中国鉄道の旅 13 2000年3月以前の追加

 「追加」…つまり、文章化されていないけれど乗ったという記録です。文章化されていないということは基本データが全く欠如している(調べりゃ乗車券くらいは出てくるけど、そんなものは全て3千km彼方の日本。ついでに古い時刻表見ればわかる話だけど、そんなもの調べるの面倒くさい。でも乗ったという記憶が消える前に残しておきたいという見栄っ張りな私です。総ざらいでざっと進めます。もう一回乗車できればよいのだけどねえ。(順不同、思いつくまま)

1.1999年7月 重慶〜成都〜昆明

 昆明に所用。素直に行ったのでは面白くない。で、桂林から飛行機で重慶へ。夜8時ごろ着。そのまま空港バス+タクシーで駅へ。切符売り場で成都までの無座乗車券購入。この列車、第8回で出場済みの列車の裏返し、すなわち(北海〜南寧〜貴陽〜)重慶〜成都というツワモノ。案の定2時間ほど遅れて深夜2時頃到着。でもって、例によって列車長に掛け合う。外国人居留証を握り締めて。結果は居留証を出すまでも無く硬臥入手。私がついているのか、鉄道とはそりが合うのか、それとも中国鉄路の今はこんなものなのかはわからない。が、この掛け合いで裏切られたことはいまだかつて無い(注:友人達は結構裏切られてます。よって、これをする場合、「通路で寝る」という最終手段を念頭におくこと。また、安全を求めるならば、春節のような特殊期間は絶対まねをしないこと。:注終)。思いっきり寝て、寝ぼけ眼で起きると、四川の山里を列車は突き進む。冷房は無いけれど窓からの風が心地よい。今の日本じゃ、真似できないからねえ。お昼頃には成都に着いたと思う。
 続いては成昆線。この路線、ファンの間では有名な山岳路線で、一度は昼間乗ってみたいところ。そうすると2泊3日の普通列車の旅か…と、のんきなことを言っている場合ではない。成都の駅前は人、人、人。四川省は日本よりも人口が多いのだ。切符売り場を探す、探す。そこもまた人、人、人。
 幸い大きな電光掲示板あり。予定していた昆明行きはもちろん売り切れ。無座すらないというありさま。これはさっさと航空券売り場へ行ったほうがよいか?でも、丹念に見ると追加でもう一本運転されている。そして、軟臥(日本でいうA寝台)に3席の空きを発見。いざ出陣。行列に並ぶ。遅遅として進まない行列にいらいらしつつ、中国人民と一緒に割り込みに断固抗議。人間時には強くなるものだ。表示が「2」に変わる。あやや!。30分で窓口へたどりつく。注文を受けたとたんにおばさん駅員「没有」。うーん。こんな死語、初めて聞いたぞ。手元の居留証を振りかざすがだめそう??結局おとなしい日本人の鏡である私はすごすごと引き下がりかけた。が、毛主席は私を見放さなかった。おばさん駅員が一言「等一下!(待った!)」。手に入れた切符を撫でまわす私だった。あの「没有」は反射的に出た言葉だったのか、それとも緑の居留証が効を発したのか、未だ不明。売り場を去るときにダフ屋に声をかけられたが、すでに余裕を取り戻していた私が「持ってるよー」と切符を見せるとびっくりしてた。成都、切符の手に入りにくい町。
 夕方出発。初めての軟座。でも航空運賃の四分の一(グリーン車の場合)。余裕で愉快な旅が始まった。成都を離れると早速登り。峨眉などを通り過ぎていくうちに暗くなる。これからがこの路線のハイライトらしいが暗くてはしょうがない。西昌などの駅名を見た記憶は残っているのだが、よく覚えていない。人間あまり快適な環境だと、記憶に残らないものなのだろうか。それとも寝ていたか?それでも支線のわかれる攀枝花(すでに明るくなってから)の記憶と、大きなループを描いて下っていく(攀枝花より後)記憶は残っている。そして広通で、できたばかりの大理からの支線と合流。向きを東へ向け、昆明へ。
 いずれにしても再乗車の必要ありの路線ではある。

2.1998年 来賓〜南寧〜憑祥

 週末の一息。ベトナム国境を見てくることにする。
 来賓〜南寧は、実は数回乗ったのだが、実務本位だったため詳細を覚えていない。ともかく、1日3本。4時間。高速道路が開通していなかった当時、バスでも4時間かかった。今では高速バスで2時間。時代は変わった。当時、列車は壊れないという点で、本数の少なさをカバーしていた。小平陽からだと、一度来賓へ行き、もういちど南へ進路を変える事になる。小平陽を突き抜ける列車の窓から、複雑な心境でわが町を眺めたものだった。途中黎塘の一駅に停車。そのうち大河(よんじゃん)の縁を行くようになって、南寧へ到着する。
 南寧〜憑祥は普客が1本、快客が1本走っている。翌朝の8時過ぎ、快客で憑祥へ。田んぼやさとうきび畑などを眺めながら進む。ちなみに帰りはこの区間、普客でのんびり帰った。これで終わり?では申し訳ないのだが、車窓のことは「のどか」という文字以外記憶に無い。これももう一度のってみないとだめですか?
 憑祥の街、南国風情が満喫できる。ベトナムうどんの賞味可能。生葉っぱを好きなだけ入れる。中国文化では味わえない新鮮なハーブの香りにほっと一息。外国人の通行可能な友誼関の国境は残念ながらビザ取得者以外通れない。よってベトナム側を見ることは不可能。ただし通商用の出入国場所は他にもあり、こちらは市場を覗くことが可能。中国側検問所の手前から泥沼、もとい、泥道の向こうのベトナム側検問所を見晴るかした。荒地以外何も見えなかったが。

3.1999年 来賓〜湛江

 これまた週末のミニ鉄道旅行。来賓では例によって(これしか方法が無い)乗務員交渉法で硬臥ゲット。行き先の湛江は広東省だが、鉄道の管理区分では柳州鉄路局管轄、広西の外港みたいなもの。東洋のハワイ(ほんまかいな)海南島のアクセスポイントである。翌朝目を覚ますと水田地帯をひた走る。土の色も来賓あたりの赤い土とは違う。湛江に近づくと、車内を海南のパンフレットを持った人が歩き回る。旅行社の客引き。そんなところにわずかなリゾート気分を感じつつ列車は終点へ。湛江は潮の香りがわずかにただよう港町だった。

とりあえず以上。思い出したらまた更新します。


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