虚構の構造 〜オナニーしてもバカにはならない〜

またもやギリシャ神話である。
オナンの神が、「ONANIE」の語源とされる。
一人の漢が、母親にオナニーを見つかった時、
聖書を片手に、チンポをもう一方の手に、まるでキリストのように自分の行為の正当性を主張したという。
そんな彼は、もうサイトを運営するほどの立派な社会人の成長している。
旧時代的な教育の下では、オナニーは「バカになる!」と極めて否定的に取り扱われた。
そもそも「オナニー」という言葉の響きが、口に出すのも憚る様な響きで、
背信的で、罪悪感を促す行為を感じさせた。
そこで多くの小学生は「しこしこ」というネーミングを付け、全国的に普及させていく運びとなる。
「生命はその生きる道を探す。」生殖に行為は政策、教育で抑制できる性質のものではない。
しかしその問題はその広まり方なのである。
性の目覚めの到達がない少年にエロ本を見せたらどうなるだろう?
きっと目と心とチンチンが強烈に痛いはずである。
「僕はおかしくなってしまったのか?」と悩み、涙で枕を濡らすだろう。
そこで、エロい兄貴や早熟な友人により「しこしこ」の方法が伝授される。
「お前はおかしくなんかは無い。誰でも通る道なんだ」って付け加えて・・・
しかし現在はどうであろう。オナニーが満足にできていない少年が、
いきなり本番を迎えることができる環境が日本にはある。
桃栗3年柿8年・・・子供作るだけなら10歳でもできます。そんな世の中です。
現代オナニー論の通説となっている「オナニーの効用」とは
 1:文字通り「自慰行為」
 2:性行為の「練習行為」
 3:ストレスの「解消行為
 
                     と定義されている。
20台のOLにアンケートをとったところ、約80%が「初体験が遅い男性ほど、男性として包容力があり、またテクニックに優れている。」と回答している(大蔵省主計局調べ)。
童貞暦の長い男性がオナニーの鍛錬が進んでいることは容易に想像でき、かつストレスが少なく、イメージトレーニングが進んでいるであろうことは火を見るより明らかである。
現代日本社会において、「オナニーは罪悪」であるどころか、男性の人格形成上、
極めて大きな好影響を与える行為であるといわざるを得ない。
皆様におかれましては有意義で、かつ独創的なオナニーライフを心がけていただきたい。

(2001/6/9)


戻る