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1月31日(金)


※ちょっと準備中、ってことで。



1月30日(木)


オトコに生理というものがあるならば

多分、私の排卵期は月末、そう、いま当たりの時期だろう。



体が火照ってたまらない、というか

ムラムラしてたまらないのだ。

今日、と言えば会社の入っているビルの違う会社の

制服を着た女性社員が目の前を通り過ぎた時、

後ろからぐわっと抱きしめて

おっぱいを揉んで揉んで揉みしだきたい衝動に駆られた。



しかし私は、そうしない。

キャーっつ!という悲鳴をあげられ、警察に通報されるリスクがあると同時に

職を失い、最悪の場合御用となるリスクもあることを知っているから。

それ以前に、大人なのだ、私は。



人も羨むブリリアントな頭脳を持つ私が、
合法的な乳の揉み方を考える。

これはすなわち、ビジネスとか対人関係の立ち振る舞いに通じるものがある。



まず、相手に自分が敵意や害意がないことを伝えなければならない。

極めて自然なアプローチで、彼女との接点を持つことが必要だ。

例えばエレベーターの中で「何階ですか?」などと尋ね、ボタンを押す。

「すみません」 「いえ、どう致しまして」 しばし流れる沈黙。

「●階ってことは、■■商事さんですね。」 「ええ」

「▲▲さんはお元気ですか?」 これは当然適当なのだが

「私、部署が多分違うので・・・」 ちょっと困ったような顔をする彼女に一言

「あっ、失礼しました。わかりませんよね、■■さんって大きいから」



それなりに世知に長けた彼女は無難に返す。



ともあれ、男女の出会いなんて、こんなものである。

作為であれ、偶然であれ、まず出会い、お互いを認知する。



そして、共通の話題を探す。



同じ会社なら同じ会社の話をすればいいし、

同じ趣味なら、同じ趣味の話をすればよい。

同じ年代ならよく見るテレビの話をすればいいし、

違う年代なら、各々の価値観を話せばいい。



とにかく、話す事。話すことは一番自分に害意がないことを証明できるし

なにより、距離を縮めることができる。

だから、この段階で失敗は許されない。

間違っても
チンポコの話をしてはいけない。



そして食事へ誘う。

この段階では、もっと話を聞きたい、と向こうも思っているに違いないからだ。



女性との食事、というのは実は恋愛と友情の最大公約数である。

すなわち一概に好意を持たれているとは言えないが

嫌われてもいない証明でもある。

そこでたまたまでなく、、わざわざ時間を作った話し合いの場が提供される。

ここで気をつけなければならないのは、相手は別にどうでもよく

ただ単に食事にありつきたい、という
難民のような女も存在する、ということ。

それぐらいは食事に誘う前に判別を入れておきたいところだ。



そして食事。



我々はもう成人しているから、適度のアルコールもいいだろう。

そしてチンポコの話を除いた自分の話を始めて、そして

適度な難易度な質問を相手に投げかける。

「学生の頃、何部に入ってたの?」とか「芸能人、誰がタイプ?」とか。



分析するに、その行為のすべてに意味がある。

まずアルコールは人の判断能力の低下を促進するし

自分の話は、素性を相手に明かすことによって相手に安心感を与える。

相手の話を聞くことは相手に何かを共有していると思わせる手段でもある。



そして、この後はちょっと
遠い目系の話をすれば磐石である。

「将来の夢」とか「過去のツライ思い出」とか、あの類である。



相手は大してその話を聞いていない。

しかし、することに意味があるのだ。相手だってそんな話を聞いてる時

その男の射程圏内に自分が入ってることを、痛烈に意識するだろう。

重要なのはその意識に対し、彼女がどう決心するか、という心の機微を

我々はどのようにして察知することができるか、と、その点だけである。





さて、彼女がどう決心したかはあんまり関係なく

ここまでくれば



乳を揉んだところで、
訴えられることはまずない

さあ、勇気を出して揉んでみよう!



意外に満更でもないか、頬を叩かれて逃げられるかどっちかだろうが

とにかくいずれにせよ、目的は達成である。胸を張れ。そして胸を揉め。



ま、よくよく考えてみれば
魚民とか白木屋でよく見かける

したり顔で、遠い目をして女性に語りかける男。

そんな奴らの
10人に12人がそういう考えなのだろうが、

今度私もこの手段を使わせてもらおうと思う。

だって、気づいてしまったのだから。



1月29日(水)


昨日二日ぶりにメールソフトを開くと

この長七郎エロ日記を読んだ方からの励ましのメールがあった。

しかも最後には女性の名前。
わお。

それだけでやっていた甲斐があったなあ、と感じるわかりやすい28歳。



実はメールでの励ましは、日記を綴って振り返ること約1年半。

なんとのべ10回程度なのである(のべ、だよ)。

これは漢リストの募集も含めての数字であるからして

いかに職人が人の見えないところに凝るとは言え

これじゃあ棺桶の蓋の裏側に油絵を書くのと、あまり変わらないのでは?

つまり、見る人はすごく見るけど、見ない人は全く見ない、ということね。



昨日のように感動的な話を書いてみたり、

おとといのように飲み会のネタを提供してみたり、

果ては実戦に役立つパチスロ情報をのっけてみたり、と

一日に書いてる文章量は小説家よりも多いと自負しているのだが

残念ながら自分が分析するに、価値がないのもこの文章。



もし私が新進気鋭のオピニオンリーダーだったり、

または誌面を渡り歩くファッションモデルだったり、

そういう人の書く文章ならまだいいのだろうが・・・

そもそも私が10代の女性であったなら

自らの女性自身をディスクローズするだけで、

このサイトが1年半かけて得たヒット数など、一晩で塗りつぶすはず。



しかしこの30手前男の

いかに通常の人の
2倍の大きさとはいえ、この男性自身を掲載したとて

客が増える、というよりもむしろ後ろ手に回る可能性の方が高く、



要は自分自身とその人生に、もっと魅力を持たせなきゃ、ということである。



とはいえ私とて、凡庸な人生を望む一小市民。

今日の出来事を淡々と述べたところで、



・本日は茨城県の日立市へ仕事。そこですったタバコがうまかった。



・帰りにAV7本借りた。



・そのビデオを再生する前にテレビに鈴木京香が出ていて、

 脳と右手と左手と真ん中の足が落ち着きがなくなった。




・・・ありゃりゃ、こりゃダメだ。

こんな程度の生活では、人々が憧れるような日記には程遠い。



もっと人生をドラマティックに!

例えば運命の出会いで、彼女が出来ちゃうとかさあ。

・・・あっ、そうするとこの日記も終わっちゃうのか。



嗚呼。矛盾だらけのわが人生。



「生まれてきてすみません」



気分だけは太宰治のような文豪のつもりにて、今日はお休みなさい。



1月28日(火)


たまに夜中に目が醒めることがある。

夢を見るからだ。



夢の中で、その中でも眠りについている私が見える。

ふと、思い出す。



(そう言えば、ドムに餌をやっただろうか?)



ドムというのは今から10年以上前に死んでしまった飼い犬。

少なくとも、ここ3日・・・いや、一週間は餌をやった記憶がない。

餌をやること、散歩をすることは私の日課であるゆえ、

私が餌をやってないとすると、家族の者が餌をやっているはずがない。



ガバッと布団を蹴り上げ、起きる。

そして夜も深けた暗闇の中の、新築する前の古い家の玄関を開け

下着姿で裏の犬小屋へ向かう。



(頼むから死んでないでくれ・・・)



犬小屋の中には目を閉じて伏すドムの姿が。

さすってもさすっても起きようとせず、それ以前に、体が冷たい。



・・・そんなところで、目が醒める。





ドム、という犬は、私が7歳ぐらいから、17歳ぐらいまで飼っていた犬。

その子犬を貰ってきた親父は偉そうに「柴犬だ」と言っていたが

どう考えても雑種の類。

よしんば母親は柴犬だとしても、うっかりどこぞの犬にはらませられ

うちの親父が貰ってこなければ、捨てられていた類の犬だったろう。



バカな犬ゆえ、本当にかわいかった。



江戸川の花火の時には、

花火が上がる度に小便を漏らしながら雄叫びを上げ、

車に乗せると、ゲロを吐き、

近隣のブスなお姉さんに噛み付き、一家揃って頭を下げにいったり

そんな犬だった。



中学に上がるころには、私は現在の江東区の中学に通いだし

江戸川区からの10数キロを、紐を引っ張ってドムを連れて来た。

体力の有り余る中学生よりも先に、ドムはバテた。



毎日の散歩は、私の日課だった。



ともあれ、小学、中学、ましてや高校生の私が優先するのは

どっちかというと友人との遊びや待ち合わせであり、

散歩をしない日もしばしばだった。

そんな日は、散歩を要求するようにワオーン、ワオーンを泣いたらしい。

散歩をするのは夕方だけ。夕方に間に合わない時だけ、夜散歩する。

夕方に散歩をしないのは雨の日だけ。

だから、日曜日とかにのんびりしてるときも、当たり前のように夕方に

ワオーンと散歩を要求されると、正直うっとうしい時もあった。



ドムの頭にコップで水をかけた時もあった。



どうしても面倒くさい時、そうしたら

雨と勘違いして泣かなくなったのに気づいたからだ。



どうしてそんなことをしたんだろう・・・



それでも私は、ドムが大好きだった。

小学生の時、江戸川の土手を一緒に散歩した思い出。

中学生の時、ブラックくんと一緒に散歩をした思い出。



たまに首輪を離してやると、それこそ飛び跳ねるように走った。

捕まえようとすると、余計に走って逃げた。

あんまり捕まえられないので、首紐をつけっぱなしで手を離し

捕まえる時は首紐を足でふんずけて捕まえたこともある。

走っているところに、いきなり首輪で首が絞まったら、どんなに苦しかったろう。



思えばドムは、一生を殆ど首輪に繋がれて過ごした。

江戸川区の家と、江東区の家付近の散歩ルート以外は

そこまでの移動中と、もう一回だけしか、外界を見たことがない。

口にするものは殆どビタワンと味噌汁ごはんだけだった。



自転車に紐をくっつけて、引っ張らせて散歩をしたこともある。



勢い良く走るもんだから、楽しいんだろうと誤魔化していたが

やっぱり首が絞まる以上、苦しくないわけがない。





あいつは俺のことが好きだったんだろうか?

あいつは幸せだったんだろうか?





家の周りしか知らない生活。

味噌汁とご飯とビタワンしか食べれない。

一日一回の散歩を待つ生活。



それでも、私が近づくと尻尾を振り、顔を近づけるとクンクン舐めだすドム。





成仏できたんだろうか?





ドムが死んだのは、私が17歳の時の夏。



その夏、ドムのおなかはぷっくりと膨れ上がり、

いつも犬座りであったドムも、横たわっている時が多くなった。

どうみても、先は長くなかった。



「医者を呼んどいてよ」と祖母と母親に告げ

夏休み中にやっていた宅急便の仕分けのバイトに出かけた。



仕分け中、何もしてないのに、腕時計のバンドが外れて落ちて

そして時計が止まった。15:00ちょっと過ぎ。



家に帰ると、祖母と母が泣いている。

ドムは医者が到着したあと、少しして息を引き取ったという。

15:07分・・・



医者は「私が来るまで、待っていてくれたんですなあ。」と言ったらしい。

家族に少しでも後悔を残さない為に、という意味で言ったらしい。



お通夜で、初めてドムは家の中で一晩を過ごした。

そして私も一晩、ドムのそばで過ごした。



10歳ぐらいの時、ドムがいなくなり帰ってこなかった時がある。

3日ぐらいした雪の日の夕方、

家の前をびっこを引いて帰ってきたドムを思い出した。

車に撥ねられたのかどうしたのか、後ろ足は骨折していた。

そんな足で、ドムは俺のところに戻ってきた・・・



木箱の中で眠るドムの周りにドライアイスを入れながら

私は、一晩中泣いた。



そしてそれ以来、私は腕時計をつけなくなった。





ドムは幸せだったんだろうか?



今でも、そんなことを考えるときがある。

ドムが眠る足立区の環7付近を車で通る度、ふと考える。





ビタワンと、味噌汁ごはんの毎日

一日一回の散歩を待つ毎日

外界を知らない一生





俺のことが好きだったのかい?



君は、幸せだったかい?







アイツが夢に出てくると、いつもこんなことを考える。



まず一つは世間の女性が私に対して

「あなたとは付き合えません」と言える幸せと



もう一つは願わくは

ドムが行方不明になった3日間の間に

童貞を捨てていてくれたらいいなあ、ということを。



(最後に台無しにしてしまいました)



1月27日(月)


よく
ヌケル君と話していると





凡作 
「わり。ちょっとトイレに行ってくるわ」



ヌケル
「いっといれ」



凡作 
「・・・」





・・・



実は
オヤジギャグという文化は非常に高度な文化であり、

(え〜っつ!オヤジい〜)と蔑む人々に

じゃ何か言ってみろよ!と言ってみたところで、

本当のところ、結構何も出てこないことが往々にしてあるのである。



団塊の世代・・・

そんなオヤジが放つ
言葉の芸術

これまで仕事で勝ち残ってきた自信、頭の回転のよさ、そして

なにより経験に裏づけされる、そんな芸術。



その言葉を放つことの出来る勇気。

スベった場合の一人ボケ、一人ツッコミ。

かたやセクハラ、という何の芸もない行為に逃げる中年がいたと思えば

誰に評価されるでもない、むしろ蔑まれることの多い行為を

実に淡々とこなす諸先輩がいる。



私なんかも漢会(合コン)でたまに

『オヤジギャグ山の手』(時計回りでオヤジギャグ。止まったら一気)という

そんなゲームを切り出すこともあるが、残念なことに女性ならつゆ知らず、

漢と認めた奴でさえも、言葉につまることしばしばである。

あなたも胸に手を当てて考えて欲しい。

今、あなたはどれだけのオヤジギャグをひりだせているのか?



例えば、かくいう私なんかは、まあ、ツマることはない。

思いつくままに書き記してみようか?





板前はそこにいたまえ



ハトバスは飛ばす



メールが来ないので気がめいる



石がストーンと落ちてきた



バインダーって何処探せばいいんだー



ビルが滅びる



中国に行っちゃいな



イカの威嚇



父さん、倒産だ



猿が去る



内科はないか?



すごくいい極意



草加は埼玉県です。そうかー



歯車に手を挟んだ。ギャー



下戸なので、酒は避けます



夜景がやけにキレイ



兄弟で京大



それはサラダの皿だ



加藤が葛藤



モノレールにはもうのれる



焼酎はしょちゅう呑む



ニコラス刑事



レモンの入れもん




・・・





スクロールする方が疲れると思うので、この辺にしておくが、

これもオヤジを尊敬するが故の弛まぬ努力の賜物である。





さて、オヤジの本領は、
オヤジギャグ・下ネタ編にある。





とある酒宴での
セクシー大喜利。





「チ●ポとかけまして、バブル期の銀行との付き合い方と説く」




そのこころは?



「金があるのに、カリがある」





座布団、一枚





「おマ●コとかけまして、将軍さまと説きます」



そのこころは?



「黄門さまより、上です」





座布団、一枚












「おマ●コでカキまして・・・」








ティッシュ、一枚



1月26日(日)


木村拓哉がパイロットをやっているドラマが楽しみである。

いや〜。よくよく見てると彼はよくタバコを吸う。

川辺のシーンや、飲み会のシーンでは空気と同じぐらいの量、

タバコを吸っているようなもんだ。

多分、私と同じぐらいの本数を吸う役柄なのだろう。

(私も、かなりのヘビースモーカーである)



驚くなかれ。彼は国際線のパイロット、という設定だ。



「え〜。この便はホノルルの・・・」



昨年のハワイ旅行の際、7時間以上もの間、禁煙を迫られて

気が触れる寸前であった私の状況を考えると、

”ぶっちゃけた話”彼も到着間際には、禁煙によるイライラで

それこそ飛行機の操縦どころではないだろう。



それとも何かい?お客には禁煙を強いておきながら

コックピットには喫煙席でもあるとでもいうのかい?





ってバカヤロー!



ベタベタなんだよ!男前がパイロットっていうのが、さ。



しかもなんだい!

数分前に某国営放送で吉岡清十郎に犯されてた女がスッチーだったり

(内山理奈)

そもそも
又八がしたり顔ででてるじゃねーか!

芸達者だな、堤真一!





ということで、文句を言いつつも

ここのとこの日曜の夜、
”武蔵””GOOD LUCK”と連続で

楽しい時間を過ごさせていただいております。



”武蔵”はその名のとおり、剣豪宮本武蔵(ま、今で言うところの俺)の

青春ヒストリーであり、徳川家康以来で大河を見るきっかけとなっている。



とりあえず、私、歴史上の人物で興味があるのは、現在のところ

坂本竜馬と宮本武蔵ぐらいのものですかね。



しかし、アレだ。

時代劇史上、最高に強いのは、なんといってもあの人



中村主水(藤田まこと)



必殺!マニアな私にとって、アレ以上強い人を知らない。

まさしく必殺!で、かならず相手を殺すし、

映画版では鬼のような剣術を披露するなど、腕前もかなりなものだが



なにより、
卑怯だ。





「青田さま。今夜は非常に寒うございますなあ」

「おう、中村か。こんな夜分に見回りか?性がでるのう・・・」



と言ってる間から、
背後からブスリ。



卑怯、最強、最高
と、

小さい時分には彼から教わることも多かったのだが

残念ながらまだ私はキレイな心を捨てきれず、

まだまだ人生では損してばかり。



早く同年代の卑怯者を見習って、

早く世渡りが出来るようになりたいものです。




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