中国鉄道の旅 第3回 北京西〜重慶(389次直快 2086km/35時間43分/336元(硬臥中段))
1998年7月の記録です。ようやく大陸らしい大型列車の登場です。この列車は2000年10月の改正で1389次列車となっています。北京〜重慶は、この他にK9列車もあります。こういった2泊以上かかる列車で時間を車窓といっしょに右から左へうっちゃる体験というのは非常に貴重です。やろうとおもってもなかなかできるものではありません。
北京西駅、いつ見てもあきれるほど大きな駅である。中国人の大きい物好きを、まざまざと見せつけられる。バスでたどり着いたはいいが、どこから入れば良いのか迷ってしまう。この東洋一の(?)駅、それだけでも一見の価値はある。389次列車はここを18:28に出発する。買い物などを終えて、午後一緒に軍事博物館を見た僕と連れは、17時前にこの駅へたどり着いた。大規模であるにもかかわらず人混みにあふれかえった硬座待合室を見て、悪いなあと思いつつ外国人特権で軟座待合室へ逃げ込んだ。こちらは人もそれほど多くなく、のんびり出来る。中国に来て以来、初めての旅行らしい旅行なので少しはしゃぎ、遠足のごとくビールだのつまみだのを買い込んだ。
18:28定刻に出発。夕闇の迫る華北平原を南に下り始めた。北京市街を抜けるとすぐに農村風景が広がる。農の国を実感しつつ、夕もやに霞む風景を見ながら乾杯。列車のゆれに身を任せるのは良いものである。そして全ては闇に溶ける。今日の夕食は、ちょっと贅沢に食堂車で。2人いると、中国料理も頼みやすくて助かる。1人だとこれほどわびしい料理も無いのだ。何とこの列車は生ビールのたるを積んでおり、ジョッキでビールが飲めた。最優等の特快ではないこの列車だが、食堂車といい、寝台車通路の赤い絨毯といい、やるものである。この列車も含めて、中国の列車は冷房車が急速に増えているようだが、いろいろな面でサービス向上も急速に進んでいるようである。翌朝、薄明の中、目が覚める。朝もやにかすむ山村の雰囲気は、本当に良い。しかし、ここに住んでいる人々のことを考えると、黄土高原を切り刻む渓谷沿いの道を、水を担いで上り下りするのは、大変な労力だと思った。ここと比べれば、大面積の平らな水田が作れる小平陽は、大変恵まれた農村だと思わずにはいられなかった。もやの量が増えて、大河(にしては水量が少なかったが)を渡る。黄河だったかどうかは、断言できないが、そう信じている。鉄橋の風格がそう感じさせた。6:11、洛陽東着。古の都であるが、町の入り口に立ち寄っただけで、出発と言うことで、歴史の香りは漂ってこなかった。ここで進行方向を変え、再び平原となった農村風景を南下する。徹底的に眠りつづける連れにつられ、こちらも少し眠る。目が覚めると山の中となっており、分水嶺を越えてすぐに、同期、Dさんの任地、南召を通過。町の規模は、小平陽と大差無い気もした。13:06着f勲(シャンファン)で、再度方向転換。ここで買ったうなぎ干物(日本の鱈のおつまみに似ている)はなかなかの味だった。ここからいよいよ高度を上げ、山地へ入って行く。渓谷沿いを行くのだが、何故か今までより裕福そうに見える。六里坪の町などは、大変大きかった。ほぼ2時間に1度停車するが、急行列車でも2時間に1度しか停車しないというところに、中国の広大さが感じられる。
2度目の夜がやってきた。22:36、四川省に入ってすぐの万源で同じブロックで時々しゃべっていた家族が下車した。窓の外にパンダは見えなかったが、山国四川省にいよいよ入ったという気持ちを強く起こさせる外の暗さであった。ここまでに、北京市、河北省、河南省、湖北省、病廉省、四川省を通過し、残るはあと一つ、重慶市だけと言うことになる。重慶は昨年3月14日に四川省から独立し、中国第4の直轄市となったのである。その内陸部発展の要へ、列車は向かっている。電気が消え、就寝。翌朝早く、服務員の掃除の音で目が覚める。さっさと絨毯は片づけられ、次は寝具の番となっていた。6:11重慶着の前に、仕事を終わらせたいのだ。こういうところは変わっていないなと、かえって少々ほほえましかった。重慶は、3大ボイラーの名に違わず、早朝からむっとする暑さであり、排気ガスの匂いが今正に発展しつつある都市を象徴していた。