
7月1日(日) 「スカイライン、ザ・モッズ、博多」
みんな、昨日のうちに、福岡に帰っとうとに、僕は、青法協のみんなと分かれた後、ぷらーっと、銀座に行きました。
福岡に行ったことがある人は分かろうけどね、渋谷とか、新宿って、天神とかわらんっちゃんね。むしろ、渋谷とか、汚いけん天神の方が魅力的やと思うっちゃんね。
でもね、銀座はね、ちょっとだけ、いい感じやんね。
前にも、1人で来たけど、今度もまた、1人でぷらーっと来てしまいました。
「ナイフ」って文庫本を読みながらね。
銀座の日産のショウルームに行きました。
新しい、スカイラインを見てきたね。人がいっぱいでね、

みんな、口々に、「へー」だの、「前の方がいい」だの、「かっこよくなったね」だのゆうてからね。
なんやかんやいいながらも、好きっちゃんね。
僕はね、スカイラインって車が大好きでね。
尊敬すらしとうっちゃんね。
何で好きかって言うと、一言で言えば、情の通う車やけんやんね。
「情の通う」って分かりにくいやろ? 車って、しょせん機械やしね。
でもね、1度この車に取り付かれた人にはわかるっちゃんね。
今度のスカイライン、丸型テールランプじゃないし、直6でもないっちゃけど、CMで、「The
car is not a machine」ていう言葉を聞いた瞬間、ピッピッてきたね。
あの車は、本当に、機械やないもんね。情の通う、自分の分身って感じやんね。
ぼくも、R33のスカイラインで、やまなみハイウェイを走りようときとか、スカイラインと一体になって、スーッと前に突き抜けていく感じがするっちゃんね。下の写真は、阿蘇に行ったときのもの。

車という囲いもなく、自分の肉体すらなく、心だけが、スーッと風に、乗っていく。
そういう感覚に襲われることがあります。
理論的に言うと、きっとそれは、シルキーな直6のお陰だったり、マルチリンクサスペンションのお陰やったりするっちゃろうけど、ドライバーには、本当に自分とスカイラインの心(情)がシンクロして、肉体という遮蔽物すらなく、風の中を突き抜けていく感じがするっちゃんね。
「The car is not a machine」って、この感覚を適切にあらわしとうねって思いました。
そして、今度のV35も、まぎれもないスカイラインなんやなと確信しました。
「The car is not a machine. ONLY THE SKYLINE..」
スカイラインについては、もっともっと書きたいけど、また今度書くね。
日産を出て、有楽町の方に向かいよったら、BMWのショウルームがあったっちゃんね。
ぼくは、BMWに興味はないっちゃけど、なんとなく、覗いたら、THE MODSのポスターが貼ってあってね、このビルの上のソニーで、THE
MODSのフィルム上映するとげな。なんて運がいいっちゃろうって思ったね。
先日、日比谷の野音(あの伝説の場所)で、THE MODSの20周年のライブがあったっちゃけど、結婚式で行けんでからね、残念におもっとったっちゃんね。
そしたら、今日偶然にも、銀座で、そのフィルムを見れたっちゃんね。
感動したー。
モッズって、最高にかっこいいバンドやね。
ここで、簡単にザ・モッズの紹介をすると。
ザ・モッズは、リーダー森山達也が率いる4人組のパンクロックバンドで、今から20年前に博多からデビュー。20年間、メンバー変更なしで、まっすぐに、日本のロックシーンを引っ張ってきたバンドです。
大きなヒット曲があったわけではないけど、知っている人には熱狂的な支持を受けている、バンドです(特にプロミュージシャンにファンが多い)。
彼らは、恥ずかしいぐらいにまっすぐに、社会のおかしいところを訴えたり、弱いものの気持ちを叫んだり、一緒に涙したりするバンドです。
単純に、体制を否定するのではなく、どういう社会にしたいのか、そのために自分たちに何ができるのかということを悩み、一緒に考えていこうとするバンドです。
彼らの叫びには、優しさがあります。
はっきりいうと、外見はとっても怖いです。
しかし、彼らのピュアな心が聴衆たちを魅了します。
森山達也の深い慈しみの心(情)が、僕らにストレートに伝わってきます。
本当の優しさを感じます。
そのライブは、ものすごいです。
いつ死人が出てもおかしくないほどの盛り上がりです。
しかし、今まで、一度もそういう事故は起こっていません。
これも森山の心が観客に伝わるからだと思います。
ライブの最後に森山は言います。
「帰りは気をつけて帰るように。
また近いうちにあいたいと思います。
こうやって、またここに戻れたのも、みんなのお陰です。本当に感謝します。」
彼の詩は、心を打ちます。
冷戦が続いているころ、森山は、「話そうとはしない、隣りの国の争いを。聞こうともしない、隣りの国の泣き声を。」と、訴えていました(NAPALM
ROCK)。
環境問題が意識されだしたころ、「SOSが聞こえる、地球が崩れだしてる。」と、叫びました(SOS/song for only one earth)。
しかし、彼の思いとは裏腹に、日本人の無関心、そして、環境破壊は続いていきました。
彼も、そして、こういう問題に関心を持っている人たちは悲しみました、悩みました、その末に、森山はこういってくれました。
「考え、悩み、あきらめ、明日が逃げる。勝ちも負けも分からない、戦わなけりゃ。君の夢に、指をさし、笑う人たち。関係ない気にするな、三歩踏み出せ!」(Ooh-La-La/終わりのないGAMEは続く)。
皆さんも、ぜひTHE MODSを聴いてくださいね。
20年もやりようけん、アルバムがいっぱいでとって、どれを聴けばいいか分からんめーけど。僕は、次の3枚を薦めます。
「FIGHT OR FRIGHT」・・・・・・デビューアルバムです。彼らが博多から東京に出て行ったときの気持ちを綴った名曲「TWO PUNKS」が入っています。
「NAPALM ROCK」・・・・・・・・・・・戦争や、貧困、飢餓、環境破壊に森山が、メッセージを送っているアルバムです。
「ZA MOZZ」・・・・・・・・・・・・・・一緒に行動を起こしていこうとする人たちに向けた優しいメッセージです。
このTHE MODSをはじめ、数多くのミュージシャンを生んだ(最近では、椎名りんごや、浜崎あゆみ)博多という街が、僕は大好きです。
情にあふれたとっても暖かい街です。
東京に引けをとらない都会なのに、街の隅々に、人の情があふれている、一歩足を伸ばせば、自然が残っている。
そこにいる人は、自分の街に誇りをもっていて、よそから来る人にも優しい。
街には、ごく自然に唄があふれていて、ギターを担いだ若者がいっぱいいる。
僕も、高2の時、お小遣いをためて、安物のギターを買いにいって、でも、ギターを買うのが精一杯で、そのケースを買えずに、電車代もなくって、剥き出しのギターを抱いて、自転車で家に帰ったのをおぼえてます。
みんなが、唄を歌う優しい街です。
都心の真ん中で、山笠という祭りが残っています。
都会では、希薄となっている人付き合い、近所づきあいが、都心に残っているという、貴重な街です。
今日、僕は、博多に帰ります。
明日からは、山笠三昧の、優しさにあふれた日々がまっています。
今日の日記は、僕の大好きなものについて、徒然なるままに語らせてもらいました。
でも、共通項があります。
「情が通う」ってことです。
7月3日(火) 「若手寄り」
博多に帰ってきて、早速、山笠の若手寄りです。
山笠っていう祭りは、参加してない人には、想像もできんくらい、人間関係が濃ゆくって、本当に濃ゆくって、一年中山笠で、山笠のために生きとうっていう人もいっぱいおって、子どもから、おじいちゃんまで、博多っ子が、のぼせ上がるとっても魅力的な祭りです。
山笠は、7つの流(豊臣秀吉が作った、町割り)があって、その流が、いくつかの町から構成されています。
僕は、大黒流の、寿通っていう町です。
この写真は、寿通が、再開発になる前の平成5年のものです。ちなみに、僕は、上段左から2番目です。
中洲から、博多に入ってすぐの、博多リバレイン(スーパーブランドシティーと、博多座のとこ)があるところです。
ひとつの流れに、1000人くらいの舁き手がおります。
山笠っていうのは、本当に赤ちゃんから、おじいちゃんまで、参加ができる優しい祭りです。それぞれの年齢や経験、知識、指導力などに応じた役割が与えられています。その役割は、腰にぶら下げた手拭いの色と、模様で分かるようになっています。
その中で、山笠の実働部隊として、1町総代、2取締り、3赤手拭い、4若手という、序列があります。
僕は、その中で、若手です。
若手の中で、指導力や、知識等に優れた人が、赤手拭いとなります。
赤手拭いは、1年を通じて、町内の冠婚葬祭や、さまざまな行事、人と人との調整、どんたくや山笠の運営など、ありとあらゆる仕事をこなさなければなりません。
やけん、博多では、赤手拭いっていったら、人望が厚くって、お見合いで、引っ張りだこになるほどです。
その、赤手拭いの指示にしたがって、さまざまな作業に携わっていくのが若手です。
6月1日から、長法被を着ることが許されます。
長法被っていうのは、博多の男たちの正装で、町内ごとにデザインされた久留米絣の膝丈の着物を着て、雪駄(当番町は、下駄)をはいて、腰には、左巻きという独特の帯を巻いて、左巻きに、きちんと折りたたんだ、手拭いをはさんだスタイルの格好で、祭りの期間中の普段着として、着る服です。もちろん、結婚式も、葬式もこの格好です。つまり、背広をきとうとき以外は、ずっとこの格好をしとうってこと。
いずみ寮で、僕が、この格好をしとうのを見かけた人もおるかもね。
博多って不思議なとこで、都会の真ん中で、この格好しとっても、全然違和感がないっちゃんね。
この日は、若手だけで、親睦を図ろうという趣旨で、寄りがありました。
場所は、中洲のふとっぱら。
僕は、試験の都合で、6年間、山笠にでれんやったっちゃけど、この6年の間に、みんな大きくなっとってね。そして、全然知らん人とかもおってね。まさに浦島太郎やったね。当時の小学生が、高校生やったりね。
山笠ってね、年齢関係なしに、男と男として付き合えるっちゃんね。
たとえ相手が中学生やったとしても、男としてきちんと付き合うっちゃんね。
もちろん、そこには、厳しい礼儀があるっちゃけど、形だけのもんじゃなくって、心からの付き合いができます。
中でも、高校生で、どこか頼り気なかった、R助がね、立派な若手に成長しとってからね。
めっちゃ嬉しかったね。
中学生から、僕ら32歳のオヤジまで、で構成される大黒流寿通の若手10数名の中で、僕はどういう役割ができるっちゃろう?
僕が、若手としてできること、人の役に立てることがなくなったら、現役引退です。
僕の役割ってなんやろう。
元気いっぱいの若手の中で、ちょっと考えました。
7月6日(金) 「夜警当番」
この日、福岡県弁護士会が、僕ら修習生の歓迎会を開いてくれました。
親不孝通りを一歩奥にはいったアークホテルロイヤルでパーティーです。
このホテルは、ぼくが22歳のとき、学園祭コンテストで入賞したときのパーティーで来た思い出のホテルです。
ちなみに、僕は、自然食研究会というサークルをやってました。
このパーティーで、福岡修習のAさん(彼女は、高校生時代をインドネシアのジャカルタですごしている)が、興味深いことを行っていました。
「福岡の印象ですが、とてもジャカルタに似ていて、アジア的な感じを受けました。この街に、冬があるなんて信じられません。」
僕は、ジャカルタには行ったことはないけど、彼女の言うことはよく分かります。
福岡って、街中には、唄があふれとって、みんな開放的で、特にこの時期は、街のあちこちに、原色のきらびやかな飾り山笠がいっぱいあって、東京とかに比べると、確かにアジアって感じがするっちゃんね。ちなみに、釜山まで、船で2時間55分、数千円で行ける。でもね、冬は寒いとよ。
パーティーが終わって、誘われるまま、ちくし法律事務所の事務所会議に行きました。
この事務所は、いわゆる、地域事務所です。
裁判所のそばにあるのではなく、地域の住民に密着した事務所です。
この事務所の先生方は皆さん魅力的です。
ハンセン病訴訟や、産業廃棄物問題、薬害ヤコブ病、南九州税理士会事件など、社会的弱者の立場に立った、仕事に自由に取り組んでいるとっても自由な感じの事務所です。
いい事務所やなー。事務員さんが明るくって、かわいくってね。
へいちん楼を後にして、親不孝のとあるビルの蔭で、僕は、背広を脱ぎ長法被に着替えました。
これから山笠の夜警当番です。
山笠の仲間の前に、背広や、私服で現れるっていうのは、めっちゃ恥ずかしいことやんね(法廷にTシャツで行くようなもん)。
夜警当番というのは、舁き山の前で、一晩、警備をするっていう役目のこと。
警備っていう役目のほかに、山褒め(山笠を褒める)に来るお客さんを接待するっていうっいわば町内の顔という重要な役目を、朝7時までやるのです。
今日が、実質的な、6年ぶりの山笠への復活です。
どきどきしながら、川端の商店街のアーケードに入っていきました。
懐かしい顔がいっせいにこっちを向きます。
一瞬にして、みんなの顔が笑顔に変わりました。
よう戻ってきたね。みんなに囲まれました。
取締りがやってきて、まず、町総代に挨拶せんか!
そうやった、礼儀を忘れとった。
山笠関係者だけでなく、一般のお客さんも含めいろいろな人が口々に僕らの山を褒めていきます。うれしかねー。
夜中なのに、いろいろな人が通ります。博多は、夜型の街です。
一通り、お客さんがいなくなったのが夜中の2時くらい、これから朝7時までが、僕らの至福の時間です。
山笠の前のばんこに座って、みんなで一晩中語りながらお酒を酌み交わす。
こんなにきれいなものを肴に飲む酒は最高です。
動いている山笠はもちろん迫力があって、かっこいいけど、山小屋の中で、出番をじっと待っている山笠っていうのも、内にぐっと力が蓄えられとって、めっちゃ美しいよ。
みんな、大好きな山笠に触れて、登って、山笠のへの字を枕に寝そべってみたり、後輩に、山の棒のつき方、交代の仕方を教えたり、至福の時間です。
ねえ、想像して、中学生から、40才くらいの男たちが、みんながそろいの法被を着て、一晩中、山の前で語らいよう(大暴れしよう)っていう姿を。
ぼくが山笠がすきなのは、こういう瞬間があるけんやんね。
こういう、時間を男だけで共有できるっていうところが本当の山笠の魅力やとおもうっちゃん。
男って、弱虫のくせに見栄っ張りやけんね。女性がおったら、ついつい、本当の自分よりも、じぶんを立派に見せようとして、競い合ってしまうっちゃんね。
やけん、山笠が男しか参加できんっていうのは(山笠期間中は、きゅうりと女性はご法度)実は、こういう男性のよわっちいところを女性に見せたくないけんやろうね。
自分の惚れた女にかっこいいとこば見せたいけんやろうね。
それを温かく見守って、裏方できつい仕事をこなしてくれる博多の女性(ごりょんさんっていいます)は、本当に、魅力的やと思います。感謝。
やけん、山期間中の男たちは、馬鹿がつくほど、子どもっぽくて、純情で、純粋で、泣き虫で、・・・・・博多っ子です。
7月7日(土)8日(日) 「子ども山笠」
午前6時30分に、当番町が夜警当番の引継ぎにきて、昨夜から徹夜で続いていた夜警当番の任務は完了です。
ことしの当番町は、「川中」。
僕も、7年前に当番町を経験しとうけど、本当に大変っちゃんね。数ヶ月間ずっと合宿状態よ。
ことしは、当番町でも、受け取り町でもないけん、ゆったりと山笠を楽しめそうです。
この後、みんなで、博多城山ホテルにモーニングを食べに行きました。
博多では、この格好が正装やけん、ホテルでもどこでも入っていけるっちゃけど、宿泊客、特に外国人の方はびっくりしとったね。
モーニングを食べよったら、そのまんまソファーで眠ってしまいました。
9時から、町内の詰め所の設営です。
寿通は、数年前の再開発で、立ち退きになって、今は博多リバレインという、ブランド品店、劇場、ホテル、美術館、が一体となった複合施設となっています。
やけん、リバレインの一角に、みんなが集まるための詰め所を設営する必要があります。
で、そのまんま、子ども山笠。
子ども山笠って言うのは、文字通り、子どもの山笠なんやけど、子どもたちはみんな真剣です。
この子ども山笠自体は、寿通の前町総代がはじめたもので、博多、そして福岡全体の行事となった今でも、その運営は寿通でやっています。
僕は、この子ども山笠が大好きです。
オムツをした1歳にもならない子が、オムツの上から締め込みをして、手拭い、水法被、脚判、地下足袋、舁き縄をして、大勢の子どもたちに混じって、おかあさんの手の中で、あるいは、乳母車に乗って、泣きもせずに、ニコニコ笑いよう。博多っ子やね。
僕らは、水当番をやったり(山笠は水をかけて冷却してやらんと舁き手がオーバーヒートして動かんごとなる)、交通(山笠は福岡市のメインストリートの交通を遮断して行うので、山笠のだいぶ先を走って交通規制を行う交通の役割はとても重要。ちなみに、山笠を、止めるってことは許されんけん、車を問答無用に停めます。この時期は、福岡市の中心部の交通は麻痺してしまいます。)をしたりして、3日間の子ども山は終わりました。
徹夜の連続でくたくたやけど、明日からはいよいよ本番です。
7月9日(月) 「お汐井取り」
今日はお汐井取り。
お汐井取りって言うのは、山笠期間中の安全を祈願して、博多から、東区の箱崎宮の箱崎浜までお汐井という、海岸の砂を取りにいくっていう行事です。
箱崎って、博多港の中心やけん、砂浜なんてとっくになくなっとって、もとの海岸線は、埋め立てられ、海は、ずっと先にあるっちゃけど、そのお汐井取りをする浜だけは、埋め立てられずに、もとのまんまの砂浜がのこっとうっちゃんね。経済的には、非合理的やけど、そういうことをするとこがまた、博多やね。
若手の集合時間が午前11時。
山笠に出る人たち(山のぼせ)は、この期間中は、仕事を休んで、山に没頭するっちゃけど、僕の場合は、さすがに研修中で、2週間研修を休むってことができんやった。
やけん、若手の集合時間に間に合うことは不可能やんね。弁護士になったら、仕事休んでフルで出場してやるぞ。
僕が配属されとうとこは、福岡地裁の民事第6部。
5時が過ぎたら、申し訳ない気持ちはいっぱいやけど、速攻で地下鉄に乗って、山詰め所に行きました。
もうみんなすでに、箱崎浜に向け出発しとう。
急いで、水法被(水法被は、山笠を舁くときにする格好で、普段着ている長法被とは違って、締め込み、脚判、地下足袋、水法被という、戦闘的な格好です)に着替えて、タクシーでこそーっと箱崎浜に向かいました。
お汐井取りで3号線は交通規制しとうけん、タクシー全然進まんでからね。
箱崎浜ついたら、大黒流は、もう終わっとって、千代流がお汐井取りよった。
浜に行かずに、箱崎宮の参道をおか側(山笠の方角の示し方は独特で、北は、浜側。南はおか側。東は、箱崎。西は、西公園。)に進み、大黒流の待機位置の、千代の松(大学通りの佐賀銀行付近をこういうふうに呼ぶ。)に行きました。
寿通のみんなと合流して、箱崎宮を後にして、一路櫛田神社に向かいました。
1万人近い男たちが、「オイサ、オイサ」と、走っていく光景は壮観です。
僕は、7年前、この1万人の先頭で、高張り提灯を掲げるという大役を務めさしてもらいました。

夕暮れがきて、提灯に火を入れます。
各町、伝統がある、思い思いのデザインをした提灯です。
うちの提灯は、分銅(ふんどう)をデザイン化したものです。寿通は、博多商人の町やけんね。
どっかの町内に、赤いちょうちんに丸々と太ったうさぎを正面から見た姿をデザインしたとこがあるっちゃけど、それが可愛らしくってね、勇ましい男たちの姿とのミスマッチがいいっちゃんね。
7月10日(火)「流舁(ながれがき)」
今日からいよいよ、山笠が動き出します。「流舁」。流の隅々を山笠が駆け抜けます。もともと、疫病退散が山笠の目的(760年前)やけん、この流舁きが山笠の原型かもね。
山笠は、重さ1トン、それを26人の舁き手が担いで、全力で、博多の街を疾走します。
信じられんほどの速さで駆け抜けます。
山笠が動くためには、多くの人がさまざまな役割を担っています。
まず、山笠には、車輪がなく、舁き手が担いあげて、走ります。
山笠には6本の棒がついとって、ひとつの棒に、4人の舁き手がつきます。
それぞれのポジションには名前がついとって、僕は、左肩見送一番棒鼻というポジションです。
それぞれの場所で、舁き方や、交代の仕方、身長、体格などが異なります。
面白いとこでは、胡瓜舁き(きゅうりがき)というポジションがあります。山笠の本体の真下で、両脇から山笠を支えるという、いわば、山笠がターンする際の軸となる重要なポジションです。
舁き手が、山笠を舁いていられる時間は、せいぜい1分が限度です。
だから、山笠が動きながら、舁き手は交代していきます。
この交代が、芸術的で見ものです。
舁き手が、山笠を浮き上がらせて、それを、後ろでスクラムを組んでいる、後押しが、一気に押して前に進みます。
後押しという役割は目立たないけど、極めて重要で、きつくって、大変なポジションです。後押しがいないと、山笠は前へ進めません。
山笠の四隅には、縄がついとって、その縄を鼻取りが持って、舵取りをします。山笠は、狭い路地の隅々まで走るけん、この鼻取りの舵取りが重要になってきます。
山笠のちょっと前に、前さばきがおって、棒につこうとする舁き手の調整等をします。前さばきがおらんと、確実に山笠に轢かれて死人が出ます。
山笠の上には、台上がりがおって、鉄砲という指示棒を持って、山笠の動き全体の指揮をします。これが、かっこよくって、博多っ子の憧れです。僕も7年前に、経験しました。走りながら、自分の頭より高いところに飛び移って、「オイサッ、オイサッ」と指揮をとります。
山笠のまわりには、台まわりがおって、台上がりの指揮に従って、山笠のまわりを調整します。
山笠の前には、招きがいます。長老が流の旗を持って、山笠を招きます。そのまわりで、子どもたちが、各町内の招き板を担いで、山笠を招いています。子どもの身長よりも大きな板やけん、子どもたちにとっては、大変な仕事です。
山笠に全くつかない役目として、水当番がいます。山笠の舁き手は、ものすごい力を一気に振り絞って山笠を舁いとうけん、舁き手のまわりには、酸素がない状態になります。そこに、水当番が、水(勢い水(きおいみず))をばしゃとぶっかけます。そのおかげで、舁き手は呼吸できるようになります。やけん、水がないと山笠は全く動くことができません。そして、この水当番は、水嚢(すいのう)を持って、水がある所まで、水を汲みにいって、そして、山笠を迎えにいって、山笠のすぐそばにまで入っていって、水をばしゃっとかけ、また、水を汲みに行きます。やけん、水当番は、5キロのコースの倍くらいを走っている計算になります。他の人が入れない山笠の直前にまで分け入っていくけん、めっちゃくちゃ危険な役割です。ここでこけたら死ぬ可能性があります。やけん躊躇しとったら、前さばきに、びしって裁かれます。水当番は、恐怖心との戦いです。僕は、水当番が好きです。体力を回復して、いつかまた、水当番に就きたいとおもっています。
似たような役目に、水にないがいます。水が入った桶を担いで山笠の前を走ります。この水で、台上がりの喉を潤します。
山笠の一番先頭を走るのが、交通です。山笠は絶対に止めたらいかんけん、山笠が来る前に、通り道の全ての交通を遮断します。彼らは、山笠を見ることすらありません。頭が下がる役割です。
山笠は、毎年、壊して、また作ります。山笠が走りようときにも、その側に山大工がぴったりついとって、不具合があったら、山笠に飛び乗ってすぐに修理します。
ちなみに、山笠の人形は、一流の博多人形師が作ります。それこそ芸術品です。うっとりとします。
こういう、多くの人たちの息がぴったりとあって、山笠は安全に走ります。極めて理論的合意理的にできています。
今日の町集合は、午後2時でした。
記録読みが長引いて、今日は間に合いませんでした。悔しい。
7月11日(水) 「朝山・他流舁(たながれがき)」
町集合午前2時
・・・・午後じゃなくって、午前やけん。
山笠はこんな感じです。
前日の夜まで山笠を舁いとって直会(なおらい)して、またすぐに集合です。
これが当番町になったら、もう大変です。徹夜の連続です。前日の行事が終わったのが、午前1時50分で、次の日の町集合が午前2時なんてことがざらです。
当番町のとき、僕と赤手拭いのMさんと、K助は、どんたくが終わってからずっと泊まりこんどったっちゃんね。毎日毎日、きついけど楽しくってね。
次の日の行事まで10分しかなくっても、その10分熟睡していました。
夜11時に寝て、午前1時に起きて、町内に集合しました。
提灯に火を入れて、当番町集合。
「どん」の太鼓、「やー」という掛け声と共に、山笠は、駆け出しました。
朝山は、ご祝儀山ともいって、現役を引退した先輩たちが山につけるように、すこーしだけゆっくり走ります。といっても十分早いけどね。
山笠のコースって言うのは、大体5キロくらいなんやけど、途中途中にショートカットできるところがあって、年配の先輩方や、子どもたちは、ここを通って最後まで、走ることができます。ここを走ることを「横番切る」って言って、現役の僕らがここを通ることははずかしことです。
みんなが参加できるように考慮してある、優しい祭りやね。
「おいさっ、おいさっ」カーッと血が上ってきます。
もう、無我夢中で、見送り左肩一番棒鼻につきました。
棒に舁き縄をかけて、前に舁いていた舁き手と交代します(全て全力で走りながら)。
前の人の背中をポーンとたたいて、たたき出します。
その瞬間、左肩から背中にかけて山笠の重みがずーんとかかります。肩が砕けそうに痛くなります。
1分もしないうちに、顔がしかめっ面になって、頭が酸素を求めて上を向きます。
同じポジションの、Sちゃんの姿が目にうつりました。
僕は、彼に早く交代してくれるように目で合図を送りました。
しかし、彼は一向に迎えにきません。
限界が近付いてきます。
もう一度合図をするけど全然来ません。
そのうち、台上がりと、台まわりの人が、「一番棒鼻(代わっちゃれ)」と叫んでいます。
ようやく交代が来ました。
息も絶え絶え、脱出できました。
余力を残しとかんと、交代するときにこけて、大勢の人に踏まれて死んでしまうかもしれません。
山は無事に山小屋に戻りました。
台上がりの「どうもありがとうございました。手一本ちょうだいいたします」の号令で、全員で手一本を入れます。
手一本ってしっとう?博多の手打ちです。
町内に戻って、直会(なおらい)のとき、Sちゃんに「何で迎えにこんとや」って文句言いました。
そしたら、「後藤さん、この棒は俺のもんたい、誰も近寄るなって顔しとったけん」げな。
そんだけ、必死の形相やったっちゃろうね。
直会(神様にささげたお供え物を神様と一緒に食べるという行事)のとき、若手は、給仕をします。
ただ、いかにも給仕してるって感じやったら、まわりの人に気を使わせるけん、自分たちも飲んだり食べたりしながらさりげなく気配りをしていくことが大切です。
直会が終わって、片付けをして(ちなみに、博多弁では、片付けるっていわんで、直すっていうっちゃけどね)そのまんま、裁判所に登庁しました。
さすがにこの日は一日きつかったよ。
目の下にね、メンソールの液体を直接塗ってからね。何とかしのぎました(この方法は、Aさんに教えてもらったと。Aさんは、ジャカルタで高校時代をすごした、とっても素直な女の子。素直すぎて、毎日僕はうけています)。
午後2時町集合「他流舁」(よその流れの人たちにも、うちの山ば見せちゃりまっしょうっていう趣旨)。
うーん、間に合わん。
困ったどうしよう。
どんどん時間は過ぎていく。
午後5時15分が来たらソッコーで山の詰め所に行きました。
もう、みんな舁き出しとって、1人で、締め込みに着替えました。
この時間やったら、山舁けんけん、締め込みに着替えてもしょうがないっちゃけど、やっぱね、山やけんね。締め込みせんとね。
みんなが帰ってくる前に、ごりょんさんと一緒に直会の準備をしました。
やっぱね、一緒におりたいもんね。同じ気持ちをね、共有したいもんね。
みんなが帰ってきて、直会です。
やっぱね、みんなと一緒におったら楽しいね。
赤手拭いのTさんが、僕を呼んでぽつりと言いました。
「後藤、ありがとう。お前が、研修中で、山に間に合わんでも、こうやって、締め込みをして駆けつけてくれるっていう、その姿だけで、若手はくさ、山っちゃ、やっぱ楽しかっちゃねって、思うっちゃんね。お前がこうやって、楽しそうにしとうってだけで、若手は生き生きしてくるけん、山は楽しかって思うけんね。本当にありがとう」げな。
もうね、涙が出るほど嬉しかった。
若手っていうには少し年取ってしまっとうけん自分に何ができるんやろうか。もう引退したほうがよかっちゃろうかって、悩みよったっちゃんね。
Tさんは、僕のこの悩みをわかっとったとかもね。その上で、こういう優しい言葉をかけてくれたっちゃろうね。
もうね、本当、涙が出るほど嬉しかったね。
山笠って、本当に優しいね。
そして、山の友達って、一生の友達やね。
本当に、僕は幸せやなー。
7月12日(木) 「追い山馴し」
午前11時町集合。
無理だー!
山笠ってね、実は、福岡の中でも、博多部の祭りやけん、意外に地元の人でも、みたことないっていう人がおおいっちゃんね。
そういう人たちは、「山笠って練習があるっちゃろうっ」ていう質問するっちゃんね。
これね、言われたほうは結構むっとするっちゃんね。
9日のお汐井取りから15日の追い山まで、それぞれの行事に意味があって、一生懸命全力を出しとうとに、練習っていわれるとはすかんちゃんね。
ただ、12日の追い山馴しだけは、字のごとく、追い山の練習という意味合いがあります。
ここで、もうひとつ言われてむっとする事は、「山笠って、バイトやろう?」
山笠ってお金で換算したらあんな馬鹿らしいことないよ。みんな、お金とか関係なしに、好きやけん、山を愛しとうけんしようっちゃんね。それを、バイトとかいわれたら激怒するよ。ちなみに、山笠って、いくらお金積んでも出れるもんではないっちゃんね。逆に、お金なんか積まんででれるっちゃんね。愛する心があるかどうかやろうね。
今ね、京都の祇園さんのTV見ようっちゃけど、博多の祇園山笠とながれとうもんは一緒やね(ちなみに7年前、山笠が京都の祇園さんに招待されて、そのときいっしょに京都の街を巡航したとよ。これも楽しい思い出やんね。)。
今日は、追い山馴しに行けまっせんでした。すんまっせん。
7月13日(金) 「集団山見せ」
集団山見せちゅうのは、博多の祭りである山笠を福岡の人たちにも見せちゃりまっしょうってことで、山笠が那珂川を越えて福岡にはいるっていう行事です。
よその人にはよう判らんかもしれんけど、福岡市っていうのは、那珂川を挟んで、東側が商人の町博多、西側が、武士の街福岡やんね。
山笠は博多の祭りやけん、福岡には行かんっちゃけど、たった1度だけ、那珂川を越えるっちゃんね。これも優しさの現われやなって思うっちゃんね。
でね、これはガイドブックにも載ってないっちゃけど、このあと、追善山っていう行事があります。
これはね、この1年間で亡くなった、山笠功労者の家まで山笠を舁いて行って、そこでね、みんなで祝い目出たを歌い上げるっていう、行事やんね。
その家には、遺族のごりょんさんが喪服を着て静かに待っとんしゃあっちゃんね。
綺麗に祭壇が作られ、にっこりと微笑む遺影には、生前故人が愛用した長法被がかけてあって、長年にわたる山笠人生を物語る数十本に及ぶ手拭いを縫い合わせて、幕が作られています。
山笠は向きを変え、故人の遺影の方を向きます。
みんな、頭から手拭いを取り、全員で、祝い目出たを歌い、手一本を入れます。
人が死んどうとに、なんで祝いめでたやろうって思うかもしれんけど、もし僕が死んでも、目の前で山の仲間が悲しんどう姿を見るよりも、死んで旅立つことに、お祝いを言ってくれる方がよっぽど嬉か。
ごりょんさんは、気丈にもしっかりと立って、子どもたちに、お菓子を配ります。子どもたちはそれが嬉しくって、ワーワーはしゃぎます。
いつも、この光景を見ると涙が出ます。
なんて、おごそかで、なんて心がこもった、祭りなんやろう。
ぼくはこんな山笠が大好きです。
しかし、町集合午前11時
またしても無理だー。
でも、夜は合流して、赤手拭いと、若手でふとっぱらで飲み会。
うちの町内って、本当にみんな仲がいいっちゃんね。
いつものように、ちゃっちゃくちゃらで(しっちゃかめっちゃか)、ぞーたんのごたあ(冗談みたいな)、たのしか飲み会。
赤手拭いのK助が油性マジックで、Sちゃんの顔に落書き、瞬く間に、Sちゃんは、デューク・トウゴウすなわちゴルゴ13(サーティーン)になる。
ゆっくりと振り向くそのニヒルな顔はまさにデューク。
長い揉み上げ、太い眉、狭い額。余すところなくゴルゴの特徴を備えたSちゃんに指令が下る。
「中洲のミスドでフレンチクルーラーを買って、店内で食べて来い。」
Sちゃんは、慎重に、あたりの様子を伺い、女の子でいっぱいのミスドにはいる。
おもむろに、傘の銃を構え、カウンターに駆け寄り、店員に銃を向けながら、フレンチクルーラーを注文。
店内の女の子から苦笑がもれる。
それでも彼は任務を全うする。そのニヒルな顔でフレンチクルーラーを店員から奪い取ると、そのままカウンタに肘を付き、背中に寂しさを漂わせつつ、フレンチクルーラーを食べ尽くす。
食べ終わった彼は、また、銃を片手に店内を出て中州の街へ出て行く。
任務終了。
全員中洲の交差点で転げ回って笑う。こんなに笑ったの本当久々やん。笑いすぎて死にそう。
なんて楽しい連中やろうか。
もう最高。
山笠最高。
7月14日(土) 「流舁」
最後の流舁、追い山を前に、流れ内の皆さんに、最後の挨拶として、流れ区域内を舁きまわる。
棒に付いたり、後押しをしたり、全力で駆け回る。
しかし、棒につく瞬間、後押しに入る瞬間っていうのは、恐怖心との戦いやね。今でも恐ろしいよ。
いよいよ明日は追い山。
水を浴びて山小屋に鎮座する山笠が、内に力がこもって神々しく美しく見えます。
午後8時に解散、明日午前1時の町集合まで、戦いの前の緊張した時間の始まりです。
10時に福岡修習の仲間と、福大の後輩が山笠見物に来るけん待ち合わせの中洲スプーンビルに行く。
そこへ彼女が来た。
しかし、山笠期間中は女性は御法度、彼女とは離れて、座る。
みんなが集まって、まずは、中洲の飾り山見物。」高さ15メートルの飾り山は本当に綺麗やね。博多人形師がその腕を振るっただけはある芸術品です。しかし、この山笠もあと3時間後に崩されます。
中洲から、博多川をわたって、ぼくらの大黒流に入り、僕らの飾り山、博多リバレインを見物。
今日は、一晩中、街に、人があふれとって、どこか浮ついた雰囲気があって、しかし、数時間後には、それが緊張感みなぎるピリッとした空気に変貌する。
今は緊張の前の、一瞬の安らぎ。飾り山がとっても美しい。
途中、寿通の仲間とすれ違う、赤手拭いのHさんは、今年、喪(も)がかかっとって(身内に不幸があって)山にはでれんっちゃけど(昨日追善山)、やっぱり、山を観にきとんしゃった。好きなんやね。
川端の商店街の中では、Sちゃんと、Y太を見つけたけん、いきなり跳び蹴りを食らわす。
「なんしようとやー」
「せっ洗濯っすよ」
追い山の緊張を前に、みんなそれぞれの時間をすごしている。この時間が大好きやん。
みんなで、中洲のふとっぱらに行くも、途中からだんだん緊張してきた。
午前12時40分みんなと別れ、山の詰め所に向かう。
いよいよ追い山だ。
7月15日(日) 「追い山」
長法被から締め込みに着替える。
舁き縄を、締め込みに挟み、脚判の紐をぐっと締める。
お櫛田さんのお守りをたすきがけし、水法被をしっかりときびる。
水法被の前をしっかりときびってないと、もしこけた時にすっと助け出してもらえない。
追い山の四の替わりで、赤手拭いのTさんが、六の替わり(廻り止め(決勝点))で、取締りが、台上がりをする。
そこで、寿通の若手は、Tさん、取締りを男にしようって、意識の統一を図りました。
四の替わり(普段は、一番速度が落ちるところ)で、寿通のみんなで後押しをして、最高速をだそう。
何が何でも、死にそうになっても後押いちゃろう。
若手全員の気持ちがひとつになりました。
寿通のみんなは、取締りを中心に、先頭に若手が提灯をかざし、その後ろに子どもたちが、招き板を掲げ、隊列の四隅には赤手拭いを配置し、取締りが、赤手拭いのK介に目で合図する。
その瞬間、K介の「ヤー」の掛け声、それに続く、全員の「オイサ」の声。
「オイサッ、オイサッ」。大勢の観客の中、寿通の隊列は、一路、山笠待機位置に向かう。
お櫛田さん前、土居通りの山笠待機位置に、7つの舁き山が、スポットライトを浴び整然と並んでいる。
それはあたかも、スターティンググリッドに並ぶF1のよう。

7つの舁き山の横を通り抜け、寿通は、一番山笠大黒流の正面に整列する。
台上がりの目と、取締りの目がきっと、合致し、全員で手一本入れる。
いよいよ始まる。
大勢の観客をかき分け、提灯を先頭に、お櫛田さんに参拝に行く。
「30分前」のアナウンス。
「10分前」
櫛田入りを後押ししよう。僕は、後押しにつきました。
お神酒をいただいて、気合を入れます。
「1分前」スクラムががっちりと組まれました。
上からは、どんどん、勢い水(きおいみず)がかけられます。
呼吸が荒くなってきます。
「30秒前」
手が、がっちりと前の人の締め込みを握ります。
「10秒前」
95万人の声、そして、全ての音が消えます。

「5秒前」
(こころのなかで)4,3,2
「ヤー」
ドン(太鼓の音)
午前4時59分。
山の足が、ぐんと浮きます。
その瞬間、山笠は猛スピードで駆け出しました。
足が空回りするほどの猛スピードで、山は進みます。
僕の視界には、自分の足と、地面しか映りません。
地面が、アスファルトから、砂地に変わりました。
いよいよ「清道」に入った。
しかし、山は、勢いがつきすぎて、観客の中に突っ込みそうになります。
いかん、タイムロスだ。
山は、進路を修正しようと、ぐんと方向を変えました。
山が進路を変えると、後押しは、ぐーんと横に振られます。
何か、横から張られたような、とてつもない力が後押しを襲います。
必死で、手をはずすまいと、前の人の締め込みを握り、足をフル回転させます。
山は、清道の旗をぐるっと廻って、停まりました。
1番山だけに許される、「祝いめでた」を歌うためです。
台上がりの「祝いめでたーの」の声に続き、全員での大合唱。
しかし、もう声すら出ない。
「祝いめでたの、若松様よ。若松様よ。枝も栄ゆりゃ、葉も繁る。エーイショーエー、エーイショーエー、ショーエー、ショーエー、ア、ショーンガネ。アレハ、イサソー、エサソー、エーイ、ショーンガネー」
「ヤー」山はまた猛スピードで走り出しました。
どん、どん、どん、どん、どん(太鼓の連打)
ぐんと方向を変えます。
僕は、必死になって後押します。
横からとてつもないGがかかります。
必死に押します。
どん、どん、どん、どん
必死に必死に押します。しかし、そこで尽きました。
僕の体は、横から襲ってくる大きな力で、吹き飛ばされました。
僕は、大きく、横へ飛ばされ、体全体が、櫛田の清道に叩き付けられました。
後ろからは、数百人の男たちが迫ってきます。
「死ぬかもしれん」
数十人の男たちに踏みつけられながら、意外と冷静にそう思いました。
頭を両手でかばい、それだけで必死でした。
そのとき、後ろの誰かが、僕の締め込みを握って、僕を立ち上がらせてくれました。
僕は、必死になって、走り、清道を後にし、山を追いかけました。
本当に死を覚悟しました。
時間にして、多分2秒も経っていませんが、僕には、数十分の出来事のようでした。
東町筋に入り、沿道のバケツで、全身の汚れを払うと、左ひざから、大量の出血があるのがわかりました。しかし、全く痛みを感じません。
「オイサッ、オイサッ、」
東町筋を抜け、山は、大博通りに入りました。
もうすぐ、四の替わり、恐怖心を追い払い、「ヤー」と大声を出し、後押しに付きました。
まわりは寿の法被だらけです。
いよいよ、Tさんが台に上がります。
後押しの僕らには、Tさんの姿は全く見えません、僕の目に映るのは、ただ自分の足と、地面だけです。
しかし、背中の寿の法被にTさんの暖かい視線を感じます。
「ヤー」
最高速をだそう。
必死になって、後押します。
足が付いていかないくらいのスピードが出ています。
呼吸ができません、でも必死になって、後押します。
Tさんを男にするんだ。
横に弾き飛ばされても、またすぐに後押しにつきます。
ものすごく長い距離に感じます。
がんばれ!
今ここで力をださんと、いつ出すとや。
負けそうになる自分に喝を入れます。
心臓が口から飛び出しそうです。
「 オイサッ」
五の替わりを通過しました。
僕は、力尽き、沿道の観客の中に倒れこみました。
僕が倒れこんだ沿道の女の子たちが、ねぎらいの言葉をかけてくれます。
沿道の観客も一体となって、山は動いとうっちゃね。
頭から、ザブンと水を浴び、山を追いかけます。
昭和通を超え、いよいよ六の替わり、このままの勢いで廻り止めになだれ込む。
最後の直線、流れの全員が、最後の力を振り絞って、後を押します。
「オイサッ、オイサッ、」
周り止めの横断幕が目に入りました。
もう少しだ。
必死で後を押します。
すると、ふっと、自分の足が浮いたと思うやいなや、僕の体は、ガーンと、アスファルトに叩き付けられました。
大勢の男たちが僕の体を踏みつけていきます。
このスピードでは立ち上がることができません。ぼくは、踏みつけられ、転がり、両腕で頭を守るだけで必死でした。
自分がどういうにして立ち上がったかわかりませんが、すぐに山を追いかけました。
廻り止め。
見送りにいる僕には、表の台上がりをしている取締りの姿は見えません。
しかし、全員の拍手に、きちんと礼をいっている取締りの姿が目に浮かびます。

山はゆっくりと、流れの山小屋に戻ります。
5キロ、30分。
午前5時30分、博多の夜が明けました。

(おまけ)
僕の血に染まった、左足を見て
【赤手拭い】 「お前その足どげんしたとや。」
【ごとー】 「コンビニの自動ドアで挟みました。」(山で、怪我したってゆうたら、きゅうり食べたろうがとか、女と喋ったろうがって言われるけん、絶対言えんと。でもばればれやけどね)
(注意)
山笠に関する記述は、あくまでも、大黒流寿通のものであって、他の流れや他の町内のものとは多少異なります。
7月18日(水)19日(木) 「見学旅行」
山笠が終わって、裁判修習に専念できるっておもうとったら、すーぐ、研修旅行そして、連休たいね。つくづく勉強のすかんごたあね。
で、足の怪我やけど、15日は、直会のあと、こそーッと、コンビニに行ってオキシドールばこうてきてから、左足にぶっかけてからくさ、タオルでぐるぐる巻きにしとったと。ばってんね、12時くらいに山の道具ば、なおしてから、解散した後にくさ、日産プリンスに行ってから、スカイラインGT−Rば買おうって商談をしよったら、最初は、どっと眠気が襲って来たっちゃけど、そのあとにくさ、まるで麻酔の切れたときんごたあね激痛の左足に走ってからくさ、血はどんどん滴りようし、もうどんこんならんごとなってしもうたっちゃんね(山の直後やけん、博多弁丸出しで書いて見ました。山の連中と喋るときはこげな風たいね。ぞーたんじゃなかとばい。)
みんながあんまりワーワーゆうけん、裁判所の中の診療所にいってみたと、そしたらね、看護婦さんが、「うわー」っていいんしゃって、「こりゃー、派手にやらかしたねー」げな。結構ひどかとげな。明日から研修で長崎に行くってゆうたら、びっくりしんしゃって、最初はだめって言いよったちゃけど、誰か人に消毒をきちんとしてもらうこと(自分では、痛くって、ちゃんと消毒せんけんだめげな)、そして、アルコールは飲まんこと、お風呂には入らんこと、あんまり歩かんことを条件に許可してもらいました。
福岡修習の35人と、引率の裁判官、検察官、弁護士、そして、総務課の方がバスに乗り、長崎県大村市へ向かいました。
目的地は、大村入国管理センター。
到着すると、係りの人が一通り、施設を案内してくださり、ビデオを見て、その後質疑応答。
なんにでも興味を持つ性格やけん、結構面白く中を見れたけど、やっぱりお客さんって感じやんね。修習生という身分で行ったら、そんな対応になるっちゃろうね。
ただ、よく言われているように、修習生が、話を聞かない、礼儀がなっていないってことは、福岡修習に限っていえば、ないようです。ガキがおらん修習地でよかったと、思います。周りの人に気を使わせるガキがおったら、全体の雰囲気が台無しになるけんね。周りの人に気を使わせるってことほど、頭が悪かなって思うことはないね。
夜は、勤務時間も終わっているので、宿舎で、大宴会。
絶対飲むなといわれていた忠告を早速破ってしまう。裁判官からすすめられるというのは、不可抗力だと思いますけど。
ただ、やっぱりアルコールを飲むと、足の傷がいたんで膿が出てくるっちゃんね。
やけん、宴会の途中Yさんに、消毒と、包帯の付け替えを頼む。
Yさんは、ぼくが心の中で尊敬しとう人やけど、僕って、こう見えて、人見知りする性格やし、尊敬の念をもっとう人とかには、照れてしまって、よう話せんごとなるという変な性格しとうっちゃんね。やけん、Yさんともうまく話しきらん。
ということで、別室で二人になったのを機会に、普段話せなかった事をゆっくり話そうと思っている矢先に、僕を怪しんだ、Nさんや、M君がチョコチョコ見に来るっちゃんね。
なんも下心があるわけやないっちゃけん、ゆっくり喋らせてよって思うっちゃけど、彼らは僕の女好きの性格をようしっとうけん、これ以上二人でおったら、絶対に怪しまれると思い、渋々、みんなのとこに戻る。
残念。
一度、Yさんとゆっくり話したいよ。
僕は、九大の松法会出身っちゃけど(卒業したのは、福岡大学)、去年の、松法会運営委員の仲間の女の子の中で、僕は、Mさんが気にいっとうっちゃん。 好いとうってことじゃなくって、いい人ってことやけど。彼女、その受ける印象から、強い人っておもわれがちっちゃんね。でもね、彼女はとっても繊細で、もろくって優しい人やんね。そういう彼女の内面がとても可愛らしいと思うっちゃんね。やけん、僕は、結構誰にでも、Mさんファンっていいまわりようっちゃけどね。
この日の夜も、検察事務官を前に、一所懸命に、Mさんのいいとこを宣伝しよったっちゃんね。彼女が誤解されたままでいるっていうのが嫌やけんね。
「この娘ですね、こう見えて、実は良い奴なんですよ」「こう見えて、実は泣き虫なんですよ」「この娘と付き合ったら、この娘は彼のために一生懸命尽くしますよ」など。
そしたらね、Mさんから呼び出しを受け、説教部屋行きです。
とくとくと説教されて、うーん、良いこと言っているつもりなのに、何でなんだろうと思いつつも、僕はどうも、デリカシーに欠けるようです(Yさんにもいっつも言われます)。
翌日、浦上天主堂の横をすり抜け、原爆資料館の見学です。
原爆の被害を目の前にすると、全ての主義やイデオロギーが、意味を失ってしまいます。
普通の日常生活を営んでいた人たちに突然突きつけられた悲劇。
想像ができません。言葉が出てきません。
本で勉強をしているときなどは、戦争は反対やけど、自衛のための戦争は仕方がないやろうとか思いようけど、この原爆の事実を突きつけられると、ただただ、熱かったろうね、痛かったろうね、という、思いだけが頭をめぐります。この事実の前では、侵略戦争とか、自衛戦争とかいう区別は意味をもちません。
話は少しずれるけど、福岡って、いわゆる在日の人たちが多くおるっちゃんね。それはたぶん、筑豊の炭鉱で働かせるため多くの、韓国朝鮮の若者が強制連行されたけんやろうけどね。
でね、僕らの親の世代の人たち(戦後世代)っていうのは、結構、在日の人たちに対する偏見が根強く残っとうっちゃんね。逆に、僕らの祖父母の世代(戦前世代)になると、あんまり偏見はないっちゃんね。
でね、僕らの親の世代の人たちはよく、「朝鮮人は、乱暴で気が荒い」って言います。
筑豊で少年少女時代をすごした人たちには、確かにそう移ったかもしれません。しかし、想像力を働かせてください。将来に希望を描き、普通にすごしてきた 少年少女がある日突然、強制的に別の場所につれていかれたら。自分が、その立場だったら。
僕が、明日、裁判所に行っとう間に、学校に行っとう僕の彼女がいきなり入ってきた男たちに乱暴され、外国に連れて行かれたら。
司法試験に合格し、将来に希望を抱いている僕が、明日、突然、外国に連れて行かれ、言葉も分からず、毎日毎日リンチされ、餓え、夢を持つことすら許されず、誰にも会えず、自分が生きているという事実すら、家族や恋人に知らせることができず、明日も分からず、強制的に働かされたら。
どうなります?
想像ができんでしょう。
その立場になったら、人間変わるくらい荒れるやろう。
でもね、在日の人たちって、ものすごい努力をして、今の生活を築いとんしゃあっちゃんね。
まさにゼロからね。
そういう想像力を働かせないで、簡単に偏見を持ってしまうことが怖い。本当に怖い。
中学の知り合いも、うちの側のビルから飛び降りて、自殺した。
在日の彼女に、どんなことが会ったのかは分からない。しかし、簡単に決めてはいけない。
修習生のYさんの言葉は、重い。「簡単に人はみんなわかりあえるとか、理解しあえるとか言う人はあまり好きではありません。 究極には人の気持ちなんて分からないし、だからこそわかろうとする努力、想像力が必要なのだと思います。」
僕が入っているMOAの創始者岡田茂吉(1882−1955)は、その、先進的な哲学から、戦前の特高警察、そして、驚くことに戦後の民主警察から、ものすごい拷問を受けています。僕にとっては、めっちゃくちゃ尊敬しとう人で、そんなにすごい哲学を持つ人やけん、その人が苦しむなんてことは想像もしたことがないっちゃんね。でもね、僕の彼女は、岡田茂吉をはじめて知って、その生きてきた道に触れたとき、涙を流して、「苦しかったろうね、痛かったろうね。」って言うったっちゃんね。それを見て僕は、電気が走ったくらいの衝撃を受けたっちゃんね。
彼女は優しい。
後世の人が、その人がやった功績だけを評価して、その過程に目を向けんことがあるけど、まさに、この彼女の姿勢に触れるまでの僕はそうやったかもしれん。どんな偉人でも、考えたら、人間やんね。そして、最初から偉人じゃないっちゃんね。そんなことさえ、ぼくは分かっていませんでした。
原爆資料館で、胸に去来したのは、痛かったろうね、熱かったろうね、という子どもっぽい気持ちでした。
大浦天主堂に行くと、祭壇の横にひっそりと、マリア様がいました。
あの、200年の禁教を堪えてきた隠れキリシタンが、心のそこから祈ったマリア様です。
そして、遠藤周作著「女の一生・第1部キクの場合」で、キリスト者である愛する人が、拷問を受けていることに対し、学もなく、キリストやマリア様が誰なのかすら分からないキクが涙を流しながら、マリア様と話をする。「うちは、あんたが好かん」って、魂から叫ぶ。僕は、その姿に、真の信仰者の姿を見ました。信仰の本当の姿を見ました。
そのキクが魂の叫びをぶつけたマリア様が目の前に現れました。
キリスト者ではないけど、信仰を持つ身として、このマリア様には、本当に神々しさを感じました。
大浦天主堂の脇の小屋は、コルベ神父の資料館でした。
「女の一生・第2部サチの場合」で、壮絶な生き様を、そして、生きるとはどういうことか、人間は何のために生きるのかを命をかけて示してくれたコルベ神父です。アウシュビッツで、人の身代わりとして、餓死刑を受けたコルベ神父です。
言葉ではうまく言えません。自分の感動を言葉で伝えることができません。もどかしいです。
よかったら、ぜひ「女の一生」を読んでみて下さい。
7月25日(水) 「趣味撰」
北九州第一法律事務所のY先生に食事に誘って頂きました。
西中洲の「趣味撰」
真剣に、そして、最高のすしを握ってくれる職人の店でした。
主人の哲学が、店の隅々まで行き渡っています。
感動しました。
料理で人を感動させるってことは、本当にすごいことやと思う。
本当に感動しました。
Y先生、ありがとうございました。
7月27日(金) 「証拠保全・ある赤ちゃんの話」
いま、福岡地裁の民事部で研修を受けています。
配属された部が夏季休廷に入ったため、今は、別の部に里子に出されています。
里子先の部は、部長のカラーが反映されて、とっても明るい部で、常に話し声が堪えません。
ただ、裁判所っていうのは、やっぱり、部屋でじっくりとものを考えるってのが仕事みたいで、外を動き回りたい僕には結構きつい仕事です。
この日は、ある病院に証拠保全に行きました。
医療過誤が疑われるときに、医師や病院がカルテを改ざんしたりすることを防ぐために、被害者からの要請で、裁判所が、カルテやレントゲン写真、レセプトなどを押さえに行くのです。
修習生には、守秘義務が課されてあって、修習中に知りえた他人の秘密等を話すことはできません。
やけん、今回のことも詳しく話せんっちゃけど、証拠保全って言うのは、ちっぽけな僕らが、巨大な企業や病院を相手に戦うときには極めて有効な武器になります。
修習に入る前の3月に、自修的な研修として、北九州第一法律事務所に泊りがけで行って、事件に同行させてもらったんやけど、そん時もね、ある病院に証拠保全に行ったっちゃんね。
事件の内容は言えませんが、いわゆる医療ミス(医療過誤事件)です。
病院で、膨大な量のカルテやレントゲン写真などを5時間くらいかかって確保したあと、先輩弁護士は、「弁護士の仕事っていうのは、現場を見とくことが大事。この事件の場合、現場っていうのは患者さんのことやけん、患者さんに会いに行こう。」といって、病院にかけ合って、患者さんのところへ連れて行ってくれました。
患者さんは、生後半年の赤ちゃんです。
父親と一緒に会いに行ったのですが、父親が会うときですら、全身を消毒して、白衣とマスク、手袋を着用しなければ病室に入れません。
その赤ちゃんは、一生意識を取り戻すことはなく・・・・・・
これ以上書くと守秘義務違反になるのでかけませんが、僕はこのとき、自分の選んだ弁護士という仕事が、他人の人生に重く、密接にかかわっていくものであり、被害者と一緒に泣き、被害者と一緒に戦い、被害者と一緒に喜ぶ(ちょっと違う→お金もらっても、奪われた命は返ってこない)、とても、重い仕事だと感じました。
32年前、ある若い夫婦にできた赤ちゃんは、予定よりも1月半も早く、仮死状態で生れました。
生まれたというよりも、このままでは、母子ともに死んでしまうので、母体だけでも助けるために、無理やり体外に出された胎児でした。
その胎児は母親の胎内から出たあとも全く呼吸をしていなくて、生きる可能性は限りなくゼロに近く、お医者さんもなす術がなく匙を投げたそうです。
呼吸もしてなく、泣き声も上げない、小さな小さな生命。
銀色のバットの上で、ただただ、死を待つだけの小さな生命。
死を待つためだけにこの世に出てきた生命。
この世界の空気を体に入れることすらなく消えていってしまう生命。
母親に抱かれることもなく死んでしまう。
その小さな小さな子は、その夫婦にとってはもちろん、親族全体で始めて授かった子でした。
手術室の外では、父親、おじいちゃん、おばあちゃん、親戚一同が、神様に祈っています。どうかこの子を助けて下さいと。
その子は、全く動きません、生きている証がまったくありません。
それでも、みんなその子が生きることを望み、神様に祈りました。どうぞ助けて下さい。
すると、奇跡が起きました。
死産と思われ、銀色のバットに放置されていたその小さな小さな物体が、突然消え入るような声をあげたのです。
それを見て、お医者さんは、慌てて、処置にあたりました。
お医者さんは、力いっぱいその子をたたきました。
その子の小さな小さな足をもって、さかさまにして振り回しました。
振り回して、叩いて、揺すって、投げて・・・・・その子は生を授かりました。
その子は、透明のガラスのカプセルの中に入れられました。
カプセルの中には絶えず酸素が入れられています。
しかし、酸素バランスがくるえば、赤ちゃんの目が乾燥し、失明してしまいます。
これが、後々問題となる未熟児網膜症です。
酸素バランスを見張るため、それから数日間、お医者さん、おじいちゃん、おばあちゃん、父、親戚みんなで寝ずの番が始まりました。
人の小指よりもはるかに小さい足にたくさんの針が打ち込まれました。
その子は、カプセルの中で、たくさんの管やチューブがつけられて、生き続けました。
1日に、小さじの先程のミルクをすすることもできません。
母親は、数か月の間、目が見えなくなりました。
その子は、それからもたくさんたくさん病気をしました。
何をしても他の子より劣っていました。
体は小さく、走ることもできず、ちょっと無理をするとすぐに熱を出しました。
小さな足にやむを得ず針をさしたため、シトウキンタンシュクショウになり、足は、曲がり、上手く走ることができません。
しかし、その子は、生命を与えられました。
その子は、もの心ついたときから、自分の生い立ちを周りの大人たちに話してもらいました。
そして、その子はこう思いました。
自分は、本当は生まれてなかったっちゃん。
やけん、この命は自分のもんやなくって、神様のもんなんやね。
神様のもんやったら、自分のためやなくって、この命、人のためにつかわせてもらわないかんちゃんね
同じような、状況で、多くの子の生命が失われ、この世に生を受けることができた数少ない子達も、大半が、からだのどこかに障害を負わざるをえなかった。
その中で、この子は、奇跡的に生命を授かり、奇跡的に障害を負わずに生きることが・・・・・。
その小さな子は、今、弁護士になろうとしています。
奇跡的に授かった命を、人のために使いたいと思っています。そのために与えられた命だと思っています。
7月29日(土) 「山笠若手打ち上げ」
山笠の仲間と、新宮に海水浴に行く。
博多から車でいくっちゃけど、みんな、はしゃいでから、車の中からすでに水中眼鏡かけてからね。
車でいったっちゃけど、運転しようT君の上半身を裸にして、油性マジックで、背中に龍を書いて、表には、筋肉を書いてからね、車ですれ違う人みんなが、ギョッとした顔してから振りかえりんしゃあっちゃんね。
海について、バーベキュ−の準備と、ゴムボートを膨らます。
ゴムボート膨らます足ふみポンプを隠してから、Sちゃんに、口から息を吹き込んでゴムボートを膨らませてもらいよったっちゃんね。
おおかた膨らんだとこで、おもむろにポンプを取り出してからね。
男ばっかりでワーワー遊んでからね。
中学生から、30後半の男たちまで、みんなほんとに仲がいいっちゃんね。
K介「ごとーしぇんしぇい(先生)、弁護士になったらそりゃ−ハイソ(サエティー)な生活するっちゃろうね。」と言いつつ、僕の背中に油性マジックで大きく「敗訴(ハイソ)」と書く。
全然違うハイソやんかー。
表の胸には、馬鹿っぽい字で、「べんごし」げな。
みんな、思い思いの油性マジックの刺青をしたまま、一日中遊ぶ。
ひとしきり泳いで、バーベキュー食べて、みんなで花火。
地面において、バーって綺麗な火花が出るタイプの花火があろう?
あれをね、ガムテープで背中にくくりつけて、火をつけてね。
走らんやったら、熱いけん、火を吹きながらみんな走りまわるったいね。
背中から火を吹きながらロケットスタートする異常な集団。
その火を吹く連中をロケット花火で狙い撃ち。
もうめちゃくちゃな、ちゃっちゃくちゃらな花火大会です。
とうとう、海水浴場から、退去処分が出ました。
いっつも僕らが行くとこうなります。
帰りにみんなで銭湯に入って。
本当に、楽しい連中やな。
一生の友達やね。