池中源太が何キロだったが忘れたが
今日恐る恐る体重計に久しぶりに乗ったら
松田凡作、89キロであった。セーフ。
福岡旅行のメンバーには「0.1トンの大台」やらなんやら
失礼な予想を立てられたものだが、さすがに100キロはなくとも、
90キロ台と80キロ台では、精神的な負担はいくらか軽い。
体重的な負担はいくらもかわらない、が。
「♪もしかしたら柏原崇のような人が書いてるのかも」
私をまだ見ぬ夢見がちな乙女がいたら素直に謝るが
決して私は線の細いタイプではなく、太いタイプの色男である。
体も太けりゃ、ティムポも太い。
心も人生も太くいこうと日々漢の精進に励んでいるわけだが
残念ながらツキだけは細い。
今も梅松で5万ヤラれて、泣きはらした目で日記を更新してるのだが
いやいや、体重については、そう悪い話ばかりではない。
接骨院のようなところにいって、轟さんのようなお兄さんに
時には強く、時には優しく、肉体を弄られながら
「お客さんの肉体は、本当にいい肉体なんですよ」
と、ウィンクされた刹那には、
思わずその肉が筋収縮運動を始めるぐらいビビッたものだが
よくよく聞いてみると、筋肉の質が、とてもいい質だというのだ。
しなやかで、酸素を湛える筋肉。それを脂肪がコーティングしている。
質量が多いので、体重がありそうに見えるがその実、
とても機能に優れた筋肉であるというのだ。
「まあ、例えるなら、上質なロースですね」
ロースと呼ばれて喜ぶ人間がいるのかどうかは甚だ疑問だが
そのお兄さんが私の肉体を褒めようとしているのに疑いはない。
私たちが巨乳をホルスタインと呼ぶように、だ。
ま、確かに上ロース扱いされて複雑な気分になったわけだが、
それよりも私がこのデブという身体を苦にしていないのは
それが今の世が「癒し」の時代だからである。
とがっていて、すべての軽量化を終えたようなシャープな男にも
それはそれなりの需要があるには違いないのだが、
このストレスの蔓延する時代に、
私の腕に抱かれて海の夢を見るというのも
それはそれでZなものに違いない。
さあ、夢見がちな貴女も、一度試してみたらどうだろうか?
一部の風俗嬢の間で私のおなかは
テンピュールと呼ばれて、非常に好評です。
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