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おらぁ、東京さ行ぐだぁ的闘病記
   〜義眼編N〜



線路は続くよどこまでも
2007年12月9〜10日

12月 9日(日)
11時過ぎには大宮のホームに降り立っていた。
何故、大宮にいるのかと言うと今回は鉄道博物館へ行く計画なのだ。
大宮からニューシャトルと言う、お台場の"ゆりかもめ"の様な、車輪がゴムのタイヤなっている電車に乗って向かう。
鉄道博物館駅は鉄道好きの人の為の様な駅で、博物館へ向かう通路の床には昔の時刻表が書かれている。
そして博物館の方と言えば、さすが鉄道博物館だけの事はあり、入館料を払う際にはPASMOが使える。
しかもそのPASMOがそのまま入場券代わりになる。(だから、入場券は出てこない)

  
 
博物館へ入った僕はまず早速メシを食おうと思い、入場ゲートの正面にある"日本食堂"へ向かった。
ここはかつての食堂車の代名詞、『旅のレストラン 日本食堂』の名にふさわしく、当時食堂車で提供されていたメニューを中心に、豊富なメニューを取り揃えているとの事で楽しみにしていたのだが、生憎の長蛇の列の前にあっさり方針転換。
鉄道と言えばやっぱり駅弁だろうと、日本食堂よりは並んでいる人の少ない駅弁の列に並び、『日本縦断弁当〜北海道編』を購入。
弁当を買ったら次は食べる場所を探さなくてはいけない。
館内にはイスとテーブルが置いている場所も何カ所か有り、館内案内のリーフレットを見て、あちらこちら見て回ったが、どこも既に満席。
どうしても無ければ、床にでも座って食べるしかないが、できればもう少し上品に味わいたい。
いよいよ、床に座って食わなくてはいけないかと思い、人の往来の少ない、座りやすそうな場所を探し始めたところ、展示している列車の中には飲食可能な列車があるとの掲示板を発見。
そうか、そうか、駅弁なのだから、列車の中で食べなきゃ雰囲気でないよな。
そっさく、お目当ての列車を探すと、そこは思いのほか空いていて、のんびりと弁当を食べる事ができた。
展示列車での食事は案外知らない人が多い様で、僕がその列車を出るまで満席になる事は無かった。
さて、僕が買った『日本縦断弁当〜北海道編』は『鉄子の旅』と言うマンガの作者である菊池直恵がプロデュースしたそうで、北海道の食材を使った幕の内弁当。
北海道の食材と言っても、それらしいのは鮭とイクラぐらいなもので他は普通の幕の内弁当と変わりはない。(あっ、でも美味しかったです)



食事の後は展示されている列車をダラダラと観て過ごす。
や実際にミニ列車を運転出来たり、新幹線や山手線などのシミュレーターものもあるが、事前に予約が必要だったり、日本食堂以上の長蛇の列が出来ていたので初めから諦めている。
ブラブラ歩いていると"カルダン駆動体験"というのをやっていて、ここは3人しか並んでいなかったので、とりあえず僕もその後に並ぶことにした。
カルダン駆動が何かは分らずに並んだのだが、前の人のやっている様子を見るとどうやら目の前のモータやギヤをレバー操作で回転させたりブレーキを掛けることによって、電車の発進や停止をさせるようだ。
係員の指示に従ってやるわけだが、これが単純な割におもしろい。
発進と停止だけなのですぐに終ってしまうのだが、子供などはやり終えると、またすぐに列の後に並んで、何度もやっているようだった。

鉄道と言えば、僕は小学生の頃、蒸気機関車にハマっていた事があり、機関車の絵葉書を集めたり、パネルを部屋に飾っていたりしていた頃があった。
でも実物を見る機会は無く、今日が初対面。(本当は大阪の交通科学博物館で見ているハズなのだが、アホので記憶に無い)
今更ではあるが、機関車の車輪のデカさには少なからず感動を覚える。
空気抵抗など物ともせず、力ずくでガムシャラに進んでいくこの大きな車輪が小さな事に囚われていてはダメだと教えてくれている様だ。


博物館の一番奥には新幹線も展示されている。
多分、一番初期のタイプのヤツだろう。
僕が通っていた中学校の教室の窓から500mくらい先に東海道新幹線の高架が見え、週に1度(2度の時もあったと思う)、黄色い新幹線が走っていくのが見えた。
ドクターイエローと呼ばれるこの黄色い新幹線は走りながら線路の検査をしているのだが、当時はそんな事は知らず、何か特別なひかり号といった感じで見送っていた。
しかし、毎週水曜日(だったと思う)の午前10時過ぎ、もしくは午後3時ちょっと前に走り去って行いく黄色い新幹線を、待っていたのは僕だけでは無かったと思う。
その時刻が近くなってくると教室が少しソワソワし始めるのだ。
退屈な授業にウンザリしている時、窓の外を黄色い直線を引いて走っていく新幹線に特別なもの期待していたのだろう。
ひょっとしたら、黄色い新幹線が幸せを連れてきてくれると思っていたのかもしれない。
中学を卒業してから一度も見たことはないが、僕らが過ごしたあの教室の窓からは今でも幸せの黄色い新幹線は見えるのだろうか。

ブラブラとあっちを見たり、こっちを見たりしていたが、列車だけを見ているとさすがに飽きてしまった。
ここで1日を過ごすつもりでいたのだが、とても出来そうもないので東京へ戻ることにした。
有楽町に着いたのが16時半頃だったので、映画でも観ようと思い近場の映画館をぐるりと回って、結局マリオンの丸の内ピカデリーで『マリと子犬の物語』を観ることにした。
ただ、上映が始まったばかりだったので、次の回のチケットを買い、とりあえずホテルに向かった。
ホテルでちょっと一服してから、最近よく行く、『勝よし』のヒレかつ定食で夕食を済ませて映画を観る。
映画は2004年に起きた中越沖地震の被災地、山古志村で生き抜いた母犬マリと3匹の子犬たちの物語。
映画の最初に日テレのマークが出て、「あっ、しまった」と思ったが、時既に遅しである。
TV局の絡んだ映画はCMをバンバン放送するので話題作になるのだけれど、内容が陳腐な物が多い。
例えば、「日本沈没」や「涙そうそう」、「海猿」、大抵がテレビドラマ風の映画になってしまうのだ。
今回の『マリと子犬の物語』もその法則からは逃れられなかった。

映画を観終り、ホテルへ帰る途中、青いクリスマスツリーを発見。
音楽に合わせて、白い光へと変わっていくのだ。
ついでと言ってはなんだが、ミキモトのツリーも見に行ったが、こちらはちょっと色合いがイマイチだった。


12月10日(月)
7時30分。
前日に携帯のアラーム設定したプリプリの『ダイヤモンド』で起床。
今日はMRI検査があるので、朝食はダメ。
けれど、コーヒーくらいはいいんじゃないかと自己判断で、1階の喫茶店へ行く。

8時半に病院に到着。
今日はMRIのほか、採血とレントゲン、鈴木先生の診察もある。
自動受付機で受付を済ませるとまずは採血から。
待合の椅子に座って待っている間、テレビを見ていると咽頭ガンで活動を停止していた忌野清志郎がジョン・レノンの命日(12月8日)に行われた『ジョン・レノン スーパーライブ』で復帰した模様が紹介されていた。
僕の後ろに座っていた70歳くらいのお婆さんが「あら、清志郎よ」と隣に座っていた別のお婆さんに言っていた。
お婆さんと清志郎と言う、恐らくどこにも接点が無いと思える二人だが、互いにガンと闘っている同士の様な気持が彼女にはあるのかもしれない。(でも、本当に清志郎のファンだったりして・・・)

採血の後、胸部レントゲン・MRIを済ませて眼科で診察。
鈴木先生とは今後の診察の方針について話をした。
現在は眼球の摘出も行ってはいるが、検査をしていく事は重要。
しかし、転移が見つかっている訳では無いので半年に1度くらいの割合で良いでしょうとの事。
僕も頻度はそれくらいで十分だろうと予め思っていた。
今日の検査の結果について、問題があれば電話をもらう事にして(鈴木先生の覚えとして、予約をいれておいてもらう)、今日は終了だ。

会計を終わったのが11時だったので、久し振りに築地市場で食事をしようと思い歩きだしたが、もっと長く行っていない土手の伊勢屋で天丼を食べる事にした。
店に着いたのは11時半過ぎで、まだ開店時間(11時45分ころ開店予定)には少しあり、珍しく誰も並んでおらず、店の前の丸イス座って待っていると直ぐに呼ばれて店内に入ってビールと天丼の"ろ"を注文する。
最近、『ミシュラン・ガイド・東京』が発売されて話題となっているが、この土手の伊勢屋は掲載されていないらしい。
本を見た訳ではないが、台東区の店は1軒も載っていないとの事なので、きっとそうなのでしょう。
テレビで紹介されたり、ガイドブックに載ったりしてお客が増える事はお店にとって良いことなのだが、その為に味が落ちたり、今までの常連さんが行き難くなる事があると聞いたことがある。
だから僕としては、土手の伊勢屋はずっと『ミシュラン・ガイド・東京』に載らないでいてもらいたいと思うのだ。


2008.2.9記



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