岐阜市を中心とした名鉄の路面電車路線、岐阜市内線:岐阜駅前〜忠節間(3.7km)、揖斐線:忠節〜黒野間(12.7km)、美濃町線:徹明町〜関間(18.8km)、田神線:田神〜競輪場前間(1.4km)の4線が2005年(平成17年)3月31日をもって廃止されることになりました。 美濃電気鉄道が明治から大正にかけて開業させていった岐阜地区の路線では、かつては貨物輸送も行なわれていましたが次第に貨物量が減少。経営が悪化してしまい、その後は周辺の鉄道会社と合併を繰り返しました。 1970年(昭和45年)6月25日に美濃方面から新岐阜駅に直接乗り入れるために田神線が開業。利用者の増加が見込まれるはずでしたが、自動車の普及により増えるどころか減少の一途をたどってしまいました。 度重なる合理化による経営努力も空しく、1999年(平成11年)3月31日に美濃町線 新関〜美濃間が廃止、2001年(平成13年)9月30日には揖斐線 黒野〜本揖斐間と谷汲線 黒野〜谷汲間が廃止され、残った4線も廃止は時間の問題とまで言われてきました。 そして名鉄は沿線自治体に廃止を打診し、岐阜市などは存続に向けて会議を重ね、一時は岡山電気軌道が存続に名乗りをあげましたが、2004年(平成16年)9月、岐阜市長が存続を断念する発言をしてしまい、廃止が決定的となりました。 しかし、存続断念後から周辺が騒がしくなってきており、フランスなどで路面電車経営を手がけているコネックス社が経営引継を打診するという予期せぬ事態になりました。一途の望みがあるのですが、岐阜市の意見は"あくまでも廃止"。 さらに、コネックス社の参入は早くて2006年以降だとか。すでに廃止の日をむかえてしまい、一度廃止した路線に再び電車が走り出すのは自治体の協力なくしては不可能と言われており、再び岐阜の地に路面電車が走る日はないようです。 |
最後の姿を見に、地元をはじめ、各地から多くの人が集まり、どの列車も満員状態でした。 | |
新関駅や黒野駅も混雑しており、改札口近くでは600V縁の品物を即売していました。 | |
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車にはさまれて街を目指す、いつもと変わらぬ朝のラッシュ時風景。廃止の原因になったのは、やはりこの標識の存在か? | |
桜の開花には間に合いませんでしたが、沿線には色とりどりの花が咲き誇っていました。 | |
全ての列車に掲げられた感謝の気持ち。最終日のような混雑が毎日続いていたならば・・・。 |
小屋名駅で行なわれたセレモニー。保育園児の演奏などが行なわれ、小屋名〜新関間に団体電車が運行されました。 | |
美濃北方駅で行なわれたセレモニー。婦人会の踊りや幼稚園児の演奏、運転手への花束贈呈、関係者の挨拶、駅長の発車合図などが行なわれ、周辺は大いに賑わいました。 |
地元主催のセレモニーが開催される中で、名鉄は午後から市ノ坪の車庫を開放させてくれました。これらの車両ともお別れです。 |
徹明町のメルサで行なわれたセレモニー。ここでは最終電車を見送るまでイベントが行なわれていました。 | |
地元に愛された鉄道は、横断幕からも感じられました。 | 94年の歴史に幕を閉じ、この光景が見られなくなりました。 |
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