■ ご祝儀 | 2007年 10月 30日 (火) |
「借金で首が回らない」ってよく言いますが、これはものの例えではなく、ホントに回らなくなる、と、人生をフルスイングで棒に振ったとある御仁が言っていました。心労とか緊張とかで、首の筋が張るようで。 へえ〜、と、何の気なしに聞いていましたが、私は振り返ってみてそういう経験はなく、まあパチスロも5号機時代を迎え幾分厳しくなりましたが、一瞬の瞬発力のある、激烈な負けがなくなって、(しまった!)と思うような6桁負けが激減したわけで。 石川啄木のように「じっと手を見る」。金の無さと将来の不安を布団をかぶって紛らわすことがあっても、借金返済に悶絶した記憶はなく、とりわけ最近は衝動買いにかなりブレーキがかかり(この間42型の液晶テレビを衝動買いしたが)、低空飛行ながらも大分落ち着いてきたなあ、と思うわけで。 20代は、それこそ風俗に一日3回行くような日もありましたが、それ以上に突発的な出費と言えば、なんといっても結婚式のご祝儀。やれ3万だの5万だの、考えてみれば結構な金額… 思えば私に向かって返ってきそうもない出費だよなあ、と、それが最近になってトンと機会がない。 片付くヤツは早々に片付き、片付かないヤツはいつまでたっても片付かない。 33歳という年齢は言わばそういうエアポケットに入ってしまっているようで、私は当然、周りの私に類似した友人などにも、まるでそんな不穏な気配がない。 まあ、そう思えば思ったで、ちょっと寂しいものではあります。 結構な金額といえば金額ですが、周りの親しい友人の晴れの舞台にご祝儀を出すことは、実のところやぶさかではなく、そういや最近、幸せを全身から放出している友人を見ることが少なく、よく見かけるのはテレビの中だけです。 そうそう、神田うのとかの結婚式とか、そういう類でしか・・・ ・・・って、ここまで書いて、結構な金額をあの二人に包んでいる事実に気づくわけで。 ご存知の人も多いと思いますが、新郎はエスパスっていうパチンコ屋の御曹司。 私が学生時代は「ボッタク」っていうホール名で(建物には日拓って書いてあったが)その名に恥じないボッタクリっぷりを発揮しておりました。 今年の話なのかな?北斗の拳(初代ね)の撤去が間際だ、ということで友人と集結して上野のエスパスに行った時、何の疑いもなく2000Gの天井を頂戴して単発なのも、この店ならではの仕打ち。落ちてるコインは従業員がかき集めて持っていくは、余りコインは平然と切り捨てるわ、ホントにこの店、お金が好きなんだなあ、って。 かれこれ20万円くらいでしょうか?彼らに包んだ金額は。そういうお金を集めて、6億円とも言われる式を挙げたというのだから、開いた口が塞がらないですね。あそこの店にある必殺仕事人Vの命釘は、みっちり閉まっているというのに。 まあ、彼の店の経営方針として常用している設定の数値。それをスペイン語でいうと新婦のファーストネームになるわけだから、ベストマリアージュ、ってことですかね? しかしまあ、ラブラブなのは結構ですが、参列者に14万円相当の引き出物を振舞うぐらいなら、貴方がたの生活を支えているスロッターにも、たまには嫁さん以外の設定でも振舞ってもらえませんかね?別に斉藤清六とか、永六輔とかは意識しなくともいいですけど、せめて坂東英二とか、石倉三郎とか。 俺はもう、滅多なことがなければ行かないけどね。返り討ちに会いそうだから。 まあ誤解のないように言っておきますが、経営手腕はすごいものがあると思いますよ。ボッタクリなのに客が着いてるってのは、ババアばっかの手コキ専門店に行列が出来てるのと同じようなものだから。 あと、私がボッタクリだと言っているのは、高田馬場と赤坂と渋谷と新宿と上野の店舗の話だから。他の店舗はもしかしたら出るかも知れないですね。 でも、とりあえず交換所の場所は、上野しか知りません。 友人が5,000円両替したのに付き合ったぐらいで。 |
■ マーガレット三十郎 | 2007年 10月 30日 (火) |
「先生のお名前は?」 行くあてのない風来坊。とある宿場町で用心棒として雇われ、これから出入りという時に素浪人は外に目をやり、そこに広がる桑畑を見ながら 「・・・桑畑、三十郎!もうすぐ四十郎だがな」 有名な黒澤明の「用心棒(1961)」の一シーン。男にとって必要なのは名前ではなく、腕っ節と機転(頭脳)なのだと、しかめっ面の三船敏郎が教えてくれる。 そしてその続編で、9人の若侍が狡猾な大目付と戦うために決起している場面。庭先に広がるは一面の椿。城代家老の奥方に「あなたのお名前は?」と問われて答える名前がそのままタイトルになった「椿三十郎(1962)」。 (1月1日公開だったらしい。贅沢な正月だなあオイ) 先日、NHKのBSで、織田裕二主演で「椿三十郎」がリメイクされるとのことで、メイキングのような番組を放送していた。冒頭の入りっぷりからも分かる通り、私は黒澤版の「用心棒」「椿三十郎」の大ファン。それゆえ森田芳光監督のリメイク版が、怖くて怖くて仕方が無い。 森田芳光監督と言えば、あたりはずれ・・・というよりハズレが多い印象が私にとって強いのだが、まあ、勇気のあることである。普通、まともな感覚であればリメイクなんてしようと思わないだろう。 映像表現、人物描写が際どい、というか、時にあざといのである。現在巷に蔓延る男も女も嗚咽系の、お涙頂戴映画を撮る監督に比べれば幾分好感が持てるのであるが、彼の「黒い家(1999)」を見たときには(原作に忠実に撮れば面白いのに・・・)と、非常に残念に思ったことを覚えている。 ※しかし氏の「そろばんずく(1986)」は良かった。とんねるず主演の半アイドル映画かと思いきや、小林薫with渡辺徹の”セックス体操”のインパクトは20年経った今でも脳裏に焼きついている。当時の盟友、松田優作からは「どうしたんだよっつ!森田っつ!」と、あまりのふざけっぷりに激怒されたらしいが。 ああ・・・メイキングを見てると、案の定独自の解釈を加えて演出してやがる。隣のお兄さん然とした織田裕二の三十郎、いつも微笑みを絶やさない豊川悦司の室戸。う〜ん、オリジナルのファンから怒りを買わなければいいが。 彼には椿は椿でも、資生堂のシャンプーの映画でも撮っていてもらいたいのであるが、もひとつ驚きは、監督も本人も14年ぶりの映画出演とする、中村玉緒のインタビュー。 あの〜、去年、出てませんでしたっけ?い、い・・・ 「犬神家の一族(2006)」? 無かったことになってますか?ああ、そうですか。 ということで、楽しみ半分、恐怖半分の2007年度版「椿三十郎」。 脚本が同じ、ということで、去年の犬神と同様、見てない人はDVDでオリジナルを観て、マニアは(やっぱ前のほうがいいや)ってお約束のセリフを言うために劇場に足を運ぶ そんな光景が目に浮かぶようであります。 この日記を読んでいる漢の皆さまは、オリジナルの2作をDVDで借りてでも観てみて下さいな。損はしませんよ。 いや〜。やはり世界の三船。シブいですわよ。でもあのシブさで30代って設定なんだから、今の30代って自分を含めて生温いよね? 「んん〜?俺の名か?」 私の場合、桑畑でも椿でもなく、花の子ルンルンで結構でございます。 とにかくまあ「七人の侍(1954)」だけは、フルCGで当時の俳優が動かせるようになるまで、決してリメイクしないことを切に望む次第である。頼むよ日本映画界。 |
■ 亀田一家の戦うべき相手 | 2007年 10月 29日 (月) |
せっかくだから、最近の話題についても触れようと思う。 亀田三兄弟+その父親、の話が紙面やテレビを賑わせている。 試合で反則を指示したとか、しないとか、謝罪をしたとか、しないとか。 わざわざ断りを入れることではないが、以前から私はアイツらが嫌いである。 同級生なら、会話を交わすどころか目を会わすこともしないだろう。当然ヘタレとして生きてきた私の防衛本能がそうさせるのだろうが、仮に三船敏郎に生まれてきたとしても距離を置いたに違いない。 腕っ節も確かに強いのだろうが、攻撃力とか破壊力の前に、根拠のないインネンをつけられそうなイヤな雰囲気を漂わせていたからだ。礼儀しらずな汚い言葉が彼らから発せられる度、誰か注意をしてやる優しい大人がいないものか、と苦々しく思ったものだ。 昔で言うと貴乃花、今でいうと朝昇龍なんかもそうだが、せっかく強いんだから愛想よくするなり、人格を磨くなりすればいいのに、と思う。強くて優しくて品が良かったら、男として三冠王だぜえ。彼らも今じゃあのザマ。世間をお騒がせして申し訳ありません、と、 デブを代表して近所に菓子折りでも配りたい気分にさせられる。 で、亀田一家については先日行われた試合前と試合後については、嫌いの度合いが実のところあまり変わりなく、私が見ててムカムカするのは、その周りの対応である。 今のニュースを見ていると、すんげえ亀田一家が悪いように扱っているじゃない。 マスコミもボクシングの先輩も、世間も、今までアイツらの味方だったファンも。 前からそうだったんじゃないですか?アイツらって。 それとも何かい?頭丸めて、頭を下げてる人間のその頭を、踏みつけるのが好きな人種なのかい君たちは?って、そう思うのよ。 あれで試合に勝ってたら、テレビはラフファイトについても「勝ちに向かう貪欲な姿勢」とか言って褒めてたんじゃないか、って。試合に勝ってリングの中央でカラオケ歌いだしても、ファンの馬鹿女は黄色い声をあげながら、股間から変な汁流したんじゃないかって、 そう思うわけですよ。 ボクシングを知らないのに、知ったような口を聞くなってって声も聞こえそうだけど、んなもんは知らないよ、私は。私の知るところで言えば、例えば麻雀。 「俺は負けたことがない」とか「やっても結果は見えてるから初めから財布置いてけ」とか、そういう横柄な奴が、南3局を迎えてダンラス。その場で雀卓をひっくり返すようなマネをしようとしたんでしょ? そういうのを含めて反則負けでしょ?負けてすべてをリングに置いてリングを降りたんでしょ?何で後々に渡っても謝ったりしなきゃならないの?しかも世間に。 謝罪会見の時の、インタビュアーの質問を聞いてて、ムカムカしたね。 マスコミと世間の望むことは、結局のところ割腹自殺なんだろうな。約束どおりの。 みんなストレス溜まりすぎだよ。横柄な態度の亀田一家が、落ちたところで叩いて叩いて気持ち良くなってんだね。しかも顔も名前も相手に見えないところで。 本当に嫌いなんだけど、どうせなら頭丸めて謝罪会見なんかしないで、ツッパってて欲しかったなあ。例えば、負けが確定しそうだったらその場でウンコでも漏らすんだよ。 で、いつものリズムで試合後 「腹こわしてたんだから、しゃーないやんけ!」とか言って。 その瞬間に、俺がファンになるよ。 ともかく悪態だろうが横柄だろうが、周りが持ち上げて持ち上げて、すべてを試合後のリングに捨ててきたところで、一気に顔の見えない相手に攻撃されるんだから、ツラいだろうなあ。まだ20歳そこそこなんだもんなあ。 おい!亀田! 強きに擦り寄り、弱きを叩く。そんな得体の知れないスネ夫のような、顔も名前も知らない世間の卑怯なヤツらと戦い疲れたら、いつだって俺が(麻雀なら)相手になってやる。 松田 凡作は逃げも隠れもしないぜ! (↑ この時点で偽名) |
■ 凡作の名前を襲名させる件について | 2007年 10月 29日 (月) |
ここにきていきなり『長七郎エロ日記』のフォームを変えてみたのである。 漢と書いてオトコのHPと銘打ってシコシコ内容の更新に勤しんできたのであるが、ふと思い直してトップページを眺めてみると、ああ、なんと2001年から続く長寿サイトになってしまっているのである。コピーライトうんちゃら、2001と書いてある。 当然、日頃お世話になっているプロバイダのBIGLOBEさまからくる引き落としに応じていれば、人気や反響に関係無く、そこに在り続けるのは可能だろう。しかしそれなりの更新を重ねながら今に至っているのは、ひとえに私の才能と、皆様のご声援の賜物であると信じている。 しかし、世の中の時勢はなんと言っても『ブログ』である。 『mixi』であると言ってもいい。 先日、上野に大学時代の友人である、K君、ズッキーちゃん、バンブー君とバイキングではない焼肉屋に赴いた日の事。ズッキーちゃんのmixiが活況を呈していることは既に既知の事実であったのだが、このところバンブー君も自分のページを開設しており、こともあろうに、この野郎どもは年頃の女性とオフ会なぞ開いたとのことであった。 そんな話、事前に私は全く聞いていない、というのはよくある話にて、この点について目くじらを立てるつもりは毛頭ないのであるが、問題はその後。 「凡作もさあ、なんか自分のページでも作ってみたら?」 思わずハハハと乾いた笑いを口元に浮かべることしかできなかったが、じゃあ聞こう。 このページはいったいなんだというのか? 仮に企業の面接に行ったとしよう。「ホームページは作れるの?」と聞かれても、このサイトのアドレスを伝えることはできず 「・・・作れません」と答えることになる境遇。 仮に会社の自分のパソコンで、自分で作ったサイトにアクセスしようとすると、そのプロキシサーバーからは「【規制!:アダルト】文章による猥褻表現」などと言ってブロックされる始末。 知り合いになった年頃の女性にここのアドレスを伝えることもできず、飲み会の席でmixyのアドレスを交換し合う男女の中で、ひとりカシスオレンジをチビチビやりながら思うことは、「いったい何のために更新しとるんじゃあ!」ということ。 当然、漢と書いてオトコの諸君のためである。 漢と書いてオトコの諸君のためであるとは言え、先ほども言ったとおり時勢はブログである。ここに訪れてくださる方々は、なんの工夫もないフォームについて、暖かく見守ってくれている…というか、何も期待していないだけだとは思うが、せめて見た目はブログっぽくしようと、その気持ち現れとして、このようなフォームの採用に踏み切ってみた。 どうだろう?文字は小さくなり、行間も狭くなったが、個人的には却ってそれっぽく、というか読みやすくなったのではないかと思う。 そしてこれは、来るべき計画を実行するための措置でもある。 松田 凡作の二代目襲名式。 早ければ2008年初頭、遅くとも地デジに完全移行する2011年には、このサイトをリニューアルし、新たな松田 凡作が更新しやすいようなスタイルを確立したいと考えている。 まあ二代目だったか、二代だったか。先代が生きている場合と死んでいる場合とで使い分けるなんて聞いたこともあるが、とにかく私の意志を引き継ぐ者のために、それなりの見栄えのするサイトにしたいと、33歳を迎えて少ししたあたりで、そう思った。 林家木久蔵も木久扇となり、その名を譲ったのだから、私もいい頃合だろう。 さて、肝心の二代目候補は、下記の通り。 ○ ブラック君 ○ ウチの弟 ○ アントニオ・バンデラス ○ 本人 乞うご期待、である。 |
□ 2007年 10月 20日(土) |
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□ 2007年 10月 05日(金) |
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