




30年続いた「平成時代」も終わり、「令和時代」の幕開けとなりました!
昭和時代に生まれた者にとっては、昭和→平成→令和と3代に渡って生き抜くことになりますが、年代を通算して計算するのもこれからはなかなかややこしくて、今後西暦を元にした計算方法が流行るのかな?

8月11日(日)![]() 今日も極暑の豊中市! お盆も近づいてきたので、今日は奈良の王寺霊園にある我が両親達が眠る墓参り兼掃除に家内と一緒に出かけてきた。 ![]() 車で出かけたが、連休中というのに高速道路も車がまばらでスイスイと40分ほどで霊園に到着。 前日は実家に帰る人たちの車で大渋滞と伝えられていたのだが、1日違いでこんなにも差があるのには驚かされた次第。 我々のように「サンデー毎日」の生活を送っている者と違って、その日その日を計画的に生活せざるを得ない現役時代の人たちに取っては当たり前の事かも知れない。 マイペースで毎日を過ごさなければならない後期高齢者に取っては、現役時代の毎日が充実していた生活を懐かしく思い出すこともあるが、もう元には戻れないところまで来てしまっているので、後期高齢者としての生活を日々楽しく過ごせるように頑張っているのだが... ところで今日も豊中市は極暑の真っ只中。 ![]() 3日には全国紙でも報じられたように、初めて全国一の猛暑都市になったと報じられてからも、毎日信じられないような暑さが続いていた。 雨からも見放されがっかりしていたが、お盆頃に大型台風10号が西日本に近づくかも知れないと報道されていて久しぶりの雨を期待をしているが、大雨でも困るなと贅沢な希望を持ちながらの生活を送っている。 ところで今日もテレビなどでは、豊中市は37.7度を記録したと報道されていたが、特に今日の気温はハンパな温度でないことが実際外出した途端感じられた。 いつものようにスポーツクラブに行くために午後1時頃に自転車に乗って家を出たが、そのあまりにも異様な暑さを感じて途中温度計を取りに帰った。 先日も異常な温度記録を感じた豊中市立市民文化芸術センターの入り口近くに来たとき、足元は勿論、身体に吹き付ける耐えられないような異常な熱風に持参した温度計を取り出した見たところ、グングンと針が一気に上昇し、温度計測定限度の50度をすぐに突破し、53度ほどのところでやっと針は止まった。 湿度も30%とこれまでにない経験で驚いた。 ところで豊中市の公式な観測地点は大阪(伊丹)空港敷地内南側の滑走路近くに、標高12メートルの高さに設置されている。 そのため比較的熱が逃げにくい条件下だといわれている。 それにしても気象庁発表と豊中市立市民文化芸術センターとの温度差は勿論観測地点の違いを理解できても、この温度差は説明がつかないほどだ。 実際最近では気象庁発表の各地の気温と実際自分が立っている各地点とはこのようにかなりの温度差があるので、自分の身体は自分自身で守る事を心がけないといけないことを身をもって思い知らされた次第。 ところで我々の若い頃には、太陽の温度が高いときに外で遊ぶときは「日射病」に気を付けろと注意されてきたが、今ではほとんど聞かれない言葉になってしまった。 現在は「熱中症」という言葉に変わってしまったのかな。 53度の気温の場所から30秒ほどのところにある室内温度が27度ほどの冷房が良く効いたスポーツクラブでガッチリと運動をした後、ゆっくりとプールやサウナや風呂に入り、涼しくなって無事家路に着いた。 |
8月4日(日)![]() 阪急交通社主催の日帰りバスツアーで岡山に! 今回の旅行はあまり目的地もはっきりしないツアーだったが、帰りにいただく豪華?なお土産に興味を引かれて申し込んでいたものだった。 集合地の川西能勢口駅前には7時20分という早い時間だったが、いつもの場所なので何とか時間前に着くことが出来た。 川西能勢口を出発後、宝塚にも立ち寄りここでも残りの旅行客を乗せてバスはほぼ満席に近い状態で出発。 最近は各旅行会社のバス旅行には行き先が伏せたままのミステリーツアーと名がついたものが多いが今回の旅行もそれにほぼ近いものだった。 近くの名所には案外すでに一度は訪れたところも多く、自分でさらに探して訪れるのもおっくなので、最近はそのような人たちが今回のようなお土産付きの行き先不明の旅行に人気が集まっているらしい。 観光農園でのトウモロコシ刈りに! ![]() 当初の予定では最初の訪問先は岡山県の南光ひまわり畑に行く予定だったみたいだが何故か後回し。 ![]() 最初の訪問先は、宮本武蔵の里として知られる観光農園へ! ここではそんなに大きな面積ではないが観光客用に栽培されたトウモロコシ畑に到着し、多く実った今が食べ頃のトウモロコシを1房だが気に入ったものを刈り取りOKということで真剣に自分のトウモロコシを刈り取って皆満足そうな様子。 都会育ちの当方は知識ゼロに近いので、百姓育ちの家内にすべてお任せ。お陰でかなり立派なトウモロコシが刈り取れた。 トウモロコシ畑を後にして、近くの道の駅 「あわくらんど」という大きな土産物屋のとなりの「栗倉カンド」というレストランで昼食・ ![]() バイキング形式で約50種類の食べ放題の昼食とさらに新鮮なメロン、白桃、スイカなどの食べ放題をお腹いっぱいになった後は道の駅での買い物となるのだが、今回はお土産品もかなりあるということなので、施設内に数億円かけた木造のトイレや施設内の飾り付けを楽しんだだけで次の訪問地に出発! ベルビール自然公園を散策! 昼食後、バスは美作富士と呼ばれる日名倉山の中腹・標高865mに位置する自然公園に向かう。 バスを降りると目の前に約百段ほどのかなり急な階段があり、登り切ったところには大きなアーチ型の鐘楼が左右に聳えていてなかなか風情のある建物に見える。 直径2メートル、重さ約6トンに及ぶ「リュバンベールの鐘」と呼ばれているらしい。 階段を登り鐘楼の中に入り、そこから見える風景を楽しんだが、突然誰かが突いたのかものすご大きな鐘の音が聞こえてきてびっくりした。 ![]() 左右に二つの鐘が並んでいるが、何故か大きさがかなり違っていて、その鐘の音の大きさもそれぞれ違った音色でびっくりするほど大きな音だった。 この鐘は入り口に備えられた箱に2百円ほど寄付すれば誰でも突けるらしいとの事だったが。 この鐘楼からみられる景色は、天気も良かったこともありかなり遠くまで見渡すことが出来て素晴らしい広場だった。 階段を降りた広場には結婚式場「ベルピールホール」があり、自然の中で挙式をあげるウェディングスポットとしても人気があるらしい。 もう我々には特に関係のない場所だが。 バス旅行の最後は「南光ひまわり畑」見物へ! ![]() ベルピール自然公園を後に、最後の訪問地の南光ひまわり畑に向かうが、途中何故か車の大渋滞で全然バスが動けなくなくなってしまった。 最初はこんな田舎道での大渋滞に理由もわからなかったが、原因はひまわり畑の見物客の車で駐車場が満杯だということだった。 引き返すことも出来ずにバスの運転者や添乗員の方もどうして良いのかもわからず、ひたすら駐車場の空くのを待ち続けた。 約80分ほど待ち続けてやっと入園することが出来てみな安堵の表情。 早速目の前に広がる広大な敷地一杯に咲き誇るひまわり畑の光景を観て今までの交通渋滞で待たされた疲れも一気に吹き飛んだよう。 ![]() 早速今が満開のひまわりの花を見て廻ったが、大いに満足のいく規模のひまわりを観ることが出来て良かった。 ただ、ひまわりの花は太陽に向かって咲くものだと思っていたが、中には全然関係ない方向に向けて咲いているひまわりの花もかなりあり、なぜひまわりというのか訳がわからぬ不思議な光景も見られた。 ひまわり畑見物を最後に帰路についたが、到着地では今日のお土産が全員に配られたがあまりの重さに参った。 ある程度は覚悟していたので、空のリュックサックを持ってきていたので本当に助かった。 帰りの時間はひまわり畑の渋滞で遅くなるのではないかと心配したが、幸いにも道路の混雑もほとんどなく、1時間ほど到着時間が遅れただけでほっとしたところ。(走行距離=300km) 早速久しぶりに我が家の風呂に入りこの日の疲れを取り、早めの寝床入り。 |
8月3日(土)![]() 今年も我が街豊中市が全国一の猛暑都市になっちゃいました! やっと長かった梅雨が終わったと思ったら、今度は灼熱の夏の到来! 体温の調節の切り替えに四苦八苦の状態が続いています。 年を取るとなかなか身体の体温を外部の温度とうまく調整させるのに時間がかかります。 熱中症にかからないように最大の注意を払わなければならないので苦痛です。 ところで今年も自分が生活する大阪・豊中市は昨日は38.5度を記録し、全国の観測地点926地点の中で最高気温を記録する都市になったと今朝の新聞の朝刊にも掲載されていました。 これまでは日本一の高温都市といえば熊谷市が定番だったのですがどうなってしまったのですかね? 確かに昨日の豊中市の昼の猛暑は異常な暑さでした。 ![]() 午後から毎日通っているスポーツクラブに自転車で行く途中、最近持ち歩いている温度計は最高温度50度に設定されているのですが、測定限度ぎりぎりの46.7度を指していました。 通りががりの人にも見せてあげたら皆びっくり仰天の様相でした。 気象庁の発表する各地の温度は一定の観測地点を固定しているので実際の各地点との温度差はかなりの差があるのも事実です。 実際今自分が立っている現場で感じる温度に応じた対策を常に考えていないと熱中症にかかる危険から逃れられないのではないかと思う。 ところでこの48度に近い温度は以前海外旅行で行ったエジプトの街の温度と同じだったのを思い出しました。 ただサワラ砂漠をバスでアブシンベル宮殿に向かうときは、現地の案内役が持っていた温度計は55度を指していてびっくりしましたが。 |
7月10(水)![]() 7月度の郊外ウォーキングで富田林寺内町散策に行ってきた! 今年も梅雨の時期を迎えているのだが、何故か関西は雨が少ないようだ。 月に一度は緑地公園を離れて郊外ウォーキングに出かけているのだが、今月は富田林に位置する寺内町を探訪してきた。 今日の緑陰クラブの参加者は男性7名+女性10名の17名。 このクラブもかなり年齢が高くなり今年は平均で78才となった。 以前は郊外ウォーキングにも参加する会員も30〜40名ほど居たのだが最近では半数近くと徐々に少なくなり寂しい感じが増してきたみたいだ。 近鉄阿倍野橋駅から電車に乗り、約30分ほどのところにある「富田林駅」で下車。 ![]() ここから歩いて15分ほどのところにある「じないまち交流センター」に到着。 この「富田林寺内町は重要伝統的建造物保存地区として、伝統的民家(町屋)などが往事の姿のまま保存されており、その静かな佇まいを今に伝えている」とセンターの説明員の方から詳しい説明を受けながら、早速街の見物に出かけた。 江戸時代には幕府の直轄地となって水運・陸運にも恵まれ商業の町、文化の町として大いに発展してきたとの事だった。 ただ、最初はこの地帯も日本の至る所に現在も残されている城下町と同じなのかと思ったが、この富田林寺内町は十七世紀頃、京都本願寺の浄土真宗を主とする興正寺の門跡証秀上人が、富田の荒芝地を銭百貫文で取得し、近くの4ケ村の庄屋8人に興正寺別館の建立と畑屋敷、町割などの建設を要請したのが始まりと伝えられている。 ![]() 現在も寺内町には当時を忍ばせる17世紀中頃から明治にかけての町屋が多く残されている。 特に旧杉山家住宅や仲村家住宅など文化財として価値の高い建物が当時のまま保存されていて、町そのものが優れた文化遺産として平成9年10月に国の重要伝統的建造物保存地区に指定されたということだった。 ボランティアの方の詳しい説明を聞きながらゆっくりと街を観て廻ったが、時代も変わったがこのような古い町並みも過去の遺産として将来も是非維持していってほしいものだなーとの感想を持ちながら、少し普段とは違ったウォーキングを楽しんだ。 帰りには何時ものとうり解散地の阿倍野駅近くのビルにある居酒屋で気分良くビールで乾杯して帰路についた。 |
7月7日(日)![]() 今日は七夕の日! 詳しいことはわからないが、中国の民間伝承として伝えられる話がいつの時代か日本にも伝えられたらしい。 これは「織姫」と「彦星」の年一回の逢瀬の物語として有名だ。 「機織りの才能に秀で、熱心に働く織姫と、働き者の彦星が恋をして結婚したが、お互いを愛するあまり一向に仕事をしなくなってしまった。 ![]() これを悲しんだ織姫の父親であった天帝は、2人を強引に引き離したが、毎年7月7日の夜、年に一度だけ天の川を渡って逢うことを許した」という中国の古い物語だが、いつの時代か日本にも伝えられ、七夕の夜はこの物語を思い出しながら夜空を見上げる人も多いそうだ。 今日は幸い天気予報では関西地方では天気も良く、星を眺めながらそれぞれの想いを込めて夜空を見上げる人もいるのではないかな? ![]() 七夕とは全然関係のない事だが、今日7月7日は今から22年前に84才でこの世を去った母親の命日に当たるので、王子にある我が家の墓地に家内と二人でお参りに行ってきた。 静かな場所にあり墓地としては最適のようだが、自宅からだと車でも1時間以上かかるので、最近少しいろいろと考えるようになってきた。 もしこの墓に自分が入るようになった時、車の運転できない家内は会いに来てくれるのかなーなどつまらない事までつい想像してしまう。 自分も今年で喜寿(77才)を迎え、世間的にも後期高齢者として位置づけられ、その呼び方からして日々人生の終末が近づいてきているのかなーと思うこともある。 でも日常生活は何の変化もなくこれまで通り人生を楽しんでいるのであまり深刻に将来のことなど考えないで過ごしていきたいと思う。 |
6月11日(火)![]() ウォーキング仲間と枚方市の「山田池公園」へ! 今回で214回目を迎える緑陰クラブの仲間達と枚方市のほぼ中央にある「山田池公園」に行ってきた。 この公園は私たちのウォーキング仲間と毎週利用させてもらっている「服部緑地公園」と同じ大阪府が管轄する広大で山田池を中心に樹林や竹林地帯が広まる春日山周辺には多くの野鳥も生息しているとのこと。 公園の北部地区には水性花園をはじめ季節により多くの花が咲き乱れているとPRされていているので期待しながら出かけた。 今回の集合場所は9時半にJR梅田駅のイカリスーパーの前ということで、当日参加予定の14名が揃い次第出発ということにしていたのだが、集合時間が過ぎても1名の方がまだ見えなかったので、30分ほど駅の近くを探し回ったが見当たらなかったので仕方なく出発することにした。 ![]() まずJR大阪駅線の環状線に京橋駅まで行き、昔はちょっとダサいな片町線と呼ばれていたが、現在はなんとJR学研都市線と呼ばれている電車に乗り換えて約1時間ほどかかって目的の「藤阪駅」に到着した。 ところで電車が途中の寝屋川駅近くを走っているとき携帯電話が突然鳴りだした。探し回っていた人からだった。 先方も同じく集合場所近く周辺を探し回っていたらしいが、出会うことが出来なかったらしく今回はとりあえず欠席ということに。そのため13名のグループとなった。 「藤阪駅」に到着し、約700m程歩くと山田池公園に到着。 早速公園内のウォーキングを始めることにしたが、ありがたいことに入場料無料ということで何故か気持ちも軽くウォーキングを始めることができた。 ![]() しばらく歩くとちょうど今がシーズンの「アジサイの花」がよく整備された「あじさい園」と呼ばれる地域一帯に咲き誇っていた。 まさに絶景という感覚。 しかも多種多様の種類があり、ガクアジサイ、セイヨウアジ゛サイ、ヤマアジツイなど約2,000株が植えられていてアジサイの花の魅力を十部楽しむことができた。 さらにしばらく歩くと「花しょうぶ園」という地域があり、ここも良く整備されている地域一帯に本当に多くの種類の菖蒲の花が咲き誇っていて、皆も十分満足できたような感じだった。 折角なので記念写真などを撮りながら、昼時間も近づいたので近くの芝生を見つけて昼食タイム。 この水生花園地区にはアジサイが約2600株、菖蒲は約140種10,000株が植えられていて多くの見物人の目を楽しませてくれていた。 昼食後は近くの「花木園」という地区を訪れた。 この地区には約50品種340本の梅の木をはじめ、スモモ、ハナモモサルスベリ、ツツジなどが植えられていていて、花の咲く季節に来たときは素晴らしい光景なのではないかと感じた。 ![]() 特に梅の木はすでに花が咲く季節は終わり、代わりにその下の地面には大きな梅の身が積み重なったように落ちていて、なかなか風情があった。 メンバーの中には、ビニール袋に一杯詰め込んで持ち帰った人も。 家で自家製の梅干しか梅酒でも造るのかも知れない。 ところでこの山田池公園は想像以上に広大な敷地で、今日はその一部しか訪れることができなかったが、季節ごとの楽しみもありそうなのでまた訪れてみたい素晴らしい公園だった。 今日は天気も晴れ渡り、まさにウォーキング日和の楽しい一日だった。 これまでの習慣では、ウォーキングが終わった後は、駅近くの店でちょっと乾杯して解散かれるのが普通だったが、最近は皆年も取ったせいかその元気も無くなり、まっすぐ家路に向かうようになったみたいだ。 自分は曽根駅まで戻り、スポーツクラブの風呂で汗を流しさっぱりした気持ちで家路に着いた。 |
6月3日(月)![]() 今年もまた「みどり健康管理センター」の人間ドックへ! 今年5月の連休中、仙台滞在中に全く予期せぬ事態で2週間ほど市内の病院へ入院を余儀なくされ、その入院期間中にもほぼすべての主要な臓器についても検査が行われたので、本来は今回の人間ドックはパスしても良かったのかも知れない。 しかし折角予約していたことと、今年で39回連続の受診だったのでこの我が家の伝統?を中断させたくなかったので一応今回も受診することにした。 このセンターの気に入っているところは、人間ドック専用施設ということもあって、検査から結果までなんと3時間弱ですべての項目についての検査結果がわかり、最後は医者の方から詳細な各項目について説明があり、詳しい報告書までもらえるこだ。 勿論、市指定の医院で各項目ごとに受診する方法もあるのだが、すべての検査が終わるのには長期の日時が必要なので大変な感じもするのでまだ一度も利用したことはない。 勿論「人間ドック」の受診費用は5万円近くの費用がかかり支出も大変なのだが、結果を市役所の保険課に持って行き申請すれば後期高齢者の関連機関から後ほど、26,000円の補助金が支給されるので、結果約半額で済むことになり、なんとか工面できる金額内で収まるので助かっている。 さらに今回も特別検査でがんの早期発見が可能と言われている血液検査の診断もプラスしての結果待ちだったが、結果はこれまでと大きく変わることもなかったので一安心というところだ。 先月の予期せぬ入院生活のこともあり、少し心配はしていたのだが大きな変化も見当たらなかったので心理的にも受診して良かったと思っている。 これからも体調に注意しながら僅かな?残りの人生を健康に楽しむため、今まで通り自宅近くのスポーツセンターに通ったり、元気なウォーキング仲間と近くの服部緑地公園でのウォーキングを楽しんだりしながら健康生活を続けていきたいと思っている。 |
| 5月31日(金) 不思議な事ですが? 5月4日から2週間は別記のように自分の人生経験の中でも初めての大変な経験をしてきましたが、さらに不思議な事に最近気づきました。 自分が突然救急車で搬送された「仙台赤十字病院」は、今からちょうど44年前、当時33才だった自分は現役のサラリーマンとして勤務先の東洋リノリューム(現:東リ)の仙台営業所に勤務していましたが、ちょうど臨月を迎えていた家内が同じ5月4日に娘を出産しました。 それも今回自分が入院したと同じ「仙台赤十字病院」での出産だったことと、5月4日だったことからなにか不思議な縁でもあったのかなーと感じている次第です。 ただし当時の病院の所在地は、たしか仙台駅近くに位置していたと記憶していますが、その後新築されて現在の場所に移転されたらしいですが、それにしても同じ病院、しかも同じ5月4日ということで偶然の一致だとしても本当に自分にとっては不思議な感じで一杯です。 |
令和春休み連休 後半!![]() 5月4日〜17日 () この日から2週間、我が人生の中でも最悪の日の始まりだった! このコーナーは本来「日々好日」という題目なのですが、5月4日からの2週間の出来事はまさに「日々悲日」の日々といっても良いぐらいの入院生活を送ることになりました。 ![]() 実は5月4日、家族一緒に朝食をしている時に、自分ではほとんど気付かなかったのだが、立ち上がったときに少し身体がよろめいたらしい。 その姿に後ろで観ていた娘がなにか何かの異常を感じたのか、すぐに自分の携帯から119番に電話して救急車の迎えを頼んだらしい。 サイレンが鳴り、救急車が我が家に近づいてきても、まさか自分が対象とは知らずにいたら、早く救急車に乗るように説得されてまさか自分がと驚いた次第でした。 救急車内で付き添いの隊員の方が体温を測ったところ38.9度ということで、普段は36.7度程度の自分としてはやはり異常な高温だったみたいです。 とりあえず家から15分程度の「仙台赤十字病院」に搬送すると伝えられたが、病院に到着した以降のことはほとんど記憶に残っていない感じだ。 ![]() 一応肺炎の疑いもあるということで関係部署に運ばれ、緊急処置を受けたりしたが自分でもあまりそれ以降の検査のことは認識していない。 その他にも持病の糖尿病の影響で腸や腎臓も調査する必要があると言うことで、約2週間の入院生活を余儀なくされてしまった。 自宅から1000kmも離れた仙台での入院生活ということで何の準備もできなくて困ったが、幸い家内も毎日仙台自宅から通って来てくれることになり大助かりだった。 入院後4日間はベットに固定され全く動けず、さらに食事も全く与えられず、腕あたりからの点滴で栄養補給をしていたみたいだ。 ![]() すべて自分の人生の中でも初めての経験ばかりだったが、幸い8階最上階にある病室の前が看護師室で入れ替わり立ち替わりで若い看護師さん達が優しい言葉をかけにきてくれたりそんなに寂しくはなかった。もちろん営業用の言葉?(笑)。 さらに深夜にも何回も病室に見回りに来てくれて大変心強かった。 ところで仙台に来るときは車で来たのだが、今回は運転して帰ることもできず、当初は飛行機で帰る予定でいた娘が代わりに運転して帰阪ということになった。 そのとばっちりで10歳の孫娘が7日から始まる学校に行くために、一人で飛行機に乗って伊丹まで帰ることになり、本人は心細かったに違いない。本当に申し訳ない気持ちだ。 入院当初は、その症状から肺炎の疑いで抗生物質などの点滴だったが、検査の結果腎不全や消化器異常なども見つかったらしい。 これは持病の糖尿病の合併症からきているとの事でこちらの処置も始まった。 特に消化器内科では腸にガスが充満していて、もう少し発見が遅れていたら大変なことになったと脅され?すぐに腸のガス抜き作業が開始された。 ![]() もちろん後方の穴からチューブを回転させながら差し込みながらの作業なのだが、その大きな音に気づき本当に気持ちが悪くなったが身動きできず耐えるしかなかった。 一応すべての処置が終わり、退院までベッドでの治療となったが、逆に退屈でひたすら寝るしか仕方なかった。 入院5日目の朝から食事が運ばれてくるようになったが、おかずの味付けの薄さと言ったら説明できないぐらいの薄味で本当に参った次第。 一応患者自身の状況に合わせて、朝・昼・晩と独自の献立を立てての食事ということだったが、最後までなじめなかった。 ただ一度だけ食事に付け加えられていたヤクルトがこんなに美味しいとはこれまで思わなかったほどだ。 同じ薄味の食事が最後まで続いたが、そのお陰か知らないが、退院時の体重はベットで寝ているだけだったのに入院前には64キロ強あった体重が6キロも減少していて驚いた次第。 よほどこれまで体内に不要な物が一杯詰まっていたのかも知れないな。 ![]() 普段の生活に戻ってもこの体重を維持したい気持ちも沸いてきた。 仕事のため一足早く千葉に帰っていた息子も再度見舞いに駆けつけてくれるなど今回は本当に迷惑かけてしまったとすまない気持ちで一杯だ。 2週間の入院費も約20万円ほどかかったが、これは何時も無駄かなーと思っていた保険補償で何とかなりそうなので解約しないで本当に良かったと思っている。 それにしても今年77歳の後期高齢者になって人生で初めてこんな大変な経験をするなんて! 77歳は喜寿といわれ、喜ばしい歳のはずだがそうでもないみたい。 そういえば、今年神社で引いたおみくじは「大吉」だったが、自分にとって大吉は不吉な歳の連続で、2年前に引いた大吉の年には帯状疱疹を発症し、大変苦しんだ経験があった。 来年からお御籤を引くのもやめた方が良いのかも知れないな? 退院後はすぐに飛行機に乗るのは気圧の変動もあり危険性もあると医者からも助言されていたので、さらに4日間ほど仙台自宅で静養し、ちょうど仙台市内で開催されていた「青葉まつり」などを楽しみ、21日に無事大阪に到着。 今回は約1ケ月近くの予想外の長期滞在になってしまった。 もうやることもなくなったのだからマー良いかな! |
令和 春休み連休 前半 !令和時代と年号が変わって初めての「日々好日」欄の更新です! それには後述しますが非常に残念な理由がありました。 当初は初めての10連休を久しぶりに娘家族や現在千葉で働いている息子達が、かって生まれ育った仙台にある「我が家」に集まって久しぶりにのんびり楽しく過ごそうと計画していました。 そのため一足早く自分は準備を兼ねて愛車で仙台に向かうことにしました。 勿論大阪→仙台間は1,000キロ以上距離ががあるので、名古屋から太平洋フェリーに車を乗せて行くことに。 ![]() このフェリ−は2日ほどかかるが、航行中は歌謡ショウや映画、その他数々の催し物もあり退屈することもなく目的地まで行くことができるので、これまでにも何度も利用させてもらっている。 現地では移動にも車が便利で、必要な時はいつもこの手段を使います。 飛行機ですと伊丹→仙台間は僅か70分の飛行時間ですみますが、今回は車での移動と決めていました。 4月24日に到着し、家族達がやってくる4月27日までに普段は空き家のために休止している水道やガス、電気などが使用できる準備も必要なのです。 4月27日 今日は大阪から家内、娘や孫達がやってくるので、一足早く千葉から車でやってきていた息子の車で仙台空港までの出迎え。 これから楽しい連休行事の始まり。 ![]() 29日(日) 朝から晴れ渡る快晴だったので、全員で松島湾への観光に出かけることに。 ここは全国的にも有名な観光地として知られて、特にいろいろな形をした奇岩が至る所に存在していて、観光船で巡ると一層その素晴らしい景色を身近に満喫できるので早速観光船に乗り込んで、いろいろな形をした岩を間近に観ながら楽しいひとときを過ごした。 30日(月) ![]() 「仙台万華鏡美術館」 この日は自宅から40分ほどのところにある秋保温泉近くを散策することに。 まず「仙台万華鏡美術館」へ ここではなかなか想像を超えた数々の規格を施した展示物が並べられていて子供達は大喜びの様子。 時間の経つのも忘れるぐらい楽しんだ。 ![]() 「秋保工芸の里」 美術館で楽しんだ後、近くの「秋保工芸の里」というところに移動。 仙台はこけしの街として全国的にも知られているが、この秋保地方にも多くの木工場所があってこけしやコマの制作をしているところの何件かは、観光客にも実際に造らせてもらえるとのことで、早速子供達は自分の木コマの制作を楽しんでいた。 ![]() 5月1日(水) 自宅の庭でバーベキュー 今日は日中は近くの公園などで遊んだ後、夜は自宅の庭でバーベキューをすることに。 道具や場所は問題ないので、肉などの材料を買い揃えるだけで準備OK! 都会では考えられないほど簡単に自宅でバーベキューなどをできるのはやはり楽しいものだ。 子供達も大喜びで楽しんでいたみたいだった。この日のことは今後良い想い出になることだろう。 |


