宝塚歌劇のページ
出会い編

  星組公演の「愛するには短すぎる」では、入手したチケットの特典で、脚本/演出の正塚晴彦さんのトークショーを聴く機会があった。当初は、「女性ばっかりだろうから・・・」と、参加を躊躇していましたが、日常生活の中でサラリーマン風情が芸術家に接する機会なんぞ皆無でしょうから、「せっかくだから」と参加してみました。
 案の定、100人を優に超えるであろう参加者の中で野郎は2人。

 そこでの1コマです。
 正塚さんが「私はこの話、ハッピーエンドと思って描いたのですが・・・」のコメントに場内は、「エッー(うっそっ〜)」の嵐。。司会進行のおねぇさんも、(げっ)というリアクション。
 私も、ハッピーエンドと解釈していたので、この反応にはちょっとびっくり。
たしかに、微妙なストーリーでエンディングが変わると、主人公(男役)が「人でなし」になる可能性がありました。
 そのことから、主人公側に感情移入して観ている野郎からは、ハッピーエンド。ヒロイン役に感情移入して観ている女性からは、バットエンドということになったのでしょうか。
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 ストーリーは、すでに婚約をした主人公が、船での移動中に、少年時代の幼なじみ(幼少時代に結婚を約束)と出会い。心が揺らぐというもの。当然、お約束どおりの美人でいい子です。「どうしようかなぁ〜、この子もいいなぁ〜」と主人公は悩みます。船の到着時刻が迫り、主人公はさらに悩みます。悩みに悩んだ末に告白しますが、最後は、ヒロインからフラれてしまいます(ヒロインが身を引いた)。というものです。

 ここで、ヒロインとひっついた場合に問題となるのは、婚約者です。(お金持ちのお嬢様で、劇の冒頭に登場しています。人物像はあまり描かれてはいません(悪い子ではなさそう)。この婚約者を捨てる事となります。人でなしです。社会的地位は失墜です。
 ヒロインと「手に手を取って去っていく」もいいですが、あまりにド演歌調で、婚約者がかわいそすぎます。
 ここで、主人公側(野郎)の視点で見た場合、船上の淡い思いを胸に抱き、婚約者には内緒で生きていく・・・。船上の出来事は夢物語で、何もなかったように時間が進んでいく。う〜ん、ハードボイルド。。故に、ハッピーエンド。。てな感じでしょうか。

 ヒロイン側から観た場合、心許せる幼なじみと再会し、借金も返して貰い、プロポーズもされ、幸せになれるかも・・・・という思いはあったかもしれない。ただし、コイツにはすでに婚約者がいる。婚約者から見たら自分は「泥棒ネコ」。コイツの人生のために、私は身を引こう・・・。と、かなりの演歌調(私個人の解釈です)。これはもはやハッピーエンドではありません。

 どちら側に感情移入するかで、とらえ方は変わります。(婚約者があまり人物描写されていないのは、婚約者に感情移入させないための演出か?:考えすぎ?)
 この違いが、あの、「エ〜ッ」の正体でしょうか(個人の感想です)

 他に、このようなものがあった。「主人公とヒロインは再会すると思いますか?」

 正塚さんは「するだろう」と言った。

 私も再会はするだろうと思う。主人公(野郎)から連絡もなしに、一方的に会いに行き、ヒロインが幸せな暮らしをしているのを目の当たりにし、「よかったね」などと、体裁は整える。しかし、奥底では、再度フラれた気分を味合う。
「来なければ良かった」・・と。

 ヒロインは、「あら、久しぶり」程度でしょうけど・・・。

 ここは、女性の感性と一致でしょうか?それとも、やはり、全然ハズレ??

 恐らく、女性の感性を、私は一生理解することはできないでしょう。

 脚本家の仕事って、大変ですね。
(理解できない女性の感性との闘い?)

 あと、女性から野郎は「ガサツ」だとか「デリカシー」がないだとか、よくののしられていますが、そんなことないですよ。いろいろ考えてますよ。
 野郎からも女性に言いたいことはいっぱいありますよ。
 でも言わないだけ(さだまさし調)。