中国鉄道の旅19 南寧17:20〜2572次〜広州8:29(硬臥210元)
           広州16:00〜K555次〜潮州23:54(硬座92元)
           潮州7:16〜2363次〜汕頭7:58(硬座9元)

 久々の汽車旅。こちらが汽車旅を望んでも、時間の都合その他で何かとうまく行かないのだが、今回は私用による広州領事館訪問ということで片道汽車旅となった。その後はついでの旅行。
 駅前も整備されすっかり面目を一新した南寧駅に対面。待合室は例によって大げさなほど大きい。中国汽車旅を実感する一瞬。発車30分前、改札が開く。列車の入り口には例によって無愛想なおばさん車掌だが、まあよい。ホームで旅のお供のビールを購入。久々にめぐり合った南寧特産万力ビール。定刻に出発。この道は以前来賓との往復でお世話になったルートなので懐かしい。当時は川の反対側で高速道路建設の真っ最中だったが、現在は全部開通済みだ。食堂車を楽しもうと思っていたのだが、ビールが手元にあるのでお弁当(おかずぶっかけご飯)で済ますことにする。食べて飲んだら眠くなる、というわけでさっそく食後の休息。気がつくと分岐駅黎塘。この駅も極めて懐かしい駅だ。ここで来賓方面への路線と別れ、一路海を目指す。本当はさっさと寝てしまい、明朝4時半の河唇から先の未乗区間を楽しみたいところだが、なかなかそうもいかない。それでもうとうとを繰り返し、そのまま寝入る。やはり列車の揺れと睡眠は相性が良い。翌朝しゃっきりしたのは6時半、三水到着前。窓の外はすっかり広東で、家並みや公司などが途切れない。広西ならば何も無い空間が続くのだが。三水で20分停車。その間に広州発重慶行きの列車とすれ違う。あとは広州近郊で、徐々に家が増えてきて、定刻8:29、広州に到着。
 半日で広州の用事を済ませ、16:00発の列車で広東省を北上する。
隣の若い女性、座席で足を組み直したり髪をいじったり落ち着かないが、とりあえず無視する。列車のアナウンスが詳細を極め面白い。「乗客の皆様、ようこそK555列車へ。皆様に列車内でのご注意を申し上げます。危険物の持ち込みは禁止でございます。列車は高速で走っておりますし、大勢のお客様がお乗りです。危険物を持っておられる方がおりましたら、列車乗務員までご連絡ください。良いご旅行を。」??。「お子様連れのお客様、ご乗車ありがとうございます。あなたのお子様のご乗車も歓迎いたします。お子様連れの方にご注意申し上げます。列車は高速で走っております。車内を駆け回ったり、おいたなどなさらないよう、十分注意してあげてくださいませ。良いご旅行を。」…。「ただいま、列車放送室にて、ベトナム製香水の販売をいたしております。香水といえばフランスですが、ベトナムも品質の良い香水で有名でございます。香水の歴史はかくかくしかじか。ベトナムでの香水製造の歴史はかくかくしかじか。香水の効能はかくかくしかじか。奥様へ、ガールフレンドへ、娘さんへ、ぜひお土産にお買い求めください。」。…この丁寧な放送、お役人と思えない。香水の直販には笑えたが。しかし時折通る車内販売の、「べんとー、弁当来了!」、「鶏足、鶏足!」「カップラーメンだよ」などというどら声との比較がまたたまらない。
 家並みが切れないのは、今朝と同じ。やはり広東は違うのだろうか。そして外が暗くなる。
 隣の女性、前の席の若者が席を立ったときに、「私は寝たいんで、前に席に移って欲しい」と言ってきた。「前の人、降りたわけじゃないよ。荷物があるでしょ。前の人が戻ってきてから聞いてみな。」。しばらくして若者が戻ってくる。彼女、「ほら、戻ってきたよ。」…さすがにぶちきれた。「そんなもの、あなたが寝たいならあなたが聞くべきでしょ。礼儀知らずだよ。だいたい、寝たいなら寝台車ついてるんだからそっちに行ったら。」。ぶちきれた後少し後悔したが、以前の僕だったら絶対こんなこと言わなかっただろうに、やはり性格がちょっときつくなっているかもしれない。後で後悔するくらいなら切れなければいいのだけど…。後でフォローして、「別に席を移りたくないわけじゃないよ。でも、ものには言い方があるでしょ。」というわけで、結局移る。その後、このボックスの3人で少し話した。
 すっかり夜更けといった感じの潮州駅着。街から遠く、駅も小さい。三輪バイクで街へ行き、潮州飯店泊。翌日は潮州観光。潮州料理は、高級中国料理として有名だが、街はかわいらしい地方都市だ。一歩路地に入ると、なんだか昔の中国を歩いているような趣のある街だった。
 26日、今日は汕頭から南寧へ戻る日だ。バスなら街中から頻発しているのだが、この路線の終着駅、汕頭まで列車を使いたかったので、またまた町外れの潮州駅へ。7:16の汕頭行きは、空席だらけ。南国のようなそうでないような風景を見ながらの40分はあっという間だった。汕頭駅は潮州とは違い近代的ビル駅だった。

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