名鉄三河線の末端部、吉良吉田〜碧南間(16.4km)と猿投〜西中金間(8.6km)が2004年(平成16年)3月31日をもって廃止されることになりました。 昭和初期に三河鉄道によって開業した三河線は、1941年(昭和16年)に名古屋鉄道と合併。戦後は工業誘致などにより通勤路線として発展。しかし、自動車の普及により利用者が減少し、さらに貨物輸送が終了したことで赤字路線に転落。 合理化により、1985年(昭和60年)から猿投〜西中金間でレールバスの運行を開始。1990年(平成2年)からは吉良吉田〜碧南間でもレールバスの運行が開始されましたが、利用者の減少に歯止めがかからず、ついに廃止されることとなりました。 今回の廃止によって、名鉄の営業キロ数は477.8kmと500kmを割ってしまい、来年には岐阜市内の4線が廃止予定のため、3位の東武鉄道にキロ数で逆転される現象が見られます。 |
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左 :3月30日まで、右 :3月31日に掲出された系統板。 | 海線の臨時列車に掲出された系統板。 |
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吉良吉田駅と碧南駅に掲出されていた看板。 | お名残乗車で終日にぎわっていた碧南駅。 |
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通常、三河平坂駅で朝しか見ることができない列車の交換が臨時列車の運行で終日見られました。 | |
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矢作川を渡る2つの鉄橋周辺は撮影する人でにぎわっていました。 | |
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明日からは、乗り換え表示板は見られなくなります。 | |
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吉良吉田駅で駅長の合図とともに出発する碧南行きの臨時列車。 | |
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中畑駅で菜の花との共演。 | 廃止後は"ふれんどバス"が代行されます。 |
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左 :3月30日まで、右 :3月31日に掲出された系統板。 | 昼間は復刻系統板"かえで号"が掲出されました。 |
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猿投駅の時刻表には"西中金行"の表示がすでに消されていました。 | |
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猿投駅の乗り場案内板も今日で役割を終えます。 | 昼間の山線列車は2両編成でもラッシュ並みの超満員でした。 |
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沿線の桜ポイントには多くの写真家が陣取っていました。 | |
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三河広瀬駅前の旅館の横断幕。 | 西中金駅を出発するレールバス。 |
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西中金駅では地元主催の記念式典が開催され、多くの乗客が押し寄せていました。 |