以前の日記へ


5月21日(土)


〜松田凡作、教育を語る〜 (第一夜)



筆者はよく地下鉄を利用するのであるが、

腰痛になると空いている席のありがたみが文字通り骨身に沁みる。

30の坂をちょうど越えたあたりにて、優先席に座るのはいささか

抵抗があるのであるが、それでも立ちっぱなしの状況が

ギックリ腰の人間にとってどれだけ苦痛な状況であるのか

これはなったものでないとわからないだろう。



地下鉄には、様々な人間が乗り入れし、

だからこそルールがあり、マナーがあり、それが必要である。



よく「お年寄りには席を譲ろう」というマナーがあるが、

仮にそれが標語でなくとも、相手の立場になって考えれば

自然、席を譲ろうとする気持ちになるはずである。



恥ずかしながら筆者は、腰痛という難儀なものとお付き合いするまで

お年寄りの辛さというものを考えたことがなかった。



壮健なお年寄りもいるにはいるだろうが、歩くこと、立ち続けることが

難儀な行為であるお年寄りも多いだろう。

同じ料金で地下鉄に乗せてもらっている以上、

出来るだけ等しく快適に、地下鉄を利用する権利が、

お年寄りにも身体が不自由な人にもあるはずなのである。



しかし悲しいかな、人間というものは、自分がその立場になって

みないと、その人の気持ちにはなれないものである。



そこでルールやマナーが必要になってくる。

大人には常識人の振る舞いとして、

そして判断能力の乏しい子供には、標語や教育として。





先日、所用があって筆者が地下鉄に乗ると、

下校途中なのであろう、めがねをかけた利発そうな小学生が

同じ車両に乗り込んできた。



筆者が小学生の頃は、下校途中に駄菓子屋によったり、

河川敷で友人と遊んだりと、いかにな下校風景だったのだが

その”ペンと剣が交差”している制帽を被った小学生は、

かわいそうに地下鉄で下校である。世知辛い世の中である。



しかし、同情していたのはそこまで。



目の前には年寄りも、筆者のように腰痛で油汗をかいている者も

いるのに、空席を見つけるとぴょんぴょん跳ねるようにそこに向かい

何の躊躇もなく、着席したのである。



「親の顔が見てみたい」と、その心境である。



ある程度常識のある親であれば、子供料金で乗っている子供には

病人お年寄りを差し置いて、席に座ることの恥ずかしさを教えるだろう。

そしてその判断力のない子供に、標語として

「席を譲ろう」と教えるべきなのである。



相対的に高度な学校教育を受けているかも知れないが、

そういう「常識」、それを教えてもらっていない彼のような子供。

数十年後には、彼に向かって、筆者はこういうであろう。










「部長。部長はいつも素晴らしいですなあ」





・・・いい世の中だね。



5月20日(金)


さて、5月分なので、5月の話をしよう。



5月といえば、前にも書いたとおり
パチスロで50万円勝った月。

月収50万円といえば、ま、私には時給いくらの副業もあるから

(社会人としては、こっちが本業なのだが)

年収に換算すると、大体
1,000万円プレイヤーということになる。



で、年収1,000万プレイヤーがどういう感じか、というと

これが、金が減らないのである。



やれ腰痛の治療だ雑誌だメシだ、と、日常生活にかかる費用は当然

車のローンだ家に入れる金だなんだと、かかるべきものを支払っても

銀行の残高が減ることがなく、こりゃラッキーだと思い立ち

衝動的に
PDA(東芝GENIO)やエロゲーを買っても

思い立ったように伊豆のブラック邸に遊びに行って海鮮料理に

舌鼓を打っても、もおう、
私の生活レベルの贅沢では

本当に金が減らないのである。





これが勝ち組かあ!



ムカつくなあ!これが毎月かよ〜。




あんまり癪に障るので、いっそのことベンチャーでも立ち上げて

しまおうか、と思ってしまったが、まあ、よくよく考えると





これだけの収入をもって
借金が減ってない時点で、

勝ち組にはなれないと悟ったわけで。



いい夢見させてもらったよ。



5月19日(木)


唐突ではあるが、この間
風俗に行って

持てる技術の約30%ぐらいを開放して

(ま、ぎっくり腰だからね)

それでも、かなりイかったようで、










「♪もおう… 営業妨害だぞ☆」





…と言われた。






つまり



まだ俺は死んでない、ということ。



5月18日(水)


そう。
5月31日の今日という日。





鈴木京香さんの誕生日らしいですね。



思えばもう、10年来私の中で生き続ける「最高の女性」。

そしてリアル京香も、いい年齢の重ね方をして

ますますいい女に磨きをかけていらっしゃいます。



さて、一時は堤真一と浮名を流したこともある彼女ですが

堤真一という俳優は、意外に私も好きな俳優で





ま、
ヤツになら譲ってもいいか

心の中で祝福を送っていたこともあるのですが、



ま、そんなロマンスもどこかへ行ったようで

これから先に
どこぞの馬の骨とどうにかなっちゃう前に










俺なんかどうだい、京香?





意外なところで、って感じで、さ。



5月17日(火)


(その7,000円がいばらの道なのだ)



厳密にいうと、6,500円。



2005年、5月31日。20:00。

仕事を昼間に抜けて、その時も一勝負終えて、

5月の目標としている、
50万円のプラスまで、あと6,500円。





パチスロというのは、1,000円をとりにいくのに、2万も3万も遣う。

残り時間を考えても、リスキーである数字。



しかし、今日の私は、何かが違っていた。



真昼間に食事のついでに
「鬼浜」で横浜銀蝿。

仕事を切り上げて
「鬼武者3」で小役解除BIG+32以内BIG。

空き台探しでうろつくと900Gヤメの「鬼浜」があり、

着席してしばらくして、再度銀蝿。



ほとんど折れかけていた目標に対する気持ちは

短時間で手にした
5万円の勝ち金額によって奮いたった。





(それでも、その7,000円がいばらの道なのだ)



間違っても、今日負けることはないだろう。

十分戦ったよ、十分成果を出したよ。と

そんな気持ちで帰路につくこともできる。



でも、ここで諦めたら、6月の展開に影響することを

長年の経験から、よく知っている。





(あと3時間ある… やるんだ)



前向きに倒れること… それが意外に悪い影響を与えないこと。

これも長年の麻雀やパチスロの経験から、よく知っている。



ただし、闇雲ではダメだ。



「後は野となれ山となれ」

この言葉は、すべからく努力をしたものが、それ以上ない努力を重ね

後は天に身を任せる、という意。闇雲ではなく、根拠のある台選び。



そして、その判断を信じて、打ち切るのだ。



新橋のホールの密集地帯にて、「鬼武者3」「鬼浜」の打ち頃の台、

それを懸命に探すも、ブルジョアかバカが多いのであろう、

ゲーム数を問わず、稼動がついている状態。

打ち頃の台なんてありゃしない。





「お〜い。こっちおいでよ〜。」



その気配に気づいて振り返ると、その気配の主は
「北斗の拳」



本年度収支の大幅マイナスの立役者、北斗の拳。



そして、導かれるように頭上のカウンターが1300と刻んでいる

因縁の北斗の拳に着席してしまった。



ただ、やっぱり面白いもので、



すぐにスイカ。そしてチャンス目。

すぐさま2枚チェリーを引いて、BBスタート。



(白かよ・・・)



オーラの色を確認して、思わずそう心の中でつぶやいたが、

いやいや、投資金額は2,000円。

3連4連でもしてくれれば、目標達成である。





(なるようになれ・・・)



目を閉じるように、ボタンを愛でるように、

そんな気分でレバーとボタンと撫でていたら



気づくと8連、すぐに2連、また4連。



打ってる間、こう思っていた。



不思議なものだな。あれだけ高設定狙い、データ重視の頃は

全然ダメだったのに、と。



無我の境地、いや北斗の拳であるから「無想転生」か?

そして、我に返ってふと気づく。



あ。北斗の天井は2000ゲームだったっけか?

1500と勘違いしてた。





とにかくそんな
悟りの境地



はい。27,000円勝って終了です。







2005年5月収支は、プラス52万円。



あと50万円弱の本年度マイナス、

チャラになったら、グアムとかハワイとかの類に行こうと思う。



5月16日(月)


まず宣言をしておく。

私はロリコンではない。



さて、前ふりが終わったところで

最近テレビでやってる
「石原さとみ」のポッキーCM。

あれを見ると、たぎった血液が股間に流れ込むのを感じる。



アレだ。浜辺のボートの陰で

ちょっと眉毛の太い、いかにも美少女然とした石原さとみが

同年代と思しき男とポッキーゲームに勤しむ、というアレだ。



合コンマンとしては、
ポッキー☆ゲームという響きだけで

それはもう堪らないものがあるのだが



あの表情と、あのギリギリさと

過ぎ去ったあの頃の淡い思い出が脳裏で交差…



いやいや、そんな時代はなかったと思い返してもなお

あのCMの際どさに、
頬も亀頭も赤らめてしまう今日この頃。
















♪あなたも私もボッキー


5月15日(日)


ちょっとした機会があって
大学時代の友人とBBQである。



バンブー君は二時の乳…いや二児の父であり、

その日も息子を連れて参加。



K君は物色を試みているマンションのパンフレットを持ち

某超有名企業に勤務している、同級生の女性の亭主とともに

物件についての会話に華を咲かせている。



さて、金融経済、政治に仕事の話が飛び交う中で

無理無理話を合わせるように



「いやあ俺も一時期120万円負けてたパチスロの収支がさあ・・・」



これがマイナス50万円のところまで戻った…と、その発声する前に



私を見つめるお歴々の左目には「駄」

右目には「目」の文字、すなわちしばしば人がそうするように

彼らのその両目には、ダメ人間を見る眼差しが宿っていて



ふと会話の途中で視線をそむける私がいる。





その視線の先には、年の頃は私と同じぐらいだろうか?



ハゲや疲れた感じの女性がたむろする、近隣のBBQグループ。

そのうちの誰かが持ち込んだラジカセからは

工藤静香だのオリジナル・ラヴだのの音楽が流れ、

曲のチョイスからして私と同年代であることを示していそうなものだが

ビール片手に、わけのわからないノリで踊っている彼等の姿を見、



(尾崎豊はないのかい?)と心の中で問いかけるも



視線が合えば、私も妙なタテノリを披露しそうなので、

そのまた向こうに視線を移す。





いつからなんだろう…



いつからこんな俺の人生が始まったのだろう。





パチスロか?パチスロにハマったあの日からか?

勢いで風俗に初めて行った19の春か?

それとも高校のバッグに制服を詰めて、浅草ロック座に

「藤本聖名子」のショーを見に行ったあの時か?




いや、違う。



それより先に、俺のこの人生は始まっていて

それは物心ついた時からの、この
モテない境遇から来ているはずだ。



小学校5年の時には生徒会副会長。

そのまま信任を得て、生徒会長になったまではよかった。



が、生徒を代表し父兄に挨拶をして、修学旅行に出かけたその夜、

まさにその夜に
女子の部屋に夜這いをかけ、

それが全校的に明るみになったあたりで



同世代の女性から、
変態というレッテルを貼られる人種なことに気づく。



それでも気丈に振舞ってきたさ。

それでも私を理解してくれる大人な女性が現れるのを信じて。



でも、もう30だよ。



怠惰怠慢の毎日で、身体は90kgの重さに差し掛かり、

ギックリ腰を患い、見かけも立ち振る舞いも醜い。



それで変態。もう笑うしかない。





「なあ、凡作って、本当に太ったよな?」



「まあな。2年で20kgぐらい太ったな」



「もう学生時代の面影ないよね?」



「まあね。ま、あの頃とあんまり中身は変わんないけどね」



「凡作って、
痩せてた頃はカッコよかったのになあ」















・・・





「そうだよ〜。カッコよかったのに〜」













遅い!



遅いんだよ!そのナイス指摘!







せめて学生時代に聞きたかったその言葉。



でも



業の深さと90kgという荷物を積んだ、
凡作という名の人生列車



・・・もう止まらない





・・・止まれないんだ




    以前の日記へ