●閻魔大王の命令により、徳道上人によって創設された
西国三十三所巡礼は、長谷寺の徳道上人(とくどうじょうにん:法起院にまつられている)によって始まったといわれています。
養老2(718)年、徳道上人は病で仮死状態になった。
そのとき、夢の中に閻魔大王が現れて、「お前はまだここにくるべきではない。世に苦しみ悩む人々を救うために三十三カ所の観音霊場をつくり参拝を広めよ」と言い。三十三の宝印を授けた。
仮死状態から生き返った上人は、閻魔様に言われたとおりに近畿内に三十三カ所の霊場を設けて巡礼し、その功徳を説いて回った。
しかし、世間の目は冷たく、仕方がないので、宝印を中山寺の石窟に納めたと言われています。
それから、270年後に第65代花山(かざん)天皇が19歳で皇位を奪われて法皇となった。
永延2(988)年、法皇は、那智山で修行し西国観音霊場を巡礼した。
それ以降、徐々に人々の間に広まり、花山法皇が西国巡礼中興の祖としてあがめられた。
そして、徳道上人ゆかりの法起院、花山法皇ゆかりの花山院と元慶寺の3ヶ寺が番外札所となっている。
この3ヶ寺以外に番外札所を名乗る寺は多いが、通常はこの3ヶ寺という説が多い。

●巡礼は旅の楽しみ
西国巡礼のルートが確定されたのは、室町時代後期から江戸時代にかけてのことで、それまでは、順番は確定しておらず、三室戸寺が最終札所であったり、長谷寺、中山寺、六角堂が1番札所だった時期もあるようだ。
西国巡礼という名称になったのもこの頃で、板東三十三カ所、秩父三十四カ所と区別するためだったそうである。
この頃から、商人や農民たちが西国巡礼によって旅の楽しみを求め始め、伊勢神宮、熊野三山とともに盛んになっていったそうだ。
古来より、日本人はスタンプラリー的な行事が好きなようである。
●なぜ三十三カ所なの
33という数字は、法華経からきている。
観世音菩薩が33の御姿に化身して、人々を救うところからきている。
