2007年  6月 10日(日)

急に振り出した6月の雨は、想像以上に激しく降り注ぎ、

首都高速を走るオナニスト号のフロントガラスを叩きつけるように雨粒が当たると

ほとんど前が見えないほど視界を遮る程であった。



ガードで仕切られた対向車線の車が通りすぎる時に、轍にたまった水溜りが

轟音と共にこちら側に飛沫となって打ち付けてくる様を見て





「これじゃあ厚木に付くまでに死んじゃうかもなあ・・・」



と、助手席に座るK君に、心元なく話しかけてみたものである。





6月10日の日曜日の正午。「あなたが〜って言ったから」。

もしかすると記念日になったかもしれない日。

これがサラダ記念日なら喜ばしいが、



一向が向かう先は神奈川県厚木市のとある公共施設。

よくCMでやっている、匿名で、無料で、検査をしてくれて



「あなたが”陽性です”って言ったから」今日はエイズ記念日♪



・・・になるかも知れない不安の中、気づくと車は海老名インターを抜け、

目的地である厚木に差し掛かろうとしていた。





K君には本当に悪いことをした。

私が「HIVの検査を受けたいんだけども」と話したところ、

「俺も行こうかなあ」と言ってくれた。



正直、万が一、万万が一、私がエイズに犯されている事実を知らされたら

とても平静を保つ自信がなかった。



神奈川県の厚木の会場を選んだのは、日曜日に開催ということもあったが、

その一番大きな理由は「即日検査」と言って、採血から1時間弱で結果が出る、

という点にあった。通常で1〜2週間かかる検査もあるのだが、とてもその間

平静を保って結果を待つことはできない、と思ったからだ。



我ながら肝っ玉が小さいな、と思った。

そんな俺に付き合って、もしかしたら己も陽性反応が出るかも知れないのに、

またややもすると俺が陽性反応が出ても、その場にい続けなければいけないのに

快く同行に応じてくれたK君を、非常に心強く思った。



車は検査上に到着し、開始時間早々だというのにすでに10人以上の先客がおり、

ある者は採血に向かい、ある者はその結果を聞きに席を立っていた。



匿名を謳う検査であるから、名前ではなく番号で受付や呼び出しを受けるのだが、

俺たちがもらった整理番号は13番と14番。



縁起の悪い13という数字の入った紙を、何も言わず俺から受け取り

ささと検査所の掲示板に目をやって過ごすK君。



(こんなとこに男二人で来たら、確実にパートナーだと思われるよなあ・・・)



そんなことを思ってか思わないでか、K君は終始無口だった。

不安をかき消すようにバカ話をするでもなく、かといって俯くでもなく、

まるで田舎のバス停でバスを待つ旅人のように、穏やかな表情で座っていた。





「13番の方〜」とK君を呼ぶ声があった時、ついに次は俺の番だ、と、

身体を硬くして呼び出しを待った。



そしてまもなく俺の番号も呼ばれ、採血の前に行うカウンセリングルームに向かう。



そこでは5分程度のカウンセリングがあり、俺はありのままの心境を話した。





「・・・まあ、ここで何を言っても慰めにもなりませんが・・・」



顔全体にニキビのある、それゆえに実直な印象を与える若い女性の看護士が言い、



「不安がなくなるといいですね。すっきりして帰られることを願ってます」



と付け加えられた。





そして採血。終了後にもといた待合室に戻る。



もとより、心当たりがないわけではない。

むしろ同性愛の性的嗜好を除けば、心当たりだらけである。



生物学の造詣が深いブラック君に「お前まだエイズになってなかったの?」と言われて

「エイズになるぐらいヒキが強かったら、こんな人生歩んでねーよ」とうそぶき、



深田恭子の「神様もう一度だけ」というドラマを見て風俗に行かないと誓ったという

会社の同僚に対しては「エイズが怖くて女が抱けるかよお!」と強がった。



それが、このざまである。



平静は装っている。俺だけは大丈夫だと、心の中で思っている。

それでも握り締めた手には汗が滲み、もし陽性の場合には、これからどう生きるかを

漠然と考えたりしてみた。





「14番の方〜」



・・・



「14番の方、いらっしゃいますか〜」





あ、俺だ。





医師のいる部屋に案内されて席を降ろし、医師がものものしく封をされた封筒に鋏を入れ



「え〜と、14番さんは、と」



陰性でした。という声を聞いて初めて、いつもの俺に戻った気がした。





今まで鬱積していた感情が、自らの風俗での嗜好を語る、という形で発散してしまい



「あなたの場合は梅毒の検査もお勧めします・・・」



という医師の言葉を遮るように、その部屋を後にした。





待合室に戻っても、K君の姿はなかった。



K君が陽性である、という考えは、初めから無かった。

もしかすると、俺自身が自分のことしか考えられなかったのかも知れない。



でも俺のために厚木くんだりまで付き合い、無形の態度で俺を励ましてくれたK君。

仮に神の思し召しがあったとしても、俺がそれを認めないだろう。

こういう男は、HIVには感染するはずがないのだ。




彼は、検査所の外、雨のすっかり上がった晴天の空を眺めていた。

そう。嘘のように雨があがり、雲ひとつない青空が眼前に広がっていたのだ。





「さ、行こうか」



何も言わず彼は、車のほうに向かって歩きだした。



俺は一つの光景を思い出していた・・・



それは学生時代のゼミ旅行。ゼミでは毎年外国にツアーを組まず旅行するのが

慣わしとなっており、男女8人ずつのメンバーが数カ国の長旅を行う、というもの。

俺は旅行の幹事をしていたのだが、長旅によるストレスなのかゼミのメンバーが

旅行の最後に向けて険悪なムードに包まれていた、マレーシアでのことである。



もう一人いた女の幹事が、ストレスを抱えて旅程をあれこれいうメンバーや

わがままをいうゼミの教授の攻撃に対し、遂に壊れた。



「もおう、後はアンタがやってよね!」



確かに俺は何の仕事もしてなかった。でも旅程をああだこうだ楽しそうに組んでおいて

ちょっと破綻するとコレかよ、と、売り言葉に買い言葉で



「おう、やってやるよ!」と勢いあまったのはいいものの、



その舌の音も乾かぬ内に、ゼミのメンバーに放った旅のプランは「勝手にしやがれ」。



最早修復不可能となった人間関係の中でズタボロになった私が気分転換に外に出て、

そこで目に飛び込んできた光景は、俺の気持ちを知ってか知らずか、美しく、それは

美しく幻想的に焼けたマレーシアの夕焼けと、その夕焼けに対峙するK君の後ろ姿。



彼は、歌を歌っていた。

俺に背を向けて、俺の気配に気づかぬように。



今まで見たことのない、彼の淡々と歌う歌声を、気づくとボーっと聞いていた。



そして彼は振り返り「さ、行こうか」と、私を導くように一団に戻っていった。

歌は歌えど、何も語らず。上っ面の慰めやしたり顔の提言をするでもなく。



今でもこのゼミのメンバーとは、うまく続いているわけだが、

厚木の検査所の出口の彼の姿が、その時の姿とダブって見えたのである。





「で、どうだったの?」



車を走らせた後、そう聞いてくるK君に対して「どうやら大丈夫だったみたいよ」。



「あ、そ。俺も大丈夫だったわ」とK君。





「今日は悪かったね」と、俺はK君に対して言った。



「せっかくの休みに厚木まで駆り出して、さ。」



「いやいや、俺も心配だったからさ。受けて良かったよ」とK君。



「あ、そうなの?」



そりゃゴム着用が身上とは言え、風俗暦は大したものなK君。

本人的には「俺だけは別」ってわけにはいかんだろう、って





「俺も心配だったんだよねえ」



「無口だったから、付き合わされた感満載だったんだろうと思って」



「そんなことないよ〜。ドキドキだったよ〜」





まあ、そうだよなあ。



行きの天気とどんよりとした空気は、彼も数パーセントは俺と同じ心境だった、と

そういうことだとして





「じゃあ、お祝いに川崎のソープにでも行くかあ!」



という俺の提案は軽くいなされて、





共に向かった地元のパチンコ屋で、軽いタッチで3万円ほど負けたのであるが、

今までの勝負の中で、3万円負けをここまで晴れやかな気持ちで迎えられたことは



とんと記憶にないのである。



とある大雨と、嘘みたいな晴天の日に。





「あなたが”感染してません”って言ったから、今日は青春記念日」





  2007年  6月 1日(金)

気づくと6月も後半戦に差し掛かり、

(ああ、今月分の日記ってなんか書いたっけな?)と思い出すあたり

日記ドラマは最終回に向けては異様に盛り上がるものであるが、

かような内容のHPは徒然なるまま、ババアの放尿のようにダラダラ続くものである。



さて、最後に書いた日記の更新内容は、というと、

新しく買った携帯(N904i)についてなんやかんや書いているようである。



読んでいる皆様は当然、書いた私もほとんど忘れかけているので

記憶から完全にイレースされてしまう前に、事の顛末を書き記しておこうと思う。



N904iの発売日と同時に購入したわけであるが、あまりの遊撃的な購買行為に、ふと

(携帯プランでも見直そうかなあ)と考えたのがその翌日。



DoCoMoショップに行ってノーテンキなお兄さんにPHSの契約が残っていることを聞き

解約手続きが済んだ後に、「いや〜しかし勿体ないですね」「何が?」

「PHSを解約する際に言って頂ければ端末は2万円引きだったのに」



ああ、ホントに勿体ねえな。やっぱり定期的に郵送物は見ておかねーとな、と、

自宅に帰ってDoCoMoからきている郵送物に目を通すと、どうやら2万円引きではなく、

「全額負担」ということであった・・・





さあ。そこで翌日である。



ご覧のとおり、NTTドコモに全く落ち度が無い。あったとしてもそれを認めるような

文言が契約書や案内書に書いてあるはずもなく、一応見直してみても「解約同日の端末

購入に限る」とか、まあ、企業として抜けのない文言が並んでいるのである。



そもそも、一方的にPHSサービスを解約するとはいえ、代替端末購入の割引やら全額

負担などというのは完全に企業としてのサービスであり、法的手段に則ったり、ましてや

ミンボーの女の中尾彬のように
「おう!」と凄んだとしても、完全に筋違い。



ここは一つ誠実にお願いしてみる方法を採ってみた。



まずNTTドコモに電話を入れ、業務中に誠心誠意自分の心境やらを
1時間程伝え、

どうやら電話に出た人には誠意が伝わりそうにないので、より上席の方にも誠意を

お伝えしたい旨を担当に申し伝えてその1時間後。



「う〜ん、まあ、販売店さんがダメというと思いますけど・・・

 そちらがいいと言えば手続きは出来ますよ」という、誠意が通じた回答を得られた。



そしてこれまた何の非の無いヨドバシカメラ マルチメディアアキバ店(購入店)に

会社帰りに直行し、ここでも
たった1時間程でこちらの誠意は通じたようで



「う〜ん。ドコモさんがいいというなら、返金できなくないと思いますが」



と返してくださった。





「ドコモさんは全面的に協力してくれるそうですよ」と、ドコモさんの本心を代弁して

無理やりドコモの担当者に連絡を入れてもらったところ、



ほんの1時間半ほどヨドバシの担当者さんとドコモの担当者とやりとりしただけで、

快く私に
全額であるところの3万円強を返金して頂いた、と、こういう顛末である。





やはり、誠意に勝る交渉はないのだなあ、としみじみ感じた出来事である。



人と人とのちょっといい話。

こういう話を忘れると勿体無いので、ここに書き記した訳なのだが、





その直後に行ったパチンコ屋で必殺仕事人Vでヤラれた36,500円という金額。



せっかく取り戻した金額を一気に水泡に帰すようなこの負債については、

実は一刻も早く忘れたい金額だったりする。