オーストラリア鉄道試乗記

 唐突になぜこの国が…。深くて浅い理由がある。
 中国に赴任してから、今まで全く別の世界の皆様だった、世界をまたに掛ける商社の方とお会いする機会に恵まれる。その中で感じたこと、結局中国の商社と日本の商社が話すときには英語。英語だよ。実際そうなのだ。大事なことは知っていても、それを身に付けるのは大変。
 気がつけば、真面目にそれだけを勉強したわけではなくても、生活レベルの中国語くらいは話しているが、それに伴ってますます英語はさび付いている。苦労するのが億劫な年齢になる前に、もう一度刺激を受けて、向上心を奮い立たせるべきではないか、と。これが言い訳。

 国慶節。中国はめでたい秋のゴールデンウィーク。国内は例によって大混雑が予想される。とすると行き先はバンコク。でも、バンコクを中心に考えると、世界は意外と近いのだ。バンコクから一番近い英語を母国語とする国家、オーストラリア。西海岸のパースまでなら、運賃は昆明〜バンコクとバンコク〜パースがほとんど同じ。というわけで、バンコクで1泊した僕は、シンガポール経由でパースへの機上の人となった。
 バンコク到着時に、シンガポール航空空港事務所へ行って、ネット予約した航空券の入手方法を確認した。さび付いた英語を振り絞る。どうやら明日空港に来る前に、市内の営業所で発券してくれとのこと。で、空港バスで市内へ向かおうとしている私の携帯に電話が。「うぇい?」だが相手はなんと先ほどのシンガポール航空嬢。彼女は、ちんぷんかんぷんの相手、つまり僕に我慢強く説明してくれ、「市内営業所に行かなくても、明日の空港カウンターで発券するので、直接来てください」という内容を理解できた。英語、何とかなるじゃん。それにしても世界共通GSMタイプの携帯電話は便利だ。日本では使えないけれど。この電話番号、先ほど申告したわけではなかったが、ネット予約の時に打ち込んだのを見つけて電話してくれたらしい。
 バンコクでは、今回初めてスクンビット通りのホテルへ。首都高速の開通で、中央駅付近よりも便利になっていた。おまけにスクンビットは高架鉄道が開業し、これまた市内のどこへ行くにも便利だ。鉄道好きの僕だが、ついに鉄道での市内凱旋と言うつまらぬ意地を捨てた。紀伊国屋書店で歩き方の入手。日本の本が手に入るバンコク、やはりすごい。


タイ航空 昆明〜バンコク機内食。Cクラスだよーん!左は前菜状態。右がメイン状態。

 翌日、無事空港カウンターにて発券。シンガポールでの乗り継ぎは往復とも2時間以上あるし、同一航空会社。問題は帰路バンコクでの1時間50分の乗り継ぎ。このデータをタイ航空にも知らせておきたいと言うと、「予約のチェーンですね。向こうのタイ航空カウンターでお願いします」とのこと。教えられたカウンターで2冊の航空券を提示すると、カタカタキーボードをたたきながら、受付おばさんが説明してくれた。「タイ入国しちゃだめですよ。着いたらすぐに乗り継ぎカウンターへ行ってね」「了解」。タイ航空、シンガポール航空共、スターアライアンスグループ。よって、私の場合最近とんとご無沙汰しているユナイテッドに全て加算。

 初めてのシンガポール航空。最新の機材、各座席にテレビ、電話付き。Yクラスでもシャンペンサービス。なるほどねえ。知人の応接間に上がりこんだようなタイ航空の雰囲気、僕は好きですが(昆明〜バンコク線は、機材がちょっと…ですが、雰囲気はそれを補って余りある)、確かに噂のシンガポール航空だけあって、流石な雰囲気。サロンを着た空姐がワインのビン持って行ったり来たりというのも、確かに「空飛ぶキャバレー」と言われるだけのことはある、かも。


シンガポール航空のYクラス機内食。左:バンコク-シンガポール 右:シンガポール-パース

 夜中の1時40分、西オーストラリア州州都、パース空港着。さて、心してかからねば。事前にネットでビザ申請はしておいた。これはオーストラリアビザなど一体どこで頼めばよいのか、という僕のような境遇の者にとって、画期的なシステム。航空券の入手、ビザ、情報収集、全てネット。便利になったものだ。入国審査のカウンターで、ペラペラ…と言われる。「そーりー、もー一回お願いします」。おばさん、笑いながらもういい、といった感じでパスポートを見ながらキーボードをたたいて、ビザ確認。あっけなくOK。でも、次の税関検査はなかなか厳しく、荷物は全部開けさせられた。これは初めて。さすが畜産国。カウンターのお姉さん、笑顔で、これは何だと聞いてくる。チェックにあったものは、機内食についていたチーズ、クラッカー、チョコレート、そして正露丸と扇子。各カウンターを歩き回っていた上役のおじさんの判断で、チョコレート1つのみ没収となった。正露丸の説明に困ったが、「すとまっくめぢすん」。臭いをかがれてパス。
 パース国際空港は昆明張りに小さな空港で、空いているカウンターはレンタカー会社ばかり。仕方が無いので、ガイドブックで当りをつけ、タクシーに乗る。雨が少ないと勝手にイメージしていたオーストラリアだが、何故だか豪雨。おいおい。あれ、日本語でオーストラリアは豪州?3時になっていたが、お目当てのホテルは無事開いており、「ウェルカム」と受け入れてもらえた。オーストラリアドルは、カラフルだなあ。おまけにタイの50バーツ札みたいにすべてポリコーティングで透明部分あり。面白い。ともかくまずは寝るのが先だ。

 パースの町は何となく小柄なつくりだ。まるで日本の閑静な住宅街といったムード。賑やかでちょっと雑然とした中国やバンコクから来ると、なんだか別荘地みたいだ。日曜、おまけに明日10月1日は祝日らしく、オフィスは全て閉まっていた。駅へ行くと、明日の朝来なさいとのこと。最大のお目当て、シドニー行きのインディアンパシフィックは明日の朝出発なのだが、大丈夫だろうか。心配しても仕方が無いので、フリマントルの港へ小旅行。気持ちのよい街だ。その後、パース近郊電車の全線完乗。市の中心、シティ駅から四方に路線が延びている。西の海岸へ延びているのがフリマントル線。北は新市街といった感じ。東はワインの産地スワンバレーへ。南はのどかな牧草地。高原で感じるのどかさを、州都近郊で感じさせてくれるというのが流石である。
 ちなみに、パース市内の交通機関、電車、バス、フェリー1日乗り放題で7ドル(約500円)ちょっと。おまけに市中心部の0ゾーンは、バス、電車無料。なかなかうらやましい制度だ。まあ、中国の市内バスは1乗り1元(15円)だが、走っている車両、混雑具合のレベルが違いすぎる。

パースシティ駅にて。近郊電車。

       
            フリマントルの街角で…写真2点

 さて、問題の10月1日。朝の散歩がてら駅へ。カウンターがなかなか開かないので気が気ではない。ようやく開いて今日の切符を入手したい旨申し出ると、笑顔のお姉さん、キーボードをカタカタ。「ごめん、満席。次の列車は?」いや、次の列車って木曜日でしょ。それは無理だ。この国を代表する名門列車が週2便というのも困ったものだ。でも、これは気ままに旅する僕の責任であって、彼女には何の罪もない。「残念!でもありがと」と、すごすごホテルに戻る。さてどうするか。ホテルのチェックアウトタイムは10時だ。パースもよい街だが、インディアンパシフィックをあきらめて、ずっとここにいるのも悔しい。オーストラリアの良さはよくわかったので、縁分があればまた来る機会もあろう。というわけで、メジャーな東海岸のシドニーをあきらめ、途中の南オーストラリア州州都アデレードへ飛び、シドニーからやってくる西行きをつかまえることにした。この列車、シドニーを今日出発し、アデレードは明日の夕方だ。
 急いでカンタス航空へ。なんと、オフィスは祝日で休み。以前の僕だったら、ここで天を仰ぐところだが、だてに中国生活をしてきている訳ではないのでこういう予期せぬ出来事に対する対応は早い。老師、中国に感謝。日常はローギアでのろのろしている僕も一気にトップギアへ。ホテルのチェックアウトを済ませ、荷物を撤収、いざ国内線空港ターミナルへ走る(もちろん走るのはタクシーっすよ)。航空不況でオーストラリア2大航空会社のうちの1社、アンセットが沈没、まだ復旧していない現在、残ったカンタスは大忙し。でもここで物怖じしていては何も出来ない。発券カウンターのおばさんに時刻表の有無を尋ねると、奥へ行って探し回ってくれたが、あいにく切れているとのこと。そこでアデレード行きの件を切り出す。「今日の予定は11時と17時。いずれも満席だが、ウェイティングしますか。」「OK。してほしい。」「11時の便か」「イエス」おいおい、今10時だよ。キーボードカタカタ。おばさん、嬉しそうな顔をして、「OK、11時の便に乗れる。チケットレスなので、この紙(今打ち出したザラ紙)とID(支払に使ったクレジットカード)を持って、チェックインカウンターへ急いで!」僕も嬉しい。「さんきゅー」「サンキュー。ウェルカムアボードカンタスフライト。カンタスの旅をエンジョイしてね!」いや、こういう時の対応、なんかいいねえ。一気にオーストラリアファンになりそうだ。
 チェックインカウンターで手続き。IDカードついでに仮入会したまま一度も乗らず放っておいた香港キャセイパシフィック航空の「アジアマイル」インターネット打ち出し仮カードを出してみる。例によってマイル攻撃。キャセイもカンタスもワンワールドグループであることを思い出したのだ。「これにマイル積算できますか?」「キャセイ?OK!」というわけで、積算されぬまま1年の期限が終わりかねなかった僕のアジアマイル会員カードは九死に一生を得た(笑)。彼も「ウェルカムアボード」って言ってくれた。
《※注:アジアマイル規定で、仮入会のまま1年間使用されない場合、登録が無効となる。僕の場合、香港〜中国本土のドラゴン航空(キャセイの子会社)で使うことがあるかと思い登録したのだが、2001年に日本航空のマイレージにドラゴンを加算できるようになったため、アジアマイルが宙に浮いていたのだった。》
 3時間のフライトでようやく1国の三分の二。やはり大きな国ではある。メインがパスタの機内食時に、有料だったがオーストラリアワインを奮発。 

カンタス国内便パース-アデレード機内食

 アデレード空港からはマイクロバスが後ろに荷物用のトレーラーを引いたユニークなバスが街まで出ている。このバス、途中で大陸横断鉄道のケズウィック駅を通るとのことで、そこで下車。改めて鉄道発券カウンターへ。結果は、神は僕を見捨てなかった。明日のアデレード〜パースの寝台、しっかり確保できた。これで一安心。ともかく街へ…。でも、この駅、町から遠く離れている。今乗ってきたバス、一時間ごとに出ているので、それを待とうとバス停に戻ると、初老のご夫妻が声を掛けてきた。「ダウンタウンに行くんでしょ。よかったら乗っていかない。」この年になって、まさかはじめてのヒッチハイク(主体的にやったわけではないが)をすることになるとは思わなかった。この時代にこの開放感。普通見知らぬ人を車に乗せるか?もう僕はオーストラリアの大ファンである(爆)。奥さんの運転する車で市内へ。「今日は休日だからバスが少なくて不便なんだ」とのこと。お決まりの自己紹介などするうちに市内へ。広い通りとしゃれた家並みのらぶりーな街だ。突然異様な赤門が。《唐人街》。中国人街らしい。奥さんが説明してくれる。「そうすると、僕の中国語が通じるわけ?英語はこの通りプアなんで…」「もちろん。でも、プアじゃないよ。ちゃんと会話できるんだから。日本語、中国語、英語、3つもできるなんで素晴らしいじゃない。」社交辞令としても嬉しいお言葉。なんだか僕まですごいことのような気がしてくるではないか。中国人の場合、聞き取れないとすぐに出てくるのが「てぃんぷとん(聞き取れない)」という言葉。これに何度泣かされたか。ともかくオーストラリアの人の、外国人の下手な言葉を聞き取ろうという努力に感涙。唐人街の目の前、バスターミナルのすぐ脇という絶好のロケーションで、車を止めてくれた。「このあたりは、外国人バックパッカーがたくさんいるから。ホテルもたくさんあるからね。」「謝謝!じゃなかった。さんきゅー。」

  
        アデレード 左:ケズウィック駅 右:唐人街

 結局、下ろしてもらった場所のすぐ前に見えた小さなホテルに決めた。1階がバー、2階に7部屋のホテルという場所。トイレ、シャワーは共同だがともかく清潔。部屋もシンプルながら内装から家具まで木。気持ちのよいホテルだった。この日はアデレードシティ駅で資料を集めた後、市内無料ループバス(オーストラリアはどこにでもあるのですかね。この無料というありがたい制度。)でトラム駅へ。海岸まで古色蒼然としたトラムに乗って、夕日を見た後、トラムの窓から見たタイ料理店で夕食後、ホテルへ戻った。タイ料理には珍しい牛肉カレー、おまけに肉の量が半端ではないところがオーストラリア。満足。

  
       アデレード 左:トラム 右:西は夕日

  
      アデレード 左:東に月 右:居心地よかったホテル

 ホテルの客室内側に張り紙が。「チェックアウトは12時です。チェックアウトの際は鍵を扉内側のフックに掛けて、ドアをロックして出発してください。」やはりこの国では人を信用している気がする。確かにバー兼業だから、朝一の客のチェックアウトをいちいちやっていたら寝不足になるだろうし、部屋代は前夜に先払いだけれど。お客様は部屋をきれいに使って、鍵をきちんと置いて帰るという性善説の前提。いいなあ。ここで中国のことを思い出す必要は全くないが、中国では明らかに性悪説。チェックアウトには必ず服務員による部屋のチェックがある。だいたいホテル案内の主要なページは、安宿になればなるほど、部屋の備品一覧だ。曰く「コップ1つ5元×2個、タオル5元、バスタオル20元…テレビ2000元」、思い出すのが間違っていた。要するに文化の違い、または日ごろのお客様の態度の違いなのだろう。

 夕方まで時間がある。街歩きと近郊鉄道試乗に費やす。アデレードも近郊交通機関共通の1日乗車券がある。鉄道網はパースよりはるかに複雑。1日あればなんとか完乗できそうだが、今回は全部は無理そう。そこで、いくつか地図顔の良さそうな路線をピックアップした。海辺を走る路線。奇妙に山により添う路線、港へ行く路線…。アデレード近郊鉄道は全てディーゼルカー。都心から少し離れると、もうローカル線の趣である。海辺を行く路線では、のんびり佇むお屋敷に目を見張る。山より路線では意外にもトンネル。沿線は花盛り。オーストラリアの近郊鉄道は自転車の持込がOKで、マウンテンバイクといっしょに中学生数名が乗り込む。人口密度が低いからできることだろうが、うらやましい。東京でこれができたら、どれだけマイカー利用率を減らせるだろうか。

  
   アデレード 左:海辺を行く風景を見るのに落書きがちょっと…  右:近郊列車

 清潔、のんびり、親切、オーストラリアに豊かさを感じる。ただ、近郊列車に乗っていてひとつだけ解せなかったのが、列車の窓などへの落書き(書いてあるだけならよいが、窓に傷をつけているのでどうしようもない)。なんだか不釣合いに感じた。不満を心に抱えた人もいるということか。また、これだけ人口の少ない国でもやはり失業の問題は深刻なようで、ホームレスも結構見かけた。パースでは義援の食料が配られている場面に遭遇。なかなかうまく行かないものなのだなあ。

 ともかく近郊列車に「ケズウィック」駅があることが判り、そこで下車。長距離列車の駅からは少し離れていたが、橋を渡り道を進み、少し迷って駅に到着。銀色に輝くあこがれのインディアンパシフィックはすでに目の前だ。チェックインタイムは出発の30分前などともっともらしく書かれているし、第一チケットと言って渡されたものが、表紙の中にA4判のタイプされた紙1枚。ボーディングパスでももらうのかと思ったがチェックインカウンターはどこにもない。聞いてみると、直接車掌に渡すようにとのこと。どうも日本や中国の鉄道とは勝手が違う。発車1時間半前に駅に着いたが、まだ乗車の準備が出来ていないようで、昨日はひっそりとしていた駅は人であふれかえっていた。

    
左:ケズウィック駅に鎮座する蒸気機関車 右:インディアンパシフィック号マーク   

 ホームで記念撮影。自分の座席車が戻ってこないといってホームに佇んでいた中国系マレーシア人とお話し。やはり中国語は偉大だ。自分の車両の前で記念撮影をしようと、近くにいた人に声を掛ける。やはり同胞というのはわかるもので、日本人留学生、Tさんだった。なにやら駅の放送が…。Tさんが係員に聞くと、列車は少々遅れるので駅舎で待つようにとのこと。そういっている間に列車がそろりそろりと動き出す。係員の返事は、「試しに動かしているだけ」とのこと。うーむ。オーストラリアの鉄道はよくわからない。

 

 現在インディアンパシフィック号には、1等車に相当する「ゴールドカンガルーサービス」と、2等車に相当する「レッドカンガルーサービス」がある。ゴールドは、全食事つき。レッドは食事は自費で、寝台と座席がある。今回手に入ったのはレッドの寝台。2人部屋ということで、相手がネイティブだったら英語の練習にはなる反面、1日中では結構しんどいなあと、半分期待半分不安だった。1時間遅れてようやく乗車開始。Tさんと乗車。何のことは無い、2人が同室だった。偶然にしては出来すぎである。
 乗車後すぐに、担当車掌が挨拶に来る。食堂車のこと、ベッドの使い方etc。詳しいことはTさんにおまかせ。定刻を1時間21分遅れること19:51、夢にまで見た大陸横断列車はゆっくりと動き出した。動いてしまえば漆黒の闇。
 食堂件売店に行ってみる。この晩は、テイクアウトのお弁当とビールを買い込んで部屋に戻る。後で聞いた話では、アルコール類の寝室への持込は禁止だそうだ。ラウンジか食堂車で飲みなさいとのこと。ビールのあき缶は下車時にこっそり持ち出した。所変われば奇妙なルールがあるものだ。列車はゆっくりと大陸を西へ。こちらも適度に話してベッドをおろし就寝。駅らしき明かりも見えないまま、西へ、西へ。

 大地に朝がやってくる。年功序列というわけでもないが下段ベッドを確保したので、窓は独り占め。うつらうつらとしながら雄大な日の出を鑑賞。今までパースもアデレードも曇りがちで、大いに私の「オーストラリア」に対する先入観を打ち砕いてくれたのだが、今日は快晴。この列車、あちこちで書かれているように中央に蛇行する通路があり、その両側に個室が並んでいる。蛇行して膨らんだスペースには、レッドカンガルーの場合洗面台がついているのだが、我が個室は北側にあるため北東の地平線に太陽が顔を出す。北東…、さすがに一瞬戸惑うところが、北半球の人間。7時に車内放送が入る。7時半、まだ寝ているTさんを置いて、食堂車のチェック。雄大な車窓に気をよくして、豪華朝食セット。うまい!我が車両の車掌兄も食堂車で給仕をやっている。なにやらスタッフ全員でインディアンパシフィックというエンターテイメントを盛り上げている雰囲気だ。

豪華朝食セット。ジャム類は取り放題。

 朝の潅木を存分に眺めてから、部屋に戻る。「おっはーTさん」。僕の話を聞いているうちに、Tさんも食堂車へ行きたくなったようで、昼ごはんは一緒に行くことに決めた。ベッドを座席に戻す。高木から潅木へそして潅木もまばらになってくる。9:41、Oolder着。といっても駅というよりは信号所。ここから有名な世界最長の一直線区間へ入る。荒野、荒野、荒野、荒野…ひたすら同じ景色は、少し居眠りしたくらいでは変わらない。「眠っていたらもったいないです」と、朝日を見なかったTさんは言うが、列車の居眠りは至福の時である。

荒野、荒野、荒野、荒野……

 約束通りお昼は一緒に食堂車へ。僕はサラダパン。Tさんはおすすめの1品である(名前を忘れたので、資料のある昆明へ戻った時にチェックします)。そして「人口4名」のクック駅到着。給油、給水を兼ねての大休止。乗客にとっては写真タイム。昔は賑わったのだろうが、確かに今はゴーストタウン。学校改造の売店があった。列車の先頭に、機関車を見に行く。

 
   クック駅に停車するインディアンパシフィック号

 
  一息つくディーゼル(左)と、クック駅の看板(右) 

 引き続き荒野、荒野、荒野…。夕方、カンガルーがひょっこり荒野に顔を出す。時計の針は南オーストラリア時間から西オーストラリア時間に変わったが、車内放送で食堂車の営業開始を知らせる。さて、今日のディナーはカンガルーを見ながらのカンガルーフィレ。我々の隣に座ったのは、アデレードで出会った中国系マレーシア人のお二人。意気投合し、英語、日本語、中国語の3ヶ国語が飛び交う。あちらのカンガルーフィレは来たのにこちらが来ない。車掌ならぬボーイさんに聞くと、どうやら注文がこんがらがってしまったらしい。マレーシア人が「このカンガルーは新鮮か?」ボーイ曰く「今撃ってきたばかりだ。こっちの2人の分はいま獲物を狙っているところだからもう少し待ってくれ」。カンガルーにはかわいそうだが、笑ってしまう。ようやくカンガルーセット、登場。ワインが足りなくなって、もう一瓶追加。意外とやわらかくてうまい。カンガルーさんの顔を見てしまうとすこし可哀想だが。

うわさのカンガルーディナー

 マレーシア人さん達とラウンジで過ごすうちに、列車はカルグーリ着。ここは金鉱の町。なんと今でも掘り続けているらしく、それを見に行くツアーがでる。Tさんと2人、これに乗ることにした。もちろんほろ酔い気分の僕がガイドの説明をまともに聞くはずは無く、通訳はTさんである。夜の街をバスは走る。ガイド嬢、いろいろ説明しているようだが、放送がよく聴こえず、通訳さんも黙り気味。こんな夜でも、金鉱はフル活動をしていた。駅に着いた時、ほろ酔い+バスの揺れでいい気分になっていた僕は、ガイド嬢にカルグーリの人口などを聞いていたようだが、今となっては会話の内容は思い出せない。

西オーストラリア鉄道プロスペクター号(パース-カルグーリ)

 カルグーリを出発すれば、あとは闇の西オーストラリアをパースに向かうのみ。パースに着けばこの列車から下車しなければならない。名残惜しい。やはり全区間乗らないといけない。早く彼女を見つけて、次回は彼女とゴールドカンガルーだね…などとくだらんことを考えつつ、列車のやさしい揺れに誘われ、眠りにつく。

朝の西オーストラリア

 翌朝起きてびっくり。世界は緑の牧場と花の世界。昨日の荒野が幻のようだ。すっかり食堂車に惚れ込んだ日本人2人組みは最後の食事を。今朝は軽くトーストとスクランブルエッグ。到着の朝の食事。中国ならば営業しないかもしれないが、こちらは清潔なダイニングカーで最後の満足。

 
左:インディアンパシフィック最後の食事 右:パース東駅のインディアンパシフィック、お疲れ様

 今まで人っ子一人いないようなところを進んできたが、道路、工場、商店が現れる。カルグーリで遅れを取り戻した列車は、定刻通り、名残りを惜しむかのようにゆっくりとパース東駅に到着した。

 舞い戻ったパースはすっかり晴れ上がっている。夢の列車に乗った僕の気持ちも、多少の寂しさはあるものの同じ。Tさんと別れ、おなじみの市内電車で3駅、シティ駅へ。アデレードで学んだので、経費節約のためシャワー、トイレ共同の宿へ。駅前のロイヤルホテル、名前は立派が高級ホテルではない(AU$45)。17時以降フロントに人がいなくなるので、鍵は玄関、自室、シャワールーム全て開けることが出来る優れもの。一体どういう構造になっているのだろうか。しかし建物は由緒あるものらしく、雰囲気は最高。天井が斜めの屋根裏部屋だが、こういう部屋、大好きである。フロントのおばさん、僕のクレジットカードを見るなり「まあ、なんてラブリーなカード」と。このカード、学生時代に作った「○き方」のカードを更新しているものだが、確かにカラフル。でも、こういう一言がすらっと出てくるのがこの国の感性だと思った。

 最大の目的を果たして、さてどうするか。結局、車窓からチラッと見たカンガルーを追って、動物園へ行くことにした。パース都心からは、フェリーで対岸へ渡る事になる。昼間のカンガルーはけだるそうにごろ寝。「昨日は食べちゃってごめんね。でもおいしかったよ。ありがとう。」こういう図太い神経も中国で養われたような気がしなくもないが、所詮人間は、植物であれ動物であれ他人様の命をいただいて生きているのだから、可愛いものは可愛い、美味しいものは美味しいと言うほかない。もっとも、目の前のカンガルーを食べちまう気はさらさらないが、この身勝手さは大事だと思う。断っておくが僕の本質は気弱な日本人。血を見ただけで立ちくらみがする。

  
     左:パース動物園のカンガルー 右:対岸から見たパース中心部

 あとの2日をどうするか考えた末、1日は南のバンバリーへ日帰り列車の旅を思い立つ。何故?西オーストラリア州鉄道で乗っていないのはそこだけだから。と言う訳で翌朝駅へ。本日の列車は売り切れ。翌日の往復切符を購入。ここでも僕のラブリーなカードは好評。今日1日時間があるということで、スワンバレーへピクニックに行く。近郊列車東線でギルドフォード。ここからはハイキングだ。かわいらしい町並みを抜け北へ。どうやら僕の持っている地図は車用のものらしく、一つ一つの交差点が非常に遠い。もっとも車社会のオーストラリア、当たり前の話ではある。青空を、パース空港へ着陸する飛行機が悠々と飛んでいく。緑の牧場。そんな時、急に携帯電話が存在感を表した。ここオーストラリアでもGSMシステムは有効。便利と言うかなんというか…。そしてスワンリバー河畔。橋の上で小休止。

 
左:ギルドフォードの街 右:家並みを見下ろす飛行機
 
     左:スワンリバー 右:牧場のお花畑

 その先、歩いた歩いた。お花畑はきれいなのだが、道を行くのは自動車ばかり。3時間も歩いて、バス停を見つけた時には正直ホッとした。バス停と言っても1本の黄色いくいが立ててあり、そこに「BUS STOP」と書いてあるだけ。でも、その辺を散策している間に30分に1本くらいバスが通っていたので、ころあいを見計らってピクニックはお開きとした。手元には朝購入した例の1日乗車券。よってバスもフリーパス。見た目は日本のバスの整理券みたいなちゃちな切符だが、霊験あらたかである。よほど切符に飾りをつけない実用本位の国と見た。ピクニックとはいえお昼を持っていかなかった。ファーストフード風日本食屋でビーフカレーの遅めの昼食。うまい!金曜日はパースのモール街が賑わう日。街頭パフォーマンスに目が釘付け。夕方、もう一度フリマントルの夕日を見に行った。

 いよいよオーストラリア最終日。今日の…いや、あすの深夜1時に、我がシンガポール航空はアジアへ向けて飛び立つ。往復ともとんでもない時間帯の便ではあるが。今日は南のバンバリーへ往復。列車はオーストラリアンド号。長距離列車の中で、この列車だけは例外的にシティ駅から出る。ホテルのフロントは例によってだれもいない。張り紙曰く「チェックアウトの方は鍵をキーボックスに投げ込んでお出かけください。例によって例のシステム。バンバリーまでは牧場の中をひたすら進む感じ。隣の席には、中国系マレーシア人の女性。漢字は読み書きできないと言うが、きちんと中国語を話すのはさすが。バンバリーに親戚が住んでいるらしい。
オーストラリアンド号

 バンバリーの街は海辺の町。海岸沿いの丘陵にテラスハウスが並ぶ。帰りの列車の時間まで、散歩と、海辺のレストランで昼ごはん。お昼はインディアンパシフィックで覚えたサラダパン。ここのはピザトーストみたいだった。まだ春だと言うのに波打ち際で遊ぶ人がいた。しまった。水着を持ってくるのだった。

 
左:バンバリーの街並みを抜けると    右:インド洋が見えてくる
   
左:海を眺めてしばしお昼寝。そして…   右:海辺のレストランでピザトースト

 駅と街中心部のバスターミナルの間を、市バスが無料でご奉仕。また無料だ。帰りのオーストラリアンド号は、さながら全巻丸ごと緑のビデオを巻き戻すの如し。それがまた心地よい。そして戻ったパース。あとはビデオのスイッチを切るだけといった感じだが、ここで回転寿司を見つけた。我が昆明で絶滅してしまった回転寿司。扉を開けると、土曜日は寿司食べ放題の日だとのこと。中国へ帰る僕への、神とパースの最後の贈り物。謹んでお受けいたしました。

      
再見!パース。          …パース空港国際線ターミナルの看板。少し寂しい?(右)

 少し早かったが空港へ。1時というとんでもない時間に出る、我が便の為に開いているような出発ロビー。荷物はボストンひとつと紙袋なので、機内持込にしようとしたが、ボストンの方を預けて欲しいと言われた。アメリカから遠く離れたオーストラリアでも、テロの影響が出ているのか。仕方なく必要なものを紙袋に入れ、ボストンは預けることに。ただ、難易度Cクラスの乗り継ぎ2回であるため、昆明までの航空券を出してしかっと念を押した。タグにはしっかりと《PER-SIN-BKK-KMG》と書かれていたが、本当に昆明で出てくるかな?免税品店で昨日のスワンバレー産ワインを買い込んで搭乗。今日は、「パース1:00発シンガポール6:00着。8:30発バンコク10:10着。12:00発昆明16:30着」という過激スケジュール。おまけにバンコク-昆明便は、週に2便のチェンマイ経由。朦朧としながら一気に中国へ戻る旅だった。今までで一番過激な飛行機乗り継ぎブロイラーの旅については、お決まりの機内食オンパレードで綴らせていただきたい。昆明では、出てくるのに時間がかかったものの、予想に反してしっかり赤いボストンバックが手元に戻ってきた。奇妙な感慨にふけりながら、家路についたのだった。     〜終〜

旅の締めくくり…PER〜KMG機内食の旅
パース-シンガポール(シンガポール航空深夜便)
シンガポール-バンコク(シンガポール航空朝便)
バンコク-チェンマイ(タイ航空Cクラス国内区間)
チェンマイ-昆明(タイ航空Cクラス)

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