はもっと早いです」との事だ。
実は掲示板に時々書き込みをして頂いている”まてさん”にメールやチャットで色々と教えてもらっていたのですが、”まてさん”も1間で退院したと言われていた。

そして義眼については動く義眼にしてもらえる事になり、これは金子先生のHPでも紹介されていた様に、日本では認可されていないが、がん研究助成金による班研究の一つとして研究費でやってもらえる事になった。

「それから最近、アメリカで発見されたのですが、摘出した眼球の腫瘍を検査して転移しやすいタイプかそうで無いかを調べる事ができますが、どうされますか」と聞かれた。
どうもこうも無い、
「是非お願いします」と僕は頼んだ。
転移しやすいタイプだからと言って特別な治療法がある訳ではないのだが、検査する間隔を短くするとか用心する事ができる。
診察の後、手術の為の事前検査として「採血」「胸部レントゲン」「心電図」をやって本日は終了。
この結果と入院の申し込みを行うため、11月4に再び、病院に来ることになった。
摘出に向けて、大まかなスケジュールが見えてくるとちょっと緊張してくる。

2006.10.30記

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