2011.11.08 (火)

 今宵最後の色街「飛田」に集う!
           大阪の古き良き時代へタイムスリップ!

 日頃はまじめに近くの服部緑地でウォーキングに精を出して健康維持に励んでいる仲間が、たまには古き良き時代の大阪の特殊な街(旧飛田遊郭)を探検してみょうということになり、5名の元姫様も参加して10名で出掛けてきた。

 この日の最終目的地の旧飛田遊郭内にあり、大正時代に建築されされた元遊郭で現在は有形文化財にも指定されている 
「鯛よし百番」にたどり着くまでは、まじめに多くの著名な神社仏閣を新鮮な気持ちでお詣りしながらウォーキングを楽しみました。     覆面ルポライターさんの名調子でお楽しみ下さい!

男もすなるお遊びをもせんとて!

=大阪歴史散歩と「鯛よし百番」での食事会=

覆面ルポライター

 温故知新で衰えかけた脳を活性化しょうと企んだ悪巧みが「浪華史跡めぐりと紅燈の夕べ」。往事を回顧し未来を看透す破天荒の試み。

 1 持明院

 谷町九丁目に集合した善女善男が南に下り先ず訪れたのが加藤清正の屋敷跡に建つ持明院。皆さんまだこの世と縁は切りたくないのか、左側の縁結びの卯の日大明神の方から入られる。右側の縁切りの橋姫大明神「おいでおいで」をしている。

 2 生国魂神社

 いくたまさんの鳥居を潜ると末社の鞴神社の表示が目につく

「このという字はどう読むねん?」と謎掛けが始まる。「ふいごやんか」。「そうや火吹き竹の大きなやっちゃ」。

 「鎮守の森の前の鍛冶屋が馬の蹄鉄を打つのに使うとった」。

 果ては文部省唱歌「村の鍛冶屋」をくちずさむご仁も。
NMB48の歌は知らんが古い事ならよう覚えてござる。

 週日とて「大阪薪能」や「彦八まつり」のざわめきも無く静かな境内。井原西鶴像がちょこんと座ってござる。

 3 川崎孫四郎の碑

 いくたまさんを出て右に向かうと島男也(しまおのや)旧居跡に桜田門外の変の志士川崎孫四郎自刃の碑が立っている。TPPに揺れる当今よりも幕末の方がより身近に世の移り変わりを実感したのかも知れない。

 このあたりから南進すると華麗なラブホテルが数軒並んでいる。レストの時間割り料金、ステイならなんぼ、はてはメンバーズカードの特典までチェックする輩が居る。一体どないしょうちゅうねん。難儀な話や。

 4 勝鬘院

 地下鉄夕陽ケ丘四天王寺前駅を過ぎ、大阪星光学院の角で右へ折れると愛染さんの通称で親しまれる愛染堂(和宗)
 正しい院名について早速クイズ。「勝鬘院」てどない読むねん?」。

「 大乗仏典の勝鬘経から採ったショウマンインでっせ」。「聖徳太子が講じたそうや」。「ほんまか?」。
 入口の立札に仮名がふってあったのでやっと信じてもらえる。やれやれ。

 入口の右側の樹齢数百年の桂の木の上にノウゼンカツラの蔦が巻きついた「愛染かつら」がある。

 婦人倶楽部連載の川口松太郎の原作を上原謙と田中絹代が主演し、昭和13年に銀幕を飾り、霧島昇・松原みさをの主題歌「旅の夜風」と相俟って大ヒットとなり、満天下の子女の紅涙を絞った(らしい)。

 大東亜戦争の空襲でかつらの木の上部は失くなったが、今でも緑の葉を繁らせ、正に「花も嵐も踏み越えて...」生きている。浴衣まつり(愛染まつり)のホエカゴホイのギャルはこの木どう見ているのだろうか。

 金堂(愛染堂)の前の哲学の椅子で憩う助平ったらしいじじいはどうもさまにならぬ。

 裏手の高さ22mの多宝塔は戦火をも避けて、豊臣秀吉の再建当時のままで重要文化財になっているのは立派だ。


 5 大江神社

 愛染さんに隣接した大江神社は四天王寺七宮の一つ。聖徳太子創建時の四天王寺の壮大さが偲ばれる。当時の土地の路線価はなんぼやったんかなー。

 寺内に狛犬ならぬ狛虎が鎮在し、必勝祈願の虎キチの進物が積まれてある。「来年こそ優勝を」と供えてあったメガホンで狛虎の頭をど突いたった。

 6 清水寺

 天王寺七坂の一つの清水坂のほとりに和宗の清水寺。

 鐘楼から眺める大阪の町は晩秋の陽光に映え夕陽ケ丘の名に相応しい。

 大阪市内の唯一の滝「玉出の滝」天王寺七名水の一つで、音羽の滝に倣って三筋の流れを保っている。 
 神域なので脱帽せんと入れてもらえんが、イスラム圏の女性が参拝したらどないなるんやろ?

 7 安居神社

 うっそうとした境内は眞田幸村戦死跡の碑の大きさが目立つ。幸村が家康の首でも取っとったら、その後の歴史も違ったものになったろう。

 8 一心寺

 逢坂を登ると大阪夏の陣で徳川家康が本陣を置いた一心寺(浄土宗)。境内入口の仁王門のレリーフの裸婦に触れたがる不埒者に女性陣からお叱りの声が飛ぶ。

納骨堂には遺骨で作られたお骨仏(おこつぶつ)が奉安されている。10年毎に1体ずつ造るならわしで、1948年(昭和23年)に1体目が開眼し、現在6体が祀られている。

 9 四天王寺

 山号寺号が荒陵山敬田院四天王寺(こうりょうざんきょうでんいんしてんのうじ)で、宗派は聖徳太子の和の精神を実現すべく和宗であると覚えておられる方は案外少ないのではなかろうか。

 西門の鳥居をくぐり転法輪を廻して西方浄土へのお導きを祈る。おしょうらいの繰りひろげられる石舞台ではフラダンスでもするのかと不信心な問いが出る。

 経木流しの亀井の水は夕刻とてもう閉鎖。閉門にならぬうちに南門から退出する。

 10 超願寺

 浄土真宗の土塔山超願寺に竹本義太夫の墓がある。義太夫節の浄瑠璃の音が聞こえそう。

 11 庚申堂

 青面(しょうめん)金剛童子や三猿堂で知られる庚申堂正善院(しょうぜんいん)は午後3時半の閉門で今回はご縁が無い。

 12 天王寺公園から山王へ

 天王寺公園で新顔の年増が合流。歴史なんかより何やら艶っぽく怪し気な処へ足を踏み入れたいという興味本位のおばさま。
これでメンバー10名が揃う。阿倍野区に入り旭町の大阪市大病院を過ぎ山王に至ると旧飛田新地。かってのいろまちの奥に今夜のうたげの会場「鯛よし百番」がある。

 13「鯛よし百番

 揚屋も置屋も姿を消した現在、当時の面影を残すが故に大阪保存建造物に指定されている「鯛よし百番」は二階建の楼閣。
 玄関の左手には顔見世の間、右手には太鼓橋があり、廊下を進むと日光陽明門の奥の応接間では壁に舞う天女に何やらふんわりとした気分になる。

 京名所三條大橋と三条小橋の欄干に囲まれた階段から二階に上ると宿場町を模した小部屋が並ぶ廊下や大部屋・小部屋と調度品や趣もさまざま。 

 部屋の入口の井戸や待合コーナーや廊下の壁の派手な絵などは往事を偲ぶよすがとなる。

 二階の部屋の外には手摺の付いた張出しがあり、ここから遊女が客に声を掛けたのだろう。厠(かわや)は近代化されているが、それでも天井に昔の模様が残っている。用足しに立つ友人に「アルタミラ」(上を見よ)と親切にアドバイスしてくれる。

 中庭に面した鳳凰の間に落ち着いた男女5名ずつの一行はNSの二極構成でオス・メス互い違いの席順。

 アルコールが入ると座は談論風発。
けちんぼで爪に火をともして集めた金を湯水の如く浪費する妻に文句も言えんあかんたれの旦那が暴露される。

「はたちで嫁入りした時はほんに可愛かったのよ、今でもそうやけど」
と宣う元乙女。

 「酒はワイフの方が強い」とシャッポを脱ぐ逆手組などなど夜の更けるのも忘れる。

 座の締め括りは最近退院したばかりのSSさんの声涙下る口上。

 「病気にさいしていただいた手紙にとても勇気づけられた」。ところで肝心の便りをもってくるのを忘れたとはご愛敬。

14 歓楽の秘境

 「鯛よし百番」を出ると外は真っ暗。通りの両側には狭い間口で入口にピンクの明かりのついた小屋かずらっと並ぶ。
 上がりかまちに肌もあらわな美女がライトアップされ、傍に遣手らしい女性も座っている。

 じろじろ眺めるのははばかられ、ちらちらと横目で通り過ぎる。正に現代の桃源郷と云おうか、ハーレムと云うべきか、別世界が存在する。

 非日常の異文化に接して女性陣も黙黙と歩を進める。

 通りを抜け、動物園前駅で地下鉄に乗り、現実の世界に引き戻される。女性方も苦界に止め置かれること無くご同慶の至り。