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おらぁ、東京さ行ぐだぁ的闘病記
   〜義眼編E〜



ともだち
2007年3月12日〜15日


■2007年3月12日(月)
東邦大大橋病院で眼球摘出手術を行った際、腫瘍の組織を調べて転移し易いタイプかどうかを調べてもらう事になっていたのだが、死んでいる組織を取り出した為、結局調べる事ができなかった。
そんな事もあり、東京医科大病院での核医学注射(123T−IMP)の検査を僕からお願いし、ガンの転移の有無を調べてもらう事にした。
予定では13日に注射をしてCTを撮り、24時間後の14日に再度CTを撮ってその違いを見る。
要領はいつもの通りだ。

12時半頃、病院に着くと入退院受付へ行く前に邦子姉ちゃん(母の妹)へ電話を掛ける。
おとつい入院する事を連絡した時、着いたら電話するように言われていたのだ。
電話をすると、こちらへ向かっている途中で、もうすぐ病院に着くとの返事。
邦子姉ちゃんを待っている間に入退院受付で手続きをしていると邦子姉ちゃんがやってきた。
手続きを済ませて一緒に15階の眼科病棟へ上がる。
ナースステーションで挨拶をすると看護士の戸部さんが今回の病室を案内してくれた。
去年の7月に眼球内の血を取る手術で入院した際も戸部さんに案内してもらい、戸部さんも僕の事を覚えていたようだ。
病室は1502号室で窓側のベッド。
天気も良く、見晴らしは良い。6人部屋なのだが、僕以外では2人だけで、他のベッドは空いていた。
邦子姉ちゃんは花瓶と家の裏に咲いていたと言う水仙の花を持ってきてくれた。
たとえ動かない植物であっても、「生もの(なまもの)」があると少しは気分が違う。
この病院に入院するのも今回で4回目くらいなので、トイレの場所やお風呂の予約の方法など、入院生活に関する一般説明は無し。
診察も今日は無いので、何もやることは無い。
邦子姉ちゃんも居ても仕方がないので、4時半頃にまた来るから夕食は一緒に外で取ろうという事になり、邦子姉ちゃんは何処かへ出かけて行った。
僕は外出の許可を取った後は、本を読んだりして時間を潰した。

4時半過ぎに邦子姉ちゃんが来たので、少し早いが夕食に出かけた。
出かけたと言っても病院の向かいにある”I−LAND”という所。ここのグルメ街に行ったのだが、殆どの店がまだ準備中。
どこか空いている店はないかとグルグル回っているうちに5時になり、ぼちぼち店も営業を始め出した。
僕たちはその中の「吉座」と言う、しゃぶしゃぶの店に入る事にした。もちろん注文するのはしゃぶしゃぶセット。
ビールも飲みたいところだが、検査だけとは言え一応は入院中の身なのでガマンする。
セット料理は豚しゃぶ、牛しゃぶはもちろん、刺身やうどん、デザートも付いている。
どれもメチャメチャ旨い!とは言えないが、新宿で食べきれ無いくらいのボリューム(結局、うどんとデザートは食られなかった)があって、一人4000円でおつりが来ると言う店は少ないのではないか。
食事を済ませると邦子姉ちゃんと別れ、僕は病院へ戻った。

病室で家から持ってきた本を読んでいると今回の担当医の村瀬先生が来た。
村瀬先生は去年の夏に硝子体手術(眼内出血の血を抜く手術)で入院した時も担当医だった。
村瀬先生に付いて診察室へ行き、右眼の眼圧や視力、眼底検査を行った。
当然だが、問題はない。
でもそれはとても重要な事だ。

■2007年3月13日(火)
今日は検査初日。
9時からの予定だが、8時40分ころに看護士から、「来て下さいと連絡がありました」と言われて3階の核医学検査の受付窓口へ行く。
窓口の前の椅子に座って少し待っていると呼ばれたので検査室へ入る。
毎度の如く、“未来の注射器”で注射をして直ぐにCTで検査をする。
検査は20分くらいだが、少し寝てしまった。これが済むと今日の予定は全て終了。
届けを出せば外出をしてもいいのだが、行きたい所もないので本を読んで過ごす。

家から持ってきた本は漫才の品川庄治の品川ヒロシが書いた「ドロップ」。
小耳にはさんだ所では、面白くてとても売れているらしいと言う事なので買ってみたのだ。
品川の中学生時代をベースにしているのかどうかは知らないが、物語は不良にあこがれて、不良少年として過ごした中学生時代を面白おかしく書かれている。
強いて言えば、同じ不良少年時代を描いたゲッツ板谷の「ワルボロ」の方が数段面白く(こちらも作者の不良時代をベースにしている)、友情がテーマという所も僕にはグッとくる。
出来ればこの「ワルボロ」を映画化して欲しいのだが(監督には井筒和幸を指名したい)、多分ムリだろなぁ。
巨人の星の花形満じゃあるまいし、中学生なのに車を乗り回していたりするんだもん。

夕食を済ませて雑誌を読んでいたら(「ドロップ」は既に完読)、ワカヨがやってきた。
彼女は小学校と中学時代の同級生。
もう20年以上も逢っていないのだが、ネットをしていたらひょんなところで彼女の名前を見つけたのだ。
それでメールをやり取りしているうち、「小学校のクラス会がやりたい」と言う彼女のリクエストにお答えすべく(中学では別のクラスだったので)、連絡を取り合っている時、彼女へ今回の入院の事をメールしたら、「見舞いに行く」との連絡があり、今日、横浜から子供2人を連れてやってきたのだ。(長男は塾のため今日は来ていない)
卒業して随分経ち、もちろんオジサン&オバサンになっているのは仕方が無いが、それでも三つ子の魂百までと言うのか、ハキハキとして元気な所は変わっていない。僕は小学校時代の友達とはすっかり疎遠になっていて、その上、引越しもしているので皆が今どうしているかについては全く知らないのだが、その点、彼女は児童会の副会長をやったり、女子大生時代にはラジオのリポーターをやったりと、元来行動的なので(そんな性格なので、子供を連れて横浜から見舞いに来てくれたワケなのですが)、今も当時の友達とは連絡を取り合っているのだろう、「○○君はまだ実家に居るはず」とか、僕の知らないローカルな情報を色々と聞かせてもらった。
中でも驚いたのは、中学時代の同級生で『駒田一』と言うヤツがいて、彼とは2年生の時には同じクラスだったのだが、その彼が今、ミュージカル俳優をやっているとの話し。
それも、売れない役者では無く、『屋根の上のバイオリン弾き』や『レ・ミゼラブル』と言った有名な舞台に出ているそうだ。(皆さん、応援よろしくお願いします)
駒田君の活躍や3人の子供を育てているワカヨを見ていると高い山をコツコツと登っていて、「何かを成し遂げようとしている」といった風に思え、それなのに僕はと言えばまだ病院から抜け出せないでいて、彼らが僕よりもずっと山の高いところを登っている様に感じた。
でも今は焦らないでおこう。
「もう日にちを決めよう、ぐずぐずしていたらちっとも進まないし」とカレンダーを見ながらクラス会の日取りを思案するところは、行動派のワカヨらしい。
「ちょっと先になるけど、6月30日なんてどう」と言うことでその日に決まった。
今日はワカヨが来てくれて楽しかったが、クラス会でもみんなが集まればもっと楽しいだろうな。

■2007年3月14日(水)
9時半頃に呼ばれて核医学へ行き、CTで検査(撮影)をする。
昨日と今日の画像を比較して、腫瘍の有無を調べるのだ。
CTが終わると病室へ戻って退院の準備をする。
荷物をカバンに詰め終え、暫くすると眼科外来から呼ばれ、退院前に後藤先生の診察を受ける為、カバンを持って2階へ降りる。
診察と言っても、今日はまだ検査結果は出ないので、ちょっと話しをする程度で、結果は3/28に来て聞く事になった。
会計を済ませ、入院道具一式の入ったバッグを宅配便で家に送る手配をする。
東京医科大での入院は今日までだが、明日は東邦大の金子先生の診察と義眼の水島先生のところへ行かなくてはいけないからだ。
その為、入院道具が入った重いバッグを持ってウロウロするのは大変なので、一泊する分の荷物だけを抜いて、他は全て家に送ってしまうのだ。

宅配便の手続きを終えると、昼食をいつもの麺通団でとった後、上野に向かう。
今、東京都美術館で『オルセー美術館展』と言うものをやっていて、それを観にいくのだ。
この催し物を知ったのはワカヨのブログで彼女が観に行ってきたと書いてあったので、ヒマな僕はちょっと覗いてこようと思ったのだ。
上野公園は平日だというのに人が一杯。
すっかり春気分で、ベンチで昼寝をする『大人版・家なき子』たちを横目に、看板の案内通りに歩いていくと何故だか国立博物館に出てしまった。
東京の案内表示にはいつも翻弄されてしまう。
遠回りしてようやく東京都美術館に到着し、『オルセー美術館展』のチケットを購入して中に入る。
説明によればオルセー美術館は原則として2月革命(何の革命かは知らない)のあった1848年から、第一次世界大戦が勃発した1914年までの作品を展示することになっており、それ以前の作品はルーヴル美術館、以降の作品はポンピドゥー・センターといった具合に役割分担がなされているそうだ。
と言う事は、僕の好きな印象派はドンピシャなのだ。
それを知っていて来たのではないのだけど、ラッキーだった。
モネ、ミレー、ゴッホ、ゴーギャンなどと言った、美術の教科書で見た絵の本物が生で見られるのはとても興奮することだ。
どれもこれも皆、凄い絵ばかりで、始めのうちはじっくり見ていたが、2時間くらいもすると流石に足がクタクタになる。
なので、終盤は気になる絵だけを見て、他はスルーしていた。

東京都美術館を出た後は有楽町へ向かった。
足が疲れてしまったけど、ホテルへ行くにはまだ日が高いので映画でも観て行こうと思ったのだ。
もちろん、そんな事もあろうかと事前にどこでどんな映画をやっているかはリサーチ済みで、結局、『バッテリー』と言う少年野球の映画を観ることにした。
この映画は児童小説が原作になっていて、本屋では文庫本が平積みになっているのを良く見かける。
時間があれば読んでみようと思っていたのだが、全部で6巻くらいあるので中々手が出せないでいた。
次の上映時間までには1時間以上あったが、全席指定席だったので良い席を確保しておく為、予めチケットを購入。
その後、SUBWAYのサンドウィッチで小腹を満たしてから、本屋でブラブラと時間を潰してから再び有楽座へ。
僕の席の前には野球が好きそうな小学生たちが6人、ワクワクしながら映画が始まるのを待っている。
僕は映画や寄席で、前の席の背の高いヤツのお陰でスクリーンや舞台がちゃんと見えないといった事が多いので、今回も上映中に騒がなければいいなと思っていたら、みんな行儀良く観ていたので助かった。
映画は少年野球のスター選手でピッチャーとしての才能に絶大な自信を持っている反面、周囲の人間には決して心を開こうとはしなかった原田巧が、同級生の永倉豪やチームメイトと心を通い合わせて成長していくと言う物語。
少年たちの戸惑いながらも友達を想う真っ直ぐな気持ちがサイダーの様にさわやかな映画でした。

夕食後、テレビを見ていたら”フジッコ”から電話。
”フジッコ”と言ってもごはんにかけるヤツでは無く、中学時代のクラスメイト(男)だ。
そもそもワカヨと連絡を取る様になったのも10数年振りに彼と会った事が発端だった。
一緒にメシを食いながら他の連中(もちろん、女子)はどうしているかという話になり、その時フジッコが持っていたパソコンで検索をしたところ、ワカヨの名前が出てきて、もしやと思いプロフィールを見てみると間違いなくあのワカヨだった。
そこでフジッコがワカヨに「お久しぶりです、フジッコです。
今日、久しぶりにhiganと会いました」とか、なんとかメッセージを送ったところ、ワカヨから僕の方へもメッセージが来て・・・・ということなのだ。

閑話休題。
フジッコからの電話は中学のクラス会の誘いだった。
小学校のクラス会に続き、こっちでも懐かしい面々と会えるのかと思うとワクワクする。(フジッコとは小学校は違う)
でも5月2日というGW真っ最中の日程はどうなんだろう、みんな旅行とかに行ってないだろうか。
ちょっと心配。

■2007年3月15日(木)
今日はまず、東邦大大橋病院の金子先生の診察を受ける。
予約は10時半からだったが少し早く呼ばれ、もう腫れも無いので診察はあっと言う間に終わった。
次回の診察は6月14日で、ずいぶん先になった。
昼食はいつもの店でとろうと思っているのだが、あまりにも診察が早く終わってしまったので、病院の向かいにある薬局で雑誌を読んで時間を潰した。
昼食の後は王子へ向かう。
今日はいよいよ、仮義眼を卒業して自分に合わせた義眼を貰う。
1月の末に仮義眼を2個送ってもらい、はめてチェックしたところ少し目の向きがずれていたので、義眼に印しを付けて、それと一緒に写真も同封して先生に送っておいたのだ。
近くに住んでいれば、王子へ伺って先生に実際に見てもらい調整をしてもらうのだが、遠方なので仕方が無い。
今回も仮義眼の時と同じ様に2個の義眼を作って頂き、普通のものとそれよりも少し白目が赤いもの。
健常眼も日によって違うので、それに合わせて変えて使ってくださいとのことで、もちろん1個分の値段。
他の義眼屋でも2個も作ってもらえるのだろうか。
支払いをする時、例の“潤い目薬”と呼んでいる義眼の潤滑剤を追加でもう1本購入した。
もう先生の手元には3本しか残っていない貴重な代物。
次に入手出来るのは11月になるとのこと。
僕が今使っている目薬はそんなに先までは持たないので、別の方法で手に入れることを考えなくてはいけない。
今回で義眼の製作は完了。
これから数年間はこの義眼で暮していくことになる。
どうぞよろしく。

2007.5.6記



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