名鉄3400系"いもむし号" さよなら運転
〜  取材日 2002. 8.10、 8.31
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名鉄3400系はその姿から"いもむし"の愛称で親しまれており、1937年(昭和12年)に合併によって誕生した名古屋鉄道初の車両として登場しました。東部線(現在の豊橋〜神宮前間)の特急車両として活躍し、西部線の850系"なまず"と共に名鉄を代表する車両として活躍しました。

流線形の車体や前面の曲面ガラスなど最高技術を推移した車両は、当時から異彩を放っていました。その後、車体塗装が3回変更されたり、中間車が増結されたりしたものの、登場時のスタイルが維持されていたことから、1993年(平成5年)に鉄道友の会から"エバーグリーン賞"を受賞しました。その際にグリーンを基調とした登場時の塗装に変更されました。翌年にはサービス向上のため、外観を損なわずに冷房化が実施されています。

その後も、広美線や小牧線での運行や各種イベントにも使用されていましたが、1997年(平成9年)からは定期運用から外れてしまい、車庫で暮らす日々が多くなりました。

動態保存をしていく上で維持費などがかかることは会社にとってはつらいことで、遂に2002年(平成14年)8月31日を最後に引退する発表をしました。

サヨナラ運転は8月の土・日を中心に行なわれ、最後の雄姿を見るために全国から人やメディアが殺到しました。引退後の予定は決まっていないようで、今しばらくは車庫の片隅で暮らす日が続くものと思われます。


いもむし号の運転台は開放的。

戦前の車両はこれが標準だったのです。

さよなら運転に際し、戸袋部分のガラスにはこのようなステッカーが貼られました。
撮影の名所、犬山橋を通過します。この橋との組み合わせも終わりだと考えるとちょっと寂しい。 各務原線の市民公園前に停車。期間中は、新岐阜まで急行列車として1往復運転されました。
善師野〜西可児間はベッドタウン化で周辺は賑やか。 善師野〜西可児間の田園地帯を走ります。いもむし号は外観を崩さずに冷房化されているので暑い夏でも快適。
現在の主力3500系とすれ違い。90年の間に車両はここまで進化しました。 JR太多線のキハ11系との出会いも。

さよなら運転が発表されてからは、沿線にはファンが殺到。

特に最終日となった31日は狭い新可児駅のホームは終日大混乱 。

新可児駅にはこのようなポスターが掲示されていました。
地元の幼稚園児による演奏や乗務員への花束贈呈などの式典が厳かに行なわれました。 15時00分、新可児駅駅長の合図と共にいもむし号は発車しました。
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