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おらぁ、東京さ行ぐだぁ的闘病記
   〜義眼編@〜



■眼球摘出
2007年11月14日〜24日


■2006年11月14日(火)
明日からいよいよ眼球摘出の為、東邦大病院に入院の予定だが、病院へ行く時間は前日の午後、自宅へ連絡してもらう事になっている。
なので、前日から東京へ行っておいて、自宅で親が連絡を受け、それを僕に知らせてもらう事にしている。
そんなワケで東京へ来ているのだが、入院道具一式を詰め込んだカバンが鬼の様に重い。
どれだけ重いかと言えば、身体が変になるくらい重い。
それは誇張した表現では無く、本当に翌日は身体が痛くてまともに歩けなかった。
そんなにも思いカバンを持ってウロウロするのも大変なので、新橋でコインロッカーに預けてゆりかもめでお台場へ行く。
天気も良かったと言う事もあるが、何かモヤモヤとした気分を広い海でも見て少し晴らしてみたいと思ったのだ。
しかし、お台場へ来て早々、その予定は見事に裏切られてしまう。
お台場は東京湾に埋め立てられた人工の島だから、当然その周りは海だろうと思っていたら、これはどう見ても川。
潮の匂いはしないし、対岸にはコンビナートか何かの工場が見える。
本当は広い海を眺めてみたいと思っていたのに、ちょっと残念。
ゆりかもめを下車したお台場海浜公園ではウインドサーフィンをやっている人が3人ほどいたので、暫くそれを見ていた。
僕もウインドサーフィンが流行り始めた頃に何度か挑戦した事もあったが、バランスを必要とするスポーツが大の苦手で、結局ボードの上に立つ事は一度も無かった。
今日は天気が良い半面、風がメッチヤ強い。
最初のうちは海面(川面?)を凄いスピードで滑走しているのを見て、「東京者も中々やるなぁ」と思っていたら突然、サーファーが風に吹っ飛ばされて、海面に叩きつけられていた。
上手いからスピードが出ていたんじゃなくって、制御不能になっていた様だ。

昼食を取った後、フジテレビを見学。
ノープランでお台場へ来ているので、こんな所しか思いつかない。
フジテレビに来るのもこれで3回目なのだが、展示している物も以前とあまり代わっていないし、見る所がない。
その上、せっかく風が強いと言うのに女子高生のパンチラも無い。
本当に見る所がない。

少しは海っぽい景色が無いかと、潮風公園や船の科学館辺りを散策したが、やはりいくら歩けどそんな景色は無く、かと言ってこのままお台場を一周するワケにもいかない。
そういえば、お台場には何度か来た事があるが、ヴィーナスフォートには行った事が無かった事を思い出し、ちょっと覗いてみる事にした。
ヴィーナスフォーが出来たばかりの頃は入場料が必要だったと聞いたが、今は無料。そもそも、ショッピングモールなのだから入場料を取る事自体がおかしい。
建物の中は雑誌などで見ていた通り女性向けの店ばかりなのだが、2階に上がるとどこかヨーロッパの街並みの様な作りになっていて、歩く所は石畳で、天井は空が描かれている。
女性向けの店がほとんどだが、こういった趣向を凝らしている点は悪くない。

中には噴水もある 米米クラブのカールスモーキー・石井の作品が展示されていた


ヴィーナスフォートを出た後、再び海浜公園へ戻り少しブラブラして水上バスの出発時間を待つ。
最終便が17:15と早かったので、本当はナイトクルージングをイメージしていた僕はちょっとガッカリだったけど、夕暮れのレインボーブリッジも中々ロマンチック。
頭の中でクリストファー・クロスの『Arthur's Theme(邦題/ニューヨーク・シティー・セレナーデ)』が流れている中、船の甲板に座り、クリーム色のビルの窓の光の間から覗くオレンジ色の東京タワーを見ていると、「ああ、これは恋人たちの為の風景なんだなぁ」としみじみ思った。
甲板には僕と会社帰りのサラリーマンが5人。
本当は恋人たちの為の風景なんだけどなぁ。折角なので、写真を撮っておこうと思ったのだが、この肝心な時にバッテリー切れ。これまで、何度もこんな目に合わされて来ていたので、無事退院した暁には絶対にデジカメを買ってやるとレインボーブリッジに誓った。

■2006年11月15日(水)
ゆっくり起床。昨日、ヴィーナスフォートにいた時、母親から入院する時間について携帯に連絡があり、13:30に病院の入院受付に行く事になった。
それまで、時間があるので国立がんセンターのロビーで雑誌を読みながら時間を潰す。
12時少し前にようやく東邦大学大橋病院に向けて出発。
途中、薬局に寄って風邪薬を買う。
昨日、天気が良かった事をいいことに、お台場海浜公園で風に吹かれているうちに風邪をひいてしまった様だ。

病院には13過ぎに到着し、入院受付を済ませると4Fの病棟へ上がる。
病室は408号室、6人部屋だ。
パジャマに着替えた後、看護士に非常口やトイレなどの説明と共に、手術の準備についての説明も受ける。
今回の手術は全身麻酔で行われるが、国立がんセンターでレーザをやった時も全身麻酔だったが、その時とは随分意気込みが違う。
国立がんセンターの時にはやらなかった剃毛や浣腸などもやる様で、建物はボロいが万全の体制で手術を行う様だ。
(ところが、ギッチョンチョン、実際には剃毛や浣腸は行われなかった)
問診で「今回の手術を受けるにあたり、家族の方はどの様に思われていますか」と看護士に聞かれ、「心配しているけど、心配し過ぎじゃないかと思う」
と答えた。あまり回りの人が心配すると、こちらまで不安になってくる。
「僕としては床屋へ行く様な感覚なんだけど」
と言うと驚いていたが、でも本当の事なんだ。
髪が伸びたから床屋へ行って、眼が病気だから取ってしまうって感じ。

■2006年11月16日(木)
6時起床だが見回りも何もなく、8時に昼食。
診察も何も無いまま昼食も過ぎた頃から、急に慌しくなってきた。
13時過ぎに母と弟が病室にやって来た。父親は足が痛いから家で留守番。
暫くすると麻酔科で14:30から問診があると、看護士が伝えに来たが時間は既に14:30。
行く前にアンケート用紙を記入して下さいと言う事だが、そういった事は事前に言っておいて下さい。
大急ぎでアンケートを記入し、それを持って1階の麻酔科へ。
麻酔科ではアレルギーについての質問など聞かれたが、すぐに終わり病室に戻ると、いつの間にか個室に移る事になっていた。
隣のベッドで昼寝をしているUさんのイビキの大きさに、「大変な手術をするのにゆっくり寝れないだろう」と思った親心だが、僕はまったく気にならない。
事実、昨晩も普通に眠れていたし。
でも、やりたい様にやらせてやるのも親孝行というもの。
個室は508号室、5階にある。
トイレ、テレビ(PC兼用)、冷蔵庫など、国立がんセンターよりも設備は整っている。
個室だからなのか、入れ替わり立ち代り看護士がやってくる。
その上、優秀な人が多そう。
昨日の担当看護士はまだ新米の様で、手術の前に用意しておく物や手順なんかも少し間違えていた様だ。

5:30からは金子明博先生の説明。
金子明博先生の他、金子卓先生と高木誠三先生も一緒。
可動性義眼や手術の方法、リスクについて説明を受ける。

【可動性義眼手術の方法】
・眼球を摘出後、メドポールを埋め込み、そこに筋肉を縫い付ける
・その後、結熊でメドポールを覆う
・結膜で覆われた中にバイキンが入ると抗生物質が効かないので、感染の予防として、手術後2週間はまぶたを縫って、結膜がはみ出て来ないようにする

【リスク】
・感染症 (抗生物質が効かない)・義眼台を異物として反応し、体外へ押し出そうとする場合がある

【抗がん剤について】
・黒色腫に効果ある(効果の分かっている)抗がん剤が無いので東邦大病院では行ってない
・「効果があるかもしれないという期待」と「副作用」の天秤で、いつも議論になる。
・海外では抗がん剤は使われていない・ただし、希望すれば東邦大病院でも抗がん剤の実施は可能。

今日の夕食は普通に食べても良いが、夜の12時以降は飲食禁止。
水もダメ。
よいよ明日だ。

■2006年11月17日(金)
9時頃、事務の人が来て、この個室は20日から予約が入っていて他の部屋へ再び引越しをしなければいけないかも知れないと伝えにきた。
個室は快適だったのだが、こちらは飛び入りだったので仕方ない。

手術は12時頃からの予定。11時前からいよいよ手術の準備を始める。
まずは点滴をし、次に手術着に着替え、白いタイツを履きパンツを脱ぐ。
手術着を着ているものの、フルチンで白いタイツと言う姿は変態王子だ。
ところで、どうしてタイツを履くのかと言うと、手術中に血栓が出来てそれが脳や心臓に行かない様にする為だと、おとついの新米ナースが説明してくれたが、今となっては本当なんだろうかと・・・。

12時少し前に手術室へ向かう為のストレッチャーが運ばれてきた。
そこに寝て筋肉注射を打たれるとすぐに意識が朦朧として、所々しか記憶がない。

・・・ エレベーター ・・・・ 手術室へ向かう廊下 ・・・・ 手術台の上のライト ・・・

そして、左眼のフィナーレ

次に意識を戻したのは病室のベッドの上。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
まだ朦朧としていて今が昼なのか夜なのか、何がどうなっているのかワカラナイ。
左眼はもちろんの事、頭も痛く、痛み止めの座薬をやってもらったが殆ど効かないので点滴に変えてもらうと次第に効いてきて、また眠りにつく。
そして、酸素マスクが息苦しくて鼻に付けるタイプの物へ交換してもらった事を記憶している。

■2006年11月18日(土)
夜中に何度か目を覚ましていたが、看護士がカーテンを開けるまで、いつ朝になったのか分からなかった。
頭の方は随分良くなったが、眼はまだ少し痛いものの、思ったより普通にしていられる。
左眼は止血の為、ガーゼとテープできつく押さえつけられている。
気が付いたらまだフルチンだったので看護士にパンツを取ってもらい、やっと変態王子を卒業する事ができた。

昼過ぎには長野からコウイチの姉夫婦が見舞いに来てくれた。
旦那さんは僕と同じ会社に勤めていて、今は長野の子会社へ出向中だが以前は同じ職場でもあった。
時々本社に出張で来た時に見かける事もあり、今回の入院の前にもわざわざ僕の職場まで様子を見に来てくれた。
一方、お姉ちゃんとはもう何年も会っていない。
今年の5月から始めたブログ(なっちゃんの日記)によれば、何だか色々と美味しいものを食べまくっている様子で、その甲斐あってか、かなりふくよかになっていた。
僕も7月の入院以降、ちょっと太ってしまって人の事は言えないのだが。

■2006年11月19日(日)
眼を動かすとまだ少し鈍痛の様なものを感じるが、頭の痛みは昨日のうちに無くなった。

この部屋は凄く乾燥していて、ノドがカラカラ。
看護士に言ってマスクとイソジンのうがい薬もらう。
「部屋には濡れタオルを吊るしておくと良いですよ。」とのアドバイスをもらい、早速そうしたがすぐに乾いてしまうので、頻繁に濡らしていると徐々に乾燥も落ち着いてきた。
僕の場合、ノドが痛くなるのは風邪の前兆。
今回も同じで、入院前にひいていた風邪がぶり返してきて、鼻水と微熱。
のみ薬をもらったが効きそうになく、ベッドで一日寝て過ごす。

いけない事なんだけれど、携帯の電源を入れてメールをチェックしたら時々掲示板に書き込んで頂いている”まてさん”からメールが届いていた。
本当は16日に発信されていたが、メールチェックをしていなかったので、気が付かなかった。
まてさんには今回の手術を受けるに際して、メールやSkypeというチャットみたいなもので義眼や病院のことについて色々と相談に乗ってもらっていた。
人って分からない事があると不安になるので、経験者のまてさんに教えてもらってとても感謝している
早速、無事に手術が終了した旨のお礼のメールを送る。

■2006年11月20日(月)
手術後初めての診察(金子卓&高木先生)。
まぶたを縫っている所を消毒してもらったら、ちょっとしみた。
消毒の後は抗菌の軟膏を塗って、再びガーゼで保護だが、今度はもう止血の必要は無いのでテープは普通に止めるだけ。
診察の結果、思ったよりも腫れていないそうで、明日から風呂OKの許可がでた。
もちろん首から下だけなので、洗髪は看護士にやってもらう事になる。

11時過ぎに4階の411号室(6人部屋)へ引っ越す。
最初に居た408号室の向かいの部屋だ。
風邪は少しも良くならず、微熱も続いたままだが、他は特に何もない。
TVと読書と鼻をかんで一日が暮れて行く。

■2006年11月21日(火)
久しぶりに髪を洗ってもらったらサッパリして気持ち良い。
風呂にも入りたいところだが、火曜日は女性の入浴日なので、蒸しタオルを貰って身体を拭く。
風呂に入った程ではないけれど、少しはスッキリする。
今の季節はあまり汗をかかないので、7月に入院していた時の様な不快な状況にはならないので助かる。

2時過ぎに金子卓先生の診察があり、予定では金曜日に退院だけれど、来週の木曜日には診察があるのでそれまで入院していてもいいが、どうしますかと言われた。
入院していても退屈なのでやっぱり退院する事にした。>

■2006年11月22日(水)
左眼周辺はガーゼとテープで覆われていてまだ顔は洗えないので、蒸しタオルで顔の右半分だけを拭く事しかできない。
その為、特に眉毛の周辺が痒くて仕方が無い。
『隔靴掻痒』という言葉があるが、まさにそんな感じで、ガーゼやテープの上から掻いても少しも収まらず、イライラとカユカユで昨晩は中々寝付けなかった。
そこで今日は売店で耳かきを買い、ガーゼの隙間からコチョコチョと掻いたら、これの気持ちの良いことといったら・・・。

弟は今日まで休みを取って毎日見舞いに来てくれていたが、明日からは会社へ行かなくてはいけないので帰る。
母親も病室に来ても他の患者さんのお見舞いの方とおしゃべりするくらいしかないので、一緒に帰ることになった。
そうと決まると、宿にしていたウイークリーマンションからの撤収をしなくてはいけないので、さっさと病室を後にした。

そんな事をやっていて、気が付かなかったのだが、腹や足にボツボツと湿疹の様なものが出来ていてカユイ。
(気が付かなかったというのもどうかしているが・・・)
看護士に言うと皮膚科に受診する事になり、しばらくしてからヘルパーさんに付き添われて1階の皮膚科へ。
4つくらいに仕切られた診察室のうちの一つに入ると美人医師が3人いて、
「どうされましたか」と聞かれ、パジャマの上着を上げて湿疹の出来ているお腹を見せ、続いてズボンも下げて太ももに出来た湿疹も見せる。
レディーの前でズボンをガバッと下ろすのも変質者みたいだと思い、「チョットだけよ」といった感じで少しだけしか下げなかったら、「もっと良く見せてください」と言われたのでリクエストにお答えして、水玉模様のパンツも一緒にお見せすることにした。
元々、毎年秋頃になると乾燥肌の為にカユクなるのだが、今回は湿疹とのダブルパンチでカユカユだ。
結局、湿疹と乾燥肌のそれぞれに対するぬり薬を貰ったのだが、乾燥肌用はあまり効かない。
湿疹の方はまあまあ効いたのだが、腹の湿疹が収まると腕に出来て、腕が収まると次は腰に出来るといった具合で、一向に沈静化しない。
(これは退院してからも暫く続く)

■2006年11月23日(木)
微熱も依然と続き、その上、頭が少し痛いので、じっと寝て過ごす。

■2006年11月24日(金)
本日退院。
退院の前に金子卓先生の診察。

【片目になった時の注意事項】
・階段を下りる時の最後の一段を踏み外す事が多いので要注意
・歩道の段差のある所にはボツボツの突起がある所もあるので、それも段差有りの合図にする
・人にぶっかってトラブルが発生する事があるので、それを避ける為、杖を持って歩く事も一つの方法

入院費用は個室の分も含めて約24万円。
個室の費用が12万円で、それ以外の費用も大体それくらい。
可動性義眼台については研究費で賄われているとの事だが、実際にはどんな事が無料で、何が有料なのかは不明。

おとつい、母と弟が帰宅する時に使わない物(不要な着替えや読み終えた本など)は予め、宅配便で送っておいてもらったのだが、残った荷物だけでも、これらを担いで帰るのは退院したばかりの身にはつらい。
都合よく病院の斜め向かいに日本通運の事務所があったので、そこからパジャマや洗面等具などを詰め込んだカバンを宅配便で送ることが出来た。

体力が無く、昨日から体調も悪い。
しかし、そんな状態であっても昼飯は何か旨いものが食いたい。
とりあえず東京駅に向かったのだが、その構内の「黒塀横丁」と言うレストラン街こに沖縄料理の店を発見。
NHKの連ドラ「ちゅらさん」を見て以来(と言っても放送終了後、レンタルDVDで見たのだが)、すっかり沖縄ファンになってしまった。
その店で『そーきそば』を食べたのだが、これが中々の絶品。
これからは時々利用させてもらうことにしよう。

新幹線ではずっと寝ていたのだが、ちっとも回復しない。
名古屋駅にはヒトシが会社を休んで向かえに来ていてくれたが、体調不良の為、あまり話しは出来ず申し訳なかったが感謝している。
本当ならば喫茶店にでも寄って、話をしていきたかったが、この後、会社へ行くというので家に直行してもらった。
家には4時頃に着いたのだが、結局夕食までベッドで寝ていた。
夕食と風呂を済ませるとまたすぐに寝てしまった。



翌日以降も体調は回復しないままだったが、まだ自分で洗髪をしてはいけないので、1日おきに美容院で髪だけを洗ってもらいに出かけた。
そして退屈な病院生活の反動から、そのまま車でウロウロと出かけてしまい、レインボーブリッジに誓った通り、デジカメを買い替えた。

2007.1.1記


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