中国鉄道の旅 第2回 来賓〜合山(993次混合 六十数km/100分/6元)
第2回は、来賓駅から出るローカル支線。全国時刻表には載っていません。こういった地方鉄道、広い中国にはまだまだあるはずです。やはり興味の尽きない中国鉄路ではあります。当時(1998年夏)は蒸気機関車の牽引する貨客混合列車だったこの路線、その後、合山炭鉱が閉山され、一時は廃止の危機に陥ったようですが、レールバス牽引になり1日1往復を2往復に増便し、さらに停車場を増やして、旅客の獲得に努めています。現在も本数は少ないものの貨物列車は蒸気牽引のはずです。観光で訪れるような場所ではありませんが近くに来られることがありましたらおすすめしておきます。昼の便は11時ごろ来賓を出て午後3時ころには来賓に戻ってこられる便(これが増便されたもの)があるはずです(2000年3月末現在)。列車番号がどう変わっているか、また最新情報などはわかりかねます。すみません。
来賓駅には、ここを始発、終着とする謎の鉄道がある。切符売場を覗いてみると、その列車の時刻は時刻表に出てはいない。そして料金表にもその駅は載っていない。しかし待合室の時刻表には、「合山行き993次16:10発」「合山発994次9:35着」の2本の列車が確かに書かれている。しかし解るのはそれだけ。合山までの所要時間はどれくらいか、停車駅はどこか、そもそも合山とはどういうところか、全く解らない。広西区の地図を見ると、合山市は来賓の隣町で、鉱工業の街であること、そこまで鉄路がつながっていることが解る。また、合山市は対外開放都市であり、外国人の入域に関しての制限の無いことも判明した。そこでこの謎の鉄道の実態を解明すべく、調査を試みた。案ずるまでもなく切符は普通に購入することができた。6元というのは少し高い気がしたが、この鉄路が国営ではなく地方鉄道であることが原因かもしれない。15時50分待望の改札が始まり、ホームへ飛び出してあっと驚いた。列車の止まっているところがホームに接した線路ではなく、1本線路を挟んだ退避線であった。そして列車そのものも奇怪であり1両の古ぼけた客車の前後に各々10両以上の貨車をつないだもので、機関車は遥か遠くに霞んでいた。車内に入ると、簡易ベンチを並べたような座席はほぼ埋まっていたが、何とか席を確保することができた。定刻の2分前に出発。出だしがやたらと遅いのが気になって窓側の人が通路に立ったすきに前方を眺めると、機関車は黒煙を上げている。中国でも幹線では見ることが希になっていた蒸気機関車の牽引であった。左にカーブし、来賓の街を避けつつ湘桂鉄路(本線)から分かれると、正にミステリーツアー。停車駅も時刻もすべて不明の旅となった。水田とサトウキビ畑の中をゴトリ、ゴトリと進む。硬欲K播庚K易祭渥と来賓県内の駅に停車。16:55着の易祭渥で、長時間停車を始めたと思ったら、機関車が貨車の付け替えを始めた。17:08、やっと機関車が戻ってきて出発。混合列車(日本にはすでにこの言葉すら存在しないが)の良さであり、まだるっこしさでもある。夕暮れの田んぼのたき火、その煙が懐かしい香りをいっぱい車内に運ぶ。少し大きな街、河里(後に、ここから合山市であることがわかった。)発。付近の山々がテーブル型に盛り上がる頃、今まで存在感の無かった車掌が現われ、車内の掃除を始めた。ということは、合山は近いのだろうか?次の王所駅では駅帽をかぶった子供が、母親であろう駅員にしがみついているのが、なんとも微笑ましかった。写真を撮りたかったが、この路線では余りに目立つ行為であることを自覚して、自粛した。列車に向かって手を振る若者がいる。そして17:50合山駅着。構内も駅前もだだっ広く、駅舎ともども煤けている。十数年前に(もうそんなになるとは思わなかったが)乗った廃線間近の北海道は炭坑路線を思い出す。あの頃、もし自分があと十年早く生まれていれば、廃線騒ぎになる前の本来のローカル線を楽しめたのにと悔しい思いをしたものだが、その仇を中国で返せるとは思いもしなかった。今ですら1日1往復のこの路線に対して、バスは30分に1本はでているようだし、中国が効率第一の先進国になれば、この路線の未来も明るくはないと思わざるを得なかった。
合山の街について少し触れる。だだっ広い街だ。来賓は県、合山は市で、中国の基準では合山の方が大きそうに見えるが、僕は来賓の方が上だと思った。でも、工業が発展しているらしいので、来賓よりも金持ちなのかもしれない。一番大きそうに見えた合山大酒店に宿泊。マネージャーが人懐こく、僕らの部屋のテレビがうまく映らないと解ると、別なものに取り替えさせてくれた。でも後になって解ったことだが、テレビより重要な冷房が壊れていたのには困ったが。翌朝、時刻不明のため早目に駅へ行った僕を乗せて(のんびりしていた連れは乗り遅れた)、汽車は出発した。早く着いたにもかかわらず写真など撮っていて席を確保しそこなってしまったが、親切な車掌は立っている客に対して通路に座るための(もちろん読んでも良いが)新聞を配り始めた。このようにいかにも無愛想でお役所的な人から思いもよらない親切を受ける、このギャップは中国の旅の醍醐味かとも思う。通路にまで人があふれかえった復員列車(?)は、9:30煙を吐きながら現代都市来賓へ復帰した。
重量級のもの2点セット。合山行蒸気と小平陽の水牛
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