〜 フェラティオ考 〜
今日はビデオを借りてきて、
とりあえずは”ロード・トゥ・パーティション”という映画も借りたのだが、
その5倍の本数のアダルトビデオを借りて、それを見ながら想う。
ステーキや寿司を思い浮かべて(ああ、食いたいなあ)と想うのは
それは、食べた経験があるからであって、自分の舌や口や胃が
それはウマいものだ、という記憶を有しているわけであるからである。
しかしながら、自分が食べたことのない食材についても、
ある程度の味、食感が想像がつくのも、人間の凄いところであろう。
例えば、私なんかは”なまこ”なんぞ食べたことはないのだが、
なんとなく、味や食感の想像はつく。
その能力は、多分、人間の想像力という力の産物なのである。
思えば、私の”素人”という修飾が付かない、生粋の童貞であったころ
朝な夕な(フェラティオとは・・・)と、想いを馳せたものであるが、
初めてそれをされた時の感触は、まさにジャスト・ミート。
人間の想像力もバカにはできない。
それ故に、私のような人間も、ビデオや書籍で自給自足で
なんとか多感な時期を乗り越えてこれた。
(フェラティオを考えた人は素晴らしい)
そんなことを考えながらビデオに見入るその刹那、
ふと考えることは、日本人は、いや、人類は
いつ頃からフェラティオという行為を
恒久的に初めてきたのか、という疑問である。
人間の歴史が遥か以前から存在している以上、
性交渉という行為は、それこそ人類の始祖から行われた行為。
しかしながらフェラティオという行為が、いつ頃から始まったか
自分の記憶の引き出しを捜してみても、一向に見つからないどころか
その引き出しにそんな知識をしまった記憶すらない。
おっぱいは遥か昔から赤ん坊は啜っていたわけだから、
ナメる、ということがどれだけ鋭い性的刺激を与えるか、ということは
人間の本能として、間違えなく気づくはずなのである。
(おいおい・・・口でチンポコをナメたら、どんなに気持ちいいだろうな・・・)
こんなことは猿でも気づきそうなものだが、
残念ながら、私は猿がフェラティオをしている姿を見たことがない。
やはり、人間独自の行為。
人間の歴史上のどこかで始まったに違いない行為である。
どうも釈然としない。
それは人類の歩みを示す歴史という学問で解き明かされたことはなく
私の知る限りでは、考古学という学問で語られたこともない。
何万年前の恐竜の生態を推知する、という学問をもってしても
いつ頃フェラティオの文化が始まった、という解答を導けないのだろうか?
封建社会、絶対王政・・・
人が人の首を、平気で跳ね飛ばす時代において
「頼むからチンポを舐めてくれよ」と
時の権力者がその一言が言えないはずもなく、
それどころか、多分、
「〜村の●●は、チンポコを舐めてくれるらしいぞ」
と、一介の農村の小娘が、そういう行為に及ぶと人づてに聞き、
よもや行列を作る若衆の姿を想像するのも容易いのであるが、
なにぶん、それを示す文献なりを、私は見たことがない。
間違えなく、原始時代より以前の昔から行為者はいたのであろうが、
史実上で、最古のフェラティオ文化は、一体いつなんだろう・・・と
まあ、そんなことを考える暇が、アダルトビデオ鑑賞中にあるはずもなく
皆様のご想像通り、右手(たまに左手)をストロークして悶絶、
そんな日曜日であるわけだ。
でも、知ってる方は、掲示板ででも教えてくださいね〜。
(ちょっと盛り上がることを期待)
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