Back  Index Next 

おらぁ、東京さ行ぐだぁ的闘病記
   〜義眼編 (23)〜



変わっていく・・・
2011年 12月18〜19日
12月 18日(日)
「進行方向左に富士山が見えます」という車内アナウンスに促されて窓の外を見ると、快晴の空の下に少しだけ雪を被った富士山が見えた。
少なくとも年に2回は上京しているのだから、もっと見ていても良さそうなものだが、大抵は寝ているのであまりお目にかかった事がない。
今日は高尾山に登る予定で、天気が良ければ展望台から富士山や東京スカイツリーが見えるらしい。

新横浜で降りて八王子経由で行くのが最短ルートはなのだが、乗り換えが多く成り(と言っても2回だけど)面倒臭そうなので、今回は東京駅から中央線で行こうと思っていた。
けれど、東京駅に着いたら何だか体調がすぐれない。
乗り物酔いをした様な感じで、少し寒気もする。
一昨日の夜、焼酎のお湯割りを飲んでそのまま炬燵で寝てしまい体調が万全では無い。
それでも、中央線に乗ってはみたものの、やっぱりダメ。
たとえ東京スカイツリーよりも低いとは言え、寒空の下での登山だ。
ここは勇気ある撤退と言う事で、予定変更。
神田駅で下車し、浅草演芸ホールへ向かう事にしたが、ここからだと新宿の末広亭の方が近いかもと、そんなこんなで、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりと地下鉄でウロウロしたが、結局寄席で笑っているうちに体調不良もどこかへ行ってしまい、昼の部が終わった時はすっかり元に戻っていた。
(翌日の新聞にはスカイツリーの第一展望台から富士山が見えたと載っていた。あぁ、残念。)

銀座駅から歩いて宿に向かう道すがら、晴海通りも最初に来た時から随分変わったなぁとしみじみ思った。
歌舞伎座の立替はもとより、昭和通りとの交差点にあった"日の出や"は無くなっていて、Golf Barなんぞに変わっていたり、ぬいぐるみを売っていた店も違う店になっていた。
銀座という街は何だか盆暮れくらいにしか会わない親戚の子の様で、半年振りに会うと「おお、ずい分大きくなったなぁ」などと言う伯父さんになった気分だ。

夕食はこの夏にTVで紹介されていた、『銀座古川』へ行く。
ここの女店人は元タカラジェンヌで鳳蘭とは同期生。
TVでは階段を颯爽と下りてくる姿は宝塚の大階段の様でカッコイイ。店でもテキパキと動いていて、御歳68歳には見えない。
彼女の旦那さんは元帝国ホテルのシェフで、この店を10年前にオープンさせたが、その1年後に急病により他界。
今は息子さんがその味を守っている。(以上、TVからの情報)
僕はメニューのクリームカレーが目に止まり、今まで食べた事が無かったので小海老のクリームカレーを注文した。
確かに、普通のカレーとは違いピリピリとした辛味は無く、まろやかな味で旨い。
だけど、ちょっと後悔したのが、昼食は時間が無かったので、コンビニでお握りを2つ買って食べたきりで、余りにもハラペコだったので、夕食までの中継ぎとしてたこ焼きと肉まんを買って宿で食べてしまった事。
なので、終盤は苦行で、旨いから全部食べたいのだけれど、食べられない。結局、ごはんだけちょっと残してご馳走様をした。

食後は銀座をブラブラ。
ところで、『銀ブラ』と言う言葉は今では銀座をブラブラ散歩する意味で使われているけれど、語源ハンターのわぐりたかし氏によれば、大正時代、三田文学の文人や慶応大学の学生たちの間で、「三田から芝公園、増上寺、新橋を経由して銀座までブラッと歩くこと」、そして「銀座のカフェーパウリスタと言う店(現在のあります)でブラジルコーヒーを飲んで語り合うこと」のダブルミーニングなのだそうだ。
それにしても、三田から銀座までって、決してブラブラ歩いて行く距離では無いと思うのだが(しかも往復だし)、昔の人は足腰が丈夫だったんだなぁ。

さて今年のクリスマスツリーは赤のLEDライトが主流の様で、特に有楽町駅前のイルミネーションは赤一色となっていて、なんだか血みどろでバイオレンスな感じ。
(ラジオパーソナリティの小島慶子は「すじこみたい」と言っていた)僕としてはオーソドックスな電球色が温かみが有ってすきなんだけどなぁ。




【有楽町駅前】
血塗られた有楽町駅前




【御木本】
時々赤一色になる



12月19日(月)
今日は朝一番でMRIの検査があるので、朝食ヌキで、ホテルの1階にある喫茶コーナーでコーヒーだけを飲みに行くと、いつものおばさんとは別の若い女の人に代わっていた。
聞くところに因ると、立ち仕事だからなのか、腰を痛めたという事で、8月に変わったのだそうだ。
せっかく仲良くなれたのになぁ。

MRIの検査をいつもの様に済ませた後、眼科へ行く。
ふと視力検査室の方を見ると、木村先生の名前が書かれたプレートが無くなっていた。
鈴木先生に呼ばれて診察室に入った時に聞くと、早期定年退職されたのだそうだ。
木村先生には一番長くお世話になった。
最初はぶっきらぼうな話し方と、短髪で一部だけ長い独特なヘアスタイルに、東京には変わった人がいるんだなぁと思った。
でも話してみると気さくでさっぱりした先生だった。
もう12年も通っているのだから、いつかはこんな日が来るのだろう。

昨日の銀座の風景といい、今朝の喫茶店のおばさんといい、色々なものが変わっていく事に少し戸惑いを感じる。
今日と同じ明日が来るとは限らない。

放射線科でのMRIの検査結果も出ていて、問題無しとの事。
鈴木先生は年に一度の検査でも良い様な口ぶりだったが、半年後に検査をしてもらう事にして、今日のところは採血をお願いし、もし何か異常があれば連絡をもらう事にした。

何故半年に一度の検査にこだわるのかと言うと、東京医科大の後藤先生の書かれた本(眼科プラティクス 見た目が大事!眼腫瘍/光文堂)に「肝臓へ転移した場合の平均余命は7ヶ月」というのを見たからだ。
つまり僕は毎日、余命7ヶ月として生きている。
今日から7ヶ月、今日が良ければ明日から7ヶ月、明日が良ければ明後日から7ヶ月・・・。
もちろん、それがずっと繰り返されて、30年後になっているかも知れない。
幸い、僕の腫瘍は悪性度の高いものでは無かったそうなので、心配はしていないが、覚悟だけはしている。

採血を終え、会計を済ませた後、新しく喫茶コーナー(Caf? de CRIE)が出来ていたので、ここでチキンサンドとコーヒーて少し遅い朝食とることにした。
ここは僕がここに入院していた頃、売店があった場所で、退院してからこの一角も結構変化が激しく、花屋が出来たり、がん関係の本等をそろえた情報コーナーが出来たりした。
花屋は今もあるが、情報コーナーはロビーの方へ移動していた。
病院を出て三ノ輪へ向かう。三ノ輪と言えば『土手の伊勢屋』だ。
久しぶりにあの天丼が食いたくなったのだ。
今日は5分ほど店の外に並ぶだけで入る事ができた。
天丼の"ロ"とお吸い物、それからビールを注文する。
昼間から飲むビールは格別である。その上、天丼が旨いので僕は極楽気分だ。
しかし、僕の幸せもここまでで、病院で食べたチキンサンドが値段の割には結構なボリュームで、それから余り時間を置かずに今は天丼を食べているワケで、もう胃袋はパンパン。
昨日も同じ様な事を経験したにも関わらずだ。
銀座の町や人はどんどん変わるのに、僕は相変わらずだ。




土手の伊勢屋のすぐ近くにある商店街には
「あしたのジョー」のパネルが沢山飾られていた




ちなみに、ここが現在の「泪橋」
>
2012. 1. 4記



 Back  Index / Next