中国鉄道の旅 第7回 柳州〜北京西(K6次快速 2311km 26時間43分 458元(硬臥下段))
超優等列車の登場。広西自治区では間違いなく看板列車。2000年10月の改正でT6特快と名称が変わりましたが、実質はまったく変わっていません。週に2回、国境を越えたベトナム、ドンダン行きとなり、北京〜ハノイの国際特急の一翼を担います。ベトナムと線路の幅が異なるため、直通運転はできませんが。
4月4日、任期を終え帰国する先輩の見送りの為に、北京に上がる。時間とお金の都合で、行きは列車帰りは飛行機(自費だと結構辛いのだ)を選択。快速列車はさすが最優等列車だけあって、外観もスマートなら、内部も清潔である。車内には電光掲示板まである。小平陽にいても、白、青、赤をきれいに組み合わせたこの列車が通る時は、つい目を奪われてしまう。はっきり言って掃き溜め(小平陽駅)の鶴、もちろん掃き溜めなどには目もくれず、一気に通過していく。南のはずれの南寧から首都北京まで、30時間で走り切ってしまうのもすごい。もちろん来賓にも停まらない。
14時20分、柳州駅の改札が開き、そのきれいな列車に走りよる。今日は比較的暑かったが、この時期にもかかわらず冷房をかけているのも立派。乗客も我が町の普通列車とは違い、おしゃれな格好をしている。これは乗務員にも言えることだが。大体、客を貨物扱いする(実際荷物の量がけた違いで、貨物扱いされても文句は言えまい)普通列車と、お客様扱いを身に付けているこの列車の列車員、どだい同じ土俵の上では語れまい。それは北京と小平陽を同列に扱うのと同じくらいの愚挙である。
今日のこの列車は余り込んでおらず、上段は軒並み空いている。同じ区画に座ったお兄さんに話し掛けてみると、自動車販売関係の人。柳州の会社なのだが、月の半分くらいは天津へ出張しているとのこと。中段のおじさんは日本との技術協力による食品(菓子)会社の人で、北京でのシンポジウムへ行くという。もっとも、日本からは年に2回くらいしか見に来てくれないとこぼしていたが。寝台車だからかもしれないが、社用族が多いようだ。おじさんは品質管理部門の人らしく、日本の品質管理の素晴らしさについて話していた。たしかに、僕も中国製品の問題は、技術問題以上にこの品質管理にあると思っているので、そんな話しをした。夕食は、桂林米粉。桂林駅で売っているお椀型の器に入った米粉は、さすが本場だけあってうまい。桂林を通る列車では、必ず車内でも米粉を売りに来るが、やはりホームに出て買いたいところである。桂林から13分で桂林北駅へ到着。この駅、新築したばかりの立派な駅で、町の中心の桂林駅とは大違いだが、立地条件が立地条件だけに閑散としている。将来はこちらを開発するつもりなのだろうか?外が暗くなると同時に、広西に別れを告げ、列車は湖南省へ入る。20:49、永州着。この列車は平均して3時間に1回ぐらい停車する。停車駅が少ない分、停車した時にはホームの散歩をしたくなる。散歩がてら寝酒に地ビールを1本買う。甘いビールのおかげか、幹線の京広線との合流駅衝陽と湖南省の省都長沙は気がつかず、起きたのは4時59分の武昌の手前。次の漢口と合わせた武漢市は湖北省の省都。両駅の間で長江を渡る。去年の夏に連れと登った黄鶴楼が車窓を流れていく。5:28漢口を出発すると、10:37の鄭州(河南省省都)まで5時間ノンストップである。この間にもうひと寝入りする。車内放送で目が覚めると、食堂車の案内をしている。洋朝食が食べられるらしい。中国の列車食堂で洋食、どうせうまくはないだろうがなんとなくロマンチックに思え、食堂車へ。ハムエッグ、果物、トースト、ジャム、ホットミルク(但し甘かったが)を優雅に食べ終えたが、さすがに周りの人はお粥を啜ったりマントウをちぎったりしていた。でも、満足。中国の鉄道地図を見ながら、支線の分岐を確認したり昼寝したり、時を過ごすうちに、田んぼから畑へ、車窓が変わってきた。鄭州を出るとすぐに、黄河を渡る。河原はとてつもなく広いが、水量は少ない。でも、その河原の広大なこと、正に砂の河だと思った。青海省から黄土高原を延々と流れてきた、その砂の堆積である。中国の広大さが感じられる。改めて食堂車へ。食堂車は高いけれども、車窓の風景を見ながらの食事はたまらない。こればかりは、今の日本ではほとんど体験不可能(北斗星など一部を除く)である。昼食が出てくるのを待っていると、自動車会社のお兄さんが入って来たので、一緒に食事をすることにする。中華は、本当に同席者がいたほうが良い。これで、2品を味わえることになった。2人になったので、青海ビールで乾杯した。この列車、快速というだけあって、確かに飛ばす。河北省省都、石家庄に2分停車すると、次は終点の北京西である。広西、湖南で人を拾うと、あとは北京以外は目に入らないかのごとく各省の省都にだけ停車して突き進むわけである。南にはないすくっと立った並木(ポプラだろうか?)と、乾燥した台地、大きなビニールハウス、そして17:18、定刻に北京西駅へ到着。今日の北京は暖かく、服を持ってきすぎたことを後悔するほど。知人との再会を急ぎ、巨大な北京西駅を後にした。