♪こう〜べえ〜 泣いてどうな〜るのかあ〜
神戸初上陸に至るまでの過程は紆余曲折があり、まずは京都旅行で十年来の友人と共に土日を過ごした後、そのまま新幹線で… と、まあ理由を簡単に言うと仕事の出張。
時系列的には京都の話が先にくるところだが、神戸というと初めて訪れる土地の割には感慨深い土地でもあるので、先に更新しようと思う。
振り返ること数年前、私は証券会社の社員として、東京の兜町に程近い日本橋というところで働いていた。
「煌びやかな街が恋しい」入社早々群馬に配属された私は、スターになりたい、出世したい、という同期のいう”煌びやか”とはまたちょっと違う、そう、歌舞伎町や池袋の温泉街に近いところで働きたい、という思いから、かなり一生懸命に営業活動に勤しんだものだ。
思いがかなって、日本橋の本社、本店営業部に転属になったのが入社3年目。
これで思うが侭、歌舞伎町や池袋の温泉街に行ける!とほくそ笑んだのもつかの間、群馬の片田舎とは違う、壮絶な証券営業の実態を目の当たりにした。
が、これは単にツラいとか、理不尽だ、ということだけではなく、根性で数字を積み上げていくというスタイルに疑問を持つ、いい機会だった、と、今でも思う。
土日は上司の名前で出すDMを1,000枚程度折り、平日は目の前に置かれた電話帳から一心不乱に電話をかける。収益は1時間毎に白板に記載しに行き、ノルマに足りてないと罵声を受け、ノルマを達成したとしても翌日以降の”予約”や新規投資信託や新発債権などのハメコミというノルマに追われる毎日。
(メール使えば、一発なのになあ)
当時、まだまだ証券営業にパソコンは浸透しておらず、ようやく名刺交換できた営業先の社長などの名刺にはほとんどPCのメールアドレスが記載されるようになってきているのに、会社で株式の資料と案内を、開拓した顧客にメールで送るためにパソコンで作業していると
「遊んでるんじゃねえ!」と四季報が頭を目がけて飛んでくる始末。
時報を聞きながら、受話器を片手にしている営業マンが何のお咎めもなく、かような営業活動をしていると「遊んでる」と思われる旧態依然とした文化であったのだが、
そんな会社も、ようやくインターネット取引に着手した時期でもあった。
もともと証券業界というのは、株券という紙切れを右から左に動かして手数料を取るビジネスである。当時であれば100万円の株券をAさんからBさんに動かせば約1万円貰えたわけだし、そもそもわかりやすく言えば、株券というのは証券会社に預けているのがほとんどなので帳簿上のやり取りだけで、手数料を貰えたわけである。
(まさにインターネットにうってつけの商売じゃねーか)
セキュリティの問題があるにせよ、電子のやりとりで売買が成立し、後は物流や受け渡しの方法を考えなくてもよい株式売買こそ、インターネットで取引するのに適している、と感じた(当然、頭の良い上層部はとっくにそう思っているに違いなかったが)。
そこで私は、インターネットトレードを立ち上げているチームに、異動願いを出した。旧態依然とした営業を続けていても、そういう営業マンの数は減る一方だろうし、仮に生き残ったとしても、壮絶な毎日を過ごさなければならない。当時の私には、生き残るビジョンも、壮絶な環境で生き続けるビジョンも見えなかった。
当時はコールセンターと呼ばれる都内にあるセンターに、インターネットトレードの立ち上げ部隊があり、数人の若手が募集されていた。そこに私は手を上げたのである。
傍から見れば本店営業部、という営業の花形にいながらコールセンターに異動願いを出すことに、重役(本店では上司が、重役である)は大いに訝しがったようである。
異動の時期に、その重役に呼ばれた時(ああ、異動が出たのだな)と直感した。
「松田くん。君に辞令が出たよ」
「そうですか。」
「君はコールセンターを希望していたようだね」
「はい」
「君の願いは、3分の2ぐらい聞いておいたから」
「は?」
「コールじゃなくて、コーベです」
…その翌日、私は辞表を叩きつけていたわけだが、
地方営業から若手として本店営業に転属し、中堅として地方の大店に異動することは、必ずしも悪いコースではなかった。次に本店に帰って来る時はライン課長として帰ってきて、次の異動で都内の支店長となるのが、重役までの最短コースであるからである。
数多くの離職者を出す証券業界でも、”上司のギャグが笑えなかった”というのが理由で会社を去る人間も、そう多くいないだろう。
結局、コールセンターのインターネットの部署には、営業が辛くてたまらないという同期が行くことになった。まあ、会社というのはそんなものなのだろう。
実のところ、この決断については全く後悔はしておらず、今の仕事も順調で非常に充実した毎日を過ごしている。まあ恋愛などを除く”仕事は”なのであるが。
ただ、神戸の地に降り立って、もしあの時、流されるように神戸に赴任していたら、どんな人生が待っていただろう、と、ふと想像した時、
もしかしたら芦屋の社長のお嬢様とねんごろになり、今頃は2代目婿養子社長になっているかも知れなかったなあ、と(実際、証券マンにはこういう人も多くいる)、全くロマンスの神様が降りてこない今の生活を振り返ってみたりした。
ともあれ、先に進むしかないのが人生。
今が楽しければ、それでいいじゃないか、と。
そういえばバンブー君が「三ノ宮に素敵なステーキハウスがある」って言ってたなあ。
神戸といえば神戸牛。さぞかし旨いステーキが味わえるのだろう、と、金に糸目はつけずに神戸上陸の記念に食しておこう、と、三ノ宮のステーキハウスに入って
話では目の前の鉄板で肉を焼いてくれるということだったのだが、どういうわけだかコースで出てきて、つまり店を間違えたわけだが
店を後にする時のお会計は、コース料金5,250円、サービス料525円の計5,775円。
サービス料で一日の昼食を満たすことの出来る私にとっては、神戸はやはり敷居が高く、まあ長く住めるところではないなあ、と、妙に現状に納得しながら帰路に着きました、とさ。
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