本屋で出たばかりの雑誌「Lee」4月号を立ち読みをしていると、「もう一度味わう少女小説の世界」という記事が特集されていてその中で松本侑子さんが「赤毛のアン」の魅力について語っていた。
雑誌で扱われるAnneが少し変わってきたようだ。
私が雑誌の中で実際のプリンス・エドワード島の写真を見たのは1980年前後だった。今25歳の長女が幼稚園に入った頃で、その後、いろんな雑誌で繰り返し繰り返し「赤毛のアン」は特集され、プリンス・エドワード島の写真を見たように思う。
それらの雑誌の中では、編集者たちがイメージしたアンらしき優しい女の子が小説「赤毛のアン」のイメージモデルとして色んなシーンの主役になっていた。赤い髪をお下げにした可愛い服とエプロンを着た女の子は少なくとも私にとってはちょっと違和感があった。もちろん私が抱いていたAnne像と違っていたというだけだが、洋服ひとつ取ってもアンはマシュウが茶色のパフスリーブの服を買ってくれるあの有名なシーンまでは他の女の子とちょっと違っていたのだ。
これほどまでの日本の「赤毛のアン」ブームは雑誌などからくるイメージ先行の要素もあるように思える。
「赤毛のアン」はひとつの産業になるほどの勢いで、Anneのファンの中には逆に辟易する人が現れても不思議ではないほどだ。
Anneとの出会いが2,30年以上前だった人は、文字の中から自分が想像したものしかなかったはずで、それは想像の中のAnneであり、グリーンゲイブルズの生活であり、プリンス・エドワード島の自然だったはずだ。
また大人になって後、原文で読む力がある人は、また違う楽しみもあったようだが、この点に関しては残念ながら英語にも英文学にも疎い私には分からない。
確かに「赤毛のアン」はいろんな分野の人に興味ある作品のようだ。
「赤毛のアンの庭」のアンヌさんは1981年プリンス・エドワード島を訪れていらっしゃるようだか同年輩のようだし、どのようなきっかけで行かれたのか機会があればお聞きしたいと思っている。
ところで今、その「LEE」を読んで感じたことは、バブル期の気分の高揚感の静まりに伴い堅実な生き方を問われる時代になると、雑誌での「赤毛のアン」の取り上げ方もAnneの生き方に目を向ける構成になってきたようだ。
それとも・・・
以前あれほど雑誌で繰り広げられていたあのロマンチックなだけのAnneではなくなっているのだ。
本当のAnneに出会えそうな気がしてきた。
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