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8月14日(土)


9月4日、土曜日。



池袋の新文芸座にて石井輝男監督の
『恐怖奇形人間』(1969)を

期待に胸を膨らませて観にいったのである。



結論から最初に言えば、自分の想像は裏切られた。



おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい・・・・・・



常に心の中でツッコみまくり、壮絶なラストまで突っ走るのだが、

江戸川乱歩の
『パノラマ島奇談』『孤島の鬼』を基にしてんだから、と

自分の頭の中の想像と、こうあって欲しい、という期待をはるかに凌駕。



そんな想像を裏切られて、
とんでもなく面白い映画だった、と。



そもそも「内容がヤバすぎる」ということでビデオ・DVD化すらしてない映画。

当然、乱歩マニアである私でも、ブラウン管でみることの出来なかった映画。



そんな映画に200席ある新文芸座の中が、立ち見を通り越して

通路での座り見まで排出するという、伝説の映画である。





さて、良識に支えられるHPであれば、映画の筋に触れる可能性のある

内容については”ネタバレ”として、他のページで紹介するべきであるが、

私には良識はないので、このまま内容について触れさせて頂く。





まず映画のタイトルの時点でツッコみが入る。



「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」





なんで”全集”なんじゃ!こらっつ!

タイトルの時点でツッコめる映画は少ない。



が、しかし、映画を見進めていると、その疑問(?)が氷解する。



『パノラマ島奇談』『孤島の鬼』がベースになっているが、劇中には

『人間椅子』『蜘蛛男』『屋根裏の散歩者』『蟲』の原作が入り混じる。





映画はいきなり精神病院から始まる。

その描写の時点でヤバすぎるのであるが、そこから脱出した主人公、

人見広助(『パノラマ島奇談』)が出会う女性、初代(『孤島の鬼』)。

彼女の歌う子守歌から彼の出生に関係するのは裏日本のどこかである、

ということに気づくのであるが、次の瞬間には初代は何者かに殺されるという

「何だこの展開の早さは!」的なテンポで物語が進む。





で、必殺のラストまで、予断を許さないまま物語は続き、

(まあ、ツッコみの予断だが)

思わず唖然としてしまうラストでは館内から拍手が巻き起こる始末。

以前、自由が丘の単館で放映されたときにはなんと

スタンディングオベーションが巻き起こったらしいが、

最近の映画で拍手でさえ起こることは、めずらしいと思う。

私の記憶を辿っても、スタンディングオベーションが起こったのは

唯一『ダイ・ハード』のみ。それほど珍しいのである。



んまあ
スタンディング・マスターベーションは日常茶飯事なのだが。





とにかく、いろんな意味で、あらゆる角度でとんでもない映画だったが、

その中でも出色なのは
小池朝雄氏。



普通に執事として登場してきて、イヤにクセのない役どころだなあと思ったら

とんでもない。ラスト4分の3あたりのところでしょうもないほど激烈。



蜘蛛男、変態女装加虐者の演技は凄いの一言。

人間椅子に入って彼の表情は、とても精神がまともな人とは思えない。





なあ、
誰が彼をコロンボの声に採用しようと思ったの?というぐらい、

その後の彼の俳優生命が絶たれなかったことが不思議な感じである。



残念ながら、あれほどヤバめな映画がビデオ・DVD化するとは

到底思えないので、皆様方はこの日記を読んだ後、

地団駄を踏むしかないのでしょうが、



ええ。私は貴重なひと時を過ごさせていただきました。とさ。



8月13日(金)


民主主義の歴史とは、解放の歴史である、と誰かが言った。



奴隷からの解放、門地からの解放。

圧制から解放され、精神的自由を手にする人々。

経済政策からの解放、自由化という名の市場の開放。

競争という枷はついたが、計画経済からは解放される人々。

ジェンダーフリーといえば女性の進出、すなわち女性の解放であるが、

とかく民主主義とは帝政、差別、政策からの解放の歴史なのである、と。



そんな誰かの言った解放の歴史、という言葉を

今日、私は昼下がりの日比谷公園で噛み締めていた。





ああ。
誰か俺の性も解放してくんねーかなあ、って



8月12日(木)


今日の朝、出掛けにテレビのニュースを見ていると

痴漢で捕まった植草元教授の公判についてのニュースをやっていた。



検察側の主張に対して、植草元教授側がなんやら言ってんだけど、

いやまあ頭のいい人の言い訳って、あんまり気持ちのいいものじゃないね。



いやさ、俺だって同じ男だから、気持ちはわかるわけで。

でもアンタからみて
糞虫なみの生物である俺が、痴漢してないわけよ。

やれ証拠物件である手鏡がどうしたとか、報道の仕方がどうとか、

論理的な言い訳をする頭脳があるんだったら、



どうして痴漢をする前に理性が働かなかったのよ、と

私は声を大にしていいたい。



痴漢って、強烈にリスクの高い犯罪であると思ってるんです。



不謹慎な言い方ですけど、殺人には殺人を犯す人なりのメリットがあって、

窃盗なら窃盗を犯すなりのメリットがあるわけです。



日本の刑法にはね、

「人を殺しちゃダメよ」とか「盗んじゃダメよ」って書いてないのです。



殺しちゃったら、懲役〜年、とか、盗んじゃったら、懲役〜年、とか。

まあ、その懲役と社会的制裁に見合うリターンがあるんだったら、

やっちゃう人っているんだろうねえ。



でもね。痴漢を行って得られるメリットって、せいぜいが

女の子の尻っぺたを触れるぐらいのものでしょ?



そんなことのために、あの頭のよい、生活に不自由ない人が、

すべてを棒に振ってしまうわけですよ。ああ、もったいない。



他人事でもないんですな。男にとって。

例えば、
冤罪が発生しやすい犯罪でもあるんです。



電車の中なんかで「オメーのケツなんてさわっかよっつ!」的な女の子に

睨まれることがあるとします。往々にありそうですが。



そんな
類人猿が、勇気を振り絞って貴方の手を握り、

「キャーッ!痴漢よお〜!」って叫んだら、どうしますよ。





「コラっつ!テメーのようなブタのブタのケツ触るぐれーなら、

金払ってでも場末の風俗に行くに決まってんじゃねーかよっつ!」




って正論を吐いたところで、そんな
イノシシちゃんの引っ込みがつくはずが

・・・ございませんよね。





とかくブスほど、
自意識過剰なんです。

私が電車に乗るときは、隙のありそうなブサイクちゃんを
避けて乗ります



そして何が勿体ないって、痴漢って行為はね。

仮に貴方が
藤木直人のような男だったら、喜ばれるってことですよ。



胸モンで、乳搾って、尻なでて、指入れる、なんて行為。

同じ男の行為でも、藤木と貴方とでは、



♪きゃー っと


きゃーっ!の違いがあるわけなんですよ。





とにかく、勿体ないので、
私は痴漢をしません。





最後らへんで、テレビはこのような報道をしていた。





「植草容疑者の自宅から押収した猥褻物については、

”男なら誰でも持ってておかしくない”と主張・・・」





まあ、俺が捕まったら確かに出てくるわなあ、
猥褻物



男なら誰でも持っとんじゃあああああっつ!



8月11日(水)


俺の夏が終わる〜う!



確かに今年は4〜5回、海に行ったさ。

確かに4〜5回、ビギニングしたさ。



でも、何の出会いもなかったさ。

でも、出会いなんか期待しちゃいないさ。



考えても見てくれ。

海に行けば、水着姿のおねーさんがいっぱいいるんだぜ。

電車にのれば、ブラジャーの線が見えるおねーさんがいるんだぜ。



それだけで、幸せだったじゃねーか。



俺の夏が終わる〜う!





これからは恋人たちの季節なんだ。

オンナたちはその素肌を隠し、枯れる秋、凍える冬に、

その恋人と心と体を温めあうんだっ。間違えない。



そして、俺といえば、開放感から生み出されるおこぼれにあずかることなく

ひっそりと孤独をかみ締めるんだっ。間違えない。





さ〜ってと。
冬眠の準備でもしますかっつ!



8月10日(火)


ウォーターボーイズ
ってテレビ番組があり、

残念ながらザッピング程度にしかみたことがないのであるが、

モッコリ姿のティーンの美少年たちを見れる、ということで

巷のOL達の間では人気があるらしい。



重ね重ね残念なことに、私にはその気がなく、

そりゃまあ

『重役たちの午後』というデブオヤジのうつるホモ雑誌を見たときよりも

嫌悪感は少ないのは事実であるが、別にそんなものが見たいはずもない。





ここは逆転の発想というか、原点に立ち返り



ウォーターガールズ、という、スクール水着姿の女子高生

シンクロに懸ける青春ドラマを制作してみたらいかがだろう?





・・・ま、元に戻っちゃってるというか、
当たり前の設定になっちゃうのだが、

少なくても我が家での視聴率は
100倍を保証しようと思う。



8月9日(月)


一線を越える瞬間
というのは、多分にロマンティックである。



ロマンを追い求めるのが漢の習性であるならば、

ここの読者はきっと、わかってくれるに違いない。





ヌケル君が職場のタバコ部屋で、淡々とこんなことをいうわけだ。





「いや〜。若いオンナってのはタマンネーよなあ」



「そうだわいなあ」



「若いオンナを見ると、むしゃぶりつきたくなるよなあ」



「そうだわいなあ。で、ヌケルくんは若いころどーだったの?」



「俺か?うん。まあそれなりかなあ」



「若い頃は、どんな時に興奮したもんだい?」



「そうさなあ。例えば、友達の友達とか、って女の子っていんじゃんか」



「ああ。いるとしよう」



「そういう女の子と何故か二人きりになって酒でも飲んでんだよ」



「ふむふむ」



「いつもはあんまり意識しないんだが、よくよくみると結構カワイイ、と」



「ああ。酒がはいると、ありがちな話だよな」



「それで、スイッチが入っちゃうんだな。なんにもしないから、って」



「ほう」



「なんとかかんとか、ホテルに連れ込むわけだ」



「ほうほう」



「”へえ、中って結構広いんだね”とか言っているところで」



「うんうん」



「おもむろに後ろから抱きしめちゃうんだな」



「はいはいはい」



「”ええ〜。ヌケルくんとしちゃうの〜♪”とか言ってんだけど、」



「ほいほいほい」



「あらかさまに嫌がってるふうでもないんだよなあ」



「おうおうおう」



「そこで、おどけた顔のその女の子の正面に立って、じっと見つめると」



「・・・ ・・・ ・・・」



「おどけた顔がとたんに神妙な顔になって、目を閉じるわけだ」



「・・・ごくっつ」



「ま、そんな感じの”一線を越える瞬間”ってのが、タマンネーわけさなあ」







うむ。実に官能的で、ロマンティックである。

妙に興奮するし、妙に生々しい。





まあ。有料にせよ無料にせよ、玄人にせよ素人にせよ、

私も思うに、初めてその女の子とことに及ぶ時を想像するに、

そりゃまあ妙な興奮と生々しさに包まれるに違いないのである。



ブラジャーはどんなだ?という疑問が個室に入って明らかになり、

乳首などんな色だ?という好奇心が、それを外したときに満たされる。



有料にせよ無料にせよ、玄人にせよ素人にせよ、

男と女が個室に入り、女の子の乳首を男が見てる時点で、

チョメチョメに及ぶ率は、言わずもがな、相当に高い。



思い描くに、私の場合はこんな瞬間が”一線を越える瞬間”。

股間のあたりがキューンと締め付けられるような切なさにさいなまれる。



目を閉じる女の子に、優しくそっと口づけを。



私が口元を離すと、しばらく余韻に浸っていたその女の子が

しばらくして目を開けて、そして私の顔をみて、こういうのである。





「♪ふふっ。でも、近くでみると凡作くんって、アレだね」



「ん?何?」





「凡作くんって、すごくエッチな顔してる」





って、はあ〜。
タマンネーなあ。おい。



そういう状況を想像して、心の中で恥ずかしさやらテレやらで悶々と、

本当に恋って、恋愛っていいものですね。って、思っちゃうけど。





でも実際のところは今日のように、



いきり立って
女性のいる飲み会に参加して、酔いも回らぬ数分後に





「凡作くんって、すごくエッチな顔してる」



と、
真顔で言い放たれると、爆裂に心が折れるというものだから、

言葉って不思議なものですね。





”一線を超える”というロマンティックな瞬間より、



”一線を引かれる”という、刹那的な瞬間を感じることの多い凡作でした。



8月8日(日)


♪は〜い。どうだね。



結構いいペースで日記の更新が進んでいるね。

やれば出来るコ、凡作くん、ってわけだ。よろしく。



この調子で更新を続けていけば、私の30歳の誕生日である

10月の5日には、実際の日付に日記の暦が追いついているはずだ。



いいかい?覚えたかい?



10月5日だかんね。

淋しがりやの私であるが、ここ数年、誕生日にはいつも以上に淡々と

その日が通り過ぎるのを経験している。

数年前はカブいて、新宿のキャバクラへ赴き、あたり一面の女の子に

私の誕生日を祝ってもらったものだが、その数時間後、

骨にくるぐらいの切なさ攻撃を喰らった覚えがあるので、今年はしない。





「いつも楽しみに日記読んでます」 とか



「これからも頑張ってくださいね」 なんかという





そんなありきたりな文章でも、多分私の
涙ダムは決壊するはずである。





さておき、本日は8月の最終日。



昨日まで
「銭形が調子いい」などと書いた気がするが、

結局のところ今日は
REG7連発を喰らって、見るも無残な収支に。



こんなもんだよ。銭形のヤローはよ。




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