2007年  3月 22日(木)


気づくと3月も後半戦もいいところであり、最終の日記からかなりの日数が経っている。



京都旅行にも行ったし、伊豆旅行にも行った。

今週の月曜日から新大阪(一泊)、広島(二泊)の出張を経て、ようやく東京に帰ってきて
この日記の更新に漕ぎ着けているわけである。



忙しいとまあ、日記の更新をする時間がないというのがジレンマだが、とにかく
京都の旅行の更新ぐらいは着手せねばなあ、と思う今日この頃。



早いところまとめないと、何処に行ったかも忘れてしまいそうなのだが、残念ながらロマンスもピンク色の想い出もなかったので、読まれる皆様には別に面白くもなかろうと、

今は不貞寝の準備をしているところなのであるが、そういえば、一つ報告したいことがある。



3月と言えば健康診断の季節(?)



太りすぎが身体に良くないことぐらい、医学部を出てなくとも分かることだし、
タバコの吸い過ぎが肺ガンを誘発しやすいからと言って、止められないものは仕方ない。



ただここ10年来、漠然とした不安を抱えながら生きてきたその理由。

ついでだから、と、
エイズ検査(HIV抗体検査っていうの?)を受けて来たことの話は、
この場を借りてご報告させて頂いてもいいのではないか、と、そう思う次第である。



仮に私が感染したとして、やましいことは何もないぞ、と、匿名が可能であると言われているのにも関わらず、きっちり



松田凡作と記入して(匿名やんけ!)、検査を受けて回答が出るまでの30分弱。



いや〜。この時間の長いこと長いこと。



待合室に置いてある本をパラパラと手に取ってみたが、何が書いてあったかなんてサッパリ覚えておらず、思い出すのはジットリと手に滲んだ汗の感触のみ。



こういう検査にはカウンセリングが付き物であるとはどこかで聞いたが、医者のヤローは
(こういう検査を受けに来るには、それなりの理由があるはず)とばかり、検査前に



「よく風俗には行くの?じゃあ感染の可能性は高いですねえ」だの


「感染確率?んなのマチマチだからわからないなあ」だの



通常、こういう類には鈍感な私であっても、思いっきり不安にさせられてしまったと。



まあ、結論から言うと





松田凡作 : 陰性



ということでめでたしめでたし、だったわけだが、実はこれ、危険日から3ヶ月前までの状態であって、それ以降の感染危険行為についてセーフが出たわけではないのである。



まあ検査の際はこんな感じだったのだが、実のところ、この日に前後して2ちゃんねるの書き込みやら、エイズ関連のサイトを見るにつけ、(おいおいおいおい・・・)と、不安を増大させることがあり、今度時間を見つけて更新したいと思っているのである。



このサイトでは風俗を肯定・・・というより、エムユーエスティーつまりMUSTであると捕らえている。モテもせず、女性が寄ってこない男性諸氏にとって風俗はオアシスであり、風俗嬢は女神(Venus)である、と。



しかしウィルス(Virus)の源泉であることを忘れてはならないという現実。
ああ、おっかねえ。



今日の日記を見て不安に思った諸兄もいるかも知れないが、とりあえず2ちゃんねるの書き込みを見るのだけはやめておいた方が良さそうです。根拠もない、もしくは乏しいことをツラツラと(説得力をもって)書き込んであり、疑心暗鬼になること請け合いです。



皆さんが今後も風俗遊びを楽しめるように(もしくはスパっと止めてしまうか)、なるべく早く更新したいと思いますので、どうぞ宜しく。





  2007年  3月 9日(金)


私にとって、日経新聞以上に読む機会の多いのが「MANZOKUニュース」

つまり風俗情報誌であるのわけだが、そのMANZOKUニュースによると、関西エリアのソープの有名どころは
滋賀の雄琴神戸の福原であるとのこと。



北は札幌ススキノのピチピチした女の子の多いソープから、
南は熊本の濃厚を売りとするソープまで、津々浦々の温泉街(?)に繰り出してきた私だが



何故か関西地方のソープには足を伸ばしたことがないのも事実。



素人童貞を標榜して止まない私であるから、つまりは当然関西弁を駆使する女性と肌を会わせたことがないのもこれまた事実であり、こりゃイカン(何が?)と、



今回の京都旅行をいいきっかけにして、関西にも繰り出そうと考えたわけである。





滋賀の雄琴は、調べてみると京都から電車で20分。

旅行に同行する漢メンバーがノリノリであれば、同行する女性の目を盗んで赴く事は十分可能であるはずだったが、ノリノリどころか実際は土曜日の夜であるにも関わらず



「眠いんだよっつ!」の一言で、21時台で私を除く3人の漢が就寝する始末。



お前ら、何しに来たんだよ…と、恨み事の一つも言いたくなる状況だが、

「京都に観光に来たんだよっつ!」

至極当然の回答があれば、それはまったくその通りであるのでグウの根も出ない。





「お客さ〜ん。どこから来はったんですか〜?」と、

京都弁でローションを混ぜる京女と、股間をたぎらせる東男との組み合わせも、なかなかZなものではないか、と思っていたのであるが、雄琴に繰り出すことはもはや夢と化した。





しかし世の中はうまくしたもので、私のみ京都→神戸(仕事)の行程である。

神戸には福原があり、不本意ながら一人での突撃となるが、関西女性との交わりの機会は残されている。…ということで、行って来ました神戸の福原。



待合室で待つこと数分。

現れた女性に上記のような事をツラツラと告げ
「いや〜京都では歩きっぱなしで雄琴にはいけなかったけど」と加えると



「実はウチ、京都からの通いですのんよ」と。

まあ世の中とはうまくしたものである。偶然にも京女と東男の組み合わせである。



言われて見れば
中村玉緒をそのまま若くしたような彼女の風貌は京女を強く思わせる。



凡作め、うまくしやがったな、と思う諸兄には、よくよく文章を読み込んでほしいと思う。



確かに若い頃の中村玉緒は、めちゃめちゃキュートで勝新でなくとも虜になりそうだが、

私は
”そのまま若くしたような”と表現したはずだ。



つまりはこっちを向いた鼻の穴から、いつ「ぐふふ〜」という擬音を奏でるかと、ついぞ心配になる小一時間を過ごしながら



まあ、世の中とはうまくいかないものだな、としみじみ感じた次第である。



  2007年  3月 8日(木)


♪こう〜べえ〜 泣いてどうな〜るのかあ〜



神戸初上陸に至るまでの過程は紆余曲折があり、まずは京都旅行で十年来の友人と共に土日を過ごした後、そのまま新幹線で… と、まあ理由を簡単に言うと仕事の出張。

時系列的には京都の話が先にくるところだが、神戸というと初めて訪れる土地の割には感慨深い土地でもあるので、先に更新しようと思う。



振り返ること数年前、私は証券会社の社員として、東京の兜町に程近い日本橋というところで働いていた。



「煌びやかな街が恋しい」入社早々群馬に配属された私は、スターになりたい、出世したい、という同期のいう”煌びやか”とはまたちょっと違う、そう、
歌舞伎町や池袋の温泉街に近いところで働きたい、という思いから、かなり一生懸命に営業活動に勤しんだものだ。



思いがかなって、日本橋の本社、本店営業部に転属になったのが入社3年目。



これで思うが侭、歌舞伎町や池袋の温泉街に行ける!とほくそ笑んだのもつかの間、群馬の片田舎とは違う、壮絶な証券営業の実態を目の当たりにした。

が、これは単にツラいとか、理不尽だ、ということだけではなく、根性で数字を積み上げていくというスタイルに疑問を持つ、いい機会だった、と、今でも思う。



土日は上司の名前で出すDMを1,000枚程度折り、平日は目の前に置かれた電話帳から一心不乱に電話をかける。収益は1時間毎に白板に記載しに行き、ノルマに足りてないと罵声を受け、ノルマを達成したとしても翌日以降の”予約”や新規投資信託や新発債権などのハメコミというノルマに追われる毎日。



(メール使えば、一発なのになあ)

当時、まだまだ証券営業にパソコンは浸透しておらず、ようやく名刺交換できた営業先の社長などの名刺にはほとんどPCのメールアドレスが記載されるようになってきているのに、会社で株式の資料と案内を、開拓した顧客にメールで送るためにパソコンで作業していると



「遊んでるんじゃねえ!」と四季報が頭を目がけて飛んでくる始末。



時報を聞きながら、受話器を片手にしている営業マンが何のお咎めもなく、かような営業活動をしていると「遊んでる」と思われる旧態依然とした文化であったのだが、

そんな会社も、ようやくインターネット取引に着手した時期でもあった。



もともと証券業界というのは、株券という紙切れを右から左に動かして手数料を取るビジネスである。当時であれば100万円の株券をAさんからBさんに動かせば約1万円貰えたわけだし、そもそもわかりやすく言えば、株券というのは証券会社に預けているのがほとんどなので帳簿上のやり取りだけで、手数料を貰えたわけである。



(まさにインターネットにうってつけの商売じゃねーか)

セキュリティの問題があるにせよ、電子のやりとりで売買が成立し、後は物流や受け渡しの方法を考えなくてもよい株式売買こそ、インターネットで取引するのに適している、と感じた(当然、頭の良い上層部はとっくにそう思っているに違いなかったが)。



そこで私は、インターネットトレードを立ち上げているチームに、異動願いを出した。旧態依然とした営業を続けていても、そういう営業マンの数は減る一方だろうし、仮に生き残ったとしても、壮絶な毎日を過ごさなければならない。当時の私には、生き残るビジョンも、壮絶な環境で生き続けるビジョンも見えなかった。



当時はコールセンターと呼ばれる都内にあるセンターに、インターネットトレードの立ち上げ部隊があり、数人の若手が募集されていた。そこに私は手を上げたのである。



傍から見れば本店営業部、という営業の花形にいながらコールセンターに異動願いを出すことに、重役(本店では上司が、重役である)は大いに訝しがったようである。



異動の時期に、その重役に呼ばれた時(ああ、異動が出たのだな)と直感した。





「松田くん。君に辞令が出たよ」

「そうですか。」

「君はコールセンターを希望していたようだね」

「はい」

「君の願いは、
3分の2ぐらい聞いておいたから」

「は?」










「コールじゃなくて、コーベです」





…その翌日、私は
辞表を叩きつけていたわけだが、

地方営業から若手として本店営業に転属し、中堅として地方の大店に異動することは、必ずしも悪いコースではなかった。次に本店に帰って来る時はライン課長として帰ってきて、次の異動で都内の支店長となるのが、重役までの最短コースであるからである。



数多くの離職者を出す証券業界でも、
”上司のギャグが笑えなかった”というのが理由で会社を去る人間も、そう多くいないだろう。



結局、コールセンターのインターネットの部署には、営業が辛くてたまらないという同期が行くことになった。まあ、会社というのはそんなものなのだろう。





実のところ、この決断については全く後悔はしておらず、今の仕事も順調で非常に充実した毎日を過ごしている。まあ恋愛などを除く”仕事は”なのであるが。



ただ、神戸の地に降り立って、もしあの時、流されるように神戸に赴任していたら、どんな人生が待っていただろう、と、ふと想像した時、

もしかしたら芦屋の社長のお嬢様とねんごろになり、今頃は2代目婿養子社長になっているかも知れなかったなあ、と(実際、証券マンにはこういう人も多くいる)、全く
ロマンスの神様が降りてこない今の生活を振り返ってみたりした。



ともあれ、先に進むしかないのが人生。

今が楽しければ、それでいいじゃないか、と。



そういえば
バンブー君が「三ノ宮に素敵なステーキハウスがある」って言ってたなあ。

神戸といえば神戸牛。さぞかし旨いステーキが味わえるのだろう、と、金に糸目はつけずに神戸上陸の記念に食しておこう、と、三ノ宮のステーキハウスに入って



話では目の前の鉄板で肉を焼いてくれるということだったのだが、どういうわけだかコースで出てきて、つまり
店を間違えたわけだが



店を後にする時のお会計は、コース料金5,250円、サービス料525円の計5,775円。



サービス料で一日の昼食を満たすことの出来る私にとっては、神戸はやはり敷居が高く、まあ長く住めるところではないなあ、と、妙に現状に納得しながら帰路に着きました、とさ。



  2007年  3月 7日(水)


”漢と書いてオトコのHP”…二代目凡作を襲名するとすれば誰か?
そう問われたら私は
「ずっきーちゃん」「ブラック君」を推挙しようと思っていた。



K君などは、己の恥を切り張りするこのサイトはあまりにもかわいそうだし、

ヌケル君などは3日に1日はウンコを漏らしながら出社する、というハードすぎる日常生活であるが故に、
読む側があまりにもかわいそうである。



掲示板によく登場して頂く匿名さんや漢会総帥や分室長さんなどは、頼まれてもそんな名前を襲名したくない、と思うに違いないようなセンスに満ち溢れているし、



んまあ「ずっきーちゃん」や「ブラック君」が適当なように思うのである。



しかしながらブラック君は、壮絶なまでにシュールな物事の考え方をするミステリアスな人物であるのだが、残念ながら筆まめとは対極にいるような人物であり、



先日も東京に来るという連絡を受けて、その日は私が不在につき、「翌日でどうか?」と問い合わせたところ。



「今日帰る 無理」



と、取り付く島のない文章を送りつけるような人物である。

そう。会っていない時の彼との通信量は年間1分弱、もしくは
20文字程度である。



そこで急浮上するのがずっきーなのであるが、この度、彼に会う機会があったので水を向けてみたところ、



「俺、ミクシィやってるからさ」



と一蹴される。



なるほど彼ほどのマメさで、面白そうな生活を送っている御仁であればミクシィやってても何ら不思議でもないのだろうが、何がミクシィだコノヤロ。



第一、マブダチだと(俺が)思っている俺に対して、案内の一つもないじゃないか!と



「いの一番にアンタに送ってるんだよっ!」



とのことであり、どうやらそれが一年以上前の事らしいので、頼み込んでもう一度アドレスを送ってもらった次第である。

いや〜、実のところ、世間を騒がせているミクシィとやらに誰も私に声をかけてくれないので、いささか寂しさで泣きそうになっていたところ。本当に友達って、いいものですね。



「今度はちゃんと見ろよな!」



はいはい。それでは自宅のPCのスイッチ・オン!

言われるがままにアカウントを登録して、彼の日記に目を通してみましょう。



で、そこには写真とリンクに満ち溢れた日記が展開されており、何より驚いたのは友人や女性と思しきニックネームからの返信の数々。



いや〜さわやかですね。

オ●ニーとかち●ぽとかの単語を使わずに、ここまで人のハートを掴むとは、さすがにズッキーであります。いいなあ、ミクシィ。



そのさわやかワールドのお仲間に入れて頂きましょう、と、返信欄にカーソルを合わせて



「はじめまして」 ・・・う〜ん、硬いな

「時下ますますご清栄のことと」 ・・・う〜ん、もっと硬いな

「わんばんこ!」 ・・・確実にバカだと思われるな





腕組みすること、約5分。

気づくと私はこのサイトの更新に逃げ込んでいた。





さあ、皆さんご一緒に!





ムキンポ!



こういう挨拶について来れる皆さん。今後とも一つよろしく。



  2007年  3月 1日(木)


とあるエロマンガの紹介をインターネットで見て気になって、
かといってエロマンガというものは膨大な在庫を誇る文教堂であっても
三省堂であっても、そうおいそれとは置いてないだろうから

会社帰りに新橋の妖しい本屋を覗き込むも、当然のようにお目当てはなく
山手線に乗り込みアキバへ向かい、ラムタラなるエロの総合ショップに向かって
B1Fのエロマンガコーナーに行っても、残念ながら見当たらず、

そういやこの間VISTAを買ったショップの隣にマニアックそうな店があったのを思い出し
テクテク歩いて、着いたのはまんだらけ、という、
あまりそっちの方面に明るくない私であっても名前ぐらいは聞いたことのある店であり、

ああ、世の中かなりディープになっているなあ、と、エロがエロのために書いた
趣味のマンガ(同人誌)を見てスゲーなあ、と思いながらその店を後にし、

気づくとアキバで1万円近くエロコンテンツを購入してしまいながら
とうとう目的には出会えずに、いつもの最寄の駅に着き、
いつものコンビニでコーヒーを勝って、

あ、そうそう。パチスロ必勝ガイドが出てるはずだ、と
家から徒歩2分の本屋を覗いたところで、お目当てのエロマンガに出会う、と



人生、まったくもって無駄ばかり。いかがお過ごしですか?松田でございます。





彼も私にゃ言われたくないだろうが、このところ23:00からテレビでやってる
「翼の折れた天使たち」? ちょろっと違ってたら申し訳ないが、
原作をPRESENTSしてくれているYOSHIっていうオッサンも、かなり胡散臭い。



巷の少女達から送られてくるメールやネットの投稿の内容を、ツラツラと小説や映画やマンガの原作にして「現代の女性は・・・」なんて悩める女性の共感を得てるとか得てないとか。



「このドラマは実話ですが、フィクションです」的なテロップが最後に表示される折には、
どっちやねん!と突っ込みを入れたくなってしまう今日この頃ではありますが



整形、援助交際、学歴詐称…
結局男を食い物にしようとしている女性がふと自分を振り返り、
(ああ、なんて私は不幸なんだろう・・・)って悩む時



「大丈夫だよ。そういう思いをしてるのは君だけじゃないゾ!」的な暖かいエールを送って
世の中の共感を得ようとしてるのか、してないのか。



どう考えても割が合わないのが、彼女たちに振り回された男たちであると思うのだが、
そういう彼女たちを救ってやるのが男なのか、騙されてやるのが男なのか、
「うんうん、わかるよ」と、目尻を下げながらわかったふりをするのが男なのか、

漢を目指して早5年以上経つ私においても、まだ依然として謎のままである。



ま、そういう女性もいるかも知れないってこと。
で、それがすべてじゃないってことよ。



一つ、もしくは少数の事実を「今時の女の子は」って表現しちゃうのって、結構危ないことだと思う。元は事実でも、表現の仕方によっては誇張だったり、捏造だったりする。



同じ捏造でも「あるある」の方が、ぜんぜん害がないでしょ?

納豆なんて、食ってりゃ健康にいいのは間違えないんだし、
思い込みっていうかプラシーボ効果っつーのもあるわけでしょ?



季節を愛し、花を愛で、小動物を可愛がる、そういう女性だってまだまだいるに違いない。

そう信じて恋愛街道を驀進しようとする、松田凡作、32歳の春の始まりである。