この日記を更新しているのが12月15日を少し回った12月16日(土)。
ついに、この日が来てしまった、と、ご機嫌に日記の更新をしているところ。
12月16日は私の婆さんの誕生日、という局地的なことはどうでもいいとして
そう。映画「犬神家の一族」の公開日、という、私にとっては歴史的一日と
言って差し障りのない日なのである。
1976年度公開の「犬神家の一族」から30年。
同じく石坂浩二が金田一を演じる新・犬神家。
同じく市川崑監督が同じ脚本で同じテーマ音楽で作り上げたという
興味がない人からすると「何で観にいくの?」な世界な映画であるのだが
じゃあお前らはハムレットとかは観にいかねーのかよお!
お前らは歌舞伎の演目に意外性がねーとか突っ込むのかよお!
と、まあ、私はどっちも観にいかないのだが、そういうことである。
マニアにとってはもう、「犬神家の一族」はクラシック。
筋とか意外性とかは問題でなく、もう創ってくれただけで拍手喝采である。
興奮して、眠れそうにないのだ。今日は。
5月には撮影地となった長野県は上田市を訪れて
金田一を気取って近所の酒醸造の店のオバサンに語りかけてみたり
同じく長野県の青木湖(スケキヨの有名なシンクロ撮影地)に行って
ボート管理のおっさんに語りかけ、関係ないことをべらべら話された時に
(お前は三木のり平かっつ!)と心の中でツッコンでみたり、と
そういう思い出が脳裏を駆け巡る。
実は先ほど、公開に先立て一人前夜祭を敢行してきたところ。
何をしてきたかは取りたてて話すことでもないが、テンションは最高潮。
今も先週発売されたデジタルリマスター版の犬神家を放映しつつの更新
なのである(でも、かえって画質に違和感あるよ、リマスター版)。
でも、不安もあるのだ。
大学生の時に、公開された豊川悦史版の「八つ墓村」を見終えた後の
ショックを、私は忘れない。
幕が開くまでは(これから1ヶ月オナニーしなくてもいい!)と思うほど
興奮の坩堝に包まれていたのが、初めの5分で
(こりゃこれからどんなに頑張ってもベストにはならないなあ)と感じ、
後の5分で取り返しがつかなくなっていることを悟る。
その後は、少しでも取り戻すという雰囲気のないまま、出来として一直線に
下降線を描き、もっともダメなクライマックスへ、と
巷の2時間ドラマよりも安い展開の八つ墓村となっていて、正直
ショックの余り席を立てなかったことを覚えている。
今になって思うと、この映画は映画会社に対する市川監督の嫌がらせで、
あの石坂金田一作品を撮った監督、あのクオリティで5作撮ったあの監督が
演出・キャスト・展開・脚本などすべての面でベストを尽くしたとは思えず、
まあ、何かを腹に据えかねた監督が「金田一映画とりゃ何でもいいんだろ?」
的になげやりに、いや、むしろくだらなく撮ったか、または単にボケたか、
いずれにせよ、そういう理由であの八つ墓村だったのでは、と、
そうやって自分を納得させている。
今回は監督、ノリにノってるし、何せ監督を崇拝しているプロデューサーの下で
何せあの石坂浩二が金田一である。ふて腐る理由はないはずだ。
あとはもう一つの懸念。
市川監督の以降の作品を観るにつけ、100%は否定できないが、
まあ、ボケてるという線は無理やり黙殺しようと必死に不安を否定しているが
うん。いずれにせよ、今日は眠れそうにないのだ。
そう。
何事もなく過ぎ去るはずのクリスマスというイベントの、
多分100倍は盛り上がっている今日という日。
徒然に「このまま今日が続けばいいのに」と祈る私である。ダー。
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