2002年5月
という訳で、昨年来課題となって残っていた陸路の旅に出ることにした。この暑い時期にあのビエンチャンへ行くこともあるまいと言えなくも無いのだが…。
昆明は、ことラオスに関する手続きと言う意味では非常に便利な街である。一言で言えば、「茶花賓館」へ行け!だ。ビザ手続きは賓館1階のラオス総領事館で、航空券入手は賓館入り口脇の小さなラオス航空オフィスで、という訳。ついでにこのゴールデンウィークから3日に1本、昆明〜ビエンチャンの国際バスが運転をはじめた。今回は使わなかったが(これを使ってしまったらあまりに安直な気が…)、このバス、昆明南バスターミナルから出ている模様。今回、帰路はラオス航空を使うことにした。気がかりは週一便ということだったが、連休後半の中国帰着便であるにもかかわらず予約は安易に手に入った。でも、コンピュータ端末すら叩かずに航空券を発行していた様に見えたが、大丈夫なのか、ラオ航空。
昆明南バスターミナルを出発。夕日を眺めながら一路南へ…。
さて、時は流れ出発の日。仕事を終えて夕方6時発の景洪行き高速バスに乗るために南バスターミナルへ。日程が厳しかったので、壊れず定時発着の高速バスを選んだのだが、16時間乗りっぱなしのバスなのにトイレが無い。雲南省の高速バスはトイレ付きと思い込んでいてビールを用意していたのだが、これは自制したほうが良い。これならば寝台バスのほうが楽ではある(ただし途中で故障する可能性は、否定しないが)。ともあれ、日が西へ傾き涼しい風が吹きぬける昆明を、満員の乗客を乗せたバスは定刻に発車した。多少の文句はあっても、走り出してしまえば気分は良いもので、結局玉渓への高速道路から落日を眺めながら缶ビールを開けてしまう。玉渓バスターミナルで一休み、恒例の夕食サービス。薄汚い食堂、仏頂面の職員がおかずの入った大きな洗面器を並べているところで、準備のため10分くらい待たされる。おかずの種類は豊富だが、サービスは肉料理1品と野菜料理1品と決まっているようでそれを越える注文をすると怒られるが、まあいいか。雰囲気は「航空級服務」には程遠いけれど。
45分の停車時間が終わり、バスは再び高速道路を南に走る。途中何度も寝台バスを追い越す。同じ高速道路を走っていても、「高快バス」の名前に恥じない走りっぷりは評価。元江の手前で高速道路が尽きると、いよいよ西双版納への山越えに入る。バスの揺れからかなりの山道であることはわかるが、車窓は真っ暗。墨江で、隣の席の兄ちゃんが下車。これで楽に眠れると思ったら、先頭の補助椅子から服務員が引っ越してきた。タイ族民族衣装の女性が隣にくれば楽しいかというと、そろそろ眠くなってきているのでそうでもないし、彼女も眠そうだ。相変わらず香港三級映画を流しているビデオは耳障りだが、そろそろ寝ることにする。途中1度道端でのトイレ休憩があったが、あとはうつらうつらしながら時間をほっぽり投げることにする。
5時過ぎ、お茶で有名な普[シ耳]バスターミナル着。ここで40分ほど休憩。休憩中にも続々と長距離バスが入ってくる。思茅からは小さなバスターミナルでも客を降ろしながら、10時40分、市内3番目の真新しい景洪南バスターミナルに到着。新しいのは良いが、あまりにがらんとしているため、市内5元のタクシーで版納バスターミナルへ移動。モンラー行きの切符を入手。20分に1本バスは出ているのに、買えたのは12時発のもの。かなり混んでいる様だ。後の予定があるので出来るだけ早いバスに乗ろうと手を尽くしたがだめだった。
モンラー行きのバスは通称「イベコ」。ちょっととんがったボンネットが特徴で、車内は狭いものの座席定員制で立ち席が無い。エンジンが強力なのか車体が軽いのか、山道を飛び跳ねながら突き進む。わがバスの運転手はやる気満々で、緑に埋まりそうな山道で、2台の同僚イベコを抜き去った。40分の差を縮めたというのがすごい。途中の民家は高床式木造の少数民族のもの。気候もそれに見合って高温多湿になってくる。香格里拉と同じ雲南省だとはとても思えない。結局予定所要時間の5時間を大幅に縮め、16時15分にモンラーに到着。途中の山道からは想像も出来ないが、モンラーはメインストリートを中心に何軒もビルが並んでいた。ターミナルの職員に聞くと、国境の街モハンへのバスは、南の「中巴ターミナル」から出るとのこと。防城にはあるが雲南では珍しい自転車タクシーで移動。切符売り場で聞くと、モハン行きは17時に出るとのこと。さっきのバスの運転手が頑張ってくれたおかげで間に合った。
モンラーの街。南国風情はちょっと広西みたいだ。
モハン行きミニバス
モハン行きのミニバス、客が少ないにもかかわらず定刻に発車。でも途中ガソリンスタンドに寄ったりしながらも客を拾い、いつのまにか結構な乗車率に。このバスの運転手、選曲が変わっている(中国のバスは運転手の気分次第で音楽テープを流しながら走る)。一般的には歌謡曲系なのだが、このバスでは外国の音楽を集めたイージーリスニング風。禁じられた遊び、アルハンブラの思い出などに混ざって、北国の春だの瀬戸の花嫁なんかも流れてくる。国境へ向かうバスでこんな音楽を聴くとは思っていなかったが、うるさい歌謡曲と違いBGMとしては満点である。緑の中を抜け、モハン鎮政府やマーケットなどが現れる。客がぞろぞろ降りていくので、到着したかと思ったら、運転手が「国境はまだだ」と言い座りなおす。「モハン鎮」と「モハン国境」は別物だった。国境までの客は僕一人。運転手に「さっきの音楽、なかなか良かった」と言ったら、「日本人か?」と聞いてきた。どことなく日本にいる中国好きの親戚に似ている。その後国境までの10分くらいは、2人で日本歌謡大会とあいなった。バスはホテルの門前で停車、名残惜しい別れだった。
折角ホテルの前で止まってもらったが、あいにく満室。50mくらい離れた別のホテル(60元)に宿泊。1本の通りにホテルや旅社、食堂がパラパラと並ぶ少し寂しげな街並み。とりあえず近くの食堂で夕食を済ませ、後はやることもないので早めに就寝。
モハンメインストリート。停車中のトラックはラオス国籍(左) 前方の三角屋根が中国側国境事務所
8時半のボーダー開門時、国旗掲揚
国境には、国際バス運行開始を祝うゲートが(左) ゲート下にあった古い国境標識(右)
ラオス側ボーテンの国境事務所(左) ボーテンの街路(右)
翌日、いよいよ国境越え。香港〜深センは国境とはいえないので、これが中国陸路国境越え初体験だ。8時開門と書いてあったが、実際は8:30に手続きが始まった。道端の出入国管理事務所で出国手続き。パスポート用のカードは空港のものと同じだった。「ラオスに何しに行くの?」「メーデー休みの休暇。」これでOK。出国スタンプの押されたパスポートを道路脇の検査官に見せて遮断機を通過。軽トラックだとラオス側まで2元とのことだったが、折角なので歩くことにする。何やら工事中の埃っぽい道を緩やかに登っていくと、「昆明〜ビエンチャン国際バス運行開始」の赤い祝賀幕が見えてきた。その脇に国境の石碑が。ちょっと古めかしいと思ったら、その先10mのところに、こちらはピカピカの国境石碑。手前に「中国」、反対側に「ラオス」。どうして10m動いたのかは不明だが、ともかく記念写真を撮る。ここから道は下り坂になる。通りがかった雲南ナンバーの車が止まり、乗っていけとのこと。見ると、先ほど手続きが始まるまで世間話をしたおじさん。ビエンチャンで仕事をしており、この車でビエンチャンへ行くとのこと。良かったら一緒に乗っていかないかとのことだったが、こちらとしては折角だからラオスのバスを使いたいところ。ラオス側ボーテン管理事務所で下ろしてもらい入国手続き。入国カードは置いてなかったが、去年余分にもらってきたカードに必要事項を記入済みだったので、あっという間にスタンプが押されて戻ってきた。ここでも道端の検査官に呼び止められ、スタンプ確認の後ラオス入国。道端の銀行で800元を920000キップに交換。あれあれ、1年の間にずいぶん下落している。受け取った札束を見て頭は混乱。なにしろこの国の最高紙幣は5000キップ、元に直せば5元札以下である。
ボーテンからのバス(左) ボーテン〜ウドムサイ間の集落(右)
中国国境からカンボジア国境まで国土を縦断する国道13号線
ボーテンの静かな道を行くと、ミニバス一台とトラックバス一台が止まっていた。バスはウドムサイ行き、トラックはルアンナムター行きとのこと。バスのほうに座席を確保してからスプライトを買う。3.5元とのこと。キップでは?と聞くと3500キップだそうで、両替をしたことで少し得をする。時計はラオス時間に変わったので現在8時。出発は客が一杯になってからというところがさすがである。客のほとんどは中国人で、外国組はカナダ人2名、韓国人1名と僕だった。バス代は15000キップ、または15元。9時、ようやく運転手が納得したようでエンジンがかかる。ラオス側の道路はひどいと物の本には書かれていたが、現在のところ舗装道路。でも、両側は緑でいっぱいで、草いきれで息苦しいほど。20分ほどでルアンナムターとの分岐点。この先からだんだん舗装が怪しくなってきた。舗装、未舗装が交互に現れたり、元舗装道路らしき道だったり。時々通過する集落は、木造高床式、壁は木(竹?)の皮を編んだものが多いようで、このあたりに国の違いが現れる。バスの揺れに任せ、山道を上下するうちに、ちょっとした盆地に入る。コンクリート作りの家が増えてきたと思ったら、13時、終点ウドムサイに到着。バスの中で一緒だったおじさんが、近くの宿を紹介してくれる。華人経営の宿。料金表にはシャワートイレつき40元と書いてあったが、30元(30000キップ)と言ってきた。後から来た韓国人のおじさん、カナダ人のカップルには40元と言っていたので、中国語割引と解釈。カナダ人は別の宿を探した様子で、韓国おじさんは一ベット10元の共同シャワー部屋へ。この韓国おじさん、後で話を聞くと、すでに中国を3ヶ月旅行しているとのこと。60歳近いとお見受けするが、すごいパワーである。
ホテルの下の中国飯屋で昼食。1年ぶりにビアラオとご対面。ご飯がもち米を使ったおこわ状で、普段ビールを飲むとほとんどご飯を食べない僕だが、この時は結構食べた。その後バスターミナルへ、ルアンパバーン行きバスの時刻をチェックしに行く。朝の便しかないようで、7時半ごろまでにターミナルへ来るようにと言われた。ここまで来るとかなり気温が上がってきたので、部屋で一休みの後、近くの丘の上の仏塔と市場を見学。メインストリートを縦断してもせいぜい徒歩15分。市場でも問題なく中国語が使えるところはさすが。夕食は、例の中国飯屋で食事をしていた韓国おじさんのご相伴に預かる。良くも悪くも中国の延長で、まだ国外に出た実感は沸かない。
この街、20日間停電が続いているとのことで、この晩はロウソク生活。さっさと寝るしかなかった。
ウドムサイの丘の仏塔
仏塔から俯瞰したウドムサイ中心部(左)とルアンパバーン方面への道(右)
翌朝は6時起床。宿はボロだったが、チェックアウト時の部屋のチェックが無いところは少しだけ外国気分だった。7時前にバスターミナルに着き切符購入(20000キップ)。バス、ではなくトヨタのピックアップトラックだった。助手席には運転手の知り合いらしきおばさん、後部座席は狭いながらも一応特権席らしく、韓国おじさん、僕、坊様の3人が入り、あとは荷台のベンチシートとなる。韓国おじさんの話だと、カナダ人はどうやら車をチャーターしたらしい。座ってみるとほとんど体育座りで曲げた足とお尻が痛みそう。この「バス」、7時半にバスターミナルは出たものの、修理屋、店、知人宅、ガソリンスタンドなどで数々の用事をこなして、ようやく8時半近くなってウドムサイの街を出発した。すでに尻が痛いし、腹具合も心配だ。さっさと出発してくれ。
街を出ると早速山越えルートに入る。車内も道中も、ついに中国語が通じなくなった。となりの坊様、最初のうちはいろいろ話し掛けてきたが、カーブの連続で車酔いを起こしてしまったらしくかなりキツそうである。反対隣の韓国おじさんも、足が痛くなりギブアップ。後部荷台の人と座席交換。尻痛が限界に達したところで三叉路のパクモン着。ようやく小休止。ここまで80km、ここから100km。やれやれ。でも、パクモンからは2車線の舗装道路になり、スピードも上がる。今までの道路状況から比べれば、ハイウェーだ。道標のルアンパバーンまでの距離が急にカウントダウンをはじめる。車窓風景は変わらないものの、ちょっと都会が近づいてきた気分。13時、ルアンパバーン北バスターミナル着。トゥクトゥクで中心街へ。気候はすっかり熱帯らしくなっており、湿った熱風が吹き付けてくる中、目星をつけておいたエアコン付きの宿に泊まる事にする。昨日の宿と違いまだピカピカだった。宿のレストランで昼食。久々の洋風、といってもオムレツとスープだけど。
一休みしてからまずラオ航空オフィスへ帰りの航空券のリコンファームに行く。オフィスはいかにもお役所みたいなつくりだったが、職員はフレンドリーで、中国から出たことを実感できた。リコンファームの間、窓口のお兄さんと日本語講座&ラオス語講座の交換授業。今度はちゃんとパソコンをたたいていたので、少し安心した。続いて王宮博物館、と思ったら、まだ閉館まで30分あるのに「今日は終了しました。」だと。気候を考えて開館時間を設定して欲しいところだ。仕方が無いのでメコン河岸で佇んでから、プーシーの丘に汗だくになりながら登る。頂上では何人もの人が風に吹かれて街を見下ろしていた。ルアンパバーンは古都だけあってお寺だらけの町らしく、宿の前に1つ、ここまでの道すがらに1つ見てきた。今度来る時はもっと涼しい時に余裕を持って来たいと思った。
ともかく暑いので早めの夕食を食べてから宿に戻る。戻ってすぐに停電。折角のエアコンが、と嘆いていたが、1時間ほどで復旧した。
ウドムサイバスターミナル(左) ルアンパバーン行きバス(?)(右) バスにもいろいろある。
ルアンパバーン プーシーの丘(左) 王宮博物館(右)
ルアンパバーン メコン河(左) プーシーから見た市街(右)
翌朝またまた6時起床。さすがにせわしないが、今回はともかく時間がない。7時に南バスターミナルへ。今日はビエンチャンまで10時間の旅、またトラックだったらどうしようかとおもったが、7時半発のバスはベンツマーク付きの大型バス。エアコンこそないが車内にはちゃんと扇風機が着いていた。さすがに大型バスはゆったりしていて楽だ。しかもこのバス、7時20分にエンジンをかけ、30分きっかりにバスターミナルを発車した。道路はすぐに1車線に戻り、谷をひとつひとつたどりながら徐々に高度を上げていく。連なる山々が見事だ。ビエンチャンだけを見ると、この国が山国であるとは信じられないが、こうして見ると確かに風景もネパールに似ている。ガイドブックには、この辺り時々農民が副業で山賊に化けると出ていて少々緊張気味だが、丁度雨季の始まり、副業をやっている場合ではないのではないかと、一応自分を納得させる。峠を2回越えて下り始めると今度は桂林ばりの見事な岩山が並び始めた。県境を越え、バスはすでにビエンチャン県へ入っている。そしてカーシー着。ここで昼食休憩。道端でごはんに2品のおかずをかけてもらう。僕の腹はかなりデリケートなので、長距離のバス移動の際は飲み食いはできるだけ控えているのだが、今回はなんとか問題なくビエンチャンまでたどり着けそうだ。ビエンチャンのほうから少し高級そうなバスがやってきた。見ると「万象〜思茅」と書いてあり、ナンバーも雲南ナンバー。こんなバスもすでに走り始めていたのだ。中国行きのバスはカーシーで止まることなく北へ走り去っていった。カーシー出発後は道もかなり良くなってきた。こちらもバスの揺れに任せて居眠り。起きたときにはすでに山岳地帯は遠ざかり、なだらかな丘陵。ワンウィエンで白人旅行者達が下車すると、車内は空席が目立つようになってきた。そして水田の続く平地と時々現れるコンクリート作りの街。ルアンパバーンに輪をかけて暑い。17:30、見覚えのあるビエンチャンワッタイ空港の前を通り過ぎて間もなく、ビエンチャンバスターミナルに到着した。今日の宿はもう決めていた。リーズナブルな料金できちんとしたホテル(きちんとした空調つき)に泊まろうというわけで、メコン河畔のランサンホテル。以前はラオス最高級ホテルだったという老舗だが、現在1泊22ドル。中国と比べれば、ホテル代は安い(中国もつてがあればかなり安くなるけれど)。おまけに明日の朝は空港迄シャトルバンを出してくれるとのこと。出発時刻が早いだけに助かる。
散歩がてらまたメコンを見に行く。相変わらず暑いが、ともかく北京〜シンガポール陸路ルート最終区間を無事完成させ、後は帰りの飛行機のみとなったので、気分も軽やかである。ビエンチャンの町は相変わらずのどかだが、これは中心部に緑が多く、かつ車の数が少ないことが原因のようだ。夕食は豪勢にフランス料理をいただいてしまった。さすが元フランス領インドシナではある。
ベンツバスビエンチャン行き(左) カーシーで一休み(右)
ルアンパバーン〜カーシーの山なみ
最終日、5時起床。シャトルバン出発は6時と言われていたが、ラオ航空の出発時間が7:30なので、早めにチェックアウト。バンの客は僕一人だったので、少し早めにホテルを出発した。空港までの道中、朝からバケツをぶちまけたような雨。一応ラオスの別れの雨ということにしておこう。空港では係員が「Kunming?」と聞いてきた。こんな朝早い便は昆明行きしかないらしく、空港はガラガラ、搭乗手続きはあっという間に終わる。でも、売店のシャッターもまだ閉まっており、さっさと出国する以外にない。ラオ航空とはいえども、乗客のほとんどは中国人。全部で40人ほど。タイ方面と違い、連休とはいえ満席ではなかった。7時、ゲートが開き、ラオ航空のATPプロペラ機に向かう。日本外務省に「安全性に問題あり」と言われてしまった航空会社だが、「ただしATP便は除く」ということになっているので、とりあえず安心して乗ることにする。ATP以外、というのはラオス国内線を飛んでいる中国製のY-7,Y-12ということになるが、中国で飛んでいるY-7についての外務省の見解はどうなのだろう。
7:20、定刻より早く、ATP機はワッタイ国際空港を離陸した。プロペラ機は低高度を飛ぶため、景色を眺めるにはもってこいだが、それでも山岳地帯に入る辺りから眼下は雲海になってしまった。再会!ラオス。
ラオ航空ATP72
ビエンチャン〜昆明の朝食。メニューは、サンドイッチにサラダ。マドレーヌ、カップケーキ、バナナ。
サンドイッチの中身は、付け合せのサラダと同じ+ソーセージ1本。距離が短いので仕方ないけど、中国国内中距離路線と同レベルか。箱のデザインは凝っているのだけれど…。
〜終〜
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