2004年 F1日本グランプリ
〜  取材日 2004.10.10
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自動車レースの最高峰、2004年F1世界選手権の第17戦日本グランプリが10月8〜10日の3日間、鈴鹿サーキットで開催されました。

今年は台風22号の接近に伴って土曜日の予選レースが中止となり、日曜日の午前中に予選レースを行ない、そのまま午後から決勝レースを行なうという前代未聞のスケジュールとなりました。ドライバーやチーム関係者はこの変更に戸惑いがあったことでしょうが、ファンとしては1日で予選と決勝が見られるという特典となりました。

そのためか、鈴鹿には早朝から多くのファンが詰め掛け、来場者数は15万6千人と去年とほぼ同じの満員御礼を記録。終了後の車の渋滞は例年以上だったようです。

さて、今年の見所はずばり"佐藤琢磨"。年間チャンピオンの座を早々にM .シューマッハーが獲得し、例年なら消化レースとなっている日本GPを救った救命者。アメリカGPで日本人タイ記録となる3位入賞を果たし、最ものっている琢磨が母国の鈴鹿で再び表彰台を狙えるかに注目が集まりました。


今年もF1は鈴鹿に戻ってきました。今年はどんなドラマを見せてくれるのでしょうか。
琢磨人気で賑わっているホンダブース。バトンと琢磨のハリボテや、新型レジェンドの展示などもありました。
ホンダブースの隣にはホンダのF1の歴史を物語る歴代の車が陳列されており、終日賑わっていました。
F1決勝レース開幕前に行なわれたドライバーズトラックパレード。クラシックカーに乗ったドライバーを間近に見られるのが魅力。 先頭の車に乗ったのは佐藤琢磨。一番の人気者はやはりこの男。
Honda F1記念パレードラン。F1参戦40周年を記念して歴代の車が再びサーキットに戻ってきました。
1965年のHonda RA272。HondaがF1で初勝利を上げた車。 1986年のWILLIAMS Honda FW11。ピケ、マンセルなどの活躍でホンダが躍進した車。
1988年のLOTUS Honda 100T。日本人初のF1ドライバー中嶋 悟が活躍した車。 1991年のMcLAREN Honda MP4/6。コンストラクターズとドライバーズの両方でチャンピオンになった車。
応援合戦も熱が入っていました。左はトヨタ陣営での応援幕。右は琢磨応援席での応援幕。

スタート直後の第1コーナー。ポールポジションを獲ったM.シューマッハーを先頭に53周の戦いが始まりました。
琢磨が走れば観客のボルテージも上昇。一時は2位に浮上し、表彰台を狙える位置まで順位を上げましたが結局4位に。残念!
結局、終始1位を独占していたM.シューマッハーが優勝。赤い帝王は鈴鹿でも強かった。 レース終了後、鈴鹿で引退するO.パニスが観客席に向けてアピールを。
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