■ バレンタインに観る夢は 2008年 2月 13日 (水)

明日はセント・バレンタイン。

乳首にチョコを塗りたくって「私をた・べ・て♪」と言ってくれる彼女がいない男には
いささか寂しい夜となる日であるが、そんな日にこそ観たい映画がある。

今宵は凡作 松田のセレクション、珠玉の恋愛映画をご紹介しましょう。


【めまい】
サスペンスの巨匠、アルフレッド・ヒッチコック監督の1958年の作品。サスペンスじゃねーか!って?ヒッチコックがノリにノッている円熟期の作品。恋愛とサスペンスが見事に絡みあう、映画史を代表する傑作なのだ。

犯人追跡中に同僚を事故で無くし、自身も高所恐怖症となった元刑事の主人公。
古い友人が彼に依頼したのは自殺願望を抱える美しいブロンドの若妻の保護。
バーで若妻を見て人目で恋に落ちた主人公。不可思議な行為を重ねる若妻を追跡し、ゴールデン・ゲート・ブリッジに飛び込んだ彼女を救ってから、互いの心が急接近。

主人公に好意を寄せつつも、見えざる何かの力が死に向かわせる、と怯える若妻。
そしてその言葉の通り彼女は主人公の目の前で古い教会の塔に登り、高所恐怖症が
仇となって追跡できなかった主人公、目の前で落下する彼女の姿を目の当たりにする。

愛する者を失い、虚ろな状態で日々徘徊する主人公の前が偶然街で見かけたのは、
彼女にそっくりの若い女性の姿だった・・・


この映画が胸を締めつけるのは、失った愛人の思い出を引きずって、似ている女性の髪をブロンドに染めさせ、着ているものも愛人の着ていたものを仕立てる行為。まさにこの世に蘇らせようという切なさ、というか、今でいうフェチズムに満ち溢れたこの映画の原作の題名は「死者の中から」。髪の色、髪型、服装、立ち振る舞い。死者の復活に必要な儀式を終えて、妖しくグリーンのネオンの映る部屋の中で、まさに死んだはずの彼女が現れるシーン。主人公の表情と、絶妙なサントラとが相まって強烈な印象を残している。

「今の私を愛して」とすがる女と、死者を追い求める男。お気づきかも知れないが、サスペンスの複線ともなっており、めくるめく繰り広げられる展開に、ただただ身を任せればいいのである。古い映画なのでピンと来ない人もいるかも知れないし、そもそもヒロインのキム・ノバックがそんなにキレイじゃないのだが、それで印象がスポイルされるような感性が鈍感なヤツらは

東京一週間に載っているような、ありきたりなバレンタインを過ごすがいいっつ!


【愛と青春の旅立ち】
ご存知、リチャード・ギアの出世作。士官学校へ入隊した主人公たち。教官に牛やホモ扱いされながらシゴかれたり、友人が死んだりするコテコテの展開の中で、これまたコテコテに工場で働く地元女性に軽い気持ちで近づくも恋に落ちるという展開。

仕官になったら見向きもされない、と心のどこかで考えている女性に対し、卒業して仕官になった白い軍服の主人公が、颯爽とテーマに乗って工場に女性を迎えに行って、お姫さま抱っこでその場を立ち去る、というある意味なんのヒネりもない展開だが、
「最後の10分のため」だけにひた走るストーリーがとても心地よい。

ああ。男に生まれたら、夢の中でぐらいはリチャード・ギアになりたいじゃないかっつ!


【恋のためらい フランキー&ジョニー】
「プリティ・ウーマン」「恋人たちの予感」のようなコテコテ恋愛映画が台頭しつつも、リアルでハードな性描写がウリな映画(「危険な情事」「ナインハーフ」「氷の微笑」)がバシバシ出てきたのが80年代後半〜90年代前半だと、個人的には思っているが、この映画はその中でもかなり地味でささやか。見ていて痛々しく感じるほどの中年男女の恋の営みに、30の歳の坂を超え、一人で深夜見ていると、癒されてるんだか浮き浮きするんだか切なくなるんだか、よくわからない感情に包まれる映画である。

アル・パチーノとミシェル・ファイファー。
お二人さんは壮絶バイオレンス映画「スカーフェイス」で同じような関係を演じてらっしゃいましたが、同一人物でらっしゃいますか?と質問を、何度も問いかけることになる。
良くも悪くも健さんと吉永小百合ではこうはいかない。

陽気なコックと年増のウェートレス。いつ5大マフィアの暗殺指令が飛び出すかとヒヤヒヤする必要がないぐらい攻撃力のないアル・パチーノを見ると、やはり凄まじい演技力。

勢いでしてしまった1回目のエッチで、男は距離が縮まったと思い、女は警戒して距離を置く。そうさ大人の恋愛は、1回目のエッチからが長いんだよ。ドキドキする一夜のアバンチュールなら、お互い匿名でもかまわない。大人になればなるほど、ここからが長い。

女には知られたくないことを隠す。男は隠したいようなことでも無防備に女に話す。
自分の気持ちに正直で、純粋に女を求める男。女の心の壁は壊れるのか?
くっつくのか?くっつかないのか?
女の態度はメトロノームのように動いているように見える。男が取るべき行動は?
それでも男の行動は、自分の気持ちに正直である。
男の求めるもの。それはありのままの女のすべてを求め、また、支えになることである。

夜が明けた朝焼けの中の部屋の窓際で、二人は歯を磨いている。ラストシーンだ。

「ホントに無条件?・・・
 私は36歳よ」

男にとっては、もうそんなことはどうでもいいことある。

ホントにどうだっていいよ。ミシェル・ファイファーがいいね。全然OKだね。
俺も夜明けの歯磨き、一緒にして〜よ!
あんまり好きな女優じゃないんだけどね。う〜ん。こちらも凄まじい演技力。

この侘びさびがわからんやつは「ゴースト」でも見てるがいいっつ!


【タイタニック】
フランス語には男単語と女単語があるが、タイタニックという映画が恋愛をさす単語であるとするならば、確実に男の恋愛映画だと、私は思う。

片方は高貴な身の上とて、没落寸前の形式のみの身分の女。
片方は信じるものは自分の夢と才能。身分や金はないに等しい男。

方や体裁を保つため、同じく名誉とプライドを拠り所にする男との縁談をまとめるため、
方や夢を叶えるため、なけなしの資金をかけたギャンブルに勝って船に乗り込んだ。

食事の席で身分を貶されても「どうでもいいじゃないですか」的な堂々とした態度。
さりとて賭ける夢にあくまで真摯なことは、デッサンの時の真剣な表情で見て取れる。

女を巡る二人の男の守ろうとしたものは、二人とも女ではなく「プライド」である。
この際、女のことが好きか嫌いかは、どうでも良かったのではないか、とも思う。

貴族男の守ろうとしたのは立場や身分、そこから生まれる優越感というプライド。
それではディカプリオが守ろうとしたのはどんなプライドか。

身分に対して卑屈にならない。夢に対して妥協しない。他人に流されない強さを持つ。
沈みゆく船の上でも生きることを諦めない。自分を頼る女の命を守る。多分・・・
ディカプリオが守ったものは、男として生きるための美学。それが男のプライド。

沈んだ船から放り出されて、極寒の海の上に浮かぶ二人。
交代に水面でやり過ごせば、互いに命は永らえたのかも知れない。
でも、男は微笑みながら海の底に沈んでいくのである。
自分を愛する女のために死ねるなら、喜んで死んでやろうじゃないか。

海の底でのダンスホールのシーン。堂々とヒロインに手を伸ばすヒーロー。
いつだって男は、女に手を差し伸べていたいじゃないか。

「タイタニック」が好きな理由がセリーヌ・ディオンの歌と「ディカプリオかわいい〜」の女、
・・・お前が沈んでしまえっつ!


あと、どうしても「冬のソナタ」は入れたかったのだが、
これを熱中して観てしまうと、バレンタインが終わってしまうのでこれはまたの機会に。

■ 追悼 2008年 2月 13日 (水)

正直今回はオチもくそもないのだが、
本日、92歳肺炎で無くなった市川崑監督に追悼の意を表したい。

ヘビースモーカーで知られる監督。肺炎が死因ということであれば最近タバコの箱に書かれている文言も、あながち脅しでもないのかなあと思うものの、92歳と言えば大往生も大往生。しかも昨年まで最新作「犬神家の一族」が公開されていたのである。

そう。
マニアの間では最高傑作とされる一連の石坂浩二の金田一シリーズの監督である。

「犬神家の一族」「悪魔の手毬歌」「獄門島」「女王蜂」「病院坂の首縊りの家」・・・
「八つ墓村」はちょっと置いといて(※これは豊川悦司の金田一)、セルフリメイクとなる
2007年版の「犬神家の一族」。齢90を超えても映画を作ろうというバイタリティに、我々マニアは涙したものである。

同じ寂しさを、土曜ワイド劇場「美女シリーズ」で明智小五郎を演じた天知茂が蜘蛛膜下出血でこの世を去った時にも味わった。まあその時は私は小学生であったが、もう、いくら望んでも、関係スタッフがその気になっても、新シリーズは現れない。

監督の死によって、「八つ墓村」のリメイクだとか、歳相応になった石坂浩二による「病院坂・・・」の後編、「三つ首塔」やその他の手付かずの原作の映像化も期待できない。

正直、金田一俳優としては双璧をなす古谷一行ヴァージョンは、新作が作られる度切ないぐらいの経年変化を目の当たりにするわけだし、稲垣吾郎のバージョンは製作者の原作や金田一への愛を感じるものの、当の吾郎ちゃんの都合か何かで不定期である。

人の死を惜しむのは、その人の功績のみを振り返ることではなく、これから期するところの大きさからである。90を超えても、多数の人々に夢と希望を与えていた市川監督。

とても交換率は悪いが、グッドウィルの社長とかその辺りのITベンチャー社長とか外資系の正社員を一絡げにして、監督の寿命と引き換えにしてくれれば、どれだけの人々が夢を見続けられることであろう。そして世のためにもなるであろう。

惜しい。本当に惜しい。

あとは大滝秀治が天に召されてしまったら、私は有給休暇をとって旅に出ようと思う。

そう。金田一が旅し、監督が愛したディスカバージャパンの岡山とか信州へ。

■ 漢のマナー 2008年 2月 10日 (日)

朝青龍の友人であり主治医。世界の王さんの娘といいとこまで言っておきながら
蕎麦の食い方が気に入らないという理由でフラれたとある医師の話を聞いて
(ああ、やってしまったなあ)と、なんとなくルックス面にシンパシーを感じる私は
思うわけである。

デートの際に蕎麦をズルズルやる男の姿を見て、こりゃ恋愛の対象にならねーや、と
そそくさと翌週の合コンの誘いにOKを出そうとしているセニョリータに一言言うなら

音を立てて蕎麦を喰うこと自体は、決して間違った作法ではない。

アンアンやキャンキャンに何が書いてあるかは知らないが、
「音を立てて吸っていいのはチ●ポだけ」と、何の疑いもなく信じているのなら、
貴女の認識はいささか甘いものと言わざるを得ない。

盛り蕎麦ザル蕎麦の類は、のどごしを楽しむためにズルズルやるのが普通。
アツアツの汁蕎麦をズルズル。麺がのびないうちに美味しく頂くのはむしろ礼儀。
音を立てる際に空気がより多く麺の面に触れることによって温度が下がるというのは
粋であるのと同時に、合理的でもある、ということである。

中国では”あまりにも美味すぎて”食卓の上で食べ散らかすのが礼儀とされているし
インドでは作法にこだわればこだわるほど、手づかみで食べるのが良しとされるらしい。
何も日本でそれを実践しろとは言わないが、下品だ野蛮だと、そんな観点のみに囚われ
寿司屋で出てきた寿司を箸でネタとシャリに分離し、ネタに醤油をべったりつけて頂くようなシロガネーゼには「成金はとっとと田舎に帰れ!」と声を大にして言いたい。

寿司屋で手づかみで寿司を食べるのも、蕎麦をズルズル啜るのも、これは決して間違った行為ではない、と、下町育ちの私は思うのである。

だからと言ってドーター王を責めるわけでも、件の医師を擁護するつもりでもなく、
お互い仕上がってない関係のうちは、蕎麦なんか食いにいくな、と、そういうことだ。

要はTPO、ってことである。上品にナイフとフォークと小粋なワインについてのトーク。
さもなくば同じ麺類でも、スパゲッティであればフォークとスプーンで音を立てずに食べることができる。これが大人のテーブルマナーだと思う。

そもそも蕎麦を音を立てて食べたぐらいで壊れてしまう程度の関係であるならば、デートなんてするな、ということなのである。私をはじめとする、外見に難のある男衆は肝に銘じたほうがよい。世間の女性に「お前らは家でエロゲーでもやってろ!」と、言われる前に気づくこと。そもそもそれが大人のマナーである。


さっき買った「月刊メガストア」のエロゲー特集を見なきゃいけないので、
今宵はこれで失礼させていただきやす。

■ 大人になるということ 2008年 2月 7日 (木)

先日、私にとっては本当に久しぶりの合コンが開催された。

目を閉じればニガい思い出ばかりが甦ってくる。
「誰コイツ呼んだの?」と、デリヘル嬢でもないのにチェンジされた思い出や
「もう終電がありませんので」と、21時台に走って逃げられたあの日の思い出など

思い出すのはいい思い出よりも、辛い思い出ばかりである。

うん。確かにいい思い出そのものが欠如していると言われればそれまでだが、赤子が火傷をしてはじめて鉄瓶に触れなくなるように、辛い思い出は私を大人にさせる。

これまで軽く3桁を超えるであろう合コン経験の中で、最も発展したのが参加女性の二の腕を揉んだ、という程度の私にとっても、地雷源を察知したり、それを踏まない方法などは自ずと身につくものであり、今回はブランク明け、と言っても、そのキャリアを存分に生かして”大人”な感じの合コンにしようと漠然と考えていた。

会社の女性がセッティングしてくれた合コンである。
「フリーの人でお願いしますね」 と男子メンバーを選定に釘を刺した彼女の言葉からするに、相手は本気も本気、大真面目である。

そんな彼女たちの乾いた心を癒すのは、ギラギラの太陽ではなく大人の潤い。
そんな彼女たちの壊れた水道に蓋をするのは、海綿体ではなく大人の余裕である。

そこで私がメンバーとして選定したのは、おなじみのK君ズッキーちゃんである。

彼らは立派な社会人にして、立派な大人である。
私の知る友人の中でも、世間に明るく、社交的な彼らはきっと、大人な対応とトークで
しっとりとした大人な空間を演出してくれるはずだ、と、そう考えたのである。



ズッキー 「フリーって、結婚してなきゃいいんだろ?」


声をかけた際のズッキーちゃんの返答に若干不安を覚えたものの、大丈夫。
猫だの羊の皮だのを被らせたら、彼の右に出る者はいない。

そういう気持ちで臨んだのが、昨日の合コンである。


ブランク明け、というのは恐ろしいもので、登場した3人の女性が想像以上に可愛く、そして楚々とした感じであったので、漢、松田凡作。自分のペースを失った。


「いつも、どんな映画を観るんですか?」 オイ違うだろ!俺!

こんな毒にも薬にもならない会話は、お互い単なる時間の浪費だということを、身を持って知っているはずではなかったか。

(いざとなったら)と、心の下ネタエンジンをアイドリング状態にして、K君とズッキーちゃんの方を見やると、なんと、というか当然、というか、恙無く落ち着いた会話に華を咲かせている様子である。

そしてついぞ下ネタエンジンを吹かすことなく、その宴は終焉に近づいていった。

スマートに会話を続ける彼らと、静かに微笑みをたたえる女性陣。
こんな合コンがあってもいいな、と、一人で大人な雰囲気に浸っていた。


「宴もたけなわではございますが…」
店員から退席を求められた私は、そろそろ宴の終焉を皆に告げなければならない。

「もうそろそろこの店出る時間なんで、みんなでメールアドレスの交換なぞ・・・」

時代は変化している。私が現役の頃など携帯番号の下3ケタがXXXとなっているメモをゲットするのにも難儀したものであるが、メールアドレスなら幾分、敷居が低い。


「じゃあ、赤外線で・・・」 と、3人の女性が携帯と取り出したところ


K君    「支払いはカードで払っておきますから」 
と、彼は大人な対応で席を立って会計に向かい、

ズッキー  「終電がありますので失礼します。今日は楽しかったです」 
と、彼は大人な対応で謝礼を述べ、席を立とうとした。


違う!違うんだよ。大人って事はそういうことじゃないんだよ!

ギラギラしてないってことも重要だけど、興味があるって気持ちを示さないと、彼女らは帰りの高崎線の中で「あの人たち… 私たちに興味ないんだね…」って事になるんだよ。

迫られると鬱陶しいけど、あっさりしてると寂しいって、そういう生き物なんだよ。女って。

戦線から離脱していた私ではあったが、彼らに無言でそう叫んでいた。


それでもそれ以上、話が進むことなく、宴が終了した。



・・・



「ねえ、何でメールアドレス聞かないのよ?」 
いつものようにすべてが終わってから、反省会と称して彼らに私は聞いた。
「結構可愛かったじゃない?よっぽど合わなかった?」

彼らの回答はこうだ。



「だって赤外線の仕方、わかんねーんだもん」



・・・



大人になるということは、スマートな立ち振る舞いと余裕を身に着けると同時に、機械の扱い方に疎くなるということらしい。

・・・ああ。俺は次回があればきっと、今回はぐっと喉に押し込んだ

「できればおっぱい揉ませてくれませんか?」の一言を素直に言える気がするよ。



(追記) K君とズッキーちゃんへ

BBQに誘ったら来そうな雰囲気だってよ。帰りの高崎線の中では。

■ 日本はダメだと思う 2008年 2月 7日 (木)

2月4日は月曜日。
節分の次の日?え?他に何かあったっけ?と、普通の人なら他愛もない普通の月曜。
私にとってもさりとて重要な意味を持つ日ではないのであるが、強いて言うなれば
パチスロ「新・吉宗」の設置日、と、そういう日であったのである。

「吉宗」…と言っても今出る新台だから、当然5号機である。
”キーン”という告知や演出は先代を踏襲しつつも
(吉宗の先代というならホントは家継なんだけども・・・)
711枚獲得できるビッグや、いわんやそれが1G連チャンすることなど期待すべくもなく、
せいぜいが「昔は良かった」的な懐古スロッターが遠い目をしながらレバーを叩く程度のものだろうと思っていたが、甘かった。本当に甘かった。

ホールの設置されているシマの片隅で、腕を組んで待つこと幾数時間。
着席しているいい大人もいい若者も、全く席を立つそぶりすら見せず、待てども空席の出る素振りがない。設置台数の多い店に行ったり、比較的”ボッタクリ”とされる店にも行ったりしても、空席どころか、私のように空席待ちの人間でごったがえしている。

・・・なんなんだ、これは。

吉宗だろうが北斗の拳だろうが、たかが遊技機である。
それどころか、神田うののご主人とか、その類の人たちの資金源である。
なぜにそのようなものに我先に、と、お金を突っ込んで喜んでいるのか。

馬鹿じゃなかろうか。腕組みしながら思うわけである。

台と格闘する若者は、その可能性を浪費していることに気づかないのだろうか?
料理店で働いて秘伝の味を盗むとか、司法試験の勉強をするとか、スーツを着込んで就職活動に勤しむとか、そういうことに充てる時間を犠牲にする価値はあるのだろうか?

ふてぶてしく席に鎮座する、いい大人もそうだ。家族との時間に充てるとか、自営業なら伝票の一つもひっくり返していればいいじゃないか。些少の金のやり取りに貴重な時間を浪費していて勿体無いと思わないのであろうか?


小泉前首相は言った。「痛みに耐えろ」と。
痛みを感じることなく、巨万の富を得る者もいる。
いつまで耐えればいいのか、と、歯を食いしばる者も多いだろう。
ただコイツらは、単に痛みから逃げている。
自分の努力の無さを棚に上げ、社会が悪いと嘯いている。

「はじめの一歩」の鴨川会長は言った。
「努力した者が成功するとは限らない。しかし成功する者はすべからく努力している」と。

こんな時間から、血眼になって、たかが機械に向き合ってなんだというのか?
休日や待ち合わせの時間つぶしでもなく、それが目的で、何かを犠牲にして台に群がる人の群れを見て、ああ、日本はダメだな、と思った。

「オーシャンズ13」で、サムソンの携帯電話がアメリカ人の心の琴線に触れる携帯となっていることを知った。メイド・イン・JAPANの神話を信じているのは、もう日本人だけかも知れない。土日を返上してモノ造りに励んだお父さん達の遺産を食い潰し、やれ自己実現やらゆとり教育やらロハスやら、それどころかパチスロなどという非生産的な行為に勤しむ日本人に明るい未来はない、と





吉宗を打つためにとった有給休暇の3分の2を腕組んで消化しながら、そう思った。

■ ギックリ腰考 2008年 2月 7日 (木)

こう見えて(姿は見せてないが)、私は”ギックリ腰”持ちである。

医学的にギックリ腰持ちというのが正しいかどうかは定かではないが、私に言わせればこの私のギックリ腰を治せない医学なんぞを奉る必要など毛頭ないわけで、つまり慢性的にギックリ腰の恐怖に苛まれているのである。

ここ最近の寒さのせいであろうか?今も2年越し級の腰の痛みを感じながらキーボードに向かっている次第であるが、ギックリ腰というネーミング、なんとかならないだろうか?

会社で激痛に耐えていても、周りからもれる失笑… 失笑ならまだいい。
私が課長や部長などの管理職なら「御身体ご自愛下さい」という耳障りのいい言葉の一つも文字通り腰巾着から投げかけられるだろうが、残念ながら私のキャラクターからか、
失笑どころか「ギックリ腰!ギャハハ〜!」と、爆笑を誘う結果となってしまう。


2度目のギックリ腰の時は酷かった。
外交を追え、東海道線で新橋へ向かう途中、川崎あたりであったか。
(あ、やったな)と咄嗟に感じ、目の前のつり革を掴むも、数分で脂汗。

知らない人は知らないが、ギックリ腰のきっかけから数時間は身体は動く。
動くウチに、おウチに帰って横たわるのが先決なのであるが、この頃私は若かった。

やり残した仕事をやっつけに、脂汗タラタラになりながら新橋で下車して会社に向かい
電話でその仕事をやっつけた後に、どうやらもう立てないことに気がついた。

たまたま弟が休日であった弟が会社まで迎えに来てくれるということで、救急車を呼ぶことは避けられたが、そこに無駄に親切な先輩が「車まで運んでやるよ」とキャスターのついた椅子ごと私を運搬し始め、ことある段差で「グワッツ!」だの「キョエ〜っつ」だの奇声を発するハメになった。

1Fのロビーがまた困難であった。
レンガ状のコじゃれた床でキャスターを走らせるたび、AVに出てくるようなマッサージ器並みに振動する椅子の上で、本当にこのまま潮でも吹いてやろうか、と、それぐらい意識が遠ざかるほどの激痛に身を焦がしていると、

そこに通りかかった役員が 「ぷっ」


「ぷっ」である。

企業責任か何かは知らぬが、AED(自動体外式除細動器)を無理無理設置するような会社で「ぷっ」。まずはかようなお為ごかしよりも、ギックリ腰というネーミングをもっと仰々しいものに変え、ギックリ・ホルダーのことを真剣に考えることが先決である。


どうやらオエライさんに強烈な痔主がいるらしく、数年前に全社的にウォシュレットが導入され、私なんぞは毎朝のアナルプレイに興ずる恩恵を受けているのであるが、とはいえ一般には痔とギックリ腰は恥ずかしく、後ろめたい病気である。

ここで「凡作、ギックリ腰で悶絶かガハハ」の貴兄の、そのノンキさを正したいと思う。

色々なケースや症例はあるとは思うが、背中の骨の間のクッションの役割を果たす”椎間板”が押しつぶされ、それが背骨の付近の神経を刺激するのが傷みの原因となり、常にその状態であるのが「椎間板ヘルニア」ということで、これは常に激痛が走り、身体の置き場のない、途方に暮れてしまう大病である。

対してギックリ腰は何かの拍子に背中の周りの筋肉が炎症を起こし、付近の神経を刺激して起こるとされており、いずれも背骨周りの神経を刺激するのだから、前立腺を刺激するのとは刺激の質が異なることは想像に難くないだろう。

とにかく、動けないのである。

一番酷い時なんかは、さほど距離のない自宅のトイレに行くのに2時間かかる有様であった。あの時ばかりは彼女より尿瓶が欲しいとさえ思ったものだが、それほどの激痛なのである。

一時期、針、灸、接骨、外科にカイロプラクティックと、考えうる施設に解決策を求めたものだが、そのいずれの回答も「痩せなさい」の一言。つまり根本的な解決策は今なお解明されていないのが現状である。

で、どういうことをするとギックリ腰になるのか、というと、知らない人は本当に気をつけた方が良い。原因は日常に潜んでいる。

まず「くしゃみ」。私がそうだった。仕事を終えた岡山の地で、少々景気の良いくしゃみを繰り出した後、腰からくねくねと力が抜けたのがギックリ腰との馴れ初めであった。

あと洗面所で顔を洗おうと、身を屈めた瞬間に「ピキーン」とか、雪かきの最中に「ピキーン」とか、そういうことも多いようである。


「風俗でハッスルしすぎたんだろ?」 大きな誤解である。
腰の定期的なグラインドで引き起こされるのはせいぜい筋肉痛。
ギックリ腰は不意に起こるものである。

誤解を正すついでに言っておくが、ギックリ腰の最中にもエッチはできる。
腰の並行移動は、実はあまり苦にならないのである。


私が数年前、ギックリ腰の真っ最中にソープに行った時、嬢の肩を借りなければ入浴もできない状態を、はじめは何かの冗談かと思っていた嬢が、いよいよ「大丈夫なの?」と心配してきたのをヨソに、いつもと同様以上のグラインドを披露できたのも、こういう理由に基づくものである。

・・・

さて、貴兄のギックリ腰に対する見方は変わったでしょうか?
そのネーミングからなんとなく間抜けな印象を与える「ギックリ腰」。
貴兄の周りの私と同じ症状の方に対し、激痛を鑑みて優しい対応をして下されば、
彼や彼女は濡れた目で貴兄を捕らえて離れないこと請け合いでございます。


「なんでギックリ腰の最中にソープへ行くんだよっつ!」というツッコミをグッと飲み込みながら最後までお耳を傾けて下さったことに感謝の意を表し、今宵のギックリ腰考を終了させて頂きたく思います。ご静聴、ありがとうございました。

■ エロの進化について 2008年 2月 4日 (月)

こう見えて33歳になる男である。
エロな気持ちも一巡したんじゃなかろうか、と徒然に思うわけである。

思えば小さい時、夜の番組では女性の乳首が出ていたような気がするが、
今はテレビで乳首が映し出されることはない。でもいいじゃないか。

ちょっと足を伸ばせば幾千ものアダルトビデオ(DVD)が借りられるし、
外国通貨建ての支払いを行うサイト上ではあられもない動画が手に入る。
エロ動画界の進化も甚だしいものがある。

小学生の頃、団地の下で拾ったエロ本の、どうやら修正がちょっと甘かった消しの部分から少しだけ逸れて、なんだか毛のようなものを発見した時は、「いけないルナ先生」では味わうことのできない大人な世界を感じたものであるが、

いいではないか。今では毛どころか、女性にしてみれば一番恥ずかしいと言われるコウンの穴まで丸見えな本が出版物として横行しているではないか。

中学生の頃、「天使たちの午後」というエロゲーがあったように記憶している。
黒い画面に白い線で書かれた貧相な絵。そして文字。
これも今では卑猥度もMAXな美麗な絵に、なんと声までついているのである。

しかし紫煙をくゆらせながら(激しくなるのも、どうも、な)、という気分で天井を見る。
エロが激しく進化していくのも、時代であったり、私の要請であることに疑いはない。

語弊を恐れずに言えば、文明の進化はエロの進化でもある。

女性のエロ心境を綴った紫式部の時代より、春画や現在のMANZOKUとも言える吉原再見を経由し、エロ本ビニ本に至る一連の紙媒体から、エジソンの発明に端を発するフィルム・ビデオの映像媒体が加わったのも革命であるし、インターネットを通じた画像・動画の配信はIT革命に他ならない。

しかしながら私が物心ついてからのエロの進化は、いささか急激すぎるのではないか、と、30の坂を超え、一息ついた私は思うのである。

ゲームセンターでバーチャファイターが出た時、想像力の豊かな人はリアルに書き込まれた現在のようなポリゴン表現の時代がいずれくるだろう、と予測したであろう。
しかし、別の意味で想像力の豊かな人は「この技術でエロいゲームができないかなあ」と思ったに違いない。私もそのウチの一人だ。

そしてそれは、今から数年前に実現されることになる。

チャイナ服でカンフーを繰り広げる女の子のキャラクターで欲求を満たせる鉄人であればそれよりちょっと前から悶々とできたのであろうが、私にとっては2〜3年前、アキバのエロゲーのコーナーでポリゴンで動くエロゲーを発見した時、ついにここまで来たんだなあと、感慨に浸るついでにそのゲームをカウンターに持っていったものである。

でも、リアルに徹するPS3のゲームが伸び悩むのと同様、エロをリアルなポリゴンで表現してどうなるというのか。ある意味PS2で出たドラゴンクエストのように、鳥山明の絵が動き回るようなものの方が、とっつきやすくはないだろうか、と考える。

漫画の絵が自在に動き回る技術をアニメシェーダーというらしい。
話は急激に進むが、先日購入した「すくぅ〜るメイト」というエロゲーについてである。




初めに断っておくが、私にロリコンの気はなく、どちらかというと熟女マニアである。
しかしここで特筆したいのは上記の制服姿の女の子に萌えとかそういうことではなく
なんとコレがアニメシェーダーという技術を使った表現だ、ということである。



アニメシェーダーということで、ポリゴンのように360度の視線変更が可能である。
また静止画と異なり、髪の毛がふぁさふぁさしたり、視線がこちらを追い続けたり、
おっぱいがぷるるんとしていたりする。前言を撤回しよう。技術革新、万歳!



ブラジャーをめくる、というコマンドを選択すると、ぷるるん、と、こんな感じで。
上目遣いなのは、視点が上の方だから。なんかさあ、すごいね・・・



よくよく見てみると、乳首の書き込みが尋常ではないのである。
さらに出てくるキャラによって、乳首の色が異なるというこだわりっぷり。
拡大すれば拡大するほど、下半身に血液が集まっていくのを感じる・・・



挿入シーンもある。というかメインか。
マウスで「挿入」ボタンをドラッグしたり、挿入後マウスを激しくふったりする。
その間もぷるんぷるん、キャラクターは動き、隠語を発しているのである。



よりハードなプレイも可能姉妹。命じれば鯨のように噴射するシーンであり、
オジサンなんかは全然OKなんだが、これ以上のマニアっぷりは人を選ぶ。
この辺で止めておくのは英断、というところだろう。



って言ってるそばから乱入。二人三人でのプレイに発展し、一人の時と同様、
動くは喋るは、初めて突入した時にはかなりのサプライズ。
これかあ、ゲーマーがグラボに拘る理由って。…俺も買おうかな。



別にメーカーから金を貰っているわけでもないが、かなり一線を画していると思うので、恥を忍んで紹介した次第である。

数人の変態が地球を回すとは良く言うが(言わないか)、このゲームの製作に携わった人には掛け値なしの拍手を送りたいし、社長だったらボーナスあげちゃう♪ってぐらい感動したわけだ。こういうゲームの次回も期待するので、皆様も四の五の言わず買って欲しい。割り勘人員は多いほうがいい。そうすれば次回作の開発に当てられるだろう。



褒めてばっかでも次回に繋がらないので(何様だよ?)、気づいた点を記す。


■キャラクターのバリエーションがない

5人出てくるが、声と髪と目の色とおっぱいの色と大きさが違うだけ。皆さん女子校生。
英語担当の女教師やら保健室の先生、近所の人妻や給食室のおばさんを出して欲しいと思っているのは私だけではあるまい。年増中心になってしまったが、若くてもいいけどこれ以上ロリコンのキャラは出さなくていいからね。

■エッチのバリエーションがない

徐々にできることが多くなっていくシステムはいいと思うが、これもみんな同じ。
感じやすい、ガードが固い、変態っぽい、受身っぽい、お姉さまっぽい、など、できることとできないことを設定するだけで、かなり世界は広がると、オジサンは思うぞ。

■ストーリーがない

このメーカーのゲームは、ゲームとしての難易度はほぼゼロ。現実を考えて欲しい。
苦労したからこそ、乳輪という国境を越えた喜びがあるのだ。だから、ストーリーは重要だと思う。あ、でも、現実レベルまでハードモードにしなくていいからね。見る以上はお金がかかるなんて、夢がないからね。

■操作が複雑

まあ、簡略化してしまっても面白くないと思うけどね。でもメニューを選択してクリックしてドラッグしてメニューを選択してクリックして、って操作してると、せっかくその気になったマイ・スティックを操作する暇がないんだよねえ。

■プレイ終了後、なぜだか死にたくなる

これは単に周りに、仲間というか、同好の志がいないだけだよな。な、な!

■ 無言のマナー 2008年 2月 4日 (月)

バスに乗るババアはちゃんと優先席に座って欲しい。

空き席は普通の席と優先席と、隣に太もも丸出しの若いお姉さんの座る二人席。
ババアは普通の席に着席。

私に残された選択肢はシルバーシートと密着シート。
いずれにせよ、要らぬ気を遣う必要がある。

だから、バスに乗るババアはちゃんと優先席に座って欲しい。

アンタは若いんだから、立ってなさいよ、と
婆さん、アンタはそういうかも知れない。

ああ、立ってるよ、立ってるさ。

つり革片手に立っているのも若さなら、
むせ返る太ももの匂いで、座っているのに勃っているのも若さ故。

もしも痴漢で逮捕のフラグが立ったなら、
それは他ならぬアンタのせいだよ、婆さん。

■ 恐怖奇形人間 2008年 2月 4日 (月)

今宵紹介する映画は石井輝男監督 「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」(1969)

映画なのに何で”全集”なんだよっつ!と、そんなところでツッコミを入れないでいられない貴兄にとっては、全編ツッコミどころ満載のこの映画。

一言で言うと「おぞましい」映画。

変態が世間的に認知されてきた昨今ではあるが、やっぱり真の変態の前では、おぞましいという感情が出てきてしまう、というのを如実に感じる一遍である。

そもそもタイトルの段階で、今日び許される性質のものではないのだが、映画ののっけから精神病院からスタートである。乳丸出しの精神病の女性たちの中で、無意味に男前な主人公(吉田輝雄)の登場。どうでもいいはずの看守や老婆が気持ち悪すぎて笑いを誘い、その刹那、波の飛沫の立ち上がる海岸岩場で暗黒舞踏を繰り出す男(土方巽)のシーンに切り替わる。

このシーンをモーションデスクトップに登録しておけば、低迷が叫ばれるWindowsVistaの売上が上がるか下がるかするだろうが、それぐらい映像としてインパクトがあるシーン。

キ●ガイという言葉の連発、裏日本という言葉の連発で、大丈夫かよ…と思い時間を見てみると20分も経っていない。そろそろおとなしくなるかと見続けていると、コメディリリーフであるはずの由利徹と大泉滉のシーンがまた、気持ちが悪い。

(※死体役の主人公になぜかキスする大泉滉、歩きだす死体役の主人公、唐突に年増女性といちゃつく由利徹とか、笑わせたいのか何なのかさっぱりわからないシーンとか間が連発。基本的な手法で作られた映画を見慣れる我々にとってはシュール、というより、気持ち悪い、という表現が適当か、と)

で、何がスゴイかと言えば、まさにここまではプロローグだ、ということである。
ここから物語は加速、というより、猛スピードで迷走するのである。

プロットは江戸川乱歩の「孤島の鬼」「パノラマ島奇談」からとられており、「菰田」という名前と、父親の「丈五郎」という名前からも見て取れる。が、後半にかかり、小池朝雄(コロンボの声の人。これがまた強烈!!)のところになると「蜘蛛男」「人間椅子」「屋根裏の散歩者」(静子という名は「陰獣」か?)を連想させるシーンがたたみかけられる。
”全集”たる所以はこれか。

キチガ●という言葉、裏日本という言葉、人造奇形人間というプロット、無意味に炸裂する女性の裸体、死んだ恋人の腐肉から湧いてでた蟹を食べさせ洞窟の奥に不貞の妻を幽閉するというシーン、そして小池朝雄

ビデオ化もテレビ放映もされない理由を問われれば「すべて」としかいいようの無いこの映画を、私が何時見たか、と問われれば、それは数年前の池袋の新文芸座でのリバイバル上映であった。

立ち見が出るどころの騒ぎではなく、通路に座り見が出るほどの盛況ぶり。真っ赤な素地に”人間椅子”と書かれたTシャツを着た小太りの男性が隣に座った時に少々戸惑いを感じたものだが、

唐突に出てくる明智小五郎を見て(ああ、そういや乱歩映画だった)と我に返り、
これまた取ってつけたような明智のセリフ 「弾は抜いておきましたよ」に爆笑。
笑撃のラストに至っては、観客のスタンディング・オベーションが始まる始末。

思わずこんな仕方の無い人たちと時間を共有してしまったわけだが、まあ、あなた方がOVAやメイド喫茶に通ってしまう要素の持ち主か、さてはこのような映画に暗い情熱を感じる要素の持ち主なのか、試金石となるこの「恐怖奇形人間」。見たくても見れねーじゃねーか、と心配の奇形…いや貴兄。案ずるなかれ。

現在、アメリカでDVD化されてしまっております。
「HORRORS OF MALFORMED MEN」というタイトル。アマゾンで簡単に手に入ります。


恐怖奇形人間


ちなみに人造シャム双生児(ハア・・・)の片割れの、顔面が焼け爛れた(ハア・・・)男の方は、若き日の近藤正臣だとのこと。後から気づきましたが、気付けねーよ。全面特殊メークだもの。

こんな細部まで無駄な情熱に満ち溢れたこの映画。
温泉街のストリップで見る70過ぎのババアの観音様と同じぐらい見る価値アリ、です。

■ 嘘 2008年 2月 4日 (月)

不意にテレビをつけてみると、餃子に農薬が入っているとかいないとか(いたんだけど)というニュースで賑わっている。

去年はミートホープやら船場吉兆やら、食品に関する偽装がニュースを賑わせていた。

ニュースによるとミートホープの社長の年収が約2,000万円。役員である奥方の年収も約2,000万円。ホゲ〜っとしている3男の年収も約2,000万円。奥方に至っては偽装が判明した後、遅滞なく退職して退職金が8,000万円とのこと。いや〜奥さん、人によっては生涯収入だよ8,000万!と、やっぱり経営者って、ボロいなあ、ボロい商売だなあ、ってとみに思う次第である。

まあ氷山の一角なんだと思う。バレたらヤバい、と、襟を正した経営者はまだいいが、
(ああ、運が悪いなミートホープ)と、そのまま嘘を続けている経営者の数も多いのではないだろうか?

船場吉兆についてはある意味痛快だったりする。結構な料亭だったということだが、したり顔でうまいのまずいの言っているお歴々に「なんもわかっちゃいねーなあ!鉛の舌だよアイツら」と、ほくそ笑む経営者の顔が目に浮かぶわけだが、

一杯入魂のラーメンやらつけ麺を、ありがたがって食している我々にとっては、ちょっと溜飲の下がる思いである。結局、一回の食事に1万円以上かかるほうがナンセンス。

牛肉だと思っていたのが豚肉だったり、比内鳥だと思っていたのがブロイラーだったりして、馬鹿をみるのは消費者だが、気づかない消費者が馬鹿だと言われればそれまで。

私が物心ついた頃なんかはマクドナルドのハンバーガーの主成分はミミズだという都市伝説(?)がまことしやかに囁かれたものだが、ミミズがあんなにうまいなら、マクドナルドの功績を讃えることもやぶさかでないぞ、と、それぐらいに考えるのが漢というもの。

しかしながら許せないのは、食品の中に毒物が混入されていたり、賞味期限を偽るという偽装。企業努力の範疇を明白に越しており、おい!我々の生活をなんだと思っているんだ!と憤慨するに値する行為だと思う。

嘘つきは泥棒の始まりとはよく言ったもので、今ドバイやらガバイやらにセレブ新婚旅行に行っている神田うののご主人さまの経営するパティンコ屋さんでは、やれゴールドやらシルバーやらの札が景気よく刺さっているが、

別に5だの6だの言ってないから、といって、設定1や2に札を挿すのは明らかに嘘。
財布の中身に直結するだけに、私からすれば泥棒のような行為じゃねーか、と。
このままの姿勢を貫くのであれば、結婚を気に奥様は、神田うそ、と改名することを強く進言したい。

「騙されるほうが悪いのよ」 ああ、確かに私もそう思う。

国産和牛がアメリカ牛でも、近海モノがインドマグロでも、うまけりゃいいじゃんと思う私でも、できればキャバクラの中にあるような、優しい嘘に包まれたい。

人妻専科と銘打った風俗で、「28歳で〜す」と言って現れた四十路女性の胸の中で見るような、そんな優しい嘘に包まれたい。

そういやK君も言っていた。

「最近の風俗誌の写真修整はやりすぎじゃねー?騙されたくなるじゃん!

・・・後半の部分は私も賛成だ(モーガン・フリーマン風に)

■ あけましておめでとうございます! 2008年 2月 4日 (月)

今日は2008年、2月の4日。

細木数子先生によれば、1月の15日までは年賀の挨拶は結構とのことですが、
2月に入って初めて”あけましておめでとうございます”が許されるなんて、一体全体どうなっているんだ?って話な松田 凡作です。今年もよろしくお願いいたします。

んまあ、反響もないわけだし、この調子、マイペースで進めていこうとは思ってはおりますが、去年のクリスマスはヒドかった、ああ、ヒドかった。

片手にあまるぐらいの人数がこのHPを見ていてくれていることは、今年に入っても認識してはおりますが、昨年のクリスマスは全シカトされましてね、ええ、1月はちょっとしたストライキ、というかボイコットですわ。

なんて、単に忙しかっただけですけどね。

「ホームページビルダー12」を入手したから、2月からはそれなりに更新しようと思ってます。今年の抱負が2月から、っていうのも私らしくていいと思います。

多くは望みません。今年も去年と同じぐらいならいいなあ。

皆様におかれましても、よろしくお願いいたします。