中国鉄道の旅24 南寧11:00〜T6次〜柳州14:25(硬座41元)
           柳州17:30〜K155次〜昆明 翌20:50(軟臥379元)

 また、久々の鉄道の旅となった。南昆線(南寧〜昆明)だけは、時々航空便代わりに仕事で使うことがあるのだが、他の線はなかなか機会が無い。今回1番手のT6次は、2年間住んでいた小平陽の様子を見るよい機会となったし、2番手のK155次の柳州〜貴定の区間は広西に残る最後の幹線級未乗区間、貴陽〜昆明間は初めての昼間の乗車ということで、のんびり列車の旅を久々に楽しんだ。

 3月26日、ちょっとした調査のため、古巣の来賓へ行くことになった。予定では今や圧倒的に便利になった高速バスで柳州へ出るつもりだったが、南寧に予定より早く着いたため、列車に乗ることにした。バスならば20分か30分おきに出ているが、列車はこの11時の列車を逃すと、次は15時台になる。高速道路が一気に伸びた広西では鉄道は苦戦気味である。
 11時発のT6次特快は、広西一の名門列車、北京西行きである。中国の旅客列車の番号、1から始まって8000番台まであるが、長年1,2番は常に北京〜長沙(毛沢東の故郷にあやかっている)の列車、3,4番は北京〜モスクワの国際列車となっている。その次の5,6番が我が広西へ向かう列車というのは、晴れがましいことである。この列車にたった一区間乗るのはなんだか気が引けるが、発車30分前でも指定席が手に入った。既に改札は始まっており、そのままホームへ向かう。指定された16号車は、機関車、荷物車に続いて連結されたはるか前方だった。硬座といってもさすが名門列車。停車駅などを表示する電光掲示板だけでなく、なんと飛行機並に天井に何台かテレビまでついていた。
 11時定刻、張家界からの列車の到着と入れ違いに、南寧駅1番線からゆっくりと動き出した。このあたりもさすが名門列車で、いつもの南昆線昆明行きとは扱いが違う。最初の駅長崗嶺までは市街地だが、ここを過ぎると早速バナナの木が見えてくる。車内放送では、お決まりの危険物持ち込み禁止の案内。そしてテレビでも同じような内容を放映しているようだ。線路はあちこちで改良工事中のようで、放棄された路盤が分岐していくところ、目下工事中で徐行させられるところ等さまざまだ。邑寧から長塘にかけては微速前進が続く。また、以前は見かけなかったはずのトンネルも通過する。車窓はまさに広西農村の原型、水牛が寝そべっていたり、駅に近づくと砂糖工場が煙を上げていたり、郷鎮企業のレンガ工場があったりする。1日1本の鈍行しか止まらないにしては大きな、小平陽並みの街に見える六景を過ぎると、次は芦村。鈍行以外に南昌行きの普快列車も停車する街だが、T6次列車は速度も落とさず通過した。車内販売が回ってきたので、ビールを買う。南方爽ビール、生産者は「湖南燕京ビール」。地方の工場を吸収合併するチンタオビールに対抗し、燕京も動いているようだ。
 前方から2名の列車員がやってきて、車内放送(テレビ)の音声を消す。「お寛ぎのところ申し訳ありませんが…」さてさて、検札はもう済んでいるし、身分証チェックでもはじまるかと思っていたら、なんと靴下の宣伝販売。「本日皆様にご紹介するのは湖南××公司から発売された全く新しい靴下です。」手伝ってもらう乗客を指名し、靴下を思い切り引っ張ったり、そこに錐を通したり、「穴が開かない、破れない」靴下の宣伝に大熱演。熱演で車内が暑くなると、窓側の乗客に窓開け指令を出す気配りも忘れない。乗客に強制的に協力させるところが中国らしいが、今更言うまでも無く、商売第一のこの姿勢はもはや社会主義らしくない。
 靴下も無事何セットか売れたようで、列車員が隣の車両に去っていった12時34分、ちょっと懐かしい黎塘を通過。遠くにギザギザの岩山が見えてくると和吉村駅通過。この先から小平陽鎮だ。12時47分黄坡通過。風景が見慣れたものになってくる。12時50分、舗装道路が近づき、家が立ち並び始めるとあっという間に小平陽を通過した。何度も利用した駅舎の脇になにやら新しい建物が建っているが、基本的な雰囲気は変わっていないようだ。古夢、平塘、良江を通過し、渇水状態でほとんど川底の見えている紅水河を渡り、13時18分、来賓通過。さすがに鈍行列車とは速度が違う。サトウキビ畑と岩山を眺めながら列車はますます快走。到着予定より1時間も早い13時50分には最後の通過駅進徳を通過、柳州到着の案内放送まで入った。不思議に思いながら出口の行列につくが、構内進入に時間がかかり柳州駅を目前にストップ。結局到着は14時25分だった。それにしても20分の早着。ダイヤの組み方次第で、中国の列車はまだまだスピードアップが可能に思えた。

 柳州では次に乗る155次の乗車券手配。柳州ならば…と期待したのだが、残念ながら寝台券購入不可。買えたのは「無座」のみ。「無座」で列車に乗るのは久しぶりだ。春節の時期でないことから何とかなるとは思ったが、仕事用荷物を抱えているだけに少し緊張した。この日は列車で来賓へ戻り、1泊。翌日午後、こちらは強くお断りしたのだが、結局柳州まで車で送ってもらうことになる。そして車を軟座待合室に横付け。外国人であれば軟座待合室を使えるという古きよきサービスが柳州ではまだ残っているようだった。北京ではこのサービスは健在だが、昆明で入場拒否に遭ったことがあるので、柳州には驚いた。というか、何度も使ったことのある柳州駅で、この軟座待合室の存在は知らなかった。人の気配すらない軟座待合室中央ホールの池では、鯉が悠々と泳いでいた。
 定刻17時05分、南京西駅からのK155次列車が2番線に到着。地下道から遠く離れた軟座待合室からどうやって2番線へ行こうかと悩んだら、駅員が線路を直接渡るよう教えてくれた。さすが…。5号車から乗り込み、列車長と交渉。思ったとおり、すぐに軟臥の補充券を発行してくれた。相変わらず台帳をめくって空いた寝台を探す方式だったが、補充券の発行はコンピュータ化されていて、日本のJRと同じような携帯型発券機に寝台の番号などを打ち込んで発券。途中駅では空席状況がつかめないといった相変わらずの面がある一方で、中国鉄路もハード面での改革は進んでいる。ともかく17時半の出発前にこれから27時間の安住の地を確保し、一安心だ。このコンパートメントの先客はおばさん一人。他の人は柳州で下りたらしい。おばさんは、合肥で学校に通う子供のところから安順の自宅へ帰るところだった。放送で夕食の案内が流れる。列車が動き出し、車掌が切符を乗車票に交換しに来る。同時に身分証チェックし台帳に書き込む。これは以前は無かったように思うのだが、最近寝台車に乗ると必ずこのチェックがある。居住権が確定したのですぐにお隣の食堂車へ。予想していたおかずが無かったが、「酸菜肉片」「青椒腐皮」とビールを注文。腐った皮とは湯葉みたいなもの。ビールは残念ながら地ビールではなくチンタオだった。中国列車の旅最大の楽しみはこの食堂車であるが、中国でも食堂車の不振が続いているようで、いずれ縮小されていくのではないかと言われている。列車の速度向上で、何日も列車に乗るということが徐々に減ってきていること、航空便の発達で、従来軟臥に乗り食堂車で食事をしていたような層が飛行機へ移りつつあることが原因だろうか。この列車の食堂車も満席には程遠い状態だった。洛満で融水、懐化方面の線路が分かれ、いよいよ初めての区間に入る。風景は相変わらずサトウキビ畑と岩山。もっと山間部に入っていくのかと思っていたが、意外と景色は開けている。こちらでも線路改良工事をやっており徐行個所があって、宜山に20分遅れの19時20分着。外が暗くなりはじめ、このあたりの中心地金城江到着の20時30分には既に真っ暗になっていた。地図を見るとこの先の山越え区間が面白そうなのだが…。ここで六盤水まで行くというオジサンが乗ってきた。少し話して、後は新聞を読むオジサンにつられてこちらも本を読みつつたまに通過駅を確かめて過ごす。22時過ぎに夜の間の停車駅、麻尾、都堰A貴定の到着時刻案内があって放送も休止。我がコンパートメントも就寝体制に入る。
 翌朝目を覚ますと外は明るくなり始めていた。「麻芝舗」の駅名表が通り過ぎる。既に湖南方面からの路線と合流して複線になっていた。初めて区間の乗車は寝ている間に終わったようだ。食堂車から朝食の案内放送。早速出かけてみると、米線か麺のみ。お粥も豆乳も油条もないというのはちょっとやる気がなさげではないかと思ったが、この列車の基地である昆明に敬意を表して米線を頼む。10元の米線とはちょっと高いなと思ったが、一応米線大碗に付け合せの小皿(ピーナッツ、酸菜)、1杯の牛乳がつく。食べているうちに貴陽到着。どこで遅れを取り返したのが、ほぼ定刻の7時40分だった。
 コンパートメントに戻ると今度はオジサンが食堂車へ行った。20分の停車で貴陽発。貴州省は山また山の印象が強いが、広西とあまり変わらないような風景の中を行く。カルスト地形の岩山も同じだ。ただ、広西で目につくサトウキビ畑は見かけない。9時50分安順。また遅れ始めているが、ここでオバサン下車。オジサンと話をしているうちに、六枝到着。このあたりから山が迫り始め、山岳路線を登っていく実感が湧いてくる。11時半に昼食の案内。折角なのでまた食堂車へ。メニューは昨日と全く変わらずなのだが、シイタケ肉炒めにスープ、ご飯を頼む。ビールを頼まなかった理由は、次の六盤水で地ビール探検をするため。コンパートメントに戻ると、オジサンが荷物の整理をしている。
 山を縫うように進んできた車窓にくすんだ町並みが見えると貴州最後の停車駅、六盤水に到着。オジサンと握手で別れた後、ホームに下りて手押し車を覗き込む。もちろんビールあり。持ち帰ってラベルを見ると、「山城ビール」と書いてある。どこかで見たような…、重慶で飲んだのを思い出す。生産者を見ると、重慶ビール集団六盤水ビール有限責任公司とのこと。六盤水生産であることがわかってホッとしたが、時代の流れで、青島、燕京といった大企業だけでなく、中規模の会社もグループ化が進んでいるのかもしれない。何年も飲んでいない柳州の魚峰ビールがどうなっているか少し不安になった。今回、柳州で魚峰ビールを買ってから列車に乗ろうと思ったのだが、軟座待合室に軟禁状態にされたせいで買いそびれてしまったのだ。はっきり言ってうまくないビールだったが、気温35度のもと冷やさずぬるいのを唐辛子の酢漬けと一緒に飲むとなぜだか味のあるビールだった。
 ほどほどの味の山城ビールを飲みながら魚峰ビールを想う。窓の外は鉱山のような雰囲気。そしてトンネル。少しうとうとしてから車窓を見てびっくりした。深い谷に細く切り刻んだような線路。景色が厳しくなっている。ゆっくりと通り過ぎる駅の名前は「荷馬嶺」。この線路以外に下界に出る手段はないようなところだ。後で調べると、ここが雲軟側最初の駅だった。めまぐるしくトンネルに入りながら、谷に沿って進み、最後のトンネルを抜けると景色が一変、のどかな盆地に入る。線路際で市場が開かれているようで、カラフルな少数民族らしい衣装を着た人たちが集まっている。線路に寄り添う赤土の道を走る馬車を追い抜く。集落に入り小さな駅を通過。「田【土貝】」と読めた。赤土剥き出しで土地は痩せていそうだが人の気配は濃厚な農村を進み、20分遅れで16時宣威到着。遅れていてもしっかり予定通りの15分停車。湖畔に大きな火力発電所が見える。
 長距離列車に乗っていて問題なのは、だんだん注意力が散漫になってくることだがこれは仕方が無い。2時間や3時間ならば窓にかじりついているのだが、この列車に乗ってから早くも丸一日。なんとなく時間を右から左へほっぽるようになる。おまけに我が居室は六盤水以降自分専用になっているのでどうしてもうとうとしてしまう。18時、最後の途中駅曲靖に到着。後部硬座の人の乗り降りは多そうだが、もはやここから寝台車に乗ってくる客もいない。昆明に近づくにつれて、赤土剥き出しの風景から緑のある柔らかな風景に変わってきた。9室ある軟臥車もすっかり静かになる。残っている乗客も、最後のお休みタイムをとっているようだ。20時過ぎ、さすがの雲南もすっかり日が暮れる。車掌が乗車票と切符の交換に来る。以前だったら寝具の片付けをされそうなところだが、今回も昆明到着まで僕の分は片付けられなかった。このあたり、規律が緩んだというか、よく言えば乗客本位になってきたというところだろうか。外もすっかり暗くなったので、僕も最後の休憩と横になる。遅れるかなと思っていたが、昆明の街の光の海に飲み込まれて、定刻20時50分昆明駅に到着。目下工事中であるが昆明駅ホームはよくつくってある。工事の最初に手がけたのがホームの嵩上げで、中国国鉄の駅の中でも乗降にステップを使わないですむのは例外的なのではないかと思う。駅工事も進んでいるようで、出口が以前の位置の地下になっていた。仮出口があまり西の外れだったので重い荷物をどうしようかと思っていたが、地下道の位置が戻っていてほっと一息だった。工事で混乱中の駅前広場では招待所の客引きが声をかけてくる。それを振り切って23路の市バスに乗り込む。久しぶりの中国鉄路らしい旅は終わった。

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