中国鉄道の旅 12 昆明北22:45〜5931次普快〜蒙自9:30
蒙自12:30〜8955次普客〜宝秀18:50
宝秀19:05〜8974次普客〜石屏19:30
今回から表記が少し変わりました。というのは、第11回までは以前書いたものの焼き直し、ここからは書き下ろしということで自ずと状況が変わってきます。といっても、これから先いつ新しい鉄道旅行ができるかわからないので、この後の更新がいつになるのかは神のみぞ知るですが。
久々の中国鉄道の旅は雲南省、昆明から南に伸びる狭軌(といっても1000mm軌間、決して狭くは無い)鉄道。
昆明〜宝秀 路線図 蒙自駅に停車中の東方紅型ディーゼル機関車
3月30日、金曜日。急に旅の虫がうずきだした。で、事務所を閉めてから昆明北駅へ。今夜の開遠経由石屏行き5931列車、予想通りまだ寝台が余っている。表示によれば寝台の連結は開遠までなので、そこまでの硬臥切符を購入。改札はすでに始まっていた。改札口から見て3両が開遠行きの硬臥車、その次が私の乗るべき…行き先が「蒙自」となっている硬臥車、その先は延々硬座が続く。行き先が蒙自とは都合がよいと、車掌に寝台使用区間の延長を申請する。「わかった、後で精算するから。問題ない。」とのこと。これはありがたい。でも、この列車に蒙自行きが連結されていること、全国版時刻表も雲南版時刻表も全く触れていない。
22:45定刻に出発。早速駅で仕入れた大理ビールで、久々の汽車旅に乾杯する。この路線、途中宜良付近まで、新しく出来た南昆線とつきつ離れずしながら進む。王家営付近で南昆線の列車がこちらを追い抜いていった。あちらは標準軌(1435mm)電化でトンネル、高架の新幹線仕様、こちらは戦中にフランスがつくった地形のままに蛇行する路線、いたしかたのないことである。雰囲気としてはまさに日本の新幹線に抜かれる在来線である。この先、車窓は渓谷美なのだが、真っ暗では仕方が無いので就寝。
翌朝6:50、開遠着。大幅に乗客が降り、後ろ3両の寝台が切り離される。というわけで、我が車両だけがこの列車唯一の優等車両となる。7:10定刻出発。草(土貝)で河口(ベトナム国境)方面の線路を分ける。このあたり、山腹をぐるりと巻くように線路は進む。非常におおらかな線路の引き方で、気分も上々である。雨過舗駅に近づいてきた。右側の草陰から蒙自からの線路が合流してくる。ここでわが車両とその先の2両の普通車を残して、石屏行きの座席車5両が警笛を残して出発していった。しばらくすると構内で貨物の入れ替え作業をしていた機関車東方紅号が貨車を数量引いて開遠側に出発、そしてバックでこちらに向かってきた。ここからは貨客混合になって蒙自へ向かうらしい。大きな音を立てて3両の客車を連結、その反動のようにして蒙自へ向かって出発となった。蒙自までは、湖を見ながらなだらかな高原を進む。民家が増えてきたと思ったら9:30、のどかな蒙自駅に到着した。
次に乗るべき8955列車は12:30の出発。この時間に朝食と散歩を楽しむことにする。朝食はバスターミナルの近くの店で大好きな涼拌面を見つけた。すっぱからい味が最高である。蒙自の街はそれほど大きくなく、街の南に大きな池がある、静かな街だ。市場などを覗きながらその池へ向かう。池の中の島が公園となっており、そこへ入ってみることにした。週末と言うこともあって、ボートをこぐ二人連れや縁日の射撃を楽しむ家族連れも目立つ。公園の中ほどに過橋米線の像がある。そう、雲南名物としてすっかりおなじみのあの米線、実は蒙自が発祥の地なのである。
科挙の試験のため(でしたっけ?)島の庵で毎日勉学に励む夫、食事もろくにとらずにやせていく状況の中、心配した妻が考え出した冷めずに好きなときに食べられる料理とは?というお話。たっぷりの油を表面に浮かせ冷めないようにしたスープと、米線、具を別々に持っていき、食べるときにスープに具、米線を入れるわけですね。これを妻が橋を渡って夫のところへ持っていったという伝説です。夫も妻の心に打たれて、食事をとるようになりましたと。
いやー美談ですね。ともかくそういった伝説の像があったり、例によって革命烈士の記念碑がたっていたり、見所の多い公園。記念碑の説明書きは、漢字、ハニ語、イ語の併記。ここが紅河ハニ族イ族自治州であるということを物語っている。そろそろ駅へ戻ることにする。
12時、すでに列車はホームへ入っていた。この路線、蒙宝線といい、蒙自と宝秀を結ぶのだが、しばらく石屏から宝秀までは運休されていた。1年程前から時刻表上に復活、宝秀がいかなるところなのか興味があった。石屏はその地方の中心都市らしく昆明までのバスも走っていることははっきりしていた。問題は宝秀へ着いた後の交通手段。でも蒙自駅の時刻表で、宝秀に着いた列車は石屏まで8974次として戻ることが判り一件落着となったわけである。宝秀までの切符は常備されていないらしく、補充券となった。定刻に数分遅れて出発。雨過舗までは来た道を引き返す。前に座ったおばさんが、僕が宝秀まで行くことを知ると、「へえ!」っと驚いていた。山腹の線路、水田脇の線路、とろとろと走る列車は気持ちが良い。気候もよく、窓は全開である。前の若者がタバコを勧めてくる。一応車内禁煙のはずだが、あちこちから紫煙が上がっている。通気性も抜群だし、文句を言う人もいない。となりの老夫婦はどっさりとひまわりの種をテーブルに置き我々(僕と前の若者)に勧めてくる。のどかで楽しい汽車旅。1人の車掌がお盆におわんをたくさん載せて売りに来た。1つ頼んでみると涼米線、もうひとりバケツを抱えた車掌がついてきて、おわんにスープを注いでいく。これがまたうまい。バケツを抱えたほうの車掌はあられちゃんみたいな童顔で親しみが持てる。お盆の車掌はごついおじさん、と思ったらなんと列車長。国鉄も増収のため、いや人民の快適な汽車旅のため(笑)頑張っているのである。あられちゃんが今度はプラスチック皿をたくさん持ってやってきた。またまた試食してみると、ココナッツタピオカ。うーむ、デザートまで用意するとは完璧なサービスである。16:20建水着。ガイドブックにも載っているような大きな町である。降りてみたいのはやまやまだが今回の目的は違う。ここで先頭の貨車を切り離し、そして客車2両を増結した。夕方の帰宅列車となるのだろうか、ホームは乗客であふれかえっている。この駅もなんとなく風情のある駅、そういえば大都市の駅は近代化のため立替が進んでいるが、この路線は風情のある駅が多い。こういったところもローカル線ならではかもしれない。
16:35建水発。風景はますます穏やかになっていく。開遠市、蒙自県、個旧市、建水県と進んできた列車の旅もいよいよラストの石屏県に入る。左手にはまた大きな湖が見えてくる。そして車内がざわめいて、18:20、石屏に到着した。でもまだ最後のお楽しみが、と思っていると、車内ががらんとなる。ごつい列車長がやってきて、宝秀は前の2両に移るようにと教えてくれた。
一般的に中国国鉄の運用は列車の分割、併合といった小細工をあまりしないものだが、5931次列車といい、この8955次列車といい、この路線ではずいぶんこまめな車両運用をしていると感心する。
前の車両に移ると一気に農村の色が濃くなる。客車2両連結とは、中国では最小(いや、合山線は1両だったか)の編成と思われるが、2両のうち1両は申し訳程度のロングシート以外ははっきり言って荷物車のごとく。大量の肥料袋で埋まっている。小平陽時代を思い出しながら先頭車両へ行くと、こちらは一応まともな車内。野良仕事の格好そのもののおやじさんの隣に座らせてもらう。18:27、石屏を出発するとすぐに水田の中を行くようになる。次の駅、18:39の松村で過半数が下車し、ゆるやかな登りとなって18:50、疲れましたというかのようにだらだらと終点宝秀に到着した。畑の向こうの山懐に集落が見える。駅も極めて小ぶり。のどかさを満喫したいところであるが、15分後に出発する帰り便に乗らないと大変なことになりそうなところだ。外国人の私を泊めてくれるようなところがあるかどうか…。駅舎の入り口は閉まっており、切符を買えそうな所がない。購入は車内ということにして、駅のたたずまいや機関車の入れ替え作業などを撮っていると、駅に散歩にでも来たらしいおじさんに話し掛けられる。うーむ、でも何を話しているのかよくわからないのだが。でも、来た列車で帰ろうとする私の行動に対して不信感を持っているような素振りはなく、ニコニコしながら撮影を見ている。
宝秀駅
発車時間が近づいてきた。とりあえず列車に乗り込む。中はがらんどう。国鉄職員らしき人が数名と、自転車を抱えた人1名。この列車、限りなく回送列車、または業務用列車に近いようだ。車掌も車内を歩きながら冗談を言いつつ、そのまま乗務員室へ入ってしまった。時刻表より5分早く出発。列車はするすると下り坂を駆け下りる。松村でも国鉄職員が乗り込む。こちらは取り付く島のないまま。まじめな日本人の心境は、「早く検札に来てよう!」車内の一角だけ異様に盛り上がったまま列車は石屏へ到着。仕方がないので駅で精算しようと決め、下車してみたものの、職員不在。宝秀〜石屏間10km、多分1.5元だと思うのだが、結局ただ乗りとなってしまった。「とっても払いたかったんだよ」と心の中で叫びつつ、がらんとした石屏駅を後にする。
宝秀駅で機関車の付け替え
さて、どうするか。ともかく静か過ぎる駅前から町の中心へ移動するのが先だ。近くの商店で聞くと、バスターミナル、町の中心とも、それほど遠くはないらしい。古い町並みの続く路地を歩くうちに、大通りへ出る。新市街へ出ると先ほどの寂れた様子は嘘のようにあたりまえの地方都市が広がっている。何軒かの店でバスターミナルの場所を聞きつつ(こちらの中国語を聞き取ってくれない人もいたので)暗くなり始めた街をさまよう。これはここに1泊かな、と思い始めた頃、歩道にバスが3台とまっている「バスターミナル」ならぬバス停を発見。窓口で聞くと、一番大きな寝台バスが、今晩10時に昆明へ向かうことがわかり、無事切符の購入となった。あとは商店で今夜の夜食の入手、おいしそうなワインがあったが栓抜きが無いと一瞬締める、でも思い直して店の人に聞くと、売り物の栓抜きを持ってきて封を開けてくれた。これを手元のミネラルウォーターのペットボトルへ移して、今晩の飲料出来上がり。店のおやじに敬意を表してつまみを買い込んだのは当然のことだった。