表紙のアン

2009年のふくやま文学館での赤松先生の講演で、2007年に分かったこととして次のような話が出ていた。

モンゴメリを長編作家として売り出そうとしたページ社が取った戦略は「Anne of Green Gables」の表紙に、ジョージ・ギブスの既成の作品を使ったこと、そして契約期間に出版したアンシリーズ、また、「ストーリーガール」「黄金の道」「果樹園のセレナーデ」にも、ギブズによる作品を使うことで ギブズによる表紙は、モンゴメリの本を連想させるものとなった

左下の画像は1905年1月号の「THE DELINEATOR」、右下は1908年刊行の「Anne of Green Gables」初版版の表紙である。
モンゴメリのスクラップブック「Imagining Anne」でも「THE DELINEATOR」の表紙と共に次のような記載がある。
 "George Gibbs`s portrait on the cover of the January 1905 edition of Delinator
  became the illustration for the cover of the first edition of Anne of Green Gabies"

ということは、元々あったジョージ・ギブスの作品を1905年「THE DELINEATOR」の表紙と1908年「Anne of Green Gables」初版版の表紙に登用したというより、このイラストは元々「THE DELINEATOR」の為に描かれたものだったようなニュアンスである。もしそうだとしたらどうしてページ社は有名なファッション雑誌の3年前の表紙の絵を使ったのか何だか不可解だ。

DELINEATOR
1905年1月号
Anne of Green Gables

そう思っていたところに梶原由佳さんのブログで今度はあの女性が目に飛び込んでき、思わず見入ってしまった。

三笠書房の「赤毛のアン」初版(村岡花子訳)の表紙の女性だ。現在イギリスのテートギャラリーに収蔵されている『エセル』と名づけられた絵で、イギリスの画家Ralph Peacock によって1897年に描かれたもの。1940年2月号の「少女の友」で紹介されたそうだ。

「少女の友」は、1908年、正に「Anne of Green Gables」が北米で刊行された年に創刊され、創刊100周年記念復刻版のサイトによると"少女にこそ一流の作品を」のモットーのもと、川端康成、吉屋信子、中原中也らが筆をふるい、若き中原淳一が表紙画家として活躍した"雑誌だ。小説、詩、また名画を毎号カラーで紹介していたそうだ。村岡花子は小説の他、時事問題を取り上げたページを担当したり、少女のためのブック・レビューを連載してこの本に関わってきた。

「アンのゆりかご」(村岡恵理著)によると、村岡花子は、東洋英和の図書室で夢中で読んだ外国の本にはたくさんある家庭小説が、教師として赴任した女学校にはないことに気付き、そんな本を翻訳して読ませてあげたいと思っていたそうだ。
その後、まだ幼かった息子さんを亡くしてからはその思いが強くなったようで、アン・シリーズの翻訳後の雑誌「母の友」(福音館書店)1960年8月号掲載の随筆には次のように書かれている。
『自分の小さな子供を亡くしたことをきっかけに、健康な、愉しい青春文学の中に自分の行く道を発見した。そうした傾向のものが比較的少なかったそのころから今までの日本の読書界の中で、私は自分の仕事として英米のこの系統の作品の翻訳にかなりの力を尽くした  略』
                               (随筆集「をみななれば」より)
対象にした読者の年齢層からも、この絵が紹介された「少女の友」との関わりからも、表紙に14歳のこの『エセル』を採用したのは三笠書房側というより村岡花子自身の可能性は高い。
そして、由佳さんも書かれているように"村岡さんがイメージしたアンは、「エセル」のような強い視線をもち内面の思慮深さを感じさせる少女だったのでしょう。"(Yukazineより)

モンゴメリが「Anne of Green Gables」の執筆中机の前に貼っていたというポートレートの主 nesbitの面影とどこか似ているような気がする。


三笠書房 「赤毛のアン」
(1952年 訳・村岡花子)
  「Ethel」 1897
Ralph Peacock 画
evelyn nesbit

                                            (2010/1/30)