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インターネット上に存在する日本有数の巨大掲示板群「2ちゃんねる」の爆笑スレッド「ギャルゲーマー刃牙(バキ)」を読んだあとに本書を読むとそこはかとなく「萎え」な気分になるのだが、まあそういう本だから仕方がない。バブルの宴が去ったあとに社会に出た「棄てられた世代=バブル・嬰児(エイジ)」こそこの本の主役であるからだ。本書は気鋭の若手作家の、大学同期の10年後を追跡するルポルタージュである。
「失われた10年」---著者が引用するこの言葉は、バブル崩壊後も経済的・社会的損失が止まらない我が国の1990年代を意味する言葉だ。潰れるはずがないと信じられていた大企業や金融機関---大手百貨店そごうや山一証券---が倒産し、その中で中堅にさしかかる大学同期の社員たちは運命に翻弄されることになる。個人的連絡もないままマスコミ経由でいきなり倒産を知らされる証券会社社員。倒産後、原籍により機械的に運命を振り分けられる大手百貨店社員。あるいは目標数値に追い回されて機械的に1日を過ごすだけの銀行員。彼らの世代はいまさらながらに自分たちこそ社会の中では手ゴマのひとつに過ぎないことに気付くのだ。
あるいは、努力が結果に結びつかないことから光学機械メーカを辞職して陶芸見習いの道を歩む。入学直後に自分の居場所じゃないことを実感し家業を継いで大工へ。就職しないでインドへ向かい造船工としてフリーターへ。最初から就職を考えず親の金で世界を放浪、頭をそりミャンマーで僧侶へ。著者のファインダーを経て続々と繰り出されるバブル・エイジたちの生き様は、がんじがらめの日本社会へのしたたかな反抗とも言える。彼らはたぶんこう言うはずだ「就職したとしても、会社が消えちゃったら結局同じでしょ?」
女性たちも負けてはいない。「このまま結婚していいのかな」と思って3カ月で婚約を破棄、三味線の勉強へ。「人生一回くらいレールを外れてもいいかな」と思って日本を離れタヒチへ。「探しものは何ですか」と思わず突っ込みたくなるが、サリンジャーの描く主人公たち同様、彼らは都会の孤独と愛の幻滅に深く傷ついた存在たちなのだ。現代日本のホールデン・コールドフィールドたちはこれからどこへ向かうのだろう。
それにしても。これらが全て他人事ではなく30人前後の大学同期の話ということは、日本中を見渡せばおそろしい数の嬰児たちが産み落とされていることになる。個人的には30過ぎの大人が自分たちをして「嬰児」と呼ぶことに猛烈な反発を覚えるのだが、これはたぶん評者の感性がいくぶん古いせいなのだろう。モラトリアムという言葉は消失した。現代はすでに職に就くことで自己確立を語る時代じゃない。
しかし。福田赳夫元首相も罪なことをしたな。坪内寿夫を拝み倒して佐世保重工を無理して再建しちゃったからねえ。あのとき潰れるにまかせていたら、日本も今頃(鬱々。
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