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8月5日(土)


秋の心地良い陽気が、私の身体を包んでいる。



日曜日の昼下がり、水道橋にちょっとした用事があり、出かけた私は

学生時代、つまり青春時代を懐かしもうと、わざわざ東西線の飯田橋に

降り立ち、懐かしい水道橋への道のりと楽しもうと、歩を進めることにした。



秋のちょっとひんやりとした空気が肌に優しく、ちょっと上を向きながら

のんびりと歩くのは、非常に心地が良い。



元来、ロマンティックな方なので、そういう小旅行は大好きなのである。



日々は地下鉄のホームから地上に出るまででも、親切に取り付けられた

エレベーターを利用するほどの不精ぶりだが、たまにはパチスロを血眼で

うつことなく、こんな贅沢な日曜日の過ごし方があってもいいはずだ。



飯田橋から水道橋へ向かう道は、当時はJRの管理しする何かの予定地で

千代田区という都会のど真ん中であるにも関わらず、原っぱのようなところ

だったような記憶がある。石ころを蹴飛ばして水道橋の後楽園のボーリング

に向かった思い出や、飲み屋の帰りに別れを惜しんで水道橋まで仲間と

歩いたことが思い出されるが、今は立派なビルが立ち並び、当時とは異なる

様相を呈している。



水道橋で所用を済ませ、どうせなら、と、しばし喫茶店でアイスコーヒーを

堪能した後に、徒歩での小旅行を続けることにする。



御茶ノ水は、緑につつまれた内堀をその通りから眺めることが出来る。

順天堂大学の前、駅のホームからは見慣れた風景であるが、

歩きながら駅のホームの方面を眺めて、はるか下に流るる水面をみると

意味もなく昭和の香りを感じて、懐かしい気持ちになる。



その通りには淡路亭、青葉亭という、古びたビリヤード場があり、

学生時代に「粋だから」という意味不明な理由でI君とそこで玉を撞いた

記憶が思い出される。



後からビリヤード狂の友人に「あそこは伝統のある玉撞き場だから」と

聞いて、あながり私のセンスも捨てがたいものだ、と思ったのであるが、

いかんせん、ボロい感じがぷんぷんとしており、ラウンドワンなどの

大型施設を有難がる今の若者には、とても受け入れないんだろうなと

余計な心配をしながら坂を下り始める。



気分は阿藤快か彦麻呂か。



いい旅夢気分で歩を進めていると、もうそこは秋葉原。



ここまでくると、今でもよく来るヨドバシカメラが見えてきて、

懐かしさには乏しいから、この辺で今日は小旅行を終わりにしよう、と



最後に行きがけの駄賃のような気分で立ち寄った
エロDVD屋



そこでの滞在時間が、
それまでの全行程より長かった、というのが

全くもってお恥ずかしいところである。



どうでもいいけど、
アムタラって凄いねえ。品揃えもマニアック度も。



8月4日(金)


”誘われたらまず断らない”程の麻雀好きの私は、

慢性的なメンツ不足に悩む諸兄にとって、なくてはならない存在なようで。



確かに、レートやメンツ、時間帯にとらわれず、誘われれば0.5秒でOKを

出す私である。もし女に生まれており、趣味がSEXであったとしたら

”ヴィーナス”とか”マリア”とか、ま、ヤリマンとか出前マ●コとか呼ばれる

逸材になっていたと思うが、それはそれ。誘われている内が華なのである。

世の中の女性にも、こういう意識を少しはもってもらいたいものであるが、



こういう生業をしていると、実に様々な人たちと打つ機会があり、

同じような人種の人間と打つことが多いが、そうでない人と打つ機会も

これまたかなりの機会で訪れることになる。



今までで一番艶っぽいのが
ソープ嬢、ってのがありますな。



勝ったら身体で払ってもらい、負けたら身体で払おうと思って臨んだ勝負。

しかし開局早々、そんなムードが見当たらなかったので、しっかり小金を

頂戴し勝負を終えた記憶があるが、先日誘われた麻雀は友達の知り合い、



つまりは赤の他人、と、そういう人たちでありました。



証券会社時代の同期の転職先の銀行系の証券会社の先輩に上司、と

ま、バリバリのエリートさんたちですわ。



今いる会社でも東大出の部長とその部下たち、というメンバーに呼ばれる

こともあるので、タイプとしては別に拒むところはないのだが、



その人たちは頭はいいが勝負弱く、というか勝負をしたがらず、

場末の雀荘のオヤジは、金を持ってるが頭がキレず、

地元の友人は勝負勘はあるが、金を持っていない、という

それなりの特性を持っているものなのだが、



金融系のエリートってのは、金を持ってるし、頭はキレるし勝負勘はあるし

いうなれば”一番麻雀をやっちゃいけない”人種と、そういうこと。



それでも、まあ、実力って怖いもので、

彼らを相手に遠慮なくツモやロンを積み上げて、開始早々かなりのプラスを

思わず叩きだしてしまった次第である。



(なんだか、申し訳ないなあ)



初めてメンツを囲む人が2人いて、いきなりバイニンを呼ばれたと思われては

次からお声がかからないなあ、と危惧して、ちょっとペースを下げてみようと

そういうところや気持ちに魔は潜んでいるものである。



その間隙を突いて、さすがは機を見るに敏な証券マン。

あれよあれよという合間に畳み掛けるようにアガリを繰り返し、

果ては役満まで飛び出して、一気に負けゾーンまで落ち込んで終了となる。



レートの割には傷は浅くて良かったと思うが、よくよく考えると

なぜに社会の底辺で蠢くフリーターから1万円も巻き上げてホクホクなのかと

そんな私から彼らに、声を大にして言いたい。





また誘ってくださいね〜。



私に必要なのは、勝った負けたより、まずは麻雀ができること、なので。



8月3日(木)


「津山30人殺し」いわゆる津山事件をご存知だろうか?



その名の如く、日本で起こった大量殺人事件であり、これは世界でも

類をみない(厳密には3位ぐらいらしいが)、夥しい死人が出た事件である。

現在の岡山県津山市、そこでの1940年より少し前の出来事であるが、

突き詰めていくとその犯行動機が「夜這いを拒否されたから」という理由で

ある点、まさに恐れ入谷の鬼子母神、である。



前々から不思議に思っていたのであるが、男における性生活の格差、は

どうやら最近顕著に現れている傾向らしく、古来、いやむしろ近代までは

男はその容姿やらにそれほどとらわれず、女性との接点を得ていたようで

あり、その手段に大きく貢献したのが「夜這い」という風習であった、と、

そういう結論に、私の中で至りつつある。



今、私が同じことにトライしたのであれば、裁判沙汰になるのは避けられず

おいそれとは実行できないところがあるが、その当時は女性のほうでも

それを待っているようなフシもあり、まあ、自ら男性を誘えないご時勢である

からして、意中の男が夜這ってくればラッキー、そうでなければ仕方ないか、

の世界であったに違いない。なんというか、羨ましい限りである。



が、いつの世でも女の中には、男に対するトレンドがあるようで・・・



そして「津山事件」の犯人であるが、彼は頭脳明晰な人物であったとされる。

村では頭の良い男が人気があるのは想像に難くなく、彼は夜な夜な夜這い。

複数人と関係をもったが、時勢的に徴兵の検査があり、その検査で

肺結核の持病にて不合格、と、そういう状況に相成った。



不幸なことに、当時の女性のトレンドは「戦争にいける男」であったらしい。

今は容姿や収入で測られる男の魅力、当時は”戦える男”が条件だったと。



徴兵に落ち、お国のために戦えない男は男にあらず、ということで、

夜這い先の女性は一斉に彼を拒絶することになる。



そして逆上。



件の大量殺人の幕開けとなるのだが、

ここまで聞いてピンときた人がいないだろうか?



動機はさておき、この事件が金田一耕助の
「八つ墓村」のモデルである。



岡山に疎開していた横溝正史がこの事件に”インスパイア”され、

あのおどろおどろしくも妖艶で、怪奇な物語を作り上げたのである。



インスパイアと称し、単にパクることを好しとする最近のアーティスト気取りに

ツメの垢でも煎じて飲ませたいが、なんというか、



夜這いの話から「八つ墓村」に繋げる私の文章構成もまた、

我ながら大したものであると思う。



8月2日(水)


小林薫
被告の死刑が宣告されたそうだが、ま、

彼の死刑は当然として、自分には思うことがある。



私はいい友人に恵まれた、と。



彼の幼女が好き、という嗜好や、殺害に及んでしまうという性癖については

私には全くそのケがないのは事実だが、



多分、女性からの視線や扱われ方、そして社会的評価については、

彼とあまり変わることがないはずで、ややもすれば私の方が低いかもしれん。



もし私がそういう嗜好や性癖を持ち合わせていたとして、

私がそうならないようにしてくれるのは

環境、つまり、有形無形の接し方にて私を諭してくれる友人であるだろう。



だから、私は女性から白い目で見られても、いくら彼女がいなくとも

胸を張って生きている。生きていくことが出来るのである。



ありがとう。友よ。



しかしながら私と同じように、友人がたくさんいつつ、それでいて彼女も妻も

具備している快活な男などをみると、たまに無性に
ぶっ殺したくなるので、

あまり俺の前でいちゃいちゃしないようにね。お願いだよ♪



8月1日(火)


怒涛の7月分完全更新も終わり(ま、日記としてはそれが当たり前だが)

8月分に突入しているのは、なんと10月も半ばを過ぎようとしている本日、

つまり10月の15日の深夜である。



まあ、8月9月は5日分ぐらいの更新で翌月にバトンタッチすればいいが、

ここにおいては季節はずれなことを書かなきゃならん、と

ふと脳裏をまさぐると、あったあったよ、アレも季節ハズレだよなあ、と。



今日のお話は先日発売となった
「SEXYビーチ3」というエロゲーの話。



昨今
はリアルビーチでのウォッチング行為に非難が集中する有様なので、

マネする御仁が出てくるのを恐れたか、はたまたプログラムの遅れか、

またはなんにも考えていないかは不明だが、このゲームが発売されたのは

これが最近の話であり、はなはだ季節ハズレではあるのだが、



エロゲーに季節感を求めることがそもそもナンセンスであり、

水着はオールシーズン可であるという男の願望からすれば、

別にこの点については、何の異論もあるはずがない。



「SEXYビーチ」というゲームが何なのか、簡単にわかりやすく説明すると

ポリゴンで描かれた複数人の女の子が、リゾートアイランドで主人公と出会い

ズームや回転などを駆使し、穴の開くほど、穴の開いている部分の周りや

その肢体を鑑賞できるという、ま、そんなゲームである。



実際はそれにとどまらず親密度が上がるにつれ、ボディタッチやオイル塗り。

果てにはスケベに及ぶことが出来るのであるが、

(マウスでクリックやドラッグ、スクロールで腰のグラインドを操作できる)



その「SEXYビーチ」というゲームの魅力を、わかりにくく説明すると

幼少の頃、「このマンガ家がエロマンガを描いてくれればいいなあ」と思った

小谷恵一やら村生ミオあたりが実際に現在、エロマンガを連載してるような

要はゲームの”鉄拳”や”バーチャファイター”のように、こんなにリアルに

ポリゴンを動かせるなら、これでスケベゲームを作ればいいのになあ、と

そういう想いが現実化した、という魅力であるだろうか。

(シティハンターやキャッツ・アイの北条司がエロマンガを描けばいいね、

というのが今の希望であるが)



いや、なんというか、ゲームにもエロゲームにも、そんなに明るくないのだが

念入りに書き込みされた背景や女体には、ついにここまできたか、と

技術の進歩を感謝せずにはいられないほどであり、とりわけ

乳首の描きこみには、なんやら執念のようなものを感じるほどである。



ああ、なるほど。

巷でグラフィックボードが売れているのは、
こういうゲームをするためか、

と、一人ごち納得したものである。



着れる(着させる)水着はイベント毎に増えていき、数十種類にも及び、

オイルの塗り加減によっては日焼け跡まで調節できる有様。



なんだか、いい時代である。



私も先日、2時間ほどプレイしたのであるが、

はじめは眺めることしか出来なかった女の子が親密度があがるにつけ

オイルを塗ることが出来、そのリアクションを楽しめたり、きわどい水着を

着用させることが出来たり、そして展開の中でスケベに至るまでの仕草が

ま、確かに簡単ではあるのだが、「ついにベッドインできるぞ〜!」的な

男の気持ちの盛り上がりを擬似的に体験できる仕組みになっており

中々ご満悦にてプレイが出来た、と、そういう次第である。



で、初エッチの後はより過激にデートを楽しむことができたり、

より際どい水着を着させることが出来、そして夜にはより激しいプレイを

行うことが可能になってくる。



(この体験が5人に対してできちゃうのかよ〜)と、

静かに、そして猛烈に感動したものであるが、

ここから先はメーカーに対する苦言である。



一人目をクリアし(つまり、制限が何もなくなった)、さて次の女の子は、と

金髪の巨乳の女の子を選んだまでは、非常に心も股間も盛り上がってたが



セリフと外見以外は、ほとんどが同じシチュエーションである。



出来ることや展開が全く同じであり、体位やフェラのアングルも一緒となれば

それは急激に盛り下がるのは自明の理であるからして

一気に攻略心が下がり、それ以来、ゲームをやめてしまった、と。



なくて七フェチ、とは良くいうが、5人いれば5人分の特性があるはずで、

髪の色と体型、タイプが違えばそれでいい、と、そういう若年のマニアと

同じにされてはチト困る。



初めからチンポを咥えるアグレッシブな女の子もいて然りだし、

乳首を舐めてもらうことが最終的なゴールの女の子がいてもいいだろう。



それとフィニッシュについても、区切り感が乏しく、

マウスを操れば主人公は何度でも射精可能である点や、何度でもイける

女の子を見るにつけ、(いつまでヤればいいんだ?)というエンドレス感を

味わうことになる。終わりがあるからこそ儚くも美しいという愛の営みには

納得できるフィニッシュで幕を閉じてもらいたいものである。



あと、効果音がわざとらしい。

ぬぷぬぷとかぐにゅぐにゅとか、いくら
素人童貞の私であると言っても

それが余りにもデフォルメされたものであることぐらいはわかり、

却って興奮を妨げることをここに指摘しておく。



ということで、次回作に強烈に期待している今日この頃なのである。



って、私って、一体何様なんでありましょうか?




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